44 / 63
3章 本を旅する
3章 本を旅するー15
しおりを挟む
「あとは、あなたも私も『入りたい』と言って本に入って来るでしょう。本を前にして『入りたい』なんて口にする酔狂な人間にしか、これは起こらないのよ」
「確かに、私も本中さんに言われるまで入りたいと思っても声に出したことはありませんでした」
「じゃあ今まで、ここには誰も来なかったんですか」
「いや、旦那や、他の読者も訪ねに来たわ。いろんな本から」
「えっ旦那さんも入れるんじゃないですか」
私は勢いづいて言いました。そう言うと、違うのよ、と明子さんは言います。
「ただの読者として、来たの。なんというか、本が開かれるまでは、閉じていて、この世界には動きが無いの」
「動きが、無い?」
「そう。でも、誰かが読むときは、開くのよ、なにかしら、ドアが合うような感じで、世界が開いて、読者の世界とつながるの。一度だけ飛行機に乗ったことがあるのだけど、飛行機と、空港からの橋、みたいなのあるでしょう。あれがつながるみたいな感じ」
「飛行機と、橋、ですか」
「そう、そして、乗客が入って来ないんだけど、入り口から飛行機の中を見ている、それがいつもの読者の感じ」
分かるような、分からないような話です。
「じゃあ今は?」
「いつもは入って来ない乗客が、乗り込んできた感じよ」
「あのね、私本当は手紙もメモも隠してないのよ」
唐突に、明子さんが言いました。私はそうめんを口に運んだところでしたので、失礼と思いながらももぐもぐと口を動かしながら聞きます。
「じゃああなたへの気持ちって言うのは」
「あの人は本を読まないの。趣味もない。私と出掛けるときや、話すとき以外はぼーっとテレビを観てるの。でも私はそれでもね、あの人がいると落ち着いたのよ」
惚気話だ、と思いました。しかし、年季の入った惚気話は、なんだかよいものです。私たちは黙って聞きました。
「でもね、私は物を書くのが好きで、それが私のなんというか、人生の軸みたいなものだったけど、あの人にとってはそうじゃない。私の大事な人に、大事なものをわかってもらえないのは寂しいなと思ってたの、でもあの人はそういう人だから、それで良かったんだけど」
「明子さんの書いた本も読まないんですか」
「読まないわ。まぁそれはそれで良かったのかもしれない。好き勝手書けるから。でも、私、死ぬのが近くなって、もっと私を分かって欲しいと思ったのよ、隅から隅まで、それには読んでもらうしかないと思ったの」
「それで、あんな手紙を?」
「そう、それに私が死んだらあの人やることないんじゃないかと思って。読書でもしたら暇がつぶれるかと思ったけど、はっきりそう言っても読まないだろうしと思って、意地悪してみたの」
そう言って、まるで子供のように笑うのです。
「パソコン教室に通っているそうですよ」
「そう。それはいいわよね。あなたが来る前から、知っていたわ」
「そうなんですか」
「たまにあの人がここを訪れてくれるようになったからね」
そうめんを十分に食べましたが。まだ一山残っていました。私よりは食べられる本中さんもこれ以上は食べられない、といった顔です。
「これは夫の昼ご飯よ。あなた達が来たから多めにゆでたの。そろそろ仕事の休憩時間で帰ってくると思うわ」
「なるほど。……あの、手紙の件、どう伝えたらいいんですかね」
「何も伝えなくていいわ。元気なら、それでいいのよ」
玄関の戸が開けられた音がしました。向こうから、「帰ったぞー明子ー、今日の飯はなんだ」と聞こえてきます。
「夫だわ、まああなた達は外の世界で会っているわよね」
「はい、私達、そとそろ帰ります」
「そう。外の世界の夫によろしくね」
私たちは礼を言い、本の世界から出ました。
「なんだかよく分かったような気がしますね」
「よく分かったような分からないような。結局多分小説を書いてたから入れるようになったてことなのかな」
本中さんは不思議そうに言います。
「とりあえず、どうしよう。一人さんにはどう伝えよう」
「見つかりませんでした、で良いんじゃないですかね」
「そうね、そう言ってたしね」
「でも本中さん、書く小説に依るんじゃないかなんて考えていたとは知りませんでした。私は小説を書く人ならだれでも可能性があるんじゃないかと考えてたんですが。誰かに聞いたんですか? 本の中に入りたいって言ってみて、とか」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
しばし黙って本中さんが口を開きました。
「もし、もしも私以外にこうやって本の中に入れる人がいるとしたら、戸成さんはどうする?」
「そういう人がいるんですか?」
「いや、仮定の話だよ」
「そうは聞こえません。誰か特定の人がいるんじゃないですか」
「いるって言ったらどうするの」
「なんで言ってくれないのかなって思います」
「いたらその人と本の世界に入るの?」
「えっうーん、本中さん以外と入るのは勇気が要りますね」
なんで本中さんがそんなことを言うのか分かりませんでした。ただなんとなく、こういうことを人が言うとき、仮定ではない、という気がしました。友達の話として本人の恋愛話がされるのはよくあることです。
