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第十二章 イスカリオテのユダ Judas Iscariotes

Ⅰ・10月31日

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——Judas Iscariotes


 裏切り者の代名詞として語られる、イスカリオテのユダも、十二使徒の一人であった。

 ユダは金銭管理を任されるほどイエスの信頼を得ていたが、後にイエスを裏切る事になる。

 ユダヤ教の祭司さいし達に銀貨三十枚でイエスを引き渡す事を企て、最後の晩餐の席で、その裏切りをイエスに予告されてしまう。だがユダは接吻せっぷんする事で、祭司達にイエスの所在を教え、結果イエスは逮捕され、処刑される事になる。

 師であるイエスの処刑を目前に裏切りを悔い、銀貨三十枚を祭司達に返そうとしたユダだが、その行為を一笑され、自ら死を選ぶ事になる。

 祭司の一人、カヤパの邸宅を飛び出したユダは、ハナズオウの木で首をくくり、自死したと伝えられている。



         ◇ ◇ ◇



 朝からずっと眺め続けた"TAMTAM"のアカウントにそろそろ大きな溜息を吐きたくなる。田村拓海が言っていた"TAMTAM"のプレゼントとは何なのだろうか? それともプレゼントなんてものは、田村拓海が思いついたごとなのだろうか?

 バッテリーがすでに二回も空になるほど、朝からずっとスマホに振り回されている。もう何度と見たアカウントだがまだ変化は特にない。

 あと一人残されたイスカリオテのユダも気にはなる。それに"TA/MU/RA/SH"だ。"TAMTAM"にフォローされているアカウントは晃平以外にもう一つある。それに晃平に任せてある防犯カメラの件。

 葉佑は五年前の事件を洗い直すと言っていた。気になる事は山程あるが"TAMTAM"からのプレゼントが判明しない限り、他の事に気を取られる余裕はない。

「お、光平。お前が大人しく座っているなんて珍しいな」

 朝からずっと腰掛けているソファの向かい側。葉佑が腰を下ろす。

「今日、望月さんの所へ行っていたんだよな?」

「ああ、顔を出しにな。たまには見舞いに行かないとだし」

「それで? 望月さんは元気なのか?」

「ああ、大丈夫だ。問題ない。もうすぐにでも退院だ。退院してすぐに復帰って分けには、いかないかもしれないけどな」

「そうしたら当分、お前が望月さんの代わりを務めるんだな」

「まあ、そうだな。そう言う事になるな」

 望月の体調は気になるところだが、葉佑が問題ないと言うのであれば、少しは安心もできる。本当は一緒に見舞いにも行きたかったが、今日はハロウィンだ。

「さっきテレビでちらっと見たけど。渋谷のスクランブル交差点。お前も観たか?」

「いや、観ていないけど。何かあったのか?」

「まだ夕方なのに、凄い事になっていたぞ」

「何がだ?」

「"TAMTAM"だよ。赤いパーカー。今日がハロウィンだろ? 渋谷のスクランブルに、赤いパーカーを着た連中が大集結だよ。夜に向けて更に増えていくだろうって」

「またなのか? ふざけてやがるな」

「確かにふざけているよな。でもまあ去年までだって、ジェイソンなんかの仮装していた奴なんかもいたわけだし。それと一緒だろ」

「いや、だって。ジェイソンは映画の中殺人鬼だろ。"TAMTAM"は実在の犯罪者だぜ。本当狂っている」

「まあな。タムラじゃなければ殺されないからな。タムラ以外の人間にとったら殺される心配もないし、ハロウィンに便乗してお祭り騒ぎだよ」

「渋谷に大勢の警察官を配置しないといけないんだし、ちょっとは"TAMTAM"の捜査に警察官を回してくれたっていいのにな」

「まあな。お前の気持ちは分かるよ」

 ハロウィンなんて文化、日本にはなかったはずなのに、いつの日からか、仮装パーティーの日になっている。しかも犯罪者の仮装なんてあり得ない。

「それで? "TAMTAM"からのプレゼントはあったのか?」

「いや、朝からずっとSNS見ているんだけどな」

 十一パーセント。そろそろ充電しないと、三回目のバッテリー切れだ。

「ちょっとコーヒー淹れてくるわ。お前も飲むだろ?」

「ああ、サンキュ」

 スマホを充電器に繋ぎ、給湯室へと向かう。もう六時を回ったのにやはり"TAMTAM"からのプレゼントなんてものは、田村拓海の戯れ言なんだろうか。

「それで? お前の方はどうなんだ?」

「ああ、一応調べはしているけどな。なんせお前が言うように、田村周平がもしあの五年前の事件の真犯人なんて事になったら、警察の威信に関わる訳だよ。俺らみたいな末端の刑事だけの問題じゃなくなるだろ? そりゃその辺は慎重にもなるさ」

