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第二章
一緒に暮らそう!(高雅視点)
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「何。雅次を己の臣下として譲り受けたいだと?」
雅次と和解した翌日。早速本城を訪ね、雅次をそばに置きたい旨を進言すると、父はあからさまに驚いた顔をした。
「本気か? あやつのために命を賭して励むそなたに罵詈雑言を送りつけ、自身は何もせず遊び惚けておったクズなど……まさか、今更そなたに浅ましくも擦り寄ってきたあやつの泣き落としに絆されたか」
「……いえ」
真顔で噓八百を並べ立てる父に、俺は鷹揚に首を振ってみせた。
「それがしのほうから、雅次に希いました」
「なんと。そなたのほうから? あのたわけにか?」
「……はい」
頬が引きつりそうになるのを懸命に堪えつつ、口を動かす。
「これからは兄弟でともに力を合わせ、御家を盛り立てていってほしいと頼みました。雅次はそれがしの血を分けた弟です。それがしが立派な当主となるためには、最も近しい血族の力が必要不可欠。不仲かどうかなど関係ありません」
もっともらしい口上を述べてみたが、父はまだ渋い顔をしている。
「それは、まあそうだが……あやつはそなたと違うて怠け者ぞ? 兄のそなたが励んでおる最中も延々遊び惚けておった。あれは使い物にはならぬ。それでも」
「ならば今日より励ませます。それがしが嫡男となった以上、実弟であるは将来、誰よりも忠実で勤勉な家臣にならねばならぬ義務があり、弟一人御することができぬようでは、それがしの信用に関わります」
それがしが世継ぎとしてこの国に戻った以上、もう甘えは許しません。
できるだけ淡々と言い切る。俺は、薄情で怠惰な弟のことなど少しも好きじゃないがしかたなくと言わんばかりに。
そんな俺に父は目を丸くしたが、すぐ嬉しそうに微笑した。
「よくぞ申した。そなたを嫡男に任じたわしの想いを受け止めてくれて、嬉しく思うぞ。よかろう。あのたわけはそなたに任せる。これまで怠けていた分、しっかりと鍛えよ」
上機嫌に言う父に慇懃に感謝の意を述べ、早々に退出する。
これ以上、平静を保つ自信がなかったのだ。
俺の腸は、ぐつぐつと煮えていた。
父と話すと、いつもこうなる。
初陣を飾り、武功を挙げるようになってからは、すさまじく優しい態度を取られるようになったが、そのたびに「役立たず」と虐げられてきた日々や、小さな虫けら……雅次を殺されたくなかったら戦場へ行けと脅されたことなど、忌まわしい記憶が脳裏で明滅し、胸が掻きむしられる。
今日は、それが特に酷かった。
悪びれたふうもなく、さも当然のごとく雅次のことをあしざまに言って!
昨夜、自分は駄目だから俺に捨てられたと思い込んで泣いていた雅次のことを想うと、神経が焼き切れそうになった。
よくも、俺が雅次を捨てただなんて大嘘を、雅次に吹き込みやがって。
傷つけ、いたぶりやがって!
