9 / 18
第一章:ENVIRONMENT DIVISION
第004話「困った時のあかりちゃん(後編)」
しおりを挟む
「あとで話を聞く? 帰りに居酒屋に行くってことっスか?」
広瀬がキラキラと目を輝かせる。これはアレだ。「奢ってもらうっス!」という目だ。
「そういうつもりじゃないんだけど……
まあ、いいか。広瀬が行きたいって言うんなら」
「だったらですね! この前の接待帰りに先輩と行った居酒屋がいいっス!」
「それって『安い!不味い!量が多い!』って自分で言ってたあの店か?
俺の趣味じゃないから記憶から消してたわ。なんて名前の店だっけ?」
「人喰い居酒屋『桃色トカゲ』っスね!」
広瀬はスマホに保存した写真を見せながら、無邪気に答える。
「名前まで最悪だな」
言われて、店内のカウンター席の記憶が脳裏をよぎる。
雑然とした店内、ベタついてギラつくテーブル、そして空腹時には許せた大味が思い出される。『桃色トカゲ』という店名が描かれた古びた看板の、やたら毒々しいピンク色が目に痛かった。幼い頃から絵画や音楽、文学に触れて育ってきたせいか、尾本はこうした無神経な色彩や雑然とした空間が苦手だった。接待で酔い潰れていなければ絶対に行かないタイプの店である。
「あの店の、ギトギトしたジャンキーな油そばが忘れられないっス!」
「そりゃいいけど、なんで俺と似たような食生活してるのに、広瀬は太らないんだよ?」
「体質っス!」
広瀬が元気よく答える。
「げせねぇ……」
「まあ、あとはあれじゃないっスか? 先輩はお酒飲むけど、私は下戸っスから」
広瀬の発言を聞いて、尾本はふと考える。言われてみれば広瀬は一滴もお酒を飲まない。ただし、その分やたら食べる。そこがまた子供っぽい。飲み会の席でウーロン茶を片手に、大皿の料理をひとりで黙々と片付ける姿は、まるで成長期の少年のようだった。食べ放題の焼き肉に連れて行った時なんかは、あまりの食べっぷりに「この子の前世は火力発電所なんじゃなかろうか?」と思ったほどだ。
「なるほど。飲まないのが影響している、と?」
「わかんないっスけど。それ以外で決定的な違いって言えば性別か……若さ?」
「お前だって……お前だって! いつかはアラフォーになるんだからなっ!」
「それまでには結婚したいっスねー」
「その前に恋愛じゃね?」
「いやいや。さらにその前に出会いっスよ」
突然、電話が鳴った。『内線:営業部』と表示されたディスプレイが目に留まる。
そんな出会いは求めていない。
「今、お湯を注いだばっかりだってのに……」
尾本が露骨に『出たくない!』という渋い顔をすると、広瀬が軽くため息をつきながら受話器を取った。そして短く要件を聞き、そっと電話を切る。
「営業の田所部長だったっス。なんかクライエントの社長さんが仕様変更したいって言い出したらしくて……3分以内に折り返しほしいとか何とか……」
広瀬は冷静を装いながらも、口を一文字にして説明した。
「はあっ!? 納品直前の、このタイミングで!?」
「これまでのパターンだと、もう仕様変更は決定されてる感じっスよね。そして手柄は営業部っと――」
「うっ! がああああああああああ!」
過去に幾度となく繰り返された仕様変更を思い出し、尾本はバリバリと頭を掻きむしる。
「どうするっスか? と言っても、選択肢は最初から無さそうっスけど」
「もういいよ。俺が残って何とかするから。広瀬は予定通りに定時で帰れよ。今日で10連勤目だったろ?」
「いやいや、そこは『困った時のあかりちゃん』でいいんじゃないっスか?」
広瀬は引き出しから割り箸を取り出し、ニヤリと笑いながら尾本に差し出した。
「やだよ。そういうの、好きじゃないんだよ、俺……」
無理がたたって倒れる仲間の姿は、前の職場で何度も見てきた。
それこそ、尾本のトラウマになるぐらいに。
だからこそ、この会社では後輩を守る。
――自分の寿命を削るくらい安いもんだ。
「まあまあ。そこはSEとPG、仲良く一蓮托生でいいじゃないっスか? 我ら生まれた日は違えども! 死す時は同じ日、同じ時にキーボードの前を願わん!――的な?」
「三国志か? それ、死亡フラグになってんぞ。『困った時のあかりちゃん』さんよ」
「つか、どうしますコレ?」
広瀬が赤いヤツを指差す。お湯を注いでから、絶妙なタイミングで5分が経過していた。
