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わたしは、空っぽなの
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レヴィーンが背中を向けて座っていた。
そこは小さな滝のほとりで、煙るようなミストが辺りに漂っていた。レヴィーンは木綿の清潔なワンピースで、飾り気のない生地は、ミストに濡れて体にはりついていた。
レヴィーンが座っているのは水辺の丸い石の上で、爪先を打ち寄せる波紋が洗っていた。
背中を向けたまま、うなだれているので、樹は心配になって、レヴィーンの方へ歩こうとした。
――ダメよ、イツキ。こっちには来ないで。
レヴィーンは樹のことが嫌いになったのかと思って、とても悲しくなって、それをレヴィーンに言うと、レヴィーンは背中を向けたまま首を振った。
――そうじゃないの、イツキ。わたしは恥ずかしいだけ。イツキはきっとがっかりするわ。もしかしたら嫌いになるかも。
そんなわけないだろ。そんなことありえないよ。ぼくにちゃんと説明してごらん。なにか酷いことをされたの? それとも酷いことをしてしまったの?
しくしくと泣き出したレヴィーンは、消えてしまいたいというように自分の肩を抱いた。
我慢できなくなった樹は、レヴィーンを腕の中に入れようと、近づいて、震えている肩に触れた。
――見ないで、お願い。
と言ったレヴィーンの胸は、アリーたちの外骨格のように、骨が見えてがらんどうだった。心臓のあるべき場所には、古びた目覚まし時計があって、針が正確に時を刻んでいた。
――恥ずかしい……こんな女の子、イツキは嫌でしょ。
泣いているレヴィーンを、樹は抱き締めた。
どうして? と樹は聞いた。聞いてしまってから、樹は聞くべきではなかった、と思った。
――どうして? わからない。なにもかも無くなってしまったの、もう戻ってこないのよ。わたしは、空っぽなの。
飛び起きて、顔をのぞき込んでいるレヴィーンに、頭をぶつけるところだった。
「大丈夫? すごくうなされてたわ」
自分の体が、気持ち悪い汗で濡れていた。
樹は、Tシャツの下を探って、レヴィーンの膨らみを確認した。目で見て、手で触れた。よかった、レヴィーンはなにも無くしてない。心臓はちゃんとそこにあった。
悲しそうなレヴィーンを思い出して、樹はレヴィーンの身体を抱き締めた。レヴィーンがなにも無くしてしまわないように、樹は腕に力を込めた。
「や、やだなぁイツキ……ちょっと恥ずかしいよ」
レヴィーンは、照れて頭をかいていた。
「夢を見てたの? どんな夢?」
「ちょっと説明できない。かなりシュールだった」
レヴィーンは、樹に寄り添って、胸に顔を押し当てた。くすくすと笑っている。悪夢にうなされる樹を子供っぽいと思っているのだ。
「日本の夢? ねぇイツキ。日本の事を聞かせてよ。どんな子供だったの? どうして「パナケア」で働くようになったの?」
レヴィーンは何気なく聞いたけど、樹はその言葉に固まった。考えてみれば、樹は、レヴィーンに話すことができない秘密で一杯だった。話せば、レヴィーンの方こそ、樹を嫌いになると思った。
先ほどの悪夢が、樹を神経質にしていた。
「イツキ? 大丈夫?」
レヴィーンが樹の髪を撫でてくれた。その感触は、なんだか子供の頃を思い出させた。
「……平凡な、普通の子供だったんだ。学校の成績は良かったよ。死ぬほど退屈している以外は、ほんとに普通だった……」
フラッシュバックのように、映像の断片が蘇った、それは押し込めていた、思い出したくない記憶だ。
その青年のあごは、変な形に取れかかっていた。関節は完全に壊れていた。皮膚が裂けていて、白い歯が見えた。その青年の失敗ではなくて、その横にいた女性が銃の取り扱いを誤ったのだ。
その女性はショックを受けていて、尻餅をついてズボンが濡れていた。体の力が抜けてしまったのだ。パニックでなにかを叫んでいた。
確か、税務関係の捜査官なのだと自己紹介していた。可哀想に。ちょっとドジなだけで普通の女の子なのに、つまらないミスで人を殺してしまった。
青年は、どこか地方の警察に努める職員で、普段はデスクワークなので、この民間軍人訓練施設に参加したのは、上司の命令で嫌々だと言っていた。
教官は怒り狂っていて、救急車を呼ぶように指示しながら、腰につけたファーストエイドから、止血パッドを引っ張り出していた。
死んでゆく青年と目があった。
目は、助けてくれ、と訴えていたけれど、やがて瞳から光が消えた。
女性たちは、完全に死んでいた。地面は流れた血で濡れているのに、死体の方は乾いていて、黒ずんだ血液がこびりついていた。
服がはだけたり、下半身が露出していたりするのに、誰も衣服を直してやろうとはしなかった。物みたいに足首をつかんで地面をひきずっていた。
目隠しをされている女性が多くて、やっぱり、こんな乱暴をした男たちも、視線を合わせるのは恐かったんだな、と樹は思った。
そうしたら、目隠しがずれて、樹は死体と目を合わせてしまった。
瞳は焦点が合ってなくて、怒りも悲しみもなくて、ただ樹を見つめていた。
運ばれている先には、おんぼろのトラックがあって、男たちはゴミを投げ入れるみたいに、勢いをつけて、女性たちの死体を投げ込んでいた。
そこは小さな滝のほとりで、煙るようなミストが辺りに漂っていた。レヴィーンは木綿の清潔なワンピースで、飾り気のない生地は、ミストに濡れて体にはりついていた。
レヴィーンが座っているのは水辺の丸い石の上で、爪先を打ち寄せる波紋が洗っていた。
背中を向けたまま、うなだれているので、樹は心配になって、レヴィーンの方へ歩こうとした。
――ダメよ、イツキ。こっちには来ないで。
レヴィーンは樹のことが嫌いになったのかと思って、とても悲しくなって、それをレヴィーンに言うと、レヴィーンは背中を向けたまま首を振った。
――そうじゃないの、イツキ。わたしは恥ずかしいだけ。イツキはきっとがっかりするわ。もしかしたら嫌いになるかも。
そんなわけないだろ。そんなことありえないよ。ぼくにちゃんと説明してごらん。なにか酷いことをされたの? それとも酷いことをしてしまったの?
