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第三章 思惑
第四十一話 失意のローラ
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モゴシュの屋敷で、バサラブとラドゥが飲み明かし、モゴシュが書斎でショックを受けている時、ラドゥの滞在している部屋で部屋の灯りを灯さないままもう一人、何も口にできないくらいに落ち込んでいる者がいた。
ローラである。
せっかくの新婚で、皆がどんちゃん騒ぎをしている本館とは別棟のコテージのような小さな一戸建てを新婚ルームとして用意してもらったというのに、そんな気分には全くなれず、天蓋ベッドにも入らずその横で膝を抱えてうずくまっていた。
前日、最愛のヨアナが母のエリザベタと焼け死んだのを目の当たりにしたところである。
仕方のない事だった。
しかもあの後、ラドゥに言われた言葉が脳裏に刺さって離れなかった。
「すまない。助けに行くには遅すぎた」
エリザベタとヨアナが炎に包まれたあの時、確かにヨアナの掛け声とともにラドゥはオロロック邸の敷地から外に出された。
しかしその後すぐにローラがまた「入ってもいい」と了解を出したのだ。
あの時……あの人はワザと助けなかった……
あの人にとってヨアナは、いてもいなくてもいい存在だったんだわ……
エリザベタに関しては、ローラ自身もヨアナも旦那のオクタヴィアンを殺そうとしてた事もあり、死んで当然とローラは考えていた。
しかしヨアナは違う。
まだ五歳と幼くして、人生の幕を下ろすなんて、ありえない話だった。
しかし、結果、エリザベタと共に焼け死んでしまった。
しかも二人とも笑みを浮かべて……
この事実がローラの心にグッサリと刺さっていた。
私は母親以上に母親の勤めを果たしたはずなのに……でもヨアナはエリザベタを選んだ……
ヨアナは何故エリザベタを選んだのか? 自分には何が足りなかったのか? どうすればよかったのか?
その考えがグルグル回る。
さらに吸血鬼となった自分とヨアナが、仲間であるオロロック邸の使用人達を食料として惨殺した事も頭の中を駆け巡った。
私はファイナの首をつい噛んで血を飲んだ……あの後、私はあまりの美味しさにみんなを次々と殺して血を飲んだ……確かに今の私は吸血鬼だけど、私はみんなが好きだった……なのに……私はあの人達を次々と殺してしまった……みんな、もう帰っては来ない……私は気が狂っていた……
ローラは自責の念に押し潰れそうになった。
考えはラドゥにも及んだ。
私はなぜあの人を選んだのだろうか?
オロロック家が嫌だったから?
その現実逃避のための恋だった?
ラドゥは最初からエリザベタもヨアナも助ける気なんかなかったんじゃないのだろうか?