昔の俺だったら、怒りのままに怒鳴り散らし、殴りかかっていただろう。
だが、今は違う。
自分が置かれた状況は、よく分かっている。
父が俺を正式な世継ぎに据え、城まで用意してこの地に戻したのはひとえに、父が喜勢家にいい顔をしたいだけに過ぎない。
喜勢家の娘を嫁にしていなければ、死ぬまで遠征を続けさせられていた。
そして、山吹の男児が誕生すれば、イロナシの俺は即刻廃嫡にされる。
山吹至上主義のこの世においてはそれが常識。喜勢家でも文句は言えない。
だからこそ、父はあんなに蔑んでいたイロナシの俺をとりあえず世継ぎに据えた。
父にとって、俺はその程度の存在に過ぎない。十年間、御家のために命懸けで戦い続けようとも。
ここに戻ってきて、改めてそれがよく分かった。
――出奔する気がないのであれば、どんな手を使ってでも、すぐに故郷へお戻りになることをお勧めします。手遅れになる前に。
「あの方」の、言うとおりだった。
止めどなく込み上げてくる怒りとやるせなさで眩暈がする。
だが、立ち止まっている場合ではない。
この好機、決して潰してはならない。
早急に、この地での地位を盤石なものとし、父にこれ以上好き勝手させないための力をつける。それが俺の使命だ。
俺を信じてこれまでついて来てくれた家臣や妻子のため。
この十年、俺に捨てられたと思い込まされ傷つきながらも、また俺を信じてこの手を取ってくれた雅次のため。
だから、十年前のような馬鹿な真似はしない。
今度こそ、大事なものを守る。大切にする。
そのためには、腹の立つ相手にも上手く立ち居振舞って、それから――。
「兄上」
不意の呼びかけに肩が跳ねた。
振り返ると、そこには薄い笑みを浮かべた雅次が立っていたのだが、その顔を見て、俺は目を見開いた。
昨夜は月明かりで気がつかなかったが、雅次の顔……こんなに青かったのか。
「お召しでございましたか」
「……ああ! ちょうどよかった。お前のことを探していたんだ」
すぐさま顔に明るい笑みを貼りつけて、雅次に駆け寄る。
雅次とまた関わることができるようになれたら、その時はできるだけ笑顔でいようと決めていた。
雅次は俺が傷つくと俺以上に傷ついて悲しむ優しい弟で、十年前の俺はそれを理解せず、散々「いい子のお前を守れず悔しい」と泣き喚いて雅次を傷つけた。結果。
――おれがいい子だから、兄上がずっと虐められ続けるなら、おれ悪い子になる! 兄上のことも……き、嫌いになる! 兄上なんか大嫌い!
そんなことを言わせてしまった。
もう二度と、あんなこと言わせたくない。だから――。
「聞いてくれ、月丸! 今……」
「兄上。雅次です」
「は? ……あ、そうか。雅次! 今な、父上にお会いして、お前をもらい受けてきた」
満面の笑みでそう言ってやると、雅次の目が大きく見開いた。
「父上に、ですか?」
「そうだ。腹に据えかねることがあっても、父上は伊吹家当主。筋は通さねばならん」
「……はは」
この時、笑顔を浮かべる刹那、雅次の表情が一瞬翳ったのを俺は見逃さなかった。
「兄上は相変わらず生真面目でございます。俺などのために、さようなことを」
「いや、きちんと断っておかぬと、お前の居を移す時泥棒扱いされる」
「え。俺の居を移すって……っ」
首を傾げる雅次の手を掴み、俺はにっこり笑った。
「お前、俺のところに来てくれるんだろう? だったら、俺の城で一緒に住むのが当たり前……っ」
痛いくらい強く、雅次が俺の手を握り返してきた。
「よろしいのですか? 兄上の城に参っても」
「勿論だ。また、ひとつ屋根の下でともに暮らそう……わ」
「嬉しゅうございます!」
突然飛びつかれて、俺は目を白黒させた。
殿中でこんなことをするなんて。
そんなに俺の城に来ることを喜んでくれるのか。それとも……いや。
父の顔が浮かびかけて、俺は打ち消した。
雅次は、純粋に喜んでくれている。
俺を信じて戻ってきてくれたのだから。
そう思うことにする。
そして、そう思うなら、俺は……その気持ちに全力で応えなければならない。
俺は過去に間違いを犯した。
いまだ、父にまともに意見することもできない弱い存在でもある。
だが、あの頃から何一つ変わっていないわけではない。
変わったものだってある。そのことに胸を張れ。
くよくよする暇があったら、その分もこれから気張れ。
今度こそ、この可愛い弟を幸せにするのだ!
