上 下
54 / 99
第三章

力を合わせて(雅次視点)

しおりを挟む
 これは、急な出陣を知らせる時の鐘の音だ。
 そう思い至った瞬間、俺は龍王丸を抱えて立ち上がった。

「叔父上! この音、誰か攻めてくるの?」
「そうだ。とりあえず、お前の城へ行こう」

 龍王丸をこのまま一人にしておくわけにはいかないし、城へ行けば何か分かるはず。
 龍王丸とともに馬に乗り、すぐさま城に向かった。

 城内はすでに戦準備を始めていて、皆慌ただしく駆け回っていた。
 その中に、すでに戦装束を身に纏った兄上を見つけた俺は、龍王丸を抱いていることも忘れて駆け寄った。

「あ。父上だ。父上ぇ!」
 龍王丸が叫ぶと、兄上がこちらを向き、破顔した。

 そのいつもどおりの笑顔に内心ほっとする。
 よかった。

 しかし、あくまでも「まだ」だ。
 この先、何があるか分かったものではない。

 だったら、引き籠ってくよくよしている暇など、俺にはないんだ。
 守らないと。あの汚らわしい豚から、兄上をお守りしないと!

「龍王丸……と、雅次! どうした、二人して」

「うん。あのね、叔父上のお見舞いに行ったの。そしたら途中で叔父上に会って……わ」
「さあ龍王丸。お前は奥でいい子にしていましょうね?」

 どこからともなく現れた義姉がすかさず俺から龍王丸を抱き取り、奥へと連れて行く。
 相変わらず気の利く女性だと内心感心しつつも、俺は片膝を突いて兄上に一礼した。

「兄上。ここ数日出仕できず、申し訳ありませんでした」

「……うん。風邪は、もういいのか?」

「っ……はい。ご迷惑をおかけいたしました。して、敵は」
 気づかわしげな声音にずきりと胸の痛みを覚えつつも状況を尋ねると、兄上が軽く頷く。

「桃井がまた騒ぎ出したらしい。勢いづく前に叩いておきたい」

「では、先発隊五百ほどでまず手配いたします。それなら、昼過ぎには出陣できます」

「それでいい。病み上がりの上、作左が不在で苦労をかけるがよろしく頼む。それと」

 ここで、兄上が口を閉じた。
 それからしばしの逡巡の末、無言で手招きして歩き出した。

 どうしたのだろう。意味が分からないままついて行く。
 二人きりになったところで、兄上は重い口を開いた。

「実はな。二日前の昼過ぎ、父上がお倒れになった」
「! 父上が?」

 あの男が倒れた?
 いつも傍若無人に振舞い、顔を合わせればいつも殴ってきたあの男が?

 驚いた。だが、思ったのはそれだけ。
 他には何の感慨もない。

 そんなことよりも気になるのは、

「二日前……まさか、毒を盛られたということは」

 とっさにその言葉が出た。父はこれまで病気らしい病気もなく元気だったし、倒れたのはあの家房が訪問した翌日。どう考えても怪しい。

「俺もそれを考えたが、父上が最後に物を食ったのは倒れる一刻以上前のことだそうだ。何の前触れもなく突然倒れたというし、薬師の見立てでも病によるものだそうだから、毒の可能性はないだろう」

 なるほど、それなら毒の可能性はなさそうだ。
 それによく考えてみれば、自身が訪問した翌日に事を起こすほど、家房も馬鹿ではない。とはいえ。

「父上が倒れた二日後に桃井のこの動き。桃井に知らせた者が城内におりますな」

「うん。だが、しばらく泳がせておく。父上は二日間の昏睡状態のすえに今朝、お目覚めになられたのでな。このことを桃井に知らさせてから処置する。父上がお目覚めになったと知れば、桃井も深追いはすまい」

 その説明を聴きながら、俺は内心苦々しい思いでいっぱいになった。

 このような大事の時に仮病を使って引き籠っていた己の腑甲斐なさもそうだが、このことを自分に一切知らせてくれなかった兄上への憤りをどうしても禁じ得ない。

 あのような変態に襲われかけて傷ついた弟の心を労わってやりたいという兄心だったと分かってはいる。
 だが、このような状況でそんなことを気にしている場合か。

 やはり、兄上は危うい。
 情に溺れ過ぎる。

「雅次」
 兄上が改まったように、俺の名を呼んだ。

「薬師はひとまず安心だと言っていたが、父上はまだまだ予断を許さぬ状態だ。これから先、何が起こるか分からん。それを

「兄上……っ」

「ともに、乗り越えていこう」

 俺の手を握り、訴えてくる。
 その、どこまでも真っ直ぐで真摯な瞳と声音に、俺は胸が苦しくなった。

 ああ、本当に……どこまでも綺麗な兄上。薄汚い自分には眩し過ぎて直視できないほどに。
 だからこそ。

「はい。勿論です」
 その手を強く握り返す。

 言われるまでもない。俺は兄上にひたすら尽くすだけだ。
 今までどおり、己が天恵を全て兄上に注ぎ込んで。

 そうしなければ、この乱世において綺麗過ぎる兄上は生きていけない。

 家房などに負けてなるものか。

 握り締めた兄上の手を見つめ、俺は改めて固く心に誓った。

 だから、気がつかなかった。
 そんな俺を、
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

はぴまり~薄幸オメガは溺愛アルファのお嫁さん

BL / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:1,903

狼伯爵の花嫁

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:46

イアン・ラッセルは婚約破棄したい

BL / 完結 24h.ポイント:20,911pt お気に入り:1,712

愛を求める少年へ、懸命に応える青年のお話

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:20

CLOVER-Genuine

恋愛 / 完結 24h.ポイント:134pt お気に入り:417

アルファな彼とオメガな僕。

BL / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:659

処理中です...