妻となってまだ二日しか経っていないローラだったが、すでにラドゥにたいして疑念を抱き始めていた。
そして当然のことながらオクタヴィアンの顔もよぎっていく。
……ないない。男として見れない。どうしても弟にしか思えない。……でも、あの時オクタヴィアンが私をもっと止めていたら、私はここにはいなかったかもしれない……と、思ったけど、やっぱりあの男はないわ。
オクタヴィアンの事を考えると少しだけ気分が楽になるローラであった。そしてこんな事をずっと考えているので、血の欲望など全く起きなかった。
その時、部屋の外が少しだけ騒がしくなった。
ドアの外側は渡り廊下はあれど直接中庭に出るので、中庭の様子などはよく聞こえた。
どうやらラドゥの親衛隊が偵察から戻ってきたようだわ……
あの人達だって、何であんなにラドゥを担ぎ上げているのか……
ローラは関わる気になれなかったので、姿勢を特に変えずに顔をひざに伏せた。
すると部屋のすぐ外でヒソヒソ声が聞こえてきた。
あの親衛隊たちが話してる……
しかしローラには親衛隊が何を話しているのかよく分からなかった。ローラが親衛隊で分かっている事とすれば、全員が女性らしいという事ぐらいである。
五人の親衛隊はそもそもオスマントルコ語しか話させないらしく、それだけでも分からないのに、やたら小声で仲間内とラドゥにしか話さない。
五人で話している時には声が重なって、カラカラと音が聞こえてくるようである。
そして笑い声に至っては小さく「カカカカカカ」と、金切り声のようになり、不気味さを増すばかりである。
しかもローラには理解が出来なかったが、五人の親衛隊はラドゥが最初用意したこの屋敷の立派な客間で寝泊まりする事を断り、あえて屋敷の隅にある汚い物置小屋を選んで、そこの中に棺桶を置いて寝泊まりを始めた。
ローラはそんな親衛隊の事など気にかけたくなかったので、ベッドに潜り込んで横になり、シーツを頭から被った。
すると部屋のドアが開き、何かがドサっと放り投げられた音がした。
ローラは慌てて起き上がると、すでにドアは閉まり、ドアの前にジプシーの子供が一人、放り投げられたのか、転んだような格好で座っていた。
その子供はヨアナよりも少し大きいくらいの男の子で、もう十二月の寒い時期なのに布切れ一枚の下着姿で、寒さのせいか恐怖のせいか全身をブルブルと震わせている。
そしてあまりに真っ暗な部屋なので夜目もきかず、回りをキョロキョロするばかりであった。
ローラは唖然とした。
この子を食べなさいって事なの?
私と同族の血を与えようとするなんて……
ローラは親衛隊にこの子を戻そうと思った。しかしすぐさま悪い予感がした。
もしこの子をあの人達に戻したら……きっと五人で噛みついて結局殺されてしまう……
まだその子はあまりの恐怖にその場所から動けない。それに声も出ないし、今にも泣き出しそうな顔をしている。
きっと、きっとこの子の仲間も吸血鬼達に襲われて、殺されてしまったんだわ……
この子まで殺すのは不憫すぎる……
そう思ったローラはその子が驚かないようにゆっくりとベッドから出ると、部屋の奥の化粧台のイスに腰掛けた。
そして男の子が怖がらないように声をかけてみた。
「……坊や。怖がらないでね。私は今、あなたの真向かいのイスに座っているの。真っ暗だけど……分かる?」
男の子はローラの声にかなり驚いて、ビク! と、飛び跳ねた。
しかしローラの声が女性だった事と、優しく問いかけている事に気がつくと、いくらか落ち着いてきた。
「あ……あ……ぼ、ぼくを食べるの?」
「あなたを食べやしないわ」
「お、お母さんやお父さんはもう死んじゃったの? 助かったの?」
「え……」
ローラはこの子供が親と引き裂かれた事に改めて気がついた。そしてその親はもう殺された事も分かっていた。
「……ごめんなさい……あなたのお父さん、お母さんの事は私にも分からないわ……」
すると両親と離れた不安からボロボロと涙をこぼし始めた。
「お父さん、お母さん~……」
ローラは見守る事しか出来なかった。
そしてひとしきり男の子が泣いて、泣き終わるのを待った。
