夢なんか

悠行

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夢なんか-3

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 夢なんか、気にしないでおこう、そう思って過ごしていたのに、自分でもはっきりと、どうやらこれは恋らしいぞ、と思ってしまったので、ぼんやりと、「これはやばいな」と考えた。全く自分の気持ちに整理がつけられそうにもなかったし、気付けばやはりノートに彼女の名前を描いたりしていた。そういう状況が延々続いた。夢はほぼ毎日のように見た。
 卒業が迫っていた。もっというと受験も迫っていた。私は芸大志望で、近くの画塾で高校二年の春から本格的に絵を習っていたので、他の普通の学部を受ける同級生の中では少し違い、周りから少し浮いていた。しかし芸大は絵がうまいだけで受かるわけではない。みんなと同じようにセンター試験も受けないといけないし、絵も勉強も必至にしなければならなくなり毎日変な時間に寝るようになった。生活リズムがくるってはいけないとは思ったが、夜遅くまで毎日毎日興奮して眠れず、デッサンをしたり机に向かって問題集を解いたりしてしまうのだった。
 ニノは理学部を目指すのだといった。近くにある大学に行けたらいいね、などと言っていたが、その反面ニノが目指しているのはとてもレベルの高い超難関大学だと知っていたので、絵もうまいのに、頭もいいのか、と久しぶりに嫉妬した。
 私は画塾に通っていたので、もちろん私のほうが絵のレベルは高いのだけれど、私は自分の絵を見て、「でも、どこかで見たことがある気がする」と思っていた。もちろん奇をてらったものがいいわけではないし、ニノと比べている場合ではなかったのだが、常に私にとっての目標はニノであり続けていた。
高校三年の1年間、体育祭、文化祭のポスター、その他パンフレットの表紙などなど、全て手掛けた私は、美術部では自分で言うのもなんだがかなり尊敬されていた。
 といっても、全て手掛けることが出来たのはニノが受験生だからと絵を描かず、私の一人勝ちだったからに過ぎない。やりたい人の中で一番絵がうまい人が描く、というのがわが校の風習で、デザイン案から投票で誰が描くか決めるのだが、もちろん全学年で一番絵がうまいのは私かニノだった。後輩にもうまい子がいたが、自負心が入っていることは認めるがそれでも私かニノだった。先輩が何学年もいたときは年功序列で私にならないことがあったが、高2になれば私とニノは恐れ多いことに先輩を蹴落とした。
 ニノは確か高2の時の文化祭のポスターとパンフの表紙を描き、私は入学生向け案内書の表紙は手掛けたが他は先輩に譲った。文化祭のポスターは近隣の駅にも貼られるし、パンフレットは来場者全員に配られる。それを出来たニノはそれで満足し、三年では何もしなかったのだ。
 ニノが文化祭の担当に選ばれたことは、私にとっての大きな屈辱だった。それは同時に、私が投票でニノに負けたことを意味したからである。しかもそれを駅で、文化祭の準備その他もろもろの場面全てで、常に目にし焼き付けられたのだ。正直なところ、その時だけはちょっとニノが嫌いだった。
 ニノが入学生向け案内書で私に投票で負けたことを意識しているのは歴然だった。ニノの文化祭絵の案提出の時の本気具合は、それまでに出した案は部室で描いていたにもかかわらず、ついぞ一回も部室で描かなかったことからも分かったし、それについて私たちは一切話をしなかった。その時の私たちは後輩たちから見てかなり怖かったらしく、あとで仲の良かった後輩からこっそり言われたほどである。
 だからこそ私は、それ以後ニノがその戦いに挑まなくなったことが、受験のせいだとは分かっていても気に入らなかったと言えばうそになる。私はニノに負けっぱなしのような気がしていた。
「夢野、体育祭のパンフ、私も投票したよ!すごいかっこいいねあれ」
「文化祭のポスター、あれ絶対夢野のになるね、他の子かわいそうなくらい」
 どう褒められようと、絵に関してはニノは私にとってライバルでしかなかった。そのセンスを、技術を、ものの見方を、私は恐れていた。