「まあな。でもこのまま"TAMTAM"の手によって、十二人目の犠牲者を出してしまったら、それこそ警察の威信に関わるだろ」

 少しぬるすぎたのか、葉佑がコーヒーを一息に飲み干す。空の紙コップをテーブルに置き、見せたその表情は、何とも言えないものになっている。望月に代わって指揮を取ると言う事は、そのジレンマまで引き継いだと言う事なのだろう。

「おお、山﨑。俺は帰るから、後はよろしく頼むぞ。それと今テレビで新たな書き込みがどうとか緊急ニュースでやっていたけど」

 課長の古村がいそいそと帰り支度をしながら声を掛けてくる。

 新たな書き込み? それがハロウィンのプレゼントなのか? それともイスカリオテのユダの殺人予告が書込まれたのだろうか? 慌ててスマホを探すが、充電中である事を思い出す。

「課長、お疲れ様です。それでテレビは他に何か言っていましたか?」

「ああ、赤いパーカーの連中が渋谷に流れ込んで来てって、そいつらにインタビューしていたぞ」

「ああ、ハロウィンの大騒ぎですね」

「そうだ、そうだ。そうしたらそのインタビューの途中で、新たな書き込みがって、更に大騒ぎになってな、何か収拾付かない感じになっていたぞ」

「それって、どれくらい前の話ですか?」

「ちょっと前だよ。四、五分前かな? それじゃあ、俺は帰るぞ」

「あ、はい。お疲れ様です」

 古村の話を耳にした葉佑が、慌ててスマホを手にしている。

「数分前に新たな書き込みがあったって事だな」

「そう言う事みたいだな」

 手にしたスマホをタップし葉佑がSNSを開く。電波の問題か何かがあるのか、画面はくるくるとフリーズしている。一旦、アプリを閉じ、開き直すその手元に集中する。

「お、開けた」

 葉佑が開いたアカウントの左上、加工はされているが、そこには晃平の顔写真が貼られていた。そう言えば、晃平のアカウントのトップを見るのは初めてだった。

「これって、晃平さんの?」

「ああ、そうだよ。田村さんのアカウントだよ。もし奴から何かメッセージが来ても、すぐ確認できるように、このアカウントにログインしっ放しなんだよ」

 葉佑がフォロワー数の1の数字をタップする。

 すぐにとはいかなかったが、"TAMTAM"の名前が表示され、更にその名前をタップしている。

「何が書込まれたんだろうな?」

 まだほんの一、二分しか経っていないのに、アカウントへの接続の悪さに苛々いらいらさせられる。"TAMTAM"のアカウントに人が集中し、なかなか接続されないなんて事があるのだろうか。

 そんな考えが浮かんだ時。ようやく画面が"TAMTAM"のアカウントを表示した。

「新しい書き込みってこれの事か? 何か動画がアップされている」

「動画? 早く見せてくれよ」

「それより何かタブレットとかないのか? こんな小さな画面よりはいいだろ」

「小さくてもいいから、早くその動画を再生しろよ」

「ああ、分かったよ」

 葉佑がスマホを横に倒した事で、画面いっぱいに映像が拡がる。陰影は付いているが、全体的にグレイの画面だ。どこか薄暗い室内のように見える。いや、見えるのではなくそこは室内で間違いなかった。グレイの画面に慣れたのか、室内の様子が判別できる。

 足元には幾つかの段ボール箱。その下はフローリングだろうか。ゆっくりとカメラが動く。カメラを持った人間が、ゆっくり動いているのだろう。

 その時。人の足らしいものをカメラが捕えた。いや、足らしいものではなく、それは足だった。カメラが引かれたのか、足から太腿、腹、そして全身が映し出される。大きく開かれた足と、大きく開かれた腕は、縛られているようだ。

——エックス? 筋交すじかいなのか?

