MAN in MAID 〜メイド服を着た男〜

三石成

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第二章 訪問者

「俺は許さない」 -1-

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 応接間で、バイオレットと距離感を取ろうと苦心していたエヴァンの耳に、大きく、そしてひどく鈍い物音が届いたのは、少し前のこと。

 エヴァンにはすぐに、それが二階から響いたものであることがわかった。

 邸宅に訪ねてきたはずのイライジャとまだ会っていないこともあり、妙な胸騒ぎがした。エヴァンは眉を寄せ、ソファから立ち上がる。

「今の音は何でしょうね。少々、様子を見に行って参ります」

 エヴァンはそう言い残して、足早に応接間を出た。ところが、応接間においていくつもりだったバイオレットも、エヴァンの後を追ってやってきた。

「お待ちくださいエヴァン様。私も行きますわ」

 バイオレットは体を密着させるように、エヴァンの腕に腕を絡ませてついてくる。

 エヴァンはそんなバイオレットの様子を特に気にすることもなく、階段を上り、声が聞こえてくる部屋へと踏み込んだ。

 床にへたり込み、喚いているのはリオン領主であり、客人であるイライジャ。その横で、彼の腕をとり、その体を引き上げようと頑張っているリリー。イライジャの前にしゃがみ込んだまま、彼と口論を続けているメイド服姿の見目麗しい男、ロウ。

「まあ、格好いい……」

 エヴァンにくっついてきたバイオレットは、床にへたり込んでいる父のことを心配する様子はなく、呆気に取られたように異質なロウの姿を見つめていた。

「いったい何事だ」

 惨状ともいうべき彼らの様子にエヴァンが問いかけると、室内にいた三人の視線が、同時に彼の方へと向いた。

「こやつが突然、邸宅内を散歩中のわたしのことを、投げ飛ばし、あまつさえ全体重をかけて、押し潰そうとしてきたのである!」

「こいつが俺の背後から襲いかかってきたから、侵入者かと思って取り押さえただけだ」

 イライジャがエヴァンに訴え、その少し後を追うようにして、ロウが別のことを述べる。すると、エヴァンが返事をする前に、イライジャがまた高めの声で叫んだ。

「とんでもない言いがかりである! それに、高貴なるわたしをこいつ呼ばわりとは、リオン領主に向かってなんと無礼な! エヴァンくん、これが君の使用人かね、教育がなっていないのではないか」

 抗議の叫び声を上げるたびに自信が増していくように、イライジャの態度はどんどん横柄なものへと変わっていく。エヴァンはイライジャの元へと歩み寄ると、まずはその力強い腕で彼の体を引き上げた。

 両脇からエヴァンとリリーに支えられ、ようやく立ち上がると、イライジャはパンパンと自身の服の埃を払うような仕草をする。体勢と服装の乱れを整えると、いっそう勢いづく。

 ロウもイライジャが立ち上がるのに合わせて立ち上がっていたが、イライジャは改めてロウを指差す。だが、彼が話しかけているのはロウではなく、エヴァンだ。

「そもそもこやつの格好はなんだ。男にメイドの格好をさせるのが君の趣味かね」 

「違ぇ、これは俺が……」

 イライジャの言葉を聞いてロウが言葉を挟んだ。だがイライジャもまた、そんなロウの言葉を、大袈裟に腕を振りながら演説のように声を張り上げて遮る。

「ああ、そうか、わかったぞ。男の使用人の給与が払えないからと、男を女の使用人ということにして雇っているのか。小さく貧しい荘園の運営とは、実に難儀なものであるな。しかし、さすがにそれはどうかと思うぞ、エヴァンくん。貧乏人根性丸出しというか、せこいというか。何だね、君の心まで貧しクヴァオァー」