「当然、食べるよ?」
尾本は広瀬に渡された赤いヤツに手を合わせると蓋をめくる。
湯気の中にふわりと広がるダシの香りが、否応なしに尾本の空腹を刺激した。
「そろそろ、田所部長から電話がかかってくる予感がするっスね」
広瀬は電話機の大元のケーブルを抜きながら、悪戯っぽく笑ってみせる。
「よし! 40秒で食う!」
尾本は味わう余裕などなく、次々と麺をすくっては胃袋へと流し込む。
「最後に定時に帰ったのいつでしたっけ?」
「ふぃらん(知らん)」
赤いヤツの麺を口に含んだまま、尾本が乱暴にぼやく。
「なんというか、弊社って出会いからして絶望的っスよね~」
広瀬は、呆れたように呟くと、割り箸を割った。
片方が妙に短い形になっている。「絶望的」と言ったタイミングで割り箸を割るその仕草が、彼女の諦めや呆れを象徴しているように見えて、少し微笑ましくも可笑しかった。もっとも、広瀬は黙っている分には、かなりの美人である。さらに、彼女の明るい人柄が伝われば、放っておく男などまずいないだろう。
この賢く可愛い後輩に見合う素敵な相手が早く見つかるようにと祈り、尾本は小さくうなずいた。
「ふぉんふぉになー(本当になー)」
広瀬がキラキラと目を輝かせる。これはアレだ。「奢ってもらうっス!」という目だ。
「そういうつもりじゃないんだけど……
まあ、いいか。広瀬が行きたいって言うんなら」
「だったらですね! この前の接待帰りに先輩と行った居酒屋がいいっス!」
「それって『安い!不味い!量が多い!』って自分で言ってたあの店か?
俺の趣味じゃないから記憶から消してたわ。なんて名前の店だっけ?」
「人喰い居酒屋『桃色トカゲ』っスね!」
広瀬はスマホに保存した写真を見せながら、無邪気に答える。
「名前まで最悪だな」
言われて、店内のカウンター席の記憶が脳裏をよぎる。
雑然とした店内、ベタついてギラつくテーブル、そして空腹時には許せた大味が思い出される。『桃色トカゲ』という店名が描かれた古びた看板の、やたら毒々しいピンク色が目に痛かった。幼い頃から絵画や音楽、文学に触れて育ってきたせいか、尾本はこうした無神経な色彩や雑然とした空間が苦手だった。接待で酔い潰れていなければ絶対に行かないタイプの店である。
「あの店の、ギトギトしたジャンキーな油そばが忘れられないっス!」
「そりゃいいけど、なんで俺と似たような食生活してるのに、広瀬は太らないんだよ?」
「体質っス!」
広瀬が元気よく答える。
「げせねぇ……」
「まあ、あとはあれじゃないっスか? 先輩はお酒飲むけど、私は下戸っスから」
広瀬の発言を聞いて、尾本はふと考える。言われてみれば広瀬は一滴もお酒を飲まない。ただし、その分やたら食べる。そこがまた子供っぽい。飲み会の席でウーロン茶を片手に、大皿の料理をひとりで黙々と片付ける姿は、まるで成長期の少年のようだった。食べ放題の焼き肉に連れて行った時なんかは、あまりの食べっぷりに「この子の前世は火力発電所なんじゃなかろうか?」と思ったほどだ。
「なるほど。飲まないのが影響している、と?」
「わかんないっスけど。それ以外で決定的な違いって言えば性別か……若さ?」
「お前だって……お前だって! いつかはアラフォーになるんだからなっ!」
「それまでには結婚したいっスねー」
「その前に恋愛じゃね?」
「いやいや。さらにその前に出会いっスよ」
突然、電話が鳴った。『内線:営業部』と表示されたディスプレイが目に留まる。
そんな出会いは求めていない。
「今、お湯を注いだばっかりだってのに……」
尾本が露骨に『出たくない!』という渋い顔をすると、広瀬が軽くため息をつきながら受話器を取った。そして短く要件を聞き、そっと電話を切る。
「営業の田所部長だったっス。なんかクライエントの社長さんが仕様変更したいって言い出したらしくて……3分以内に折り返しほしいとか何とか……」
広瀬は冷静を装いながらも、口を一文字にして説明した。
「はあっ!? 納品直前の、このタイミングで!?」
「これまでのパターンだと、もう仕様変更は決定されてる感じっスよね。そして手柄は営業部っと――」
「うっ! がああああああああああ!」
過去に幾度となく繰り返された仕様変更を思い出し、尾本はバリバリと頭を掻きむしる。
