恋が叶う奇跡の花

猫丸

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恋が叶う奇跡の花

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 この学園には、3年に1度だけ、手に入れると絶対に恋が叶う花が現われるという。
 その花は、いつ咲くのか。
 どんな色をして、どんな形をして、どんな香りがするのか。
 それは誰も知らない。

 ◇

「陸、お前、この学校の七不思議、知ってるか?」

 土肥陸どいりくの1年生のときの担任で、理科教師、園芸部顧問の橋本虹介はしもとこうすけは、ガスバーナーで沸かした鍋のお湯で、珈琲をドリップしながら聞いてきた。
 珈琲が十分に蒸されると、理科室特有の消毒のような薬品の香りの中に、珈琲の香りが交じる。
 ぽたぽたと規則正しい音、じわじわと豆にお湯が浸透していく音。遠くから聞こえてくる運動部の掛け声との対比で、ここだけ空間が切り取られたような錯覚を覚える。
 陸はドリップする手を見ているふりをしながら、橋本の姿を視界の端で捉えていた。
 先生と言うにはまだ若い駆け出しの20代。
 だが、頼りがいのある、落ち着いた印象を受けるのは、もとより橋本がまとっている雰囲気なのか、陸が橋本に対して持っている感情のせいか。

 陸は毎週水曜日、園芸部の部活が始まる前のこの時間が何より好きだった。
 橋本と陸の他に園芸部の生徒は誰も来ていない。陸以外は名前だけの幽霊部員。
 その部活動の殆どの時間が、二人だけの時間だった。

「七不思議って…トイレの花子さんとかのアレ?」

 尋ね返すと、橋本は肯定するように頷いた。
 その拍子で橋本の長めの前髪が目へかかった。その髪を横に流し直したあと、湯気ですこし曇った黒縁メガネをくいっと上げ、陸の方へ視線を移した。
 橋本の切れ長の目が、珈琲から自分の方に移って視線が絡まると、陸の心臓はとくんとときめく。
 気づかれないように慌てて目をそらし、指折り七不思議を数え始めた。
 
「聞いたことあるのは…えっと、トイレの花子さんだろ?
音楽室の肖像画の目が夜中に動くとか?あれ、ピアノ弾くんだったっけか?
あと、そこの理科準備室の骸骨標本が動くのと…
夜中に階段が13段になって、そこを昇るとその上の鏡の中に引きずり込まれる?
あと……あ、アレだ!初代校長の銅像が踊りだすっ!!」

 5個まで数えたところで橋本が笑った。

「ぷっ、なんだそれ?」

「え?知らねーの?職員用玄関を入ったとこにある、あのつるっぱげの銅像。あれ、夜中に踊るって聞いたことあるぜ?
あ、あとその銅像のメガネを取ると退学になる!!」

「それは、もはや七不思議じゃないな」

 くくっと笑いながらドリッパーの方へ視線を戻した橋本を見て、俺は少しニヤける。

「小学生じゃあるまいし、高校生にもなって七不思議とか、友達と話さねぇもん。もっとリアルなホラーだよ」

 出来上がった珈琲を目の前に置かれ、「いるか?」と、個別包装のパウンドケーキも渡される。
 以前はおにぎりとかパンだったけど、最近はお菓子が多い。
 いつも通りの流れに俺も遠慮することもなく、素直に受け取る。
 落としたての珈琲は熱くて、香りを堪能しながら冷めるのを待った。

「七不思議っていうか…まぁ、…だな…伝説の花の話…聞いたことないか?」

 俺が首を傾げると、珈琲に口をつけながら橋本は続けた。

「この学校には、3年に1度だけ咲く花があるんだと。
それを手に入れたやつは、絶対に恋が叶うっていう言い伝えがあるらしいぞ?」

「なにそれ?初めて聞いた。すっげー乙女チックじゃん!」

 ケタケタと笑いながらも、実は興味津々だった。本当にそんな花があるのか?
 それを手に入れたら俺のこの恋も叶うんだろうか?

