追放された俺は逆行転生した〜TS吸血姫は文化を牛耳る〜

石化

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第1章至る平安

古事記

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奈良の都の朱雀大路で、一人の女が倒れていた。
とある化け物が暴れた夜から100年余り。道ゆく人々には彼女の顔に見覚えなどなかった。非常に美しい女だと考えた程度である。

声をかけるのにも気が引けて、皆、見なかったことにして去っていく。

彼女が倒れたのは、ひとえにこの夏の猛暑を侮っていたからだ。
この年は記録的な猛暑で、田畑さえ干上る寸前だった。
武蔵国からここまでの旅路で水が手に入ったことはほとんどなく、都にも水を商っている商人はいなかった。血でも飲めれば話は別だったのだろうが、あの事件以来、彼女は吸血に甚大な拒否反応を示していた。

「水を、ください⋯⋯。」

そう言ったとしても、余裕がないのは誰も同じ。彼女を助けるものは現れなかった。

そこに馬に乗った貴族が通りかかった。

彼の名は太安万侶。正五位上の身分を有する貴族であった。

彼は、女が道に倒れているのを見て、馬を降りると助け起こした。

「おい、大丈夫か? 名前は?」

「冷えた、あれ⋯⋯。」

吸血姫たる彼女は、朦朧として今一番欲しいものを言った。
当然、彼は誤解した。

「稗田阿礼か。とりあえず、俺の屋敷まで連れて行く。しっかりしろ。」

太安万侶に下心があったかどうかは問題ではない。
ともかく、これで彼女は救われる。

水を飲ませてもらい人心地のついた彼女は、彼の屋敷に居候することとなった。

オモイカネに叩き込まれた歴史の知識を無意識に話していたところ、語り部としての地位を確立したのだ。
彼女の語る神々の時代から、天皇の祖先の時代までの歴史は生き生きとしていて、まるでそこで見てきたかのような臨場感があった。

屋敷の人々から評判になり、わざわざ彼女の話を聞きに太安万侶の屋敷を尋ねる貴族もいるほどになった。

夜に言い寄ってきた男も多かったが、太安万侶が全て撃退した。一旦助けた相手は彼の名に懸けて守る。それが彼の矜持だった。

太安万侶は見ず知らずの女を簡単に助けたことからわかるように、お人好しな人物だった。そのため、上から無理難題を押し付けられることになるのである。

壬申の乱に勝利した天武天皇は、神の時代から改めて歴史を編纂しようとした。
そこで白羽の矢が立ったのが太安万侶だった。度重なる戦争で、文官の層が薄くなり、半分武官のような彼にお鉢が回ってきたのだ。もちろん、彼の屋敷にいるという評判の神代の誦習者のことをあてにしたのものでもあった。

こうして現存する日本最古の歴史書『古事記』の編纂が始まった。

夜は、自分の頭の中にある余計な知識を語らずには居られなかった。
それを太安万侶は筆記する。

天地開闢の様子。伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の国生み神話に黄泉比良坂(よもつひらさか)の繰り言。
天照大神と須佐之男命(すさのおのみこと)の確執に天岩戸の物語。さらに八岐大蛇の伝説。大国主神の武勇伝の数々。葦原中国の平定。大国主の国譲り。天孫降臨。海幸彦と山幸彦の物語。

