前世記憶障害症候群

いつはる

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1 大学の片隅で

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 冬至から早ひとつき、少し日の入りが遅くなったとは言え講堂から一歩外に出ると、枯れ葉を巻き上げる風に体温を奪われるのがわかる。

「今日は一段と冷えるね」
 コートの襟を寄せながら友人の千秋ちあきは身体を震わせた。
「もー、里織さおりを見てるだけでも寒くなるよー」
「そうかな?」
「そうだよ、鎖骨まで見えてるじゃん。ホント寒くないの?」
 背中を丸めながら歩く千秋。その隣では、Vネックのカーディガン下は首元が大きく開いたカットソー。羽織るノーカラーのダウンを風にあおられている私こと三木里織みきさおりが並びながら歩く。

 首元から冷気を感じ身体の奥がぞくりと震える。服の下に張り付けたカイロはこの冬一番の数だ。千秋の前では平気そうに振る舞っているが、結構無理をしている。それでも……首回りに何か触れると息苦しくなるのだ。首に纏わりつく髪の毛すらも気になり出し、先日美容院にも行ってきた。

「ねえねえ、駅に着くまでで良いからこれ使って。ほら」
 千秋は肩に掛けた布バックから薄手のスカーフを取り出すと縄跳びのように操り、私のうなじへ被せた。
「首に巻くのが嫌なんでしょ?タオルをぶら下げてるみたいな?それならオッケーじゃない?」
 あっという間の出来事だった。親切心と軽いからかいが混じった千秋の笑みに、昨年の冬至の頃から、首に纏わりつく物への違和感があると話しはしたが、大事おおごととは思っていない事がわかる。
 ここで不快感を露に拒絶した方が、千秋がむくれ顔をするだけで済むはず……そう思い直ぐに「やめて」とマフラーを払い落とすため腕を動かそうとしたのだが、身体は動かず呼吸の荒らさだけが大きくなる。
「里織?やだ、里織 大丈夫?」
 千秋は慌てて私の肩に触れスカーフを外すが、早まる呼吸が収まる事はなく立ち続ける事も出来ない。膝が崩れ胸を押さえながらしゃがみこむと
「嫌……死にたくない……私は悪くない……」
 息苦しい中呟く。更にザラりとした感触が首に這う。これは現実なのだろうか、それとも最近自覚しただろうか……圧迫感を首に感じ意識が途絶えた。

 ◆◆◆

閉じた瞼にぼんやりと光を感じる。身体を包む重みと横たわった自分を支える程よい固さ、ベッドにいるのだと経験から理解する。
瞼を開けると目の前には蛍光灯、自分を囲うように引かれたカーテンも見えた。
「誰が運んでくれたんだろう……」
見覚えのある状況に安心し、緩慢に身体を起こすと、カーテンの向こうから
「里織?」
千秋の声が聞こえた。

ここは、前にもお世話になった大学の医務室。そう言えば倒れた辺りは医務室の近くだったなと思い返した。
「千秋、ごめん」
カーテンから顔を覗かせた千秋に謝る。
「びっ……びっくりしたよ……」
化粧崩れし歪ませた顔の千秋がベッドの傍に腰掛けると語りだした。突然倒れた私を支えながら何度も呼び掛けた事。様子を見ていた人が直ぐに医務室の窓を叩いた事。私を見知っていた担当医がここに運んだ事。
「倒れるなんて思わなかった、ごめん……ごめんね……」
ひたすら謝罪する千秋の肩にそっと手を置く。
「ううん、私がもっとちゃんと千秋に説明してれば良かった」
グスグスと千秋が鼻を啜りながら頷く。自分が泣いてしまうと私が責任を感じると思っているのだろう。涙を堪える千秋のそんな優しさが嬉しい。

「ちょっと良いかな?」
謝り合う私と千秋に被さるように年配女性の声が降ってきた。以前体調不良になった時、親身に話を聞いてくれたここの担当医だ。

「熱も無い、血圧や心音も異常なし……意識もハッキリしてるわね。胸の痛みや息苦しさはどうかしら?」
検査器具を片しながら確認する。
「少し頭がボンヤリしてますが、それ以外は大丈夫です」
担当医は少し考えこみながら
「やっぱり前と同じなのかしら、首回りが気になるって言う……」
「今日は私のせいなんです!里織があんな風になるなんて!」
千秋が慌てながら私を庇う。
「あなたが寝てる間に話を聞いた感じでは、前よりも症状が悪くなってるみたいね。前にも聞いたけど、思い当たる事はないの?」
心配そうな視線に居たたまれない。ふたりにはこうなった理由はまだ話していない。理由を聞いた後、視線がどう変わるか不安なのだ。でも聞いて欲しい気持ちもある。
「変な事を言うけど……」
言い淀む私に、ふたりは安心してと頷く。

「私……前世の記憶があるみたいなの……」
躊躇いがちに語る。ここひとつき、私が自覚したの事を。
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