それにはしばらくの時間が必要だった。
ローラは辛抱強く待ち、男は静かに泣いた。
泣いて泣いて泣ききって、男の子はヒックヒックとシャックリをし、それも止まると、少し落ち着きを取り戻したようだった。
そこでローラは声をかけた。
「……ねえ、ボクのお名前は? なんて言うの?」
「……ベルキ……」
「ベルキって言うのね? いいお名前ね」
「うん。お父ちゃんが付けてくれた。おばちゃんは?」
ローラはおばちゃんと呼ばれた事につい笑ってしまった。
確かにもう二十九歳、私もおばちゃんだ。
「ローラ。私はローラ。おばちゃんって呼ばないでね。ふふふ」
「ごめんなさい。ローラ」
二人は心なしか少しほっこりした気持ちになり、お互いの緊張が解けた。
その時、部屋のドアがガチャリと開いた。
ラドゥが帰ってきたのだ。
ローラである。
せっかくの新婚で、皆がどんちゃん騒ぎをしている本館とは別棟のコテージのような小さな一戸建てを新婚ルームとして用意してもらったというのに、そんな気分には全くなれず、天蓋ベッドにも入らずその横で膝を抱えてうずくまっていた。
前日、最愛のヨアナが母のエリザベタと焼け死んだのを目の当たりにしたところである。
仕方のない事だった。
しかもあの後、ラドゥに言われた言葉が脳裏に刺さって離れなかった。
「すまない。助けに行くには遅すぎた」
エリザベタとヨアナが炎に包まれたあの時、確かにヨアナの掛け声とともにラドゥはオロロック邸の敷地から外に出された。
しかしその後すぐにローラがまた「入ってもいい」と了解を出したのだ。
あの時……あの人はワザと助けなかった……
あの人にとってヨアナは、いてもいなくてもいい存在だったんだわ……
エリザベタに関しては、ローラ自身もヨアナも旦那のオクタヴィアンを殺そうとしてた事もあり、死んで当然とローラは考えていた。
しかしヨアナは違う。
まだ五歳と幼くして、人生の幕を下ろすなんて、ありえない話だった。
しかし、結果、エリザベタと共に焼け死んでしまった。
しかも二人とも笑みを浮かべて……
この事実がローラの心にグッサリと刺さっていた。
私は母親以上に母親の勤めを果たしたはずなのに……でもヨアナはエリザベタを選んだ……
ヨアナは何故エリザベタを選んだのか? 自分には何が足りなかったのか? どうすればよかったのか?
その考えがグルグル回る。
さらに吸血鬼となった自分とヨアナが、仲間であるオロロック邸の使用人達を食料として惨殺した事も頭の中を駆け巡った。
私はファイナの首をつい噛んで血を飲んだ……あの後、私はあまりの美味しさにみんなを次々と殺して血を飲んだ……確かに今の私は吸血鬼だけど、私はみんなが好きだった……なのに……私はあの人達を次々と殺してしまった……みんな、もう帰っては来ない……私は気が狂っていた……
ローラは自責の念に押し潰れそうになった。
考えはラドゥにも及んだ。
私はなぜあの人を選んだのだろうか?
オロロック家が嫌だったから?
その現実逃避のための恋だった?
ラドゥは最初からエリザベタもヨアナも助ける気なんかなかったんじゃないのだろうか?
妻となってまだ二日しか経っていないローラだったが、すでにラドゥにたいして疑念を抱き始めていた。
そして当然のことながらオクタヴィアンの顔もよぎっていく。
……ないない。男として見れない。どうしても弟にしか思えない。……でも、あの時オクタヴィアンが私をもっと止めていたら、私はここにはいなかったかもしれない……と、思ったけど、やっぱりあの男はないわ。
オクタヴィアンの事を考えると少しだけ気分が楽になるローラであった。そしてこんな事をずっと考えているので、血の欲望など全く起きなかった。
その時、部屋の外が少しだけ騒がしくなった。
ドアの外側は渡り廊下はあれど直接中庭に出るので、中庭の様子などはよく聞こえた。
どうやらラドゥの親衛隊が偵察から戻ってきたようだわ……
あの人達だって、何であんなにラドゥを担ぎ上げているのか……
ローラは関わる気になれなかったので、姿勢を特に変えずに顔をひざに伏せた。
