多分、うちには猫がいる

灯倉日鈴(合歓鈴)

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35話

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 真円を描く月が藍の空に昇ってく。
「愉しい、愉しいぞ!」
 吼えるように笑いながら、人狼は両手を振り回して土塊を打ち壊し、牙で獣の死骸を喰い千切る。
 『悪しきモノ』は魂のない器に憑くようだ。
 土に憑くなら壊すのは容易いが、巨大な岩や倒木に憑くと厄介だ。人の力でどうにもならない敵は、怪力ルフガに遠くまでぶん投げてもらって事なきを得た。
「いつまで続くんだ、これ」
 豹型の魔獣の首を刎ねながら、コウがうんざり零す。
「朝までだろう。脆弱な悪霊は陽の光に弱い」
 自分は高等だから大丈夫と言わんばかりの人狼は、銀の毛並みを敵の血で染めていて、まるで悪鬼のようだ。
「埒が明かん。発顕場所ここから離れるぞ。ルフガ、先に行け」
 アンデッドを屠りつつ、自ら殿を申し出る。人狼に先導を頼んだのは、でたらめな方向に逃げて偶然にでも獣人の集落に近づくのを避けるためだ。
 コウの意図を読んで、ルフガが茶化す。
「コウは優しいなぁ」
「これ以上、悪霊の器死体を増やしたくないだけだ」
 明らかに土や石より生き物の死体の方が強く戦いにくい。ただ、それだけだ。
「お、俺はどうしたら?」
「とにかく走れ。ランプを離すな。振り返るな」
 狼狽えるロジャーをどやしつけながら、戦線を離脱する。ランプの灯りは目印になってしまうが、霊や獣は火を嫌うし、夜目の利かない人間には足元を照らす光が必要だ。
 追いかけてくるアンデッドを振り払い、必死で逃げる。
 発顕場所から遠くなってくると、追手の数も減ってくる。
 ……どれくらい走っただろう。
 足がもつれて倒れかけたロジャーを支えて、コウは必死で走る。
 疲れを知らない満月の人狼の背中が遠くなる。
 息が切れる。全身が心臓になったみたいに鼓動が響く。
 不意に背後から肩を掴まれる。
 ……アンデッドに追いつかれた。
 コウは剣を振り上げながら身を翻し――
「っ!?」
 ――自分の肩ほどの高さにぴょこっと生えた黒い耳に思わず手を止めた。
「み……」
「コウ!」
 鋭く叫ぶルフガの声に正気に返る。目の前にいるのは三角耳の黒猫ではなく……ただの土人形だ。
 コウが剣を振り下ろすと、はあっさり砂になって崩れた。
「大丈夫か、コウ」
 戻ってきたルフガに「なんでもない」と手を振る。
「ただ、ちょっと……悪霊の精神攻撃を受けた」
「精神攻撃? 悪夢でも視せられたか?」
 訊かれたコウは少しだけ考えて、
「忘れた」
 曖昧に呟いた。

「ここなら安全だろう」
 岩場の浅い洞窟に案内され、人間達はようやく息をついた。
 一番体力のない学者ロジャーは、口も利けないほど疲労困憊で冷たい岩盤に横たわっている。
 コウは口を開けた水筒をロジャーに渡しつつ、壁にもたれかかって息を整えている。
「朝まで俺が見張るから、お前らは寝ていろ」
 洞窟の入口に立つルフガはまだまだ元気で頼もしい。
「ありがとう、ルフガがいてくれて助かった」
「仕事だからな」
 コウの心からの謝辞にルフガはクールに返すが……。
 尻尾は目で追えないくらい高速でブンブン振られていた。
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