「でもさ、『3年に一度』ってことは、学生限定ってこと?
先生はダメなの?てか、橋本先生、ここの卒業生だろ?見たことある?叶った人、いる?」

「さぁな。俺も見たことはないけど…まぁ、俺の学生時代から『その花を見つけて恋人同士になった』とかそんな話はちらほら聞いたな」

「それっていつ咲くの?どんな花?」

「…お前興味津々だな。そんなに食らいつくとは思わなかったぞ?てか、誰も知らないから伝説なんじゃないか?」

「なんだ、先生も知らねぇの?」
 
 少し唇を尖らせて、珈琲の温度を確かめるようにちろりと口をつける。
 砂糖やミルクを入れなくても飲めるようになったのは、先生と同じがよかったから。

「最近はあまり聞かないけどな。でも、まぁ…そんな花があるなら俺も見つけてみたいもんだけどな…」

 窓の外を眺めながら、つぶやくように言った最後の言葉に俺の心はつきんと痛んだ。
 それは理科教師としての単純な好奇心か、それとも…。

「ま、俺は野菜専門だから花はわっかんねーけど、園芸部部長として、変わった花があったら先生に持ってきてやるよ!ごちそうさまっ!…あ、これは後でいただきますっ!」

 珈琲はまだ少し熱かったが、それ以上憂いを帯びた橋本の顔を見ているのがつらくなり、珈琲を一気に飲み干した。
 もらったパウンドケーキを鞄の中へ入れ、そそくさと園芸部の花壇へ向かう。
 花壇と言っても様々な野菜が植えられ、もはや陸専用の畑になり、家計の助けとなっている。

 ◇

 陸が園芸部に入ったのは、高校へ入学して2ヶ月も過ぎてからのことだった。

 母子二人の陸の家は、お世辞にも余裕があるとは言えなかった。
 正社員とは言え、それほど高くない給料で、母親はなんとかやりくりをしていた。
 慎ましい生活の中で、陸が高校に入学して1ヶ月位した頃、母親に病気が見つかり入院した。

 母親は「すぐに良くなる。私の心配も、お金の心配も不要だ」と言って必要な生活費をくれた。だが、陸にとってそれは母親のやせ我慢にしか見えず、毎日不安でいっぱいだった。
 親がどれだけ貯金をしているのか知らない。ただ日々節約して生活している様子を見ていたから、余裕があるようには見えなかった。
 将来の見通しも立たない状況で、万が一母親になにかあったらどのように生きていけばよいのか。
 陸には頼れる父親も祖父母も、誰も居なかった。
 頼れるところもなく、母親の「大丈夫」という言葉も信用できない。陸の心は不安でどんどん追い詰められていった。
 休学もしくは退学して働くことも考え始めた頃、当時担任だった橋本が声をかけてきた。

 「土肥、お前、昼めしは?」
 
 心労により顔色が悪く、お昼ごはんを食べている様子のない陸に橋本は聞いた。
 教師になったばかりの年齢の若い担任に、なんとなくプライドが邪魔をして事情を話すことができなかった。男前の高校教師。きっと人生で挫折を味わったことなんかないんだろう。
 勝手な思い込みで、橋本を拒絶した。だが、しつこくかまってくる橋本に根負けし、渋々事情を話した。

「なるほど。お前、園芸部に入らないか?」

 ひとしきり話したあと、橋本は同情の言葉をかけるでもなく、淡々と言った。

「は?先生、今、話聞いてました?俺今それどころじゃねぇし、それに、俺、花なんて育てたことないですよ?」

 同情されなくてよかった。惨めな気持ちにはならなくてほっとした。だが、気持ちがやさぐれていて、ぶっきらぼうな返事になった。だが橋本はそれに気を悪くするでもなく軽く答えた。

「あー、大丈夫、大丈夫。園芸部って専用の花壇があるんだけどな。今、幽霊部員しかいなくて放置されてんだよ」

「はっ?」

「そこで野菜育てないか?苗は部の予算から出るし、幽霊部員ばかりだからお前が収穫しに来ないと、野菜腐るし?」

 聞くと園芸部は、大学進学の際の調査書で「3年間部活に入っていました」とちょこっと活動実績書ける程度の部らしい。
 活動らしい活動は、年に2回程度。グラウンド横にある花壇の花を皆で一斉に植えて終わり。