「どうするっスか? と言っても、選択肢は最初から無さそうっスけど」
「もういいよ。俺が残って何とかするから。広瀬は予定通りに定時で帰れよ。今日で10連勤目だったろ?」
「いやいや、そこは『困った時のあかりちゃん』でいいんじゃないっスか?」
広瀬は引き出しから割り箸を取り出し、ニヤリと笑いながら尾本に差し出した。
「やだよ。そういうの、好きじゃないんだよ、俺……」
無理がたたって倒れる仲間の姿は、前の職場で何度も見てきた。
それこそ、尾本のトラウマになるぐらいに。
だからこそ、この会社では後輩を守る。
――自分の寿命を削るくらい安いもんだ。
「まあまあ。そこはSEとPG、仲良く一蓮托生でいいじゃないっスか? 我ら生まれた日は違えども! 死す時は同じ日、同じ時にキーボードの前を願わん!――的な?」
「三国志か? それ、死亡フラグになってんぞ。『困った時のあかりちゃん』さんよ」
「つか、どうしますコレ?」
広瀬が赤いヤツを指差す。お湯を注いでから、絶妙なタイミングで5分が経過していた。
「当然、食べるよ?」
尾本は広瀬に渡された赤いヤツに手を合わせると蓋をめくる。
湯気の中にふわりと広がるダシの香りが、否応なしに尾本の空腹を刺激した。
「そろそろ、田所部長から電話がかかってくる予感がするっスね」
広瀬は電話機の大元のケーブルを抜きながら、悪戯っぽく笑ってみせる。
「よし! 40秒で食う!」
尾本は味わう余裕などなく、次々と麺をすくっては胃袋へと流し込む。
「最後に定時に帰ったのいつでしたっけ?」
「ふぃらん(知らん)」
赤いヤツの麺を口に含んだまま、尾本が乱暴にぼやく。
「なんというか、弊社って出会いからして絶望的っスよね~」
広瀬は、呆れたように呟くと、割り箸を割った。
片方が妙に短い形になっている。「絶望的」と言ったタイミングで割り箸を割るその仕草が、彼女の諦めや呆れを象徴しているように見えて、少し微笑ましくも可笑しかった。もっとも、広瀬は黙っている分には、かなりの美人である。さらに、彼女の明るい人柄が伝われば、放っておく男などまずいないだろう。
この賢く可愛い後輩に見合う素敵な相手が早く見つかるようにと祈り、尾本は小さくうなずいた。
「ふぉんふぉになー(本当になー)」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
高身長お姉さん達に囲まれてると思ったらここは貞操逆転世界でした。〜どうやら元の世界には帰れないので、今を謳歌しようと思います〜
水国 水
恋愛
ある日、阿宮 海(あみや かい)はバイト先から自転車で家へ帰っていた。
その時、快晴で雲一つ無い空が急変し、突如、周囲に濃い霧に包まれる。
危険を感じた阿宮は自転車を押して帰ることにした。そして徒歩で歩き、喉も乾いてきた時、運良く喫茶店の看板を発見する。
彼は霧が晴れるまでそこで休憩しようと思い、扉を開く。そこには女性の店員が一人居るだけだった。
初めは男装だと考えていた女性の店員、阿宮と会話していくうちに彼が男性だということに気がついた。そして同時に阿宮も世界の常識がおかしいことに気がつく。
そして話していくうちに貞操逆転世界へ転移してしまったことを知る。
警察へ連れて行かれ、戸籍がないことも発覚し、家もない状況。先が不安ではあるが、戻れないだろうと考え新たな世界で生きていくことを決意した。
これはひょんなことから貞操逆転世界に転移してしまった阿宮が高身長女子と関わり、関係を深めながら貞操逆転世界を謳歌する話。
『俺アレルギー』の抗体は、俺のことが好きな人にしか現れない?学園のアイドルから、幼馴染までノーマスク。その意味を俺は知らない
七星点灯
青春
雨宮優(あまみや ゆう)は、世界でたった一つしかない奇病、『俺アレルギー』の根源となってしまった。
彼の周りにいる人間は、花粉症の様な症状に見舞われ、マスク無しではまともに会話できない。
しかし、マスクをつけずに彼とラクラク会話ができる女の子達がいる。幼馴染、クラスメイトのギャル、先輩などなど……。
彼女達はそう、彼のことが好きすぎて、身体が勝手に『俺アレルギー』の抗体を作ってしまったのだ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる