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ピースキーパー
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イツキの顔は、死人みたいだった。
レヴィーンは、なにかとても酷いことをしてしまったような気がして、なんとか元気を出してもらう方法はないか、と考えた。
でも、こんな状態じゃ……してあげられる事がないわ。
そう思うと、レヴィーンは、なんだかとても悲しくなった。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに……わたしも舞い上がってしまいたいんだけど……なんか、もう、だめみたい」
「……ほとんどの場合は死んでしまうけど、回復例がひとつもないわけじゃない。可能性はあるんだ。一緒に戻って、治療を受けよう」
イツキは、必死だった。でも、研修を受けたので、回復した患者が、どういう状態だったのかは、ちゃんと知っている。
「そして、奇跡的に回復して、障害が残って、わたしは一生、イツキのお荷物になるの? だめよ、そんなの……せっかく来てくれたんだから、もっとマシな話をして……ねぇ、イツキ。アリーに日本の雑誌を見せてもらったの。雑誌には綺麗な服や、おいしそうな食べ物が一杯。きっと、イツキが生まれた日本って、とっても素敵な……まるで、天国みたいな場所なんでしょうね」
レヴィーンを落ち着かせようとして、イツキはぎこちない笑顔を作っていた。でも不器用なので、それは、ぜんぜん成功していなかった。
「天国じゃないよ、レヴィーン。誰も飢えないから楽園っていうわけじゃない。でも、まあ、食べ物はおいしいかな」
イツキが笑ってくれたので、レヴィーンは少しだけ、華やいだ気分になった。初めての夜みたいに優しくして欲しいと思ったけれど、手を触れることが出来ないので、それは無理な相談だ。そのかわりにレヴィーンは、楽しくなるような話をした。
「イツキと一緒に日本に行ってみたかった。一緒にお風呂に入ったり、お菓子を食べたり、映画をみたり、いろんな事をするのよ。素敵だと思わない? わたしイツキの為にいっぱいお洒落をするわ――来ないでイツキ! だめよっ近寄らないでっ!」
銃を向けていても、ちっとも怯まずに歩いてきて、イツキはレヴィーンを腕の中に入れた。
レヴィーンは、銃をベッドに落としてしまった。
なにもかも、どうでもよくなってしまいそうだったけれど、レヴィーンはなんとか踏みとどまった。
「だめよイツキ……もし、あなたまで感染したら、わたし、きっと生まれてこない方が良かったって思っちゃう。それは嫌なの。わたしは運がないけど、この世に生まれてきて、短い間だけど、イツキに、優しくしてあげることが出来たの。そんな風に……思わせてくれないかな」
「ぼくは、いい人なんかじゃない。ぼくは、きみが思っているような人間じゃない」
イツキの声は、なにかが軋んでいるようだった。
「……イツキ?」
「ぼくの仕事は、製薬会社の研究員なんかじゃない。速成教育で最低限の知識は身に付けたけれど、ぼくは研究員じゃなくて、『オリゾン』の破壊工作員だ」
レヴィーンに縋るようにして、イツキは腕に力をこめた。
「ぼくの仕事は、『オリゾン』の利潤追求に有利な状況を作ることだ。レアメタル採掘の為にテロリストを支援したり、不正を隠ぺいする為に、スキャンダルで証人を貶めたりするのが、仕事なんだ――」
意外だとは思わなかった。イツキが、なにか秘密を抱えているのは、わかっていた。
初めて、イツキの本当を聞くことが出来た。ちょっとだけ、タイミングが遅すぎたけれど。
「今回のぼくの任務は、『ハタイ脳炎』の感染を拡大し、トルコ政府とUNから新薬の開発資金を引き出すことだ。善人なんかじゃないんだ」
イツキは震えていた。レヴィーンにも気持ちがわかった。本当の自分をさらけ出すのは、ものすごく、勇気がいることなのだ。
「ぼくのコードネームは『ピースキーパー』だ。笑うだろ? 金儲け以外にはなにも関心がない多国籍企業に雇われて、利潤追求のために『疫病』をばらまく、『平和の守り手』だ」
レヴィーンは震えるイツキを、少し落ち着くまで、ずうっと抱きしめていた。
以前より、ずっと、いつかの夜よりも、もっと、イツキを愛おしいと感じていた。
「でも、あなたはそうしなかった。やっぱり、あなたは優しい人だよ、イツキ」
最後に力を込めて、レヴィーンはイツキの体から離れた。外が騒がしかった。
「みんなが、パニックになる前に行って、イツキ。そして、わたしのことを忘れないで」
「だめだ、レヴィーン……」
レヴィーンは、銃をベッドから取りあげて、自分の頭に押し付けた。
「それとも、最後まで見たい? わたしは見て欲しくない。イツキの思い出の中では、可愛いままでいたいもの。もし、イツキが可愛いと思ってくれるのなら、だけど」