しくしくと泣き出したレヴィーンは、消えてしまいたいというように自分の肩を抱いた。
我慢できなくなった樹は、レヴィーンを腕の中に入れようと、近づいて、震えている肩に触れた。
――見ないで、お願い。
と言ったレヴィーンの胸は、アリーたちの外骨格のように、骨が見えてがらんどうだった。心臓のあるべき場所には、古びた目覚まし時計があって、針が正確に時を刻んでいた。
――恥ずかしい……こんな女の子、イツキは嫌でしょ。
泣いているレヴィーンを、樹は抱き締めた。
どうして? と樹は聞いた。聞いてしまってから、樹は聞くべきではなかった、と思った。
――どうして? わからない。なにもかも無くなってしまったの、もう戻ってこないのよ。わたしは、空っぽなの。
飛び起きて、顔をのぞき込んでいるレヴィーンに、頭をぶつけるところだった。
「大丈夫? すごくうなされてたわ」
自分の体が、気持ち悪い汗で濡れていた。
樹は、Tシャツの下を探って、レヴィーンの膨らみを確認した。目で見て、手で触れた。よかった、レヴィーンはなにも無くしてない。心臓はちゃんとそこにあった。
悲しそうなレヴィーンを思い出して、樹はレヴィーンの身体を抱き締めた。レヴィーンがなにも無くしてしまわないように、樹は腕に力を込めた。
「や、やだなぁイツキ……ちょっと恥ずかしいよ」
レヴィーンは、照れて頭をかいていた。
「夢を見てたの? どんな夢?」
「ちょっと説明できない。かなりシュールだった」
レヴィーンは、樹に寄り添って、胸に顔を押し当てた。くすくすと笑っている。悪夢にうなされる樹を子供っぽいと思っているのだ。
「日本の夢? ねぇイツキ。日本の事を聞かせてよ。どんな子供だったの? どうして「パナケア」で働くようになったの?」
レヴィーンは何気なく聞いたけど、樹はその言葉に固まった。考えてみれば、樹は、レヴィーンに話すことができない秘密で一杯だった。話せば、レヴィーンの方こそ、樹を嫌いになると思った。
先ほどの悪夢が、樹を神経質にしていた。
「イツキ? 大丈夫?」
レヴィーンが樹の髪を撫でてくれた。その感触は、なんだか子供の頃を思い出させた。
「……平凡な、普通の子供だったんだ。学校の成績は良かったよ。死ぬほど退屈している以外は、ほんとに普通だった……」
フラッシュバックのように、映像の断片が蘇った、それは押し込めていた、思い出したくない記憶だ。
その青年のあごは、変な形に取れかかっていた。関節は完全に壊れていた。皮膚が裂けていて、白い歯が見えた。その青年の失敗ではなくて、その横にいた女性が銃の取り扱いを誤ったのだ。
その女性はショックを受けていて、尻餅をついてズボンが濡れていた。体の力が抜けてしまったのだ。パニックでなにかを叫んでいた。
確か、税務関係の捜査官なのだと自己紹介していた。可哀想に。ちょっとドジなだけで普通の女の子なのに、つまらないミスで人を殺してしまった。
青年は、どこか地方の警察に努める職員で、普段はデスクワークなので、この民間軍人訓練施設に参加したのは、上司の命令で嫌々だと言っていた。
教官は怒り狂っていて、救急車を呼ぶように指示しながら、腰につけたファーストエイドから、止血パッドを引っ張り出していた。
死んでゆく青年と目があった。
目は、助けてくれ、と訴えていたけれど、やがて瞳から光が消えた。
女性たちは、完全に死んでいた。地面は流れた血で濡れているのに、死体の方は乾いていて、黒ずんだ血液がこびりついていた。
服がはだけたり、下半身が露出していたりするのに、誰も衣服を直してやろうとはしなかった。物みたいに足首をつかんで地面をひきずっていた。
目隠しをされている女性が多くて、やっぱり、こんな乱暴をした男たちも、視線を合わせるのは恐かったんだな、と樹は思った。
そうしたら、目隠しがずれて、樹は死体と目を合わせてしまった。
瞳は焦点が合ってなくて、怒りも悲しみもなくて、ただ樹を見つめていた。
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