すると部屋のすぐ外でヒソヒソ声が聞こえてきた。
あの親衛隊たちが話してる……
しかしローラには親衛隊が何を話しているのかよく分からなかった。ローラが親衛隊で分かっている事とすれば、全員が女性らしいという事ぐらいである。
五人の親衛隊はそもそもオスマントルコ語しか話させないらしく、それだけでも分からないのに、やたら小声で仲間内とラドゥにしか話さない。
五人で話している時には声が重なって、カラカラと音が聞こえてくるようである。
そして笑い声に至っては小さく「カカカカカカ」と、金切り声のようになり、不気味さを増すばかりである。
しかもローラには理解が出来なかったが、五人の親衛隊はラドゥが最初用意したこの屋敷の立派な客間で寝泊まりする事を断り、あえて屋敷の隅にある汚い物置小屋を選んで、そこの中に棺桶を置いて寝泊まりを始めた。
ローラはそんな親衛隊の事など気にかけたくなかったので、ベッドに潜り込んで横になり、シーツを頭から被った。
すると部屋のドアが開き、何かがドサっと放り投げられた音がした。
ローラは慌てて起き上がると、すでにドアは閉まり、ドアの前にジプシーの子供が一人、放り投げられたのか、転んだような格好で座っていた。
その子供はヨアナよりも少し大きいくらいの男の子で、もう十二月の寒い時期なのに布切れ一枚の下着姿で、寒さのせいか恐怖のせいか全身をブルブルと震わせている。
そしてあまりに真っ暗な部屋なので夜目もきかず、回りをキョロキョロするばかりであった。
ローラは唖然とした。
この子を食べなさいって事なの?
私と同族の血を与えようとするなんて……
ローラは親衛隊にこの子を戻そうと思った。しかしすぐさま悪い予感がした。
もしこの子をあの人達に戻したら……きっと五人で噛みついて結局殺されてしまう……
まだその子はあまりの恐怖にその場所から動けない。それに声も出ないし、今にも泣き出しそうな顔をしている。
きっと、きっとこの子の仲間も吸血鬼達に襲われて、殺されてしまったんだわ……
この子まで殺すのは不憫すぎる……
そう思ったローラはその子が驚かないようにゆっくりとベッドから出ると、部屋の奥の化粧台のイスに腰掛けた。
そして男の子が怖がらないように声をかけてみた。
「……坊や。怖がらないでね。私は今、あなたの真向かいのイスに座っているの。真っ暗だけど……分かる?」
男の子はローラの声にかなり驚いて、ビク! と、飛び跳ねた。
しかしローラの声が女性だった事と、優しく問いかけている事に気がつくと、いくらか落ち着いてきた。
「あ……あ……ぼ、ぼくを食べるの?」
「あなたを食べやしないわ」
「お、お母さんやお父さんはもう死んじゃったの? 助かったの?」
「え……」
ローラはこの子供が親と引き裂かれた事に改めて気がついた。そしてその親はもう殺された事も分かっていた。
「……ごめんなさい……あなたのお父さん、お母さんの事は私にも分からないわ……」
すると両親と離れた不安からボロボロと涙をこぼし始めた。
「お父さん、お母さん~……」
ローラは見守る事しか出来なかった。
そしてひとしきり男の子が泣いて、泣き終わるのを待った。
それにはしばらくの時間が必要だった。
ローラは辛抱強く待ち、男は静かに泣いた。
泣いて泣いて泣ききって、男の子はヒックヒックとシャックリをし、それも止まると、少し落ち着きを取り戻したようだった。
そこでローラは声をかけた。
「……ねえ、ボクのお名前は? なんて言うの?」
「……ベルキ……」
「ベルキって言うのね? いいお名前ね」
「うん。お父ちゃんが付けてくれた。おばちゃんは?」
ローラはおばちゃんと呼ばれた事につい笑ってしまった。
確かにもう二十九歳、私もおばちゃんだ。
「ローラ。私はローラ。おばちゃんって呼ばないでね。ふふふ」
「ごめんなさい。ローラ」
二人は心なしか少しほっこりした気持ちになり、お互いの緊張が解けた。
その時、部屋のドアがガチャリと開いた。
ラドゥが帰ってきたのだ。
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