「確かに、私も本中さんに言われるまで入りたいと思っても声に出したことはありませんでした」
「じゃあ今まで、ここには誰も来なかったんですか」
「いや、旦那や、他の読者も訪ねに来たわ。いろんな本から」
「えっ旦那さんも入れるんじゃないですか」
私は勢いづいて言いました。そう言うと、違うのよ、と明子さんは言います。
「ただの読者として、来たの。なんというか、本が開かれるまでは、閉じていて、この世界には動きが無いの」
「動きが、無い?」
「そう。でも、誰かが読むときは、開くのよ、なにかしら、ドアが合うような感じで、世界が開いて、読者の世界とつながるの。一度だけ飛行機に乗ったことがあるのだけど、飛行機と、空港からの橋、みたいなのあるでしょう。あれがつながるみたいな感じ」
「飛行機と、橋、ですか」
「そう、そして、乗客が入って来ないんだけど、入り口から飛行機の中を見ている、それがいつもの読者の感じ」
分かるような、分からないような話です。
「じゃあ今は?」
「いつもは入って来ない乗客が、乗り込んできた感じよ」
「あのね、私本当は手紙もメモも隠してないのよ」
唐突に、明子さんが言いました。私はそうめんを口に運んだところでしたので、失礼と思いながらももぐもぐと口を動かしながら聞きます。
「じゃああなたへの気持ちって言うのは」
「あの人は本を読まないの。趣味もない。私と出掛けるときや、話すとき以外はぼーっとテレビを観てるの。でも私はそれでもね、あの人がいると落ち着いたのよ」
惚気話だ、と思いました。しかし、年季の入った惚気話は、なんだかよいものです。私たちは黙って聞きました。
「でもね、私は物を書くのが好きで、それが私のなんというか、人生の軸みたいなものだったけど、あの人にとってはそうじゃない。私の大事な人に、大事なものをわかってもらえないのは寂しいなと思ってたの、でもあの人はそういう人だから、それで良かったんだけど」
「明子さんの書いた本も読まないんですか」
「読まないわ。まぁそれはそれで良かったのかもしれない。好き勝手書けるから。でも、私、死ぬのが近くなって、もっと私を分かって欲しいと思ったのよ、隅から隅まで、それには読んでもらうしかないと思ったの」
「それで、あんな手紙を?」
「そう、それに私が死んだらあの人やることないんじゃないかと思って。読書でもしたら暇がつぶれるかと思ったけど、はっきりそう言っても読まないだろうしと思って、意地悪してみたの」
そう言って、まるで子供のように笑うのです。
「パソコン教室に通っているそうですよ」
「そう。それはいいわよね。あなたが来る前から、知っていたわ」
「そうなんですか」
「たまにあの人がここを訪れてくれるようになったからね」
そうめんを十分に食べましたが。まだ一山残っていました。私よりは食べられる本中さんもこれ以上は食べられない、といった顔です。
「これは夫の昼ご飯よ。あなた達が来たから多めにゆでたの。そろそろ仕事の休憩時間で帰ってくると思うわ」
「なるほど。……あの、手紙の件、どう伝えたらいいんですかね」
「何も伝えなくていいわ。元気なら、それでいいのよ」
玄関の戸が開けられた音がしました。向こうから、「帰ったぞー明子ー、今日の飯はなんだ」と聞こえてきます。
「夫だわ、まああなた達は外の世界で会っているわよね」
「はい、私達、そとそろ帰ります」
「そう。外の世界の夫によろしくね」
私たちは礼を言い、本の世界から出ました。
「なんだかよく分かったような気がしますね」
「よく分かったような分からないような。結局多分小説を書いてたから入れるようになったてことなのかな」
本中さんは不思議そうに言います。
「とりあえず、どうしよう。一人さんにはどう伝えよう」
「見つかりませんでした、で良いんじゃないですかね」
「そうね、そう言ってたしね」
「でも本中さん、書く小説に依るんじゃないかなんて考えていたとは知りませんでした。私は小説を書く人ならだれでも可能性があるんじゃないかと考えてたんですが。誰かに聞いたんですか? 本の中に入りたいって言ってみて、とか」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
しばし黙って本中さんが口を開きました。
「もし、もしも私以外にこうやって本の中に入れる人がいるとしたら、戸成さんはどうする?」
「そういう人がいるんですか?」
「いや、仮定の話だよ」
「そうは聞こえません。誰か特定の人がいるんじゃないですか」
「いるって言ったらどうするの」
「なんで言ってくれないのかなって思います」
「いたらその人と本の世界に入るの?」
「えっうーん、本中さん以外と入るのは勇気が要りますね」
なんで本中さんがそんなことを言うのか分かりませんでした。ただなんとなく、こういうことを人が言うとき、仮定ではない、という気がしました。友達の話として本人の恋愛話がされるのはよくあることです。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる