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第三章
夢の相続(高雅視点)
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二カ月後。
年が明けてしばらくして、俺は正式に家督を継ぎ、伊吹家当主となった。
「山吹の弟を差し置き、当主になってしまわれるとは。さすがは高雅様じゃ!」
「高雅様はまさに奇跡のイロナシであられる。信じてお仕えしてきた甲斐があった!」
俺を当主にと尽力してくれた家臣たちは大層歓び、作左などは歓喜の涙さえ流していた。
乃絵も、この時ばかりは相当浮かれていたようで、
「雅次様、よくぞ高雅様と龍王丸の将来を選んでくださいました!」
雅次に面と向かってそう言った。雅次が笑みを浮かべ、
「俺は生涯兄上と龍王丸をお支えすると決めております。それに、俺は当主などという器ではありません。今までどおりの立場で十分です」
そつなくそう答えると、
「そうでした。雅次様は奥方様、お子様第一の方でらしたわね。どうぞこれからも、愛するご家族を大事にしつつ、高雅様、龍王丸のこと、よろしくお願いいたしますね」
満面の笑みでそう宣う。
以前の俺なら、雅次の本当の立場を知っているくせに、よくもそんな惨いことが言えるものだと、腹を立てたことだろう。
だが、今は……怒っていない。
彼女はこの乱世に生きる妻として母として、家族を守ろうとしているだけだ。
雅次に対して、他意も悪意もない。
だが、雅次という存在が自分の家族にとって害であるなら切り捨てる。利用できるなら使えるだけ使う。それだけのことだ。
彼女は間違っていない。
武人の妻として、母として、全くもって正しい。
それでも、俺は今回彼女に何も言わなかった。
俺がこうして家督を継げたのは、
――高雅を当主にするという願いを叶えてやれば、芳雅は安心してさっさと死ぬ。
――後ろ盾の芳雅が死んだ後、高雅を始末する。そのほうが、被害を最小に抑えて雅次が家督をもぎ取ることができる。
――ゆえに、今は辛抱してくれ。
雅次と家房が、雅次を当主にと推す者たちをそう言って説き伏せたから。
そして、家房がこの説得を引き受けてくれたのは、散々罵り一物を踏み潰してやった俺を地獄の底に叩き落としたいという憎悪と殺意によるもの。
そのような離れ業を使わねば、イロナシのこの俺が山吹の雅次を差し置き、こんなにも穏便に家督を継ぐことなど到底できなかった……なんて。
このことを知れば、何をおいても家族第一の乃絵は必ずこう言う。
あなたが死ぬなんて絶対に駄目。
何をしてでも……御家を捨て、雅次に全ての泥を被せ捨て駒にしてでも生き残れ。
家族のために生きてくれ。
それが夫の役目、父の役目だと。
きっと、そう迫ってくる。
そして、絶対に引かない。俺が何を言ってもだ。
結果、俺たち夫婦は完全に崩壊する。
だから言わない。と、そこまで考えて、ふと思う。
もし仮に、雅次が捨て駒となって俺が生かしたとして、後になって、乃絵が雅次にそうするよう陰で仕向けていたと知ったとしても、俺は……乃絵に何も言わぬだろう。
気づかないふりをして、今までのどおりの夫を演じる。
乃絵も、そんな俺に気づいたとしても、見て見ぬふりを貫き、これまでどおりの妻を演じ続けて……なんて。
結局、俺たちはそういう夫婦だったのだ。
結婚した時だって、そう。
俺がこの結婚の形に深く傷つき、苦しんでいたことを、乃絵は知っていた。
それでも、見て見ぬふりをした。
俺も……そんな乃絵に気づいていながら、乃絵に何一つ言及できないままに夫婦となった。
どんな形であれ、夫婦になったからにはいい夫婦になろう。なんて、体のいい綺麗事で、何もかもに蓋をした。
本当に大事なことは何一つ語り合えぬ。
それが、自分たち夫婦の形だった。
最初からずっと、今日まで何一つ変えられないまま。
そして、そのことに気づいた今もなお、改めるつもりもない。
人を疑うことを知らぬお人好しだったがゆえに弟に謀殺された夫に代わり、自分がしっかりと子らを育てていくのだ。
そう思って生きていけばいいと思う。
それが、彼女にとって一番に望む現実であるのなら。
家臣たちについても同じだ。
今までどおり、雅次が築き上げた「奇跡のイロナシ・伊吹高雅」という美しい夢を見続ければいい。
今回の家督相続は、その幻想をより強固なものにできたと思う。
奇跡のイロナシにかかれば、山吹の弟という対抗馬が出現しても難なく蹴散らし、家督を継げてしまうのだと。
それでいい。
そして、その夢が穢れて、崩れ落ちしまう前に俺は消える。
決してその夢は壊さない。
それが、ここまで……命がけで俺について来てくれた彼らへの礼儀であり、その夢を見続けほしいという願望でもある。
目の色だけでその人の価値を決めない世界。
それを、龍王丸の世で真に叶えてほしい。
とはいえ、今回一番の目的は――。
年が明けてしばらくして、俺は正式に家督を継ぎ、伊吹家当主となった。
「山吹の弟を差し置き、当主になってしまわれるとは。さすがは高雅様じゃ!」
「高雅様はまさに奇跡のイロナシであられる。信じてお仕えしてきた甲斐があった!」
俺を当主にと尽力してくれた家臣たちは大層歓び、作左などは歓喜の涙さえ流していた。
乃絵も、この時ばかりは相当浮かれていたようで、
「雅次様、よくぞ高雅様と龍王丸の将来を選んでくださいました!」
雅次に面と向かってそう言った。雅次が笑みを浮かべ、
「俺は生涯兄上と龍王丸をお支えすると決めております。それに、俺は当主などという器ではありません。今までどおりの立場で十分です」
そつなくそう答えると、
「そうでした。雅次様は奥方様、お子様第一の方でらしたわね。どうぞこれからも、愛するご家族を大事にしつつ、高雅様、龍王丸のこと、よろしくお願いいたしますね」
満面の笑みでそう宣う。
以前の俺なら、雅次の本当の立場を知っているくせに、よくもそんな惨いことが言えるものだと、腹を立てたことだろう。
だが、今は……怒っていない。
彼女はこの乱世に生きる妻として母として、家族を守ろうとしているだけだ。
雅次に対して、他意も悪意もない。
だが、雅次という存在が自分の家族にとって害であるなら切り捨てる。利用できるなら使えるだけ使う。それだけのことだ。
彼女は間違っていない。
武人の妻として、母として、全くもって正しい。
それでも、俺は今回彼女に何も言わなかった。
俺がこうして家督を継げたのは、
――高雅を当主にするという願いを叶えてやれば、芳雅は安心してさっさと死ぬ。
――後ろ盾の芳雅が死んだ後、高雅を始末する。そのほうが、被害を最小に抑えて雅次が家督をもぎ取ることができる。
――ゆえに、今は辛抱してくれ。
雅次と家房が、雅次を当主にと推す者たちをそう言って説き伏せたから。
そして、家房がこの説得を引き受けてくれたのは、散々罵り一物を踏み潰してやった俺を地獄の底に叩き落としたいという憎悪と殺意によるもの。
そのような離れ業を使わねば、イロナシのこの俺が山吹の雅次を差し置き、こんなにも穏便に家督を継ぐことなど到底できなかった……なんて。
このことを知れば、何をおいても家族第一の乃絵は必ずこう言う。
あなたが死ぬなんて絶対に駄目。
何をしてでも……御家を捨て、雅次に全ての泥を被せ捨て駒にしてでも生き残れ。
家族のために生きてくれ。
それが夫の役目、父の役目だと。
きっと、そう迫ってくる。
そして、絶対に引かない。俺が何を言ってもだ。
結果、俺たち夫婦は完全に崩壊する。
だから言わない。と、そこまで考えて、ふと思う。
もし仮に、雅次が捨て駒となって俺が生かしたとして、後になって、乃絵が雅次にそうするよう陰で仕向けていたと知ったとしても、俺は……乃絵に何も言わぬだろう。
気づかないふりをして、今までのどおりの夫を演じる。
乃絵も、そんな俺に気づいたとしても、見て見ぬふりを貫き、これまでどおりの妻を演じ続けて……なんて。
結局、俺たちはそういう夫婦だったのだ。
結婚した時だって、そう。
俺がこの結婚の形に深く傷つき、苦しんでいたことを、乃絵は知っていた。
それでも、見て見ぬふりをした。
俺も……そんな乃絵に気づいていながら、乃絵に何一つ言及できないままに夫婦となった。
どんな形であれ、夫婦になったからにはいい夫婦になろう。なんて、体のいい綺麗事で、何もかもに蓋をした。
本当に大事なことは何一つ語り合えぬ。
それが、自分たち夫婦の形だった。
最初からずっと、今日まで何一つ変えられないまま。
そして、そのことに気づいた今もなお、改めるつもりもない。
人を疑うことを知らぬお人好しだったがゆえに弟に謀殺された夫に代わり、自分がしっかりと子らを育てていくのだ。
そう思って生きていけばいいと思う。
それが、彼女にとって一番に望む現実であるのなら。
家臣たちについても同じだ。
今までどおり、雅次が築き上げた「奇跡のイロナシ・伊吹高雅」という美しい夢を見続ければいい。
今回の家督相続は、その幻想をより強固なものにできたと思う。
奇跡のイロナシにかかれば、山吹の弟という対抗馬が出現しても難なく蹴散らし、家督を継げてしまうのだと。
それでいい。
そして、その夢が穢れて、崩れ落ちしまう前に俺は消える。
決してその夢は壊さない。
それが、ここまで……命がけで俺について来てくれた彼らへの礼儀であり、その夢を見続けほしいという願望でもある。
目の色だけでその人の価値を決めない世界。
それを、龍王丸の世で真に叶えてほしい。
とはいえ、今回一番の目的は――。
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