 (それどころじゃないんだけど)と思いつつも、「まぁ、家計の足しにもなるか」と、諦めて入部した。
 
 その後橋本は、昼休みご飯を食べずに昼寝してやりすごしている陸を「園芸部の用事がある」と、度々呼び出した。
 そして「昼休みに呼び出して悪かったな」と、おにぎりやらパンやらを渡してきた。
 陸にもプライドがある。橋本から憐れむような雰囲気があれば受け取れなかったかもしれない。
 だが、『お詫び』や『お礼』という体で渡されたから、陸も拒むことができなかった。
 そのうち、それが野菜を収穫する時期になり、そのお昼ごはんに自ら収穫した野菜が加わった。
 はじめは嫌々やっていた部活だったが、花が咲いたり野菜が育つ様子を見るのは案外楽しく、少しこわばっていた心が癒やされた。

 でもうまく行くことばかりじゃなかった。
 荒れた花壇の一部にさつまいもを植えた時のこと。
 夏の暑い時期、さつまいもの葉の中に花が咲いていた。朝顔のような花弁で、中心が紫色の花。

 「雑草なら抜かなきゃ」と思って、ネットで調べた陸はショックを受けた。
 さつまいもは地中にできる芋で子孫を残すが、その芋がうまく育たない場合には花が咲く。
 
 さつまいもに花が咲いてしまった。
 実はならない。
 失敗したのだ。
 陸は泣いた。

 母親の退院が延期になった事を聞いた翌日のことだった。
 「そろそろ…」「そろそろ…」と期待していた何度目かの退院予定が、また取り消された。

 さつまいもの花は些細なきっかけだった。
 なんかもう、いろんなことがうまく行かなすぎて、さつまいもですら思い通りに行かなくて、悔しくて悲しくて。
 橋本は「大丈夫だから」と背中を撫でながら慰めてくれたけれど、張り詰めていた気持ちがぷつんと切れてしまった。

 そして、しばらく園芸部へはいかなかった。
 橋本の呼び出しも無視した。
 母親は退院の見通しが立たないし、色々なことがどうでもよくなってきた。
 そのうち学校に行くのも面倒になって。遅刻が増え、休みが増え、1週間連続で学校を休んだ。
 頭では「学校に行かなきゃ」と思っているのだが、身体が思うように動かない。 
 (このまま学校にはいけなくなるかも)そうぼんやり思っていた時、橋本が家へやってきた。

「収穫するぞ?お前が来なきゃあのまま腐る」
 
 部屋着のジャージのまま、無理やり学校に連れて行かれ、畑を掘り起こした。
 いや、はじめはさつまいもを掘り起こす橋本をぼんやり見ていただけだったけど。
 白衣を来て黒縁メガネをつけていると、ドラマの中の俳優だと言われても、信じてしまいそうなほど整った顔立ちの橋本が、スウェットを着て、長靴履いて、泥だらけになりながら芋を掘っている。

「ほら」

 橋本が渡したのは、掘ったばかりの泥まみれたさつまいもだった。
 店で売っているような立派なものではなくて、ところどころ虫食いの跡がある、今の自分のような、細くて、情けない出来のものだった。だが、ちゃんと実がなっていた。

 陸は泣いた。
 花が咲いたときとは違う涙。
 泣きながら芋を掘った。
 傍からみるとなんとも滑稽な姿だっただろうけど、陸はその時、なんとも言えないくらい安堵した。

 まだ大丈夫。もう少し…。もう少し頑張れる…。

「ちなみに、例え実がならなかったとしても、さつまいもはツルも食える」
「…んだよ、それ…」

 俺はうつむいたまま、涙で濡れた顔を拭った。
 顔に泥がついたけれど、気にしていられないくらい涙が出た。
 橋本が貸してくれたタオルを、泥だらけの手で受け取って、顔についた泥を拭いて、何もかもが泥にまみれて。でもそれもどうでもいいくらい泣いた。

 その出来事の後、陸の気持ちも少し落ち着いて来た頃。母親も無事退院した。
 それから少しずつ状況が改善した。
 後から思えば、まだ貯金はあったしなんとかなる状況だった。だが、不安が作り出した、先の見えない未来に怯え、精神的に追い詰められていた。

 だってしょうがない。まだ15歳だったのだから。
 だがその出来事をきっかけに、陸にとって橋本は絶対的に信頼できる相手になった。
 そして、その気持が恋心だと気づいたのは、2年生になって、担任が橋本ではなくなってからだった。