 だからどれだけ私が彼女に恋していようと、私たちの関係は複雑であった。もしかしたら私が恋したのはその嫉妬心からの、征服欲だったのかもしれない。しかしそれを全て解釈するのは私の得意分野ではなかった。
 どれだけ私が複雑な思いを描いていようと、表紙やらを手掛けたことで後輩たちから尊敬されているのは事実で、少し気が休まることだった。十一月の初めくらいだっただろうか、気晴らしにと、久しぶりにすでに引退した美術部に行った。美術室に入ると、後輩たちはすぐに気づき、「岡内先輩!」と歓声を上げた。
「先輩、お久しぶりです!」
「おー美術室久しぶりに来た」
「こんな時期に来て大丈夫なんですか」
「さぁ、大丈夫じゃないかも。でもまぁ私は特殊だし、自分の描いた絵置き忘れてるからちょっと見に来た」
「でも先輩の絵は授業の例にするから寄付してもらうとか先生言ってましたよ」
「マジか、私聞いてないのに」
そんな会話をしているうちに、ふと視線に気づいた。見ると中等部の後輩だった。どこかで見たことがあると記憶を探ると、
「ゆめのせんぱいっ・・・」
 そう低くつぶやきながら私のほうに何かを差し出す彼女の姿がフラッシュバックした。その目はまっすぐに私を見ていて、上気した頬とともに目に焼き付いていた。思い出した。あの子、去年のバレンタインにチョコをくれたんだった。わが美術部では、バレンタインには毎年チョコレートパーティーを開く。だから後輩から貰うことも珍しいことではないし、さすがに中等部の後輩まで顔を覚えてはいなかったが、その子があまりにも必至で渡してくれるので少し驚いたのであった。そして、その時初めて私は自分が少し年の離れた後輩たちからは「夢野先輩」と呼ばれていることを知った。その後輩のくれたチョコレートは他の後輩や同級生からもらったものより明らかに一回り大きかった。おいしかった。
 チョコを見てニノは、「おーモテモテじゃん」などと言っていたが、ニノだって誕生日に突然知らない後輩からプレゼントをもらったりしていたのである。
 さすがに漫画のように「お姉さまと呼ばせてください」のようなことにはならなかったが、好意はありありと感じた。好かれて気分はよかったが、正直面倒だなと思ったのだった。とりあえずたくさんチョコは作っていたので、その子にもそのうちの一つをあげた。
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げたとき、ポニーテールが跳ねた。髪型が中等部っぽいなと思った。
 昔から、人に憧れられるニノはいいなぁと思っていた。だから私も憧れてくれている人がいると知ってうれしかったのをよく覚えている。でも、その目が怖かった。すぐにそらしたくなった。ニノはそらさない。だからあいつは頼られるのだ、と友達目線で考える。
 私はニノとあまり同じクラスにならなかったのだが、その分彼女はクラスでの悩み事をよく私に話した。たいていいつでも彼女の周りには新しい友人がいた。そしてそのたびその子のことを面白がるか、困るかしていた。
「○○はなかなか面白い奴だよ、こんなこと言われた」
「△△にやたらと話しかけられる」
 とりわけ、ニノは困ったやつに懐かれた。それはもう片っ端から懐かれた。誰とでもわけ隔てなく接するせいで、そしてそれを振り切れないやさしさのせいで懐かれるのだ。
 その話を聞くたびに、私も彼女に懐いている困ったやつの一人なのではないかと不安になったものだった。
 気づけばニノのことを考えている。友人として、恋をした相手としても。頭の中は気づけばニノでいっぱいで、にわかに卒業したらどうしようかと不安になった。
 後輩とそのあと長々しゃべっている間に始終彼女の視線を感じたが、結局話しかけてくることはなかった。私はほっとした。彼女の目が、恐ろしかった。
 美術室を出、教室においてきた鞄を取って帰ることにした。結局先生が不在だったので描いた絵がどこにしまってあるのかよくわからなかった為、ただ後輩としゃべりに行っただけである。後輩の目を思い出した。私もあのような目でニノを見つめているのではないかと思うと途端に怖くなる。見ないようにしよう、と思ったが、それは無理な決断にも思えた。そんなことを考えていると、名前を呼ばれた。
