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美桜への電話

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 母の耳打ちで始まった心の動揺は簡単には落ち着いてはくれなかった。卓也は当たり障りのない返事をするのがやっとの状態がずっと続くこととなってしまった。
 会場に来るまでは失礼覚悟の質問をすることまで考えて来ていたのに、全く無意味な意気込みだったようだ。そんな質問を口にするきっかけなど作れないまま時間だけがどんどん過ぎていく感じだった。
 そして両家の話が一段落すると、お見合いはそこでお開きということになってしまった。
 卓也は自分の不甲斐なさを情けなく思っていた。会場に着くまでは見合いをどうするかみたいなことを迷っていたくらいだったなのに、いざ相手の母娘を前にしたら言いたいことを言い出すこともできないようなヘタレ男になってしまっていたからだった。全く馬鹿馬鹿しい話だった。
 「断られるかもしれないね」
 ラウンジを出てお相手の母娘を見送ると、卓也は母にそう言った。思う通りにできず本当に自信がなかったからだった。
 「あら、どうして」
 「どうでも良いことしか話せなかったじゃないか」
 「何を言ってるの。お見合いなんてそんなものよ。お互いの顔合わせが目的なんだから」
 「言いたいことも言えない頼りない男と思われたと思うよ」
 卓也は美桜を見て顔を火照らせてしまったことを思い出しながらそう言った。
 自分が美桜さんなら絶対にこんな男と交際したいとは言わないだろうなと思っていた。
 見合い相手の美桜さんはとても落ち着いた感じの良いお嬢さんだったからだった。
 卓也はだんだん足が重くなっていくみたいだった。帰ったら父に見合い失敗の言い訳をしなくてはいけなくなりそうだったからだった。
 でも、そうはならなかった。
 見合い相手から伝えられてきた返事は卓也の予想していたものとは違う返事だった。
 卓也と美桜の交際を望む返事だった。
 卓也自身は交際を断られるものと思ってはいたが、見合い相手の美桜には好意を感じていた。
 母は当然交際するものと思っていた。
 父も交際を拒むつもりはないようだった。
 すると、母は卓也と父の歯切れの悪い返事にちょっと不満そうだったが、二人が交際に反対ではないのを確認すると、春山家に正式に交際を望む返事をしたいと言い出した。
 まだ婚約というわけではないから心配し過ぎる必要はないという理屈からだった。
 父もその考えに意義はないようだった。
 そこまで言われてしまったら卓也にはもう選択肢は一つしかなかった。卓也は父母に交際をしたいと伝えた。
 でも、それは卓也にとっては新たな課題の始まることを意味していたようだった。
 母が春山家に正式な交際願いを伝えると、卓也には一つの課題が与えられたからだった。
 近日中に美桜をデートに誘うことだった。
 卓也にとっては大変な課題だった。
 中高と男子校で学び、男子学生が約九割の工業大学を卒業したばかりの卓也は女の子と二人きりでデートした経験など全くなかったからだった。
 しかも見合いの席で顔を火照らせる失態を見せてしまったばかりだった。これ以上失敗を繰り返すことは許されることではなかった。
 卓也は部屋のソファーに座ったままポケットからスマホを取り出した。
 美桜にデートの申込みをするためだった。
 テーブルの上には母から渡された美桜のの家の電話番号が置かれていた。
 卓也は電話番号を押し電話を掛け始めた。
 デートは先延ばしすればするほどハードルが高くなっていく気がしたからだった。
 プルルルルル プルルルルル
 呼び出し音が流れてきた。
 「はい、春山でございます」
 するとスピーカーから見合いの時に聞いた美桜のお母さんの声が聞こえてきた。
 「こんにちわ、筒井卓也です」
 「あら、卓也さん、美桜の母です。この度は良いお返事をいただきましてありがとうございました」
 「こちらこそ良いお返事をありがとうございました。どうぞよろしくお願い致します」
 「こちらこそ美桜のこと、よろしくお願いします」
 「あっ、はい、頑張ります」
 「まあ、うれしいご返事、嬉しいわ。それで、今日はどのようなご用事でお電話いただいたのかしら」
 「美桜さんとお話がしたくてお電話いたしました」
 「あら、それじゃ今代わりますわ、少々お待ちくださいね」
 「はい、お願い致します」
 「はい、では」
 ピンポンポロロン
 スピーカーから保留メロディーが鳴り始めた。美桜を呼び出してくれているようだった。
 卓也はスマホを耳から離し大きく深呼吸を始めた。少しでも気持ちを落ち着かせておきたかったからだった。
 「もしもし、美桜です」
 すると保留メロディーの音が止まり、お見合いの時に聞いた美桜の声が聞こえてきた。
 「あっ、あの、筒井卓也です。突然お電話をしてしまいましたが、お電話よろしかったですか」
 卓也はゴクリと喉を鳴らし返事をした。
 「は、はい、大丈夫です」
 「良かった、」
 「あっ、あの、先日は、お世話になりました」
 「いえ、こちらこそお世話になりました」
 「あの、よろしくお願いします」
 「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
 「それで、今日は、何か、お話があると伺ったんですけど」