レヴィーンは、とびきりの笑顔を作った。イツキにさよならをする時間だった。
レヴィーンは、なにかとても酷いことをしてしまったような気がして、なんとか元気を出してもらう方法はないか、と考えた。
でも、こんな状態じゃ……してあげられる事がないわ。
そう思うと、レヴィーンは、なんだかとても悲しくなった。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに……わたしも舞い上がってしまいたいんだけど……なんか、もう、だめみたい」
「……ほとんどの場合は死んでしまうけど、回復例がひとつもないわけじゃない。可能性はあるんだ。一緒に戻って、治療を受けよう」
イツキは、必死だった。でも、研修を受けたので、回復した患者が、どういう状態だったのかは、ちゃんと知っている。
「そして、奇跡的に回復して、障害が残って、わたしは一生、イツキのお荷物になるの? だめよ、そんなの……せっかく来てくれたんだから、もっとマシな話をして……ねぇ、イツキ。アリーに日本の雑誌を見せてもらったの。雑誌には綺麗な服や、おいしそうな食べ物が一杯。きっと、イツキが生まれた日本って、とっても素敵な……まるで、天国みたいな場所なんでしょうね」
レヴィーンを落ち着かせようとして、イツキはぎこちない笑顔を作っていた。でも不器用なので、それは、ぜんぜん成功していなかった。
「天国じゃないよ、レヴィーン。誰も飢えないから楽園っていうわけじゃない。でも、まあ、食べ物はおいしいかな」
イツキが笑ってくれたので、レヴィーンは少しだけ、華やいだ気分になった。初めての夜みたいに優しくして欲しいと思ったけれど、手を触れることが出来ないので、それは無理な相談だ。そのかわりにレヴィーンは、楽しくなるような話をした。
「イツキと一緒に日本に行ってみたかった。一緒にお風呂に入ったり、お菓子を食べたり、映画をみたり、いろんな事をするのよ。素敵だと思わない? わたしイツキの為にいっぱいお洒落をするわ――来ないでイツキ! だめよっ近寄らないでっ!」
銃を向けていても、ちっとも怯まずに歩いてきて、イツキはレヴィーンを腕の中に入れた。
レヴィーンは、銃をベッドに落としてしまった。
なにもかも、どうでもよくなってしまいそうだったけれど、レヴィーンはなんとか踏みとどまった。
「だめよイツキ……もし、あなたまで感染したら、わたし、きっと生まれてこない方が良かったって思っちゃう。それは嫌なの。わたしは運がないけど、この世に生まれてきて、短い間だけど、イツキに、優しくしてあげることが出来たの。そんな風に……思わせてくれないかな」
「ぼくは、いい人なんかじゃない。ぼくは、きみが思っているような人間じゃない」
イツキの声は、なにかが軋んでいるようだった。
「……イツキ?」
「ぼくの仕事は、製薬会社の研究員なんかじゃない。速成教育で最低限の知識は身に付けたけれど、ぼくは研究員じゃなくて、『オリゾン』の破壊工作員だ」
レヴィーンに縋るようにして、イツキは腕に力をこめた。
「ぼくの仕事は、『オリゾン』の利潤追求に有利な状況を作ることだ。レアメタル採掘の為にテロリストを支援したり、不正を隠ぺいする為に、スキャンダルで証人を貶めたりするのが、仕事なんだ――」
意外だとは思わなかった。イツキが、なにか秘密を抱えているのは、わかっていた。
初めて、イツキの本当を聞くことが出来た。ちょっとだけ、タイミングが遅すぎたけれど。
「今回のぼくの任務は、『ハタイ脳炎』の感染を拡大し、トルコ政府とUNから新薬の開発資金を引き出すことだ。善人なんかじゃないんだ」
イツキは震えていた。レヴィーンにも気持ちがわかった。本当の自分をさらけ出すのは、ものすごく、勇気がいることなのだ。
「ぼくのコードネームは『ピースキーパー』だ。笑うだろ? 金儲け以外にはなにも関心がない多国籍企業に雇われて、利潤追求のために『疫病』をばらまく、『平和の守り手』だ」
レヴィーンは震えるイツキを、少し落ち着くまで、ずうっと抱きしめていた。
以前より、ずっと、いつかの夜よりも、もっと、イツキを愛おしいと感じていた。
「でも、あなたはそうしなかった。やっぱり、あなたは優しい人だよ、イツキ」
最後に力を込めて、レヴィーンはイツキの体から離れた。外が騒がしかった。
「みんなが、パニックになる前に行って、イツキ。そして、わたしのことを忘れないで」
「だめだ、レヴィーン……」
レヴィーンは、銃をベッドから取りあげて、自分の頭に押し付けた。
「それとも、最後まで見たい? わたしは見て欲しくない。イツキの思い出の中では、可愛いままでいたいもの。もし、イツキが可愛いと思ってくれるのなら、だけど」
レヴィーンは、とびきりの笑顔を作った。イツキにさよならをする時間だった。
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