「ゆ、夢野先輩」
 ぎくりとした。振り返ってみるとやはりというか、例の後輩であった。学年も名前も憶えていなかったが、目だけは変わらずまっすぐで、光っていた。
「何?」
「あの、私、美術部の、えっと、中学二年の、後輩で木山って言います」
「バレンタインにチョコレート交換したよね、覚えてるよ」
 なにが覚えてるよだ、と思ったが思わず口からそう出た。そういうと木山と名乗った後輩は嬉しそうな顔をした。
「あ、ありがとうございます、あの、私なんかが、失礼だと思うんですけど、頼みごとがありまして」
「頼み事?」
 その瞬間、ピンときた。
「はい、あの、先輩の、体育祭のはちまきくれませんか!」
 どこの女子校でもそうなのかは知らないが、好きな先輩の何かをもらうというよくわからない風習は結構あるのではないだろうか。制服のリボンとか。わが校では制服がないから、それがはちまきなのであった。はちまきは名前の刺繍を入れているので、そういうことの格好の対象だった。
「いいけど」
 少しの間のあと、私は答えた。別にとっておいても何もないし、それで喜んでくれるなら安いものだ。
「本当ですか!」
「うん。また今度持ってくるよ。絵、取りに来るから」
「ありがとうございます!」
 ぺこりと頭を下げたとき、またポニーテールが跳ねた。


夢なんか、消えてしまえとすら思っていた。いろいろ考えるのがしんどい。進路のことも、個人的な欲望も、消えてしまえば楽なのにと願った。
夢はどんどん欲望にまみれた。彼女は私の下にいた。上から見る彼女は美しいと思った。すべて見たいと思ったし、誰にも見せたくなかった。ただ二人、どこかの部屋にいたり、電車でさすらう夢も見た。
馬鹿だと思った。
卒業したら、今のようにニノと会うことは出来なくなる。高2までは、ほぼ毎日会って話していた。高3になっても週に3回は会った。でも、そのような日々はなくなってしまう。ひたすら暗い気分になる。
画塾ではひたすら静物画を描いたり、いやに色数の激しいものを描いたりしていた。私が行っていたところは大きなノウハウを持ったところというより、個人で厳しい先生がいる塾だったから、散々ダメ出しばかりされてボロボロだった。英語が出来なさ過ぎて泣きながら帰った高1の塾のことを思い出した。
頑張って絵を描いているときに、ぽんと、なぜ私は芸大に行きたいのかわからなくなった。他の友人のように、普通の大学に行って、普通に就職するのではなく、なぜ自分は茨の道を進もうとしているのか。自分で決めたことのはずだった。そのために親と何度も喧嘩した。でも、何がしたいのかわからなくなった。なぜこんなにも頑張っているのかわからなくなる。自分に才能なんかないではないか。前に言われたことではないか。私は天才ではないのだ。そんな私が芸大に行ったところで、職にありつけるのか?
何もわからない。そして私はそれを誰かに愚痴ることもできず、ただただ頭が宙ぶらりんなまま、絵を描いた。筆記試験のための勉強もした。過去問は難しく、途方に暮れることしかなかった。
今まで誰に愚痴っていたのだろうか、と考えても誰もいなかった。考えれば私は愚痴ることなどなかったのだ。いやな友人がいれば母に話したりしたが、対して何も考えていない分、愚痴ることなどなかったように思えた。志望先について両親を説得して決めた以上、そのことを親に愚痴ることなどできなかった。友達にも、何も言いたくなかった。
愚痴ると嫌がられて逃げられるような気がした。しかし、たまに放課後帰るのが少し遅くなって急いで帰ろうと教室を覗くと、受験が近い時期で時間が無いのにも拘らず、進路のことについてなのか、クラスメイトなどが真剣に何かを話しているのを見かけることがあった。この人達は嫌われないのだ、とあまり仲良くない同級生を羨ましく感じ、遠い存在だと思った。
そういう意味で言えば、私は親友などいないのかもしれなかった。ニノは一度か二度、進路について私に話したことがある。私は?無かった。私が芸大志望だということは、画塾に行っていることからなんとなく広まってしまっただけで、具体的な志望先も何も誰にも言ったことはなかった。ニノ以外にも友達はいたし、その子との仲がニノとの仲好さに劣っているとも思えないくらいだったというのに、誰一人として私は自分の志望先や進路について話したことはなかったし、親と喧嘩したということも言ったことはなかった。