生き生きとした神々の姿が、夜の口から活写されていった。特に高天原の描写は真に迫るものだった。

古事記がどんどん出来上がる。ただ、彼女には自分が本を書いているという実感はなかった。話をしているだけだからだろう。

彼女自身の手で書いていないと、自分の小説と認めないらしい。
口述筆記だって一応執筆の一形態なのだが。

古事記の上巻が出来上がった。

神の名前の羅列と、歌と、物語。
話し言葉を漢文に起こすという困難があるとはいえ、太安万侶も懸命に頑張った。

次は、中巻の執筆に移ることになった。
中巻は神武天皇から、応神天皇までである。神武天皇の東征にヤマトタケルの冒険など。この辺りの歴史書は、蘇我入鹿暗殺事件の影響で燃えてしまった。だが、基本的にこの出来事もまた、そのほとんどは夜がその目で見てきた出来事である。話せないはずがなかった。もちろん、自分のことについては伏せてある。
ついでに何故か全てを語り終えるまで口の自由が効かなくるという呪いもかかっていたらしいが、オモイカネの仕業で間違いない。
まあ細かいことはともかく、物理的な問題としては、太安万侶の筆の早さにかかっていた。口述の速度に筆記は敵いようがないのだ。
夜もいい加減焦れてきていたが、こればっかりはどうしようも無い。
太安万侶は、干からびる寸前だった彼女に水を与えてくれた一種の恩人である。
オモイカネの呪いが発動したことを除けば、今の境遇は彼女にとっても悪くないものであった。仕方がないので、彼女は歴史をひたすら口述する作業を続けた。ここで逃げたりしたら、呪いが本格的に発動してひどいことになりそうだという予感があった。

 ようやく中巻も完成した。
最後は下巻である。
本格的に夜が京の都から消えていた時代だ。仁徳天皇から、推古天皇の10代にわたる歴史である。彼女がオモイカネに歴史知識を詰め込まれている間の出来事だったので、オモイカネの方も認識が甘く、どうしても上巻と中巻の内容と比べると見劣りがしてしまう。

それでも、彼女の口は止まることを知らずに、知りうる限りの歴史を活写していった。
一応年代的にも近い時代だったので、今回の編纂に頼らなくても歴史書は存在している。それをいいことに、太安万侶もこれでいいかと考え始めた。手抜きである。最初の仁徳天皇あたりは真面目に書いていたのだが、それ以降はもう疲れが溜まっていて軽く流すことにした。すでに半年以上この作業をしているのだ。半分武人である太安万侶としてはもういっぱいいっぱいだった。
口述者と筆記者の間に無言の合意が交わされる。

手抜きの下巻は超スピードで完成した。

和銅5年。太安万侶が元明天皇に『古事記』を献上した。
上巻と中巻の見事な出来に、天皇は非常に喜んだという。
下巻は、まあまあだった。当然ながら手抜きを見抜かれている。

そんなこと言ったってしょうがないじゃないかと太安万侶は思った。
上巻と中巻を頑張っただけでも褒めて欲しい。

屋敷に帰った太安万侶は、お礼をしようと夜の姿を探す。

だが、すでに呪いから解き放たれた夜の姿はすでに屋敷から消えていた。

彼女の部屋に文が一つだけ、置かれていた。

「楽しかったです。どうかお達者で。」

文を見ながら、太安万侶はわなわなと震える。

「こちらの、台詞だ。」

怒りではなく涙で濡れた言葉だった。夜の語る歴史を毎晩聞いて、それを文字に起こす二人きりの作業は、何故だかどうしようもなく楽しかったのだ。

「せっかく宴の用意をしていたのに。台無しだ。」

悔し紛れの捨て台詞だった。

だが、それを聞き逃さないのが、夜クオリティである。

恐ろしいほどの地獄耳でその言葉を拾った彼女は、ちゃっかり宴に顔を出してこっそり飲み食いしていたのである。いなくなったことを知っていたのは太安万侶だけなので、普通の屋敷の使用人達は普通にいるなあとしか思わなかった。

夜の方も、太安万侶に顔をあわせるのは気まずいので、こそこそと隠れながら飲み食いした。

宴の翌朝、使用人に昨日の夜さまはとても楽しそうでしたねと言われて初めて、太安万侶はそれに気づいた。

「あいつを見かけたら言っておけ。いつでもうちによってくれていいからな、と。」

嬉しいのか寂しいのかわからなかったが、とりあえずそれだけは使用人達に噛んで含めた太安万侶だった。

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