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赤りんご青りんご事件~名前のない色
十六章『補色――お互いを助け合う(赤りんごと青りんご)』
しおりを挟む「赤と青のりんごを合わせると、互いを引き立てあって、とっても美味しくなるんです……」
「どっちの色にも、それぞれ良さがあって……」
「知ってますか?あとで、皆さんで食べましょうよ?とっておきのがあるんです」
「お二人が、ぶつかり合いながら、尊敬し合いながら競ってたから……」
「今の絵ができたんだと思います」
伝えたいことをちゃんと言えただろうか?
「君みたいな素人に……何がわかるって――」
言いかけて、口をつぐむ千里先輩。
「ダメだよ、千里ちゃん、それだけはダメ」
「それを言ってしまったら、千里ちゃんの理想がなくなっちゃう」
椿姫先輩が、千里先輩をきつく抱きしめた。
「千里ちゃん言ってたでしょ」
「みんなが美を感じる心を持ってるって」
「誰でも芸術家になれるって」
「千里ちゃんが、子供の頃からずっと持ち続けている理想だって」
「私、それを聞いて、なんてすごい子なんだって」
「私みたいな凡人でも、素人でも絵を描こう……描いていいんだって」
「勇気をもらったの。だから、それはダメだよ」
「千里ちゃんが描きたい絵、私、今からでも手伝うから」
「だから、それだけは捨てないで。才能なんていい、でも心を捨てたら――ね?」
「私が千里ちゃんにそんなことを言わせたなら、謝るから、ね?」
「お願いだから。千里ちゃん、私どうしたらいいか――」
椿姫先輩は泣いていた。
千里先輩は椿姫先輩の涙をそっと拭った。そして、わたしに笑い返した。なんだかそれは、やわらかくて、暖かくて、強くて、そして儚さが詰まった笑いだった。
本当の千里さん。わたしにはそう感じられた。
「如月萌花さん、私が悪かった。今の言葉は撤回する」
「心から、ごめんなさい」
千里先輩は弱々しく、しかし、はっきりとした口調で謝罪を口にした。柔らかな微笑みは、ゆっくりと心に広がった。
今はその髪にもルビーの輝きはなく、その瞳も朝靄の中に消え去りそうな色に見える。けれど、不思議と今の千里先輩の方が魅力的に見えた。
「初めて私の絵を見てくれた人に、ここまで褒めてもらえて、とっても嬉しいよ」
ただ微笑だけを浮かべていた。
自嘲でも強がりでもなく。
「椿姫もね。君のような子が私の絵を見て、芸術を志してくれたなんて」
その顔は、不思議と幼く見えた。口調がそうさせているのだろうか。千里先輩の声にならなかった言葉が、瞳の奥で揺れている。
沈黙には、言葉を超える想いが溢れていた。
「君の言う事もわかってるんだよ、椿姫」
「でも、もう少しだけ自分を試したいんだ」
「ただ一人の、百瀬千里として」
「僕が、僕であり続けるために――この瞳が映す世界を、そのまま受け入れるために」
雪乃先輩はわたしだけに聞こえる声で囁いた。
「誰にでも、美はある――か。とっても素敵」
その言葉が胸に響いた瞬間、夕陽が美術室をいつまでも照らし続けていた。
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