多分、うちには猫がいる

灯倉日鈴(合歓鈴)

文字の大きさ
38 / 42

38話

しおりを挟む
「どうもあいつの機嫌が悪いらしいのだが」
 数日ぶりに酒場に顔を出したコウは、僕の隣のスツールに腰掛けるなり沈痛な面持ちで呟いた。
「どういうこと?」
 僕はグラスを一つ追加して、コウに香草酒を注ぎながら問いかける。
「夜中、俺が寝ようとすると、バリバリと音を立てて爪を研ぐんだ。抗議すると止むのだが、また寝ようとするとバリバリと……」
 猫系なら爪研ぎは日常不可欠な行動に思えるけど。
「爪研ぎって、家は大丈夫なのかい? コウの家は賃貸だろう?」
 敷金とか原状回復とか。現実的な問題を指摘すると、
「自分で持ち込んだ爪研ぎ用の板でやってるから大丈夫。床や柱に傷はない」
 ……用意周到だな、ミルカちゃん。そういや大家さんのお気に入りだって言ってたっけ。
「今までこんなことはなかったし、タイミングに作為的なものを感じる」
 ということは、わざとコウの安眠を妨害している線が濃厚なのか。でも、これまで聞き知ってきた彼女は、いたずらにコウを困らせるタイプじゃなかったはずだけど……?
「コウ、何かミルカちゃんを怒らせるようなことしたの?」
 尋ねる僕に、コウはグラスに唇をつけて、
「してない。するほど接点がない」
 ……だよねぇ。
「だが、一つ思い当たるのは」
 お、なになに?
「俺が仕事で何日か家を空けていたことかな。帰ってきた時から様子が違う」
「仕事で留守にするって、ミルカちゃんに言ってから出掛けたの?」
「いや」
 ……。
「それは……コウが悪いと思う。何日もいないなら、ちゃんと言っておかないと」
 僕の回答に、コウは心底驚く。
「何故だ? あいつは勝手にうちに住み着いただけで、生活自体は別々だ。飯は自分で調達して来るし、仕事もしてる。俺が何かしてやらなくても、あいつは一人で何でもできる。俺がたった数日いなかったことのどこに問題があるんだ?」
 ……こういうとこ、コウには自覚も悪気もないんだよね。
「あのね、確かにミルカちゃんはコウがいなくても支障なく生活できると思うけど、論点はそこじゃないんだよ」
 僕は丁寧に諭す。
「僕達は職業柄、何日かお互いの姿を見なくても、『任務で遠くに行ってるのかな』とか、最悪『死んだのかな』って自分を納得させられるけど。ミルカちゃんは違うよね?」
 グラスを置いて、コウを見る。
「ミルカちゃん、コウが突然いなくなってすごく心配だったと思う。毎日帰って来るのが当たり前だと思ってた人が帰って来ないのって恐怖だよ。そんな日々が数日続いてから、何事もなかったようにコウが帰ってきたら――」
「――鯛を投げつけたくもなるか」
 そんなこともされてたのか。
「コウはミルカちゃんが勝手に住み着いたっていうけど。それを受け入れた以上、ある程度の責任は伴うと思うよ。事前に予定が判ってるなら伝えなきゃ」
 正直僕も、この数日コウが酒場に来なくて心配した。……言わないけど。
 コウは難しい顔でグラスを睨みつけてから、一気に香草酒を呷った。飲み干すと同時に立ち上がる。
「すまん、今日は帰る」
「うん、それがいいよ」
 出口に向かおうとしたコウは、ふと気づいたように僕を振り返る。
「今度仕事で長く街を出る時は、レイエスにも予定を伝えるよ」
「へ? なんで?」
 首を傾げる僕に、コウはさらりと、
「俺もレイエスが夜勤で酒場に来ない週は、飲んでてもつまらなかったから」
 ……。
「……そういうとこだぞ、コウ」
 飲み友達のいなくなったカウンターに、僕は独りで突っ伏した。

◆ ◇ ◆ ◇

 夜の早めの時間。
 家に帰ってきたコウは、手に持っていた物を、テーブルに置いた。それは、大皿小皿深皿やカップにカトラリー一式の食器セット。
「これ、自由に使え」
 目線を向けずに天井に言う。彼女は自分の物を増やさないから、彼が用意する。
「あと……悪かった」
 ポソッと囁くと、天井の空気が僅かに和らいだ気がした。
 ――その夜から、コウはぐっすり眠れるようになったそうだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!

翠月るるな
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。 侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。 そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。 私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。 この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。 それでは次の結婚は望めない。 その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。

この罰は永遠に

豆狸
恋愛
「オードリー、そなたはいつも私達を見ているが、一体なにが楽しいんだ?」 「クロード様の黄金色の髪が光を浴びて、キラキラ輝いているのを見るのが好きなのです」 「……ふうん」 その灰色の瞳には、いつもクロードが映っていた。 なろう様でも公開中です。

【完結】恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?―――激しく同意するので別れましょう

冬馬亮
恋愛
「恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?」 セシリエの婚約者、イアーゴはそう言った。 少し離れた後ろの席で、婚約者にその台詞を聞かれているとも知らずに。 ※たぶん全部で15〜20話くらいの予定です。 さくさく進みます。

最難関の婚約破棄

灯倉日鈴(合歓鈴)
恋愛
婚約破棄を言い渡した伯爵令息の詰んでる未来。

【完結】婚約者様、嫌気がさしたので逃げさせて頂きます

高瀬船
恋愛
ブリジット・アルテンバークとルーカス・ラスフィールドは幼い頃にお互いの婚約が決まり、まるで兄妹のように過ごして来た。 年頃になるとブリジットは婚約者であるルーカスを意識するようになる。 そしてルーカスに対して淡い恋心を抱いていたが、当の本人・ルーカスはブリジットを諌めるばかりで女性扱いをしてくれない。 顔を合わせれば少しは淑女らしくしたら、とか。この年頃の貴族令嬢とは…、とか小言ばかり。 ちっとも婚約者扱いをしてくれないルーカスに悶々と苛立ちを感じていたブリジットだったが、近衛騎士団に所属して騎士として働く事になったルーカスは王族警護にもあたるようになり、そこで面識を持つようになったこの国の王女殿下の事を頻繁に引き合いに出すようになり… その日もいつものように「王女殿下を少しは見習って」と口にした婚約者・ルーカスの言葉にブリジットも我慢の限界が訪れた──。

リリー・フラレンシア男爵令嬢について

碧井 汐桜香
恋愛
王太子と出会ったピンク髪の男爵令嬢のお話

【完結】気味が悪い子、と呼ばれた私が嫁ぐ事になりまして

まりぃべる
恋愛
フレイチェ=ボーハールツは両親から気味悪い子、と言われ住まいも別々だ。 それは世間一般の方々とは違う、畏怖なる力を持っているから。だが両親はそんなフレイチェを避け、会えば酷い言葉を浴びせる。 そんなフレイチェが、結婚してお相手の方の侯爵家のゴタゴタを収めるお手伝いをし、幸せを掴むそんなお話です。 ☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ていますが違う場合が多々あります。その辺りよろしくお願い致します。 ☆現実世界にも似たような名前、場所、などがありますが全く関係ありません。 ☆現実にはない言葉(単語)を何となく意味の分かる感じで作り出している場合もあります。 ☆楽しんでいただけると幸いです。 ☆すみません、ショートショートになっていたので、短編に直しました。 ☆すみません読者様よりご指摘頂きまして少し変更した箇所があります。 話がややこしかったかと思います。教えて下さった方本当にありがとうございました!

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

処理中です...