 イライジャが演説の最後に突然謎の呪文を唱えたわけではなく、ロウの固く握った拳が、彼の顔面にクリーンヒットしたのである。その小柄な体が吹っ飛んだ。

「主人を愚弄するな」

 ロウのペールブルーの瞳に、怒りの色が光っている。

「ロウ、やめろ!」

 予想外の事態に、エヴァンは鋭く制止の声をあげ、再度床の上にへたり込むことになったイライジャの元へと駆け寄る。そして彼の肩を支え、ひとまず上体を引き起こした。

「イライジャ様、大丈夫ですか、お気を確かに」

 イライジャは何が起こったのか理解が及んでいないように、パチクリと目を瞬かせてから、ゆっくりと自身の手を、殴られた顎の辺りへと当てる。そして、数秒。

「何たる無礼! 死罪だ。こやつを死刑に処せ、エヴァンくん、即刻死刑だ!」

 腕をジタバタとさせながら喚き始めた。そんなイライジャの姿を目にして、エヴァンは、ロウがかなりの手加減をして殴ったことを察する。

「ロウは主人である俺の名誉を守ろうとしただけなのです。この者は俺の使用人です。処分の程はお任せください」

「何だと? この暴漢のことを庇うのか。わたしのことを軽んじるということは、リオン領のことを軽んじるということと同義であるぞ。今後一切、リオン領からユレイト領に何がしかの支援をしてやることはないと思え」

「イライジャ様! 決して、そのようなことはございません。使用人の不手際は誠心誠意、俺が償わさせていただきますので、どうかお許しくださいませ」

 エヴァンの言葉を聞き、イライジャの顔が奇妙に歪んだ。

「なるほど。そんなに償いがしたいというならば、床に頭を擦り付けて、申し訳ございません、お許しくださいと懇願してみせろ」

「ちょっとお父様、やりすぎですわよ。私のエヴァン様におかしなことをさせないでちょうだい」

 側で、様子を見るにとどまっていたバイオレットが口を挟んだ。しかし、イライジャは娘の言葉を完全に無視する。

「わたしが受けた多大なる侮辱に、謝罪することもできないと言うのか、ええ?」

「おいクソジジィ。そもそも、テメェが背後から女を襲おうとしたことが元凶だろうが。開き直った上に関係のない主人を罵りやがって。何が謝罪だ」

 ロウもまた、耐えきれなくなったように声を上げ、再びイライジャへと近づこうとする。イライジャはロウが接近すると怯えたように身構えたが、エヴァンが腕を伸ばし、掌をむけてロウを押し留めた。

