前世記憶障害症候群

いつはる

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5 前世記憶障害症候群

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何度驚かされるのか……この先生は何を言い出すか予想出来ない。
「前世へ干渉ですか?」
「そう、さっき前世は記憶と言ったよね。僕はその記憶に鍵をかけて、出てこないようにすることが出来るんだよ」
まるで机の引き出しに鍵をかけるように説明する。
「それは、私の魂に干渉してるってことですか?」
「いやいや、僕が出来るのは前世の記憶のみ。さっき僕の青い瞳を見て呼吸が戻ったでしょ。あれはエリザベスの記憶をロックして里織さんへの影響を抑えたんだよ」
確かに羽鳥先生の瞳を見た途端に楽になった。そう言えば前回の頭痛の時もそうだ。
「何者なんですか?羽鳥先生は……」
信頼出来そうと思った人が、急に不可解な怪しい人に見えて来た。

「僕……と言うより僕の前世だね。この青い瞳も前世の影響だよ。ソロジア・花薗……それが彼女の名前。彼女はね、ある塔の鍵束を任されていた女性でね、彼女の記憶に触れる時だけ目が青くなるんだ」
羽鳥先生はスッと目蓋を閉じると、また目を開いた。瞳の色は薄茶色になっていた。
「何故そうなるのか、実は良くわからないんだ。ただ里織さんが体験したように、僕の目が青くなる時、前世記憶障害症候群の症状を抑えることが出来る。ただしその効果は時間とともに薄れてしまうんだけどね」
理解は出来ない、でも確かに症状が収まった。そして今の自分の状況を受け入れてくれる数少ない人だと言うことは間違いない。
「わかりました……先生に対する疑問はひとまず置いといて、まず自分の問題解決を優先します」
そう言うと羽鳥先生はハハハとばつが悪そうに笑い「ありがとう」と言った。

◆◆◆

「エリザベスの記憶を日記帳だと思ってみて。その日記帳の鍵を僕の前世がかけた。だから里織さんはエリザベスの記憶が読めない」
確かにいまの頭の中は、霞みもないスッキリした状態だ。
「でもその鍵は簡易でね、長くは留め置けない。そんな緩い鍵をもう少し補強し止めるのがアロマオイルの香り。あのアロマオイルはね、里織さんを眠りに導くだけじゃなく、前世の記憶に里織さんが影響されにくくする効果もあるんだよ」
理屈はわからないけど効果はわかる。小さく頭を縦に振った。

「あの苦しみを抑えられるってことですか?」
「長期間は無理だけど、次に会うまでの三日間くらいなら大丈夫」
「本当に?……大丈夫ですか?」
さっきまで話していた時は何ともなかったのに。急に不安が押し寄せて、ポロポロと両目から涙がこぼれる。首を絞められる苦しさが、今ごろになって怖くなったのだ。
涙を流す私を見て、羽鳥先生は表情を緩めた。
「良かった、やっと辛さや怖さを自覚したね」
鹿下さんから渡されたタオルで涙を拭いながら何度も頷く。
「自分以外の人生を追体験して、少し興奮状態だったんだと思う。やっと里織さんの普通の状態に戻ってきて改めて怖いと自覚したんじゃないかな」

恐怖心があることが普通だなんて……いまの自分がどれだけ異常なのかやっと理解した。

◆◆◆

グズグズと鼻をすすりながら、涙で目の周りを赤くしながら顔を上げた。
「次の診察日まで、何かやることはありますか?」
鼻声がみっともないな。でもいま自分が出来ることはやっておきたい。
「そうだね、まずは快眠と食事!しっかり取りましょう。後は……」
「はい!何ですか!」
身を乗り出して耳を傾ける。まだ興奮状態が僅かに残ってるかも。
「今回、前世の記憶が蘇る何かきっかけになった出来事があったと思う。それらしい出来事を考えて詳しく思い出して欲しいかな」
そう言われ、思わず両手を強く握る。
「あ……あの……」
「ん?何か思い当たる出来事があったのかな?でももしかして言い辛いこと?」
本当は話した方が良いのだろう。でも……ちょっと気持ちを整理したい。
「明明後日までには話せるようになっておきます」
小さな声で約束した。

「こっちでも調査員を責付せっついておくよ」
クリニックから出る私に、羽鳥先生がそう言ってくれた。
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた。本当にお願いします!と気持ちを込めて。
鹿下さんがクリニック前の道路まで見送ってくれた。
「無理しないでね。辛くなったらクリニックまで電話してね」
「ありがとうございます」
あまり話しはしないけど、細々こまごまとした心遣いが嬉しい。鹿下さん、良い人だな。

「凄く変なこと聞いて良いですか?」
不思議そうな顔をしながら鹿下さんが頷いた。
「十字路を歩く時、口をこう強く結んじゃうんですよね。最近の癖?みたいな感じなんですが、何か気になって……これも何かの症状ですかね」
何故この時こんなことを話したか、自分でもわからない。何となく鹿下さんなら大丈夫かなと思い聞いてしまった。
すると鹿下さんは納得したように頷き
「多分、それは悪いことじゃないわ。そのままで良いと思う」
特に説明のないまま私の行いを肯定した。

前回よりも早い時間、人気ひとけのない道を駅向かって歩き出す。交差点を曲がる度に口を閉じると、妙な安心感に包まれた。
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