 橋本は無愛想だけど、素晴らしい先生だ。
 たとえ俺のこの恋が叶わなくても、幸せになって欲しいと心の底から願う。

 ◇

 七不思議の話なんて、橋本にとっては、本当にただの雑談だったのだろう。 
 そんな話をしたことなど忘れたかのように、日々は過ぎていった。

 外は雨が降っていた。
 部活はなくても、水曜日だから理科室に来る。橋本に会いに。
 橋本は何も言わずに、いつものように淡々と珈琲をドリップする。

「せんせー、そろそろ暑いし、俺、アイスコーヒーがいいなー」
「飲みたいなら自分でもってこい。そこまで贔屓したら他の生徒から文句が出る」

 あの1年生のしんどかった時期を除いて、橋本は俺を特別扱いしてくれているわけではない。
 橋本の珈琲は部活に参加すれば誰でも飲める。
 ただ俺だけが毎週参加しているだけで。
 あの時だけ。
 あの時だけ、担任として、家庭環境が不安定な生徒に特別に配慮しなきゃいけない時期だっただけだ。
 そう自分に言い聞かせる。
 でなければ「先生にとって俺は特別」と勘違いしてしまう。

 雨はしとしとと降っていた。
 理科室の窓から見える園芸部の花壇をぼんやり眺めながら、淹れたての珈琲に口をつけ、橋本に聞く。

「そういえば、先生。恋…叶った?」

「…何の話だ?」

 いつもより少し低いトーンで、眉間にしわを寄せて、橋本は陸を見た。
 やっぱり伝説の花の話などすっかり忘れているのだろう。
 俺はあれ以来、花を見るたびに思い出しているというのに。
 気づかないふりをしながら、軽い口調で言う。

「いや、なんでもない。てかさ、聞いてよ。うちの母親!
俺がいつ親離れしても大丈夫なように、って最近、彼氏作ってさ。彼氏はそういう理由で作るもんじゃなくね?2年前、大病したのが嘘みたいに元気いっぱいで!こっちの気も知らないでさっ」

「そうか。でも、元気になったのならよかったな」

 橋本は穏やかに微笑む。

「ねぇ、そういえばさ、先生の恋愛話って聞いたことないんだけど、好きなタイプってどんな?
先生、かっこいいから女子にモテるしさ。田辺も先生のとこかっこいいっていってたしな…あ、でも、流石に在学中の生徒はまずいか?」

 橋本が『生徒』というワードににビクッと反応した。

「あ、やっぱやめとく!!言わなくていいっ!!俺の知ってるやつとかの名前言われたら気まずいし!」

「…田辺は、お前と仲いいだろ?」

 橋本がぼそっとつぶやいた言葉は、雨の音にかき消されてよく聞こえなかった。
 少し気まずい空気を感じながら、珈琲を飲んでいると、元気よく扉が開いた。

「陸!あ、やっぱここにいた!雨降ってるから、絶対ここにいると思ったんだ―。
陸がくれた野菜でキッシュ作ったからおすそわけー。焼き立てだよー。
あとちょっと割れてるけど、クッキーもいっぱい焼いたからあげる!」

 家政部の田辺がキッシュを入れたタッパーとジップロックに入ったクッキーを持って入ってきた。
 田辺は小中学が一緒で、家も近いので、昔からなんとなく気安い女友達。

「お、まじ!?ありがとー。田辺、コーヒーでも飲んでく?っても、入れるの橋本せんせーだけど」

 気まずい雰囲気を払拭するかのように、明るい声で田辺を誘う。

「飲む飲む~♪あ、でも、せんせー、私、紅茶のほうがいいなぁ」

「紅茶、先生この間買ってきてたよねぇ?」

 俺が戸棚の方へ向かうと、橋本はガスバーナーにスタンドを設置し、小さな鍋でお湯を沸かし始めた。

「あのなぁ、お前ら、俺をなんだと思ってんの?ここはカフェじゃねえって」

 橋本のボヤキを聞きながら、俺はカップを用意して、そこに紅茶のティーバッグを入れる。
 すぐに一人分のお湯が湧いて注がれると、カップの中のティーバッグをふりふりしながら田辺が聞いてきた。