悩みを打ち明けあうと友達同士のつながりは強くなる、ということは分かるし、言いたかった。聞いてほしかった。でも愚痴を聞いた方から面倒だな、と思われることの方を恐れてしまうのだった。そんな風にしているうちに、友人は他の友人とどんどん仲良くなって行ってしまい、一人になっていくような気がした。
 高3二学期の後半の席替えで私は廊下側の後ろから三番目という微妙な席になった。文系でも理系でもなかったが、一応文系というくくりでまとめられていた私は、古典の授業などをぼんやりと聞いていた。
 隣の席は残念なことに斎藤で、斎藤の中で親友の私はよく話しかけられた。正直うんざりしたので、休み時間などは自分の席でなく友達の席で食べたりして、近づかないようにしていた。
 それでも斎藤は話しかけてくる。さすがに私も鬼ではない。これで最後だしと、適当に相槌くらいは返していた。
 斎藤はどこを目指しているのか知らなかったが、別にどこでもよかった。でも熱心に勉強していることは知っていた。あんなひらひらの服ばかり着ているくせに、根は真面目なのだ。休み時間などに必死に化学の問題集などを解いている姿を見ることもあった。
 ニノの教室での様子を私は知らないが、ニノもこんな感じで勉強しているのだろうか、と思うと、知らない面があることでストレスを感じた。たまにニノのクラスに用事があったりしていくことがあったが、何となく声をかけられなかった。大抵私とも友人である誰かと話していたが、なぜそこにいるのが自分ではないのであろう、ああいう風になれないのだろうと思うと、悲しい気分になった。
 廊下側の席でよかったのは、たまに教室移動しているニノを見られることだった。廊下側には窓があるので外の様子が覗けるのであった。
 ニノには品がある、とは常々思っていることで、一人称が私であることも、あまり方言が出ないしゃべり方も、好ましいと思っていた。教室移動しているニノの声が聞こえてふと窓を見やると、目が合って手を振ったりした。それだけでも私は幸せを感じた。
 十二月に入ると、クラスはぴりぴりとした雰囲気が漂った。学校の授業など受けていても仕方ない、とばかりに休んで塾に行く人もいた。しかし中には指定校推薦などで大学が決まった人もいて、その雰囲気の差は歴然だった。
 私はいよいよ不安になってきて、受かるのかと途方に暮れていた。なんとか滑り止めと本命と挑戦は決まったが、滑り止めにすら受からなかったらどうしようかと不安で不安で仕方なかった。
 塾では品評会やらがあったが、それまでは行っていたものの時期的に焦りがひどく、厳しいことを言われたときの落ち込みようを見て母が行くのを止めた。先生の意見は聞いていたが、他の生徒の目に自分の絵をさらすのが怖くなった。
 だからこそ私はニノを垣間見ることだけが救いだった。心が晴れる気がした。 
 二学期終業日の少し前だったろうか、クラスの誰だったかが、記念にみんなで写真を撮ろうと言い出した。先ほど言ったようにその頃は塾などで何人か休んでいることはよくあたのだが、奇跡的に全員そろっていたからだ。三学期になればセンター試験があるし、ほどなく三年生は自由登校になってそろわなくなり、次に全員が顔を合わせられるのは卒業式かもしれない。だから今日、写真を撮ろう。
 写真なんて取るのに五分もかからない。私は全く構わないと思ったが、受験前でストレスがたまっていたのだ、誰かが、
「いいよな、推薦で行くとこ決まってる奴は」
 と言った。言い出したのは確かにこの前大学が決まったと喜んでいた子だったが、その言葉ははっきりとクラスの雰囲気を悪くした。
 気の強い子も誰も、「そんなこと言わなくても」のようなことは言いづらかった。先の発言が誰が言ったのかはっきりわからなかったせいもあろうが、受験組はだれもそれを非難することが出来なかったからである。そう思っても仕方ない。また、推薦組もそう思われても仕方ない、と思って何も言わなかった。