——この姿? この姿はアンデレなのか?

 動きを止めたカメラが捕えているものは、X字型に縛られた男の姿だ。薄暗く顔までは判別できないが、縛り付けられた全裸の男をカメラが舐めている。その時、大きく画面が揺れた。どこかにカメラを固定したのだろうか?

 画面の中央に全裸の男が収まり、静止画のように映像が止まる。画面の端から黒い影が全裸の男に近付く。黒い影は次第に人の形となり、それがもう一人の男である事を教える。

 もう一人の男の頭は——。全裸の男の体に重なっている。

 一瞬、画面に一筋の光の線が走った。

 光の線は男が手にしたナイフだ。ゆっくりと全裸の男にナイフを突きつける。するとナイフを持った男が、ゆっくりと振り向いた。カメラに向けられた視線。

——見覚えのある顔。

——田村周平。

 三分四十七秒。右下にその長さを伝え動画が止まる。

「おい、今の動画って」

 葉佑の声は裏返り、真っ直ぐこちらへと向けられた目も固まっている。

「ああ、田村周平だったな。それとアンデレ」

「アンデレ、田村浩之なのか」

 整理など付くはずはない。

 動画は田村周平の顔を捕えたまま固まっている。田村周平の犯行を教える動画をわざわざアップしたと言うのか。

「おい、また別の動画がアップされた。どう言う事だ?」

「そう言う事だろ?」

「そう言うって、だからどう言う」

「これがプレゼントだって言うんだろ。いつまで経っても自分の正体を見抜けない、間抜けな警察や世間に自分の偉大さを誇示こじしているんだろ」

「どう言う意味だ? 誇示って?」

「だから、三百万のフォロワーを、赤いパーカーを着て大騒ぎしている連中を、コントロールしている気分なんだろ。それに警察はいつまで経っても、その尻尾を掴めないし」

「一体、どう言う事なんだよ」

「さあな。でもこれで一つ分かった事は、田村周平が田村浩之を殺したって事だ。それで他にも動画がアップされたんだな」

「ああ、次の動画は、暗くてよく分からないけど、これって、また全裸の男だ。縛られているのか? 木に縛られている。木って事は、フィリポかペトロなのか。ん? 足元に何か、白っぽい何かが、足元にあるのは石だ。白っぽい石だ」

「石打ちって事はフィリポだな。それで?」

「それで何だよ?」

「アップされた動画は、その二つなのか?」

「えーっと、あ、あ、今で六つだ。六つアップされている」

 筋交いに縛られた、田村浩之だろう男の動画から先は、直視する事が出来ない。

 六つだと教えられたその動画の中には、田邑先生の死に様を映したものもあるはずだ。もしそんな動画を目にしてしまったら、正気を保てなくなるだろう。怒りに身を任せて、誰を傷付けてしまうかも分からない。今、すぐ側にいる葉佑にさえ、その矛先を向けてしまうかもしれない。

「葉佑、すまない」

「何がすまないんだ?」

「残りの動画は、お前一人で確認してくれないか? 田邑先生の死に様なんか見せられたら、俺、どうなってしまうか分からないし」

 ただの同期じゃない。葉佑は友人だ。少しくらい甘えても許されるだろう。

「ああ、分かった。それとフェイクだって可能性もあるしな。とりあえず捜査二課に頼んで、この映像の分析をして貰うよ。それと三百万ってフォロワーが、この動画を目にしたって事だろ? また騒がしくなるな」

「そうだな。もしかしたらそれも奴の狙いなのかも」

「そうかもな」

 疲れていたはずの葉佑の顔には、少しの明るさが戻っていた。望月が入院し、全ての責任を問われるかもしれないのに、ようやく見えた"TAMTAM"の顔に、重荷を一つ下ろしたのだろう。だがこれから更なる重荷を、抱え込む事になるかもしれない。田邑先生の死に様すら、ちゃんと向き合えない自分が、そんな葉佑の支えになれるのだろうか。
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