「てかさー、陸たち、いつもここでいつもおしゃべりしてるけど怖くないの?」

「え?怖い?なんで?……あ!骸骨標本?お前、あんなん怖いの?」

「それもだけど…ちがくって、そこの花って…あれでしょ?学校で自殺した子の霊を慰めるって…」

 くいっと顎で理科室の隅に飾られた花を指す。
 そこにはまだ生けて新しい青や赤や紫、オレンジ色の花がコップに飾られていた。

「……へ?これ?」

 陸は戸惑った。
 だってこの花は…。

「だって理科部の子が言ってたもん。この教室、出るって!!だから見た子が怯えて、成仏するように供養してるんだって!!」

 理科部も週1回の部活で、園芸部とは別の曜日にこの理科室を使っている。
 少し前から飾られるようになったこの花は、この学校の七不思議の一つとなり、様々な噂が流れているらしい。 

「いや…これはちが…」

 なんて説明したらいいのだろう。
 橋本先生の恋が叶うように、「これが奇跡の花でありますように」と願って俺が飾ってるとか、どこの乙女だよ。言えるわけない。

「そう言えば、休みの日、私も学校からすすり泣きが聞こえてきたの聞いたこととかあって!あれ絶対霊だよ!!」

 橋本と俺は顔を見合わせた。
 新たな七不思議ってこうやって出来上がっていくのかもしれない。

「…ちげぇんだけどな…ま、いっか…」

 俺は気まずさをごまかすために、もらったクッキーに手を伸ばす。

「あ、うまい」

「ホント!?嬉しいっ!形悪くてごめんねー!形いいのは彼氏にあげる用にラッピングしたからさー」

「え?お前、彼氏できたの?」

「あれ、言ってなかったっけ?へっへー、この間告白されちゃって~♡もー、今超ラブラブなのー♡」

 「霊が怖い」なんて言っていたこともすっかり忘れて、田辺はひとしきり惚気話をして、嵐のように去っていった。
 てか、その話をしたかったから理科室に遊びに来たのかもしれない。
 あとに残された、少しぐったりしている俺たち。 

「そーいや、あの花だけどさぁ?先生、あんな七不思議みたいな噂になってるの知ってた?」

「花?…あぁ、あれか。そうだな。飾られ始めてから、生徒がちょこちょこ見に来ては騒いでたからな」

 少しうんざりしたような表情を浮かべた。

「そ、そうだったの!?いや、俺全然知らなくて!!変な噂になっちゃってごめん!!あれ飾ってるの、実は俺なんだけど…」

「は?お前が?そうなのか?なんのために?」

 怪訝そうな顔をしながら、橋本はすっかり冷めてしまった珈琲に口をつけた。

「いや、ほら先生、少し前に『3年に一度咲く奇跡の花』の話、してただろ?
先生の恋愛がうまくいきますようにって思って、俺、花飾ってたんだけど…。
ほら、どれが奇跡の花とかわかんないから、とりあえず咲いてた花を、さ…」

 話しながら、なぜか橋本の機嫌が悪くなっていくのを感じ取り、最後はもごもごと小声になってしまった。

「…余計なお世話だ」

 先程よりも更に低い声で、橋本は言った。
 確実に怒っているような声だった。

「ご、ごめ…。そ、そうだよね。俺みたいなやつに心配されるほど、先生困ってないよね!」

 湿度を含んだひんやりとした空気が、身体にまとわりついてきた。
 陸は慌てて残った珈琲を流し込み、席を立とうとすると、橋本に手首を掴まれた。

「ショックだったか?」

「へ?何が?」

 橋本は真剣な表情で、陸の顔を見つめた。

「田辺に彼氏ができて」

「へ?た、田辺?なんで?…あ、先生やっぱり田辺のこと…?」

 だからこんなに怒っているのか。
 覚悟をしていても、やっぱり好きな人が自分以外を好きだというシーンは見たくない。
 陸は目を逸らして、逃げようとしたが、橋本は陸の両手首をしっかりつかまえた。
 橋本の身体が、陸に近づく。