 「えっ、ええ、まあ」
 「どんな話ですか」
 「近いうちに、二人でお会いできないかと思ったんです」
 「二人で、ですか」
 「少しお話ができたらと思ったんです」
 「そう言うことですか、確かにそうですね」
 「よろしい、ですか」
 「はい、よろしくお願いします」
 「ご都合の良い日とかはありますか」
 「私は、いつでも、ただ、来月からだとお勤めが始まりますので、週末くらいしかお会いできなくなるかもしれません」
 「そうですか、それじゃ、明日とかはどうですか」
 「えっ、明日、ですか」
 「あっ、都合が悪ければ、別の日で構いませんけど」
 「いえ、その、大丈夫です」
 「そうですか、じゃあ、明日の朝、迎えに行きます。午前十時ではいかがですか」
 「はい、承知しました」
 「では、よろしくお願いします」
 「あっ、あの、服はラフな感じのもので構いませんか」
 「その方が、僕は助かります」
 「有難うございます。では、そのようにさせていただきます」
 「では、また明日」
 「はい、また明日」
 「あっ、あっ、そうだ、お母さんによろしくお伝えいただけますか」
 「はい、伝えておきます」
 「そ、それじゃ、」
 「はい、また明日」
 卓也は電話を切った。何とか美桜をデートに誘うことに成功したようだった。
 「グッジョブ」
 卓也は自分を褒めるようにそうつぶやいた。
 美桜の顔を見ていなかったからかもしれないが顔が火照ってたりしていないようだった。それに話したいことは何とか話し切る事ができたような気がしていた。
 卓也はスマホをメール画面に変え母にデートの約束をした報告メッセージを書き込み始めた。黙って明日デートに出かけたりしたら後から何を言われるか分かったものではないからだった。
 でも、これからは全て自分一人の力でやっていかなくてはいけなくなるかもしれなかった。母への報告はこれが最後になるかもしれないのかもしれなかった。
 卓也はメッセージを送信すると、スマホて流行りのデートスポットを検索し始めた。
 デートの約束はしたが、どうすれば喜んでもらえるか全く検討もつかないままだったからだった。
 今のところ決まっているのは午前十時に美桜を迎えに行くということだけだった。
 スマホにはすぐにたくさんのお勧めのデートスポットが標示されてきた。卓也は一つ一つ見ていくことにした。
 トントントン
 「入るわよ」
 するとドアをノックして母が部屋に入ってきた。
 「ちょっと良いかしら」
 「良いけど、何、」
 「Kaguya予約しておいたわよ」
 「えっ、お母さんが」
 「どうせディナーの予約まだ取ってないんでしょ」
 「まあね」
 「そんなんで大丈夫なの、」
 「なんとかなると思ったんだけど」
 「四時よ、料理も頼んでおいたわ」
 「ありがとう、探す手間がはぶけたよ」
 「もう、心配だわ」
 「何とかなるよ」
 「もう少し先でも良かったんじゃないの」
 「先送りしてもハードルが高くなるだけだからね」
 「まあ、それはそうだけど」
 「まだ一日有るから大丈夫だよ」
 「頑張るのよ」
 「分かってるよ」
 「自信を持って、ちゃんとリードしてあげてよ」
 「分かってる」
 卓也は面倒くさそうにそう言うと母から顔を逸らした。
 「まあ、何か困ったことがあったら、私に連絡してくれば良いからね」
 「大丈夫だったら」
 「はいはい分かりました。じゃあ頑張りなさいよ」
 母はそう言うと笑顔を浮かべ部屋を出て行ってしまった。
 「面倒くさ、」
 卓也はスマホをテーブルに置きソファーにもたれかかった。
 母と話をしたら、デートプランを考えるのが面倒になってしまったからだった。
 それに、ディナーの予約が取れたのなら、あとは四五時間だけ時間を潰す計画を立てれば何とかなりそうだからだった。
 卓也は目を閉じ卒業式の日の夕食の時のことを思い出してみた。
 父以外は母も弟妹も見合いのことを軽い口調で話していたのを思い出したからだった。
 残念ながら自分自身も軽く考えていたかもしれなかった。少なくともこんなに面倒くさい事になると思ってもいなかった。あの時お見合いを進めても良いと思ったのは、時間が経てばいつの間にか結婚して一緒に見合い相手と暮らしているだろうみたいなイメージを持っていたのかもしれなかった。浅はかだったかもしれなかった。
 でも悪いことばかりではない気もし始めているみたいだった。
 卓也は美桜との電話での会話を思い出してみることにした。美桜との電話が思っていたより悪いものではなかった気がしていたからだった。
 スマホのスピーカーから聞こえてきた美桜の声はとても好感が持てるものだった。
 お見合いの時には気がつかなかったが、何と言うか透明感があって心地良い響きのある声をしているようだった。
 それに、お見合いの時は着飾って来ていたので育ちの良いお嬢さんというイメージだったが、明日のデートはラフな格好で来たいと言ってくれていた。もしかしたら自分に気を使ってくれてそう言ってくれたのかもしれないが、明日のデートを考えるのが少し楽になったのは間違いなかった。もしかしたらよく気がつく女性なのかもしれなかった。
 卓也はソファーに横になったままテーブルのスマホに手を伸ばした。またデートスポットを調べて見たくなってきたからだった。美桜を楽しませてあげたくなってきたみたいだった。
 
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