「うん。俺も嬉しい」
雅次を抱き締め返しながら、己に言い聞かせた。
雅次と和解した翌日。早速本城を訪ね、雅次をそばに置きたい旨を進言すると、父はあからさまに驚いた顔をした。
「本気か? あやつのために命を賭して励むそなたに罵詈雑言を送りつけ、自身は何もせず遊び惚けておったクズなど……まさか、今更そなたに浅ましくも擦り寄ってきたあやつの泣き落としに絆されたか」
「……いえ」
真顔で噓八百を並べ立てる父に、俺は鷹揚に首を振ってみせた。
「それがしのほうから、雅次に希いました」
「なんと。そなたのほうから? あのたわけにか?」
「……はい」
頬が引きつりそうになるのを懸命に堪えつつ、口を動かす。
「これからは兄弟でともに力を合わせ、御家を盛り立てていってほしいと頼みました。雅次はそれがしの血を分けた弟です。それがしが立派な当主となるためには、最も近しい血族の力が必要不可欠。不仲かどうかなど関係ありません」
もっともらしい口上を述べてみたが、父はまだ渋い顔をしている。
「それは、まあそうだが……あやつはそなたと違うて怠け者ぞ? 兄のそなたが励んでおる最中も延々遊び惚けておった。あれは使い物にはならぬ。それでも」
「ならば今日より励ませます。それがしが嫡男となった以上、実弟であるは将来、誰よりも忠実で勤勉な家臣にならねばならぬ義務があり、弟一人御することができぬようでは、それがしの信用に関わります」
それがしが世継ぎとしてこの国に戻った以上、もう甘えは許しません。
できるだけ淡々と言い切る。俺は、薄情で怠惰な弟のことなど少しも好きじゃないがしかたなくと言わんばかりに。
そんな俺に父は目を丸くしたが、すぐ嬉しそうに微笑した。
「よくぞ申した。そなたを嫡男に任じたわしの想いを受け止めてくれて、嬉しく思うぞ。よかろう。あのたわけはそなたに任せる。これまで怠けていた分、しっかりと鍛えよ」
上機嫌に言う父に慇懃に感謝の意を述べ、早々に退出する。
これ以上、平静を保つ自信がなかったのだ。
俺の腸は、ぐつぐつと煮えていた。
父と話すと、いつもこうなる。
初陣を飾り、武功を挙げるようになってからは、すさまじく優しい態度を取られるようになったが、そのたびに「役立たず」と虐げられてきた日々や、小さな虫けら……雅次を殺されたくなかったら戦場へ行けと脅されたことなど、忌まわしい記憶が脳裏で明滅し、胸が掻きむしられる。
今日は、それが特に酷かった。
悪びれたふうもなく、さも当然のごとく雅次のことをあしざまに言って!
昨夜、自分は駄目だから俺に捨てられたと思い込んで泣いていた雅次のことを想うと、神経が焼き切れそうになった。
よくも、俺が雅次を捨てただなんて大嘘を、雅次に吹き込みやがって。
傷つけ、いたぶりやがって!