 そして、エヴァンは無言で、躊躇もなく床に両膝をついた。そのまま深く頭を下げ、床に額を擦り付けるように土下座する。

「大変申し訳ございません。どうかお許しください」

 エヴァンが望まれたままの言葉を述べると、室内に静寂が満ちた。バイオレットもリリーもロウも息を飲み、誰も動けなくなるような、張り詰めた空気があたりを支配する。

 それを破ったのは、謝罪を向けられたイライジャ本人の笑い声だ。

「はははは、そうかそうか。それほどまでに許してほしいのならば、寛大なわたしは許してやろう」

「ありがとうございます」

 頭を下げたまま、エヴァンは感謝の言葉も述べる。と、イライジャはさらに勢い付く。

「今夜はわたしの部屋にリリーを寄越せ」

 重なる要求に、エヴァンはハッとして顔をあげた。いつの間にか自力で立ち上がっていたイライジャは、下卑た目をして、横に立つリリーを舐めるようにして見ている。

 指名されたリリーは、怯え、助けを求めるようにエヴァンを見る。

「イライジャ様、それは……」

「何、ひどいことをしようというわけじゃない。彼女のことも楽しませると約束しようじゃないか。今年の冬が、長引かぬことを祈りながら過ごしたいわけではないのだろう?」

 続く言葉を聞けば、イライジャがなぜ自身の部屋にリリーを寄越せと言ったのか、その意図も明白である。

 エヴァンは、肺の奥から搾り出すように、深く吐息した。瞼を閉じ、数秒。

「イライジャ様」

 そして、ゆっくりと立ち上がる。

「何だね?」

「俺がこの地の領主となってから、荘園の農地が安定するまでの三年間。そして、厳しかった一昨年の冬にも、多大なるご支援をいただきましたこと、誠に感謝しております」

「おお、そうだろうとも」

 イライジャは胸を反らせながら大きく頷く。

「しかし、彼女の尊厳と、あなた様のどちらかを優先せよとおっしゃるのであれば、俺は彼女の尊厳を優先させていただきたく思います」

「ほう……?」

 一度は笑みに緩んだ顔を再び引き締め、不機嫌そうな表情を露わにして、イライジャはエヴァンを見る。

「ならば、もうリオンからの支援はいっさい必要無いと、そう言うわけだな?」

「イライジャ様がそうおっしゃるのであれば、致し方ないことなのかもしれません」

 決意を固めた眼差しをして、エヴァンもまたイライジャを見返す。

「ご主人様、私のことは良いのです。どうか荘園の民のことをお考えください」

 二人のやりとりを目の当たりにして、リリーはエヴァンへと訴える。だが、エヴァンは首を振った。

「リリーも俺が守るべき民の一人。誰かの犠牲の上の安寧など、必要ない」

 必要ないと、エヴァンは言い切った。

「そうか、よーくわかった。今後いっさい、リオンはユレイトへの支援をしない。商人の往来も禁止させてもらう。毎年の冬には、せいぜい神に祈ることだな」

 イライジャはエヴァンの言葉を鼻で笑い、そう捨て台詞を残して、部屋を出て行こうとする。

 と、そんなイライジャの背中に、エヴァンが声をかけた。

「先日のベスティ山脈の遠征で、ユレイト兵士団が討伐したゴブリンの総数は、およそ五〇万体にのぼります」

 突然出てきた遠征の話に、イライジャは眉を寄せる。

「それが、何か? ゴブリン遠征は法王様から命を受けた、そなた自身の問題だろう」

 ベスティ山脈とは、ユレイトのすぐ北にある山々であり、この聖エリーゼ国の北の境界になっている山脈である。先日までエヴァンが滞在していた遠征先でもある。

 ベスティ山脈は険しく聳え立ち、魔物が溢れる外界から、国を守る天然の防壁として機能している。冬の間はその雪深さにより、何者の越境も許さない。しかし、春になり雪解けが始まると、冬の間に飢えたゴブリンが大群となって山脈を越え、襲来を始めるのだ。

 二週間以上にもわたり山の背に兵を敷き、ゴブリンの大群を討伐し、その侵攻を食い止める。それが、冬の終わりになると法王からエヴァンに与えられる、重大な使命であった。

 エヴァンは言葉を続ける。

「荘園の危機ともなれば、俺は冬の間も、このユレイトにとどまります。法王様も、事情をご説明すればきっとお許しくださるでしょう。そうなれば俺は、俺の荘園に迫りくるゴブリンだけを討伐します」

 つまりエヴァンは、ベスティ山脈から流れ込み、リオン領を襲うゴブリンに、いっさいの関与をしないぞと言っているのである。そのことがわからぬほど、イライジャも馬鹿ではない。

 エヴァンがユレイト領の領主になる一〇年前までは、毎春ゴブリン襲来の被害にあって大きな損害を出していたのは、他でもないリオン領なのだ。

「それはわたしへの脅しか、エヴァンくん」

 イライジャはブルブルと体を震わせ、問いかける。

「ただ、事実を申し上げたのみです」

 エヴァンは表情を変えずにイライジャを正面か見つめていたが、彼はしばし沈黙した後、プイッと顔を背ける。

「バイオレット、帰るぞ!」

 イライジャは娘を呼びつけると、わざと足音を立てるようにドタドタと歩き、部屋を出ていった。

 バイオレットは戸惑いのまま、エヴァンの顔とイライジャの背を交互に見ていた。しかし最後には、ドレスのスカートを軽く持って、小走りで父を追う。

「お父様、お待ちになって」

 彼らが部屋を出て行ってからすぐ後に、邸宅の前から馬車が走り去る音が聞こえてきた。ここに泊まるつもりできて、まさか馬車を邸宅の前に待たせていた訳ではないはずだが、実に素早い撤収である。
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