 授業終わりか何かだったのだろうが、よく覚えていない。その時、斎藤が私に大きめの声で話しかけてきた。斎藤は、これが名誉挽回の機会とでも思ったのだろうか。
「写真、取ったら楽しそうだよね、ゆめちゃん」
 正直なところ私に振るのはやめて欲しかったし、「ゆめちゃん」などという恥ずかしい呼び方を大きな声でするのもやめてくれと思ったが、私は聞かれると答えざるを得なかった。
「ああ、まあ」
 四文字かよ、自分で思ったが、私は絵を描くだけでクラスでは目立たない方だったので、はっきりと自分のその声が上ずったのを感じた。
 それを聞いたからか、誰か文句を言った主もそんなに時間も係らないし、とあきらめたのか結局それで私たちは写真を撮った。その写真は卒業アルバムにも載った。
 それでその一件は終わったのだが、誰が話したのか、その日の放課後に掃除当番で校舎裏にゴミ捨てに行ってニノにばったり会った時、すごかったんでしょ、と言われた。
「すごかったんでしょ、聞いたよ、写真なんか、撮ったんでしょ?その前に雰囲気悪くなったのを、夢野が変えたって聞いたけど」
 確かにあのまま写真を撮らなければ雰囲気は悪くなったままだったろう。
 いや、斎藤に言われて、などと言おうとしたのだが、言うのが嫌だと思った。なんで折角話せたのに、あいつのことを引っ張り出さねばならないのだ、とふと思ったのである。どうせ一緒に斎藤のことも伝えられているのだろうと思ったのだ。
「すごいなぁ夢野」
 心の底から感動したように言われて、ただ、単純に嬉しかった。性格の良さも、場を収めることも、中学高校と両方美術部で部長を務めたのは私とはいえ、劣っていると思っていたから、私は些細なことしかしていないが、あの四文字を言うのに確かに勇気が要ったのだ。
 ごみを捨てに行くのだというと、暇だからとゴミ捨て場にまでついてきた。うちの学校のゴミ捨て場はドアが誰かが抑えていないと閉じてしまい、臭い空間に閉じ込められるので二人で行けるのはありがたかった。ゴミ捨て場への道中、ニノが言った。
「ところで夢野、すごい先の話になるんだけど、三月になったら卒業旅行しない?最近行くって言ってるこの話聞くし、私たちもどこか行こうよ」
「えっ」
 その申し出を聞いて、私はもうそれだけでとても嬉しかった。まさかニノからそんなことを言われるとは思っていなかったし、友達として普通のことだとしでも自分から誘うと気持ち悪がられるのではと思って言えなかったのだ。
「行こう!絶対行こう!チケットとかって取るの、早めにしないといけないのかな」
「うーん、まあ早めに取った方が安いとかでいいと思うけど、今私たちそんなことしてる余裕ないし、試験終わってから考えようか」
「そうだね、高くつくけど、そうするしかないか」
 ゴミ捨て場についてゴミを大きなゴミ箱に詰め込みながら言った。
「じゃあ、どこ行くかとか考えとこう」
「四国とか九州とか行きたい」
「USJとかディズニーでもいいな」
 そんな話でひとしきり盛り上がった。
「今から帰る?」
「うん、塾行く」
「じゃあ一緒に帰ろう、最近しゃべってなかったし」
 いつニノと一緒に帰ったかなんてことをこんなにも克明に思い出せるのは自分でも気持ち悪いと思うが、それで一緒に帰ったのだった。
 塾に行くからと乗り換えの駅で別れた。別れるとき、私は振り返ることが出来なかった。振り返ったら、離れるのが嫌だと思っていることが、ばれるような気がしていたからだ。
 そのあと卒業式までほとんどニノとは会わなくなったが、ニノとの卒業旅行のことを考えているだけで私は嬉しい気分になって、試験が終わったら卒業旅行、と考えるだけで頑張れるような気がした。その時に受かっていればニノに対して誇らしい気分になるのだろうと想像すると、それだけで夢中で絵をかけた。私は単純だったし、漠然とした未来や大学生活だか浪人かなどということを考えるととりとめがなさ過ぎて何も手がつかなくなるのに、そんな馬鹿な妄想だけで動けた。受験でストレスがたまった私を動かすものは、もはや恋だけだった。
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