昔の俺だったら、怒りのままに怒鳴り散らし、殴りかかっていただろう。
だが、今は違う。
自分が置かれた状況は、よく分かっている。
父が俺を正式な世継ぎに据え、城まで用意してこの地に戻したのはひとえに、父が喜勢家にいい顔をしたいだけに過ぎない。
喜勢家の娘を嫁にしていなければ、死ぬまで遠征を続けさせられていた。
そして、山吹の男児が誕生すれば、イロナシの俺は即刻廃嫡にされる。
山吹至上主義のこの世においてはそれが常識。喜勢家でも文句は言えない。
だからこそ、父はあんなに蔑んでいたイロナシの俺をとりあえず世継ぎに据えた。
父にとって、俺はその程度の存在に過ぎない。十年間、御家のために命懸けで戦い続けようとも。
ここに戻ってきて、改めてそれがよく分かった。
――出奔する気がないのであれば、どんな手を使ってでも、すぐに故郷へお戻りになることをお勧めします。手遅れになる前に。
「あの方」の、言うとおりだった。
止めどなく込み上げてくる怒りとやるせなさで眩暈がする。
だが、立ち止まっている場合ではない。
この好機、決して潰してはならない。
早急に、この地での地位を盤石なものとし、父にこれ以上好き勝手させないための力をつける。それが俺の使命だ。
俺を信じてこれまでついて来てくれた家臣や妻子のため。
この十年、俺に捨てられたと思い込まされ傷つきながらも、また俺を信じてこの手を取ってくれた雅次のため。
だから、十年前のような馬鹿な真似はしない。
今度こそ、大事なものを守る。大切にする。
そのためには、腹の立つ相手にも上手く立ち居振舞って、それから――。
「兄上」
不意の呼びかけに肩が跳ねた。
振り返ると、そこには薄い笑みを浮かべた雅次が立っていたのだが、その顔を見て、俺は目を見開いた。
昨夜は月明かりで気がつかなかったが、雅次の顔……こんなに青かったのか。
「お召しでございましたか」
「……ああ! ちょうどよかった。お前のことを探していたんだ」
すぐさま顔に明るい笑みを貼りつけて、雅次に駆け寄る。
雅次とまた関わることができるようになれたら、その時はできるだけ笑顔でいようと決めていた。
雅次は俺が傷つくと俺以上に傷ついて悲しむ優しい弟で、十年前の俺はそれを理解せず、散々「いい子のお前を守れず悔しい」と泣き喚いて雅次を傷つけた。結果。
――おれがいい子だから、兄上がずっと虐められ続けるなら、おれ悪い子になる! 兄上のことも……き、嫌いになる! 兄上なんか大嫌い!
そんなことを言わせてしまった。
もう二度と、あんなこと言わせたくない。だから――。
「聞いてくれ、月丸! 今……」
「兄上。雅次です」
「は? ……あ、そうか。雅次! 今な、父上にお会いして、お前をもらい受けてきた」
満面の笑みでそう言ってやると、雅次の目が大きく見開いた。
「父上に、ですか?」
「そうだ。腹に据えかねることがあっても、父上は伊吹家当主。筋は通さねばならん」
「……はは」
この時、笑顔を浮かべる刹那、雅次の表情が一瞬翳ったのを俺は見逃さなかった。
「兄上は相変わらず生真面目でございます。俺などのために、さようなことを」
「いや、きちんと断っておかぬと、お前の居を移す時泥棒扱いされる」
「え。俺の居を移すって……っ」
首を傾げる雅次の手を掴み、俺はにっこり笑った。
「お前、俺のところに来てくれるんだろう? だったら、俺の城で一緒に住むのが当たり前……っ」
痛いくらい強く、雅次が俺の手を握り返してきた。
「よろしいのですか? 兄上の城に参っても」
「勿論だ。また、ひとつ屋根の下でともに暮らそう……わ」
「嬉しゅうございます!」
突然飛びつかれて、俺は目を白黒させた。
殿中でこんなことをするなんて。
そんなに俺の城に来ることを喜んでくれるのか。それとも……いや。
父の顔が浮かびかけて、俺は打ち消した。
雅次は、純粋に喜んでくれている。
俺を信じて戻ってきてくれたのだから。
そう思うことにする。
そして、そう思うなら、俺は……その気持ちに全力で応えなければならない。
俺は過去に間違いを犯した。
いまだ、父にまともに意見することもできない弱い存在でもある。
だが、あの頃から何一つ変わっていないわけではない。
変わったものだってある。そのことに胸を張れ。
くよくよする暇があったら、その分もこれから気張れ。
今度こそ、この可愛い弟を幸せにするのだ!
「うん。俺も嬉しい」
雅次を抱き締め返しながら、己に言い聞かせた。
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