「…お前、さっき俺の好きなタイプ聞いてきたよな?」

「う…うん。ごめ…なさい…。まさかこんなことになると思わなくて…」

、って言ったらどうする?」

 言っていることの意味が理解できなくて、二人の間に沈黙が流れる。

「お前だよ、俺の好きなやつ」

「は?…えっと…それは…ど、いう…?」

「俺の好きなやつが知りたいんだろ?
俺は、お前が好きだよ?
最初は危うくて、心配で見てたけど…でも、お前のがんばり屋で一生懸命なとこ。好きだよ?
大変な状況でも周りに気を使って、笑って乗り越えようとするとこ。
1年の時、お前の母親が入院してる時、俺はお前を励ましてはいたけど、正直お前、『学校やめるかな?』って思ってた。
でもお前は一人で乗り越えたし、ずっと頑張ってたよな」

 違う。橋本が園芸部に誘ってくれたから。見守ってくれていたから、あの状況でもなんとか耐えられた。
 一人ぼっちの恐怖に押しつぶされそうなほど不安な時に、橋本がいてくれたから、なんとか乗り越えた。

「俺、頑張り屋じゃない…。先生に迷惑いっぱいかけたし…」

「母親の前でも、学校でも、みんなに心配かけないように、お前はギリギリのところで持ちこたえていたよ。お前は偉かったよ」

「あ、そ、それって、人として好きってこと?」

 ふと、勘違いしている自分に気づいて羞恥心で、顔が真っ赤になる。
 なにを想像してるんだ。俺の好きと橋本の好きが一緒なはずがない。

「…お前はどっちの答えだと満足する?
お前が卒業するまでは、俺も言わない予定だったからな。今はお前の好きな方を選ばせてやる」

 その声には橋本の強い決意が表れていた。

「そ、れは…恋愛の『好き』、でも…いいってこと?」

「望むところだな」

 橋本がにやりとわらって、俺の顔を両手で包んだ。
 唇と唇が軽く触れ合う。

「続きは卒業してから、な?」
「つ、つづき!?」
「させてくれるだろ?」
 
 顔から離れた橋本の手がスボン越しに陸のお尻をきゅっと掴んだ。
 陸の心臓がどくんと飛び跳ねる。
 その手が2、3回上下した後、少し上へと滑り、腰でとまる。
 もう片方の手が陸の後頭部を押さえると、二人の体はぴったりと密着した。
 橋本の整った顔が再び近づいてきて、唇が触れ合う。
 そして、今度は柔らかいものが口腔内に侵入してきて、先程より深いところを蹂躙する。

 「んっ…ふっ…」

 無意識に甘い声が漏れてきて、意識がぼんやりし始めた頃、橋本の唇が離れた。
 唾液でてらてらに濡れた唇のまま、惚けている陸に橋本は捕食者の目をして言った。

「楽しみにしてるぞ?」

 雨はすっかり上がって、すこし赤みがかった西の空には虹がかかっていた。
 その光を受けてなのか、窓辺に飾られた花がキラキラと輝いていた。

 この学園には、3年に1度だけ、手に入れると絶対に恋が叶う花が現われるという。
 その花は、いつ咲くのか。
 どんな色をして、どんな形をして、どんな香りがするのか。
 それは誰も知らない。


(おわり)






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みんなの感想(2件)

TanTakaTan
2024.05.06 TanTakaTan
ネタバレ含む
猫丸
2024.05.06 猫丸

TanTakaTanさん、お読みいただきましてありがとうございましたヽ(=´▽`=)ノ
私の中では珍しくエロなし作品でした笑
なのに読んでいただけた上に、感想までありがとうございます!
陸が卒業した後はきっとぐっちょんぐっちょんにされてしまうはず(*´艸`)‪♡
そうですね、いつか続きも書きたいです♡ありがとうございまーす♡

解除
カリメロ
2023.09.02 カリメロ

キュンキュンしました〜(*^_^*)
ここで書くことではないかもですが、(・∀・)イイネ!!をしたいのにどこにあるのか分からず…
色んな企画もの楽しみにしてます!

猫丸
2023.09.02 猫丸

うわーい、カリメロさんっ、ありがとうございますっヽ(=´▽`=)ノ
今回は学園が舞台で、エロなしだったけど、これはこれで書いていて楽しかったです♡
この時期にしか接種できない良さってありますよねー♡

解除
1 / 5

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