幸か不幸か

糸坂 有

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「ああ、同じ犯罪で言うと、最近の事件で印象的だったのはあれだね。中学生少女殺人事件。こことも遠くないでしょ? 同じ市内で起こった事件だ」
 男は良い話題を見つけたといった顔色であった。その時、僕はその事件にかなり関心を抱いていたと言っていい。その理由は、事件が起こった場所がほど近かったから、だけではない。世間での事件の記憶もまだまだ鮮明で、毎日のようにテレビでも取り上げられていた。まさにその日の朝も、僕はその事件について、自宅で流れてくるテレビで見ていたのである。男は顔に奇妙な笑顔を浮かべていた。
「あれの犯人、僕なんだ」
 通行人が、ちら、と不審そうな目を僕たちに向けて歩いて行くが、男はそのままにやにやと笑うばかりであった。
「またまた、そんなこと言ったって信じませんよ」
「だよねえ」
「てんどんってやつですか」
「ともあれ、起こって一週間も経たないからねえ。確か、市内の私立中学に通う少女が自宅玄関前で絞殺されていたって事件。なかなか興味深い事件だよ。こういうの、好きって言うと語弊があるんだけど、ついついニュースでやってると見ちゃうんだ。犯人はまだ捕まっていないけど、興味深い点がいくつかあった。せっかくだから、この話をして時間を潰そうか? 晴れるまで、とは言わなくても、雨が止むまで、ね」
 雨はまだ止む気配はなかった。提案をしてくる男に対して、僕は吸い寄せられるように肯定をしたのである。
男はこほんと咳を一つ落としてから、話し始めた。
「君も知ってる部分はあるだろうけど、概要を説明するね。殺害されたのは、村崎奈々さん、私立中学に通う二年生。真面目で勉強の出来る、大人しい子だったらしい。その素行も申し分なく、先生からの評判は高く、クラスメイト達との関係も特に問題はなし、ある子たちからは影の薄い子なんて呼ばれてたみたいだけど、まあそこは良いだろう。事件が起こったのは、火曜日の、すでに辺りの暗い午後五時前頃。奈々さんは、月水金は文芸部の活動があったものの、他の曜日は学校が終わると寄り道もせず帰ることがほとんどで、四時四十五分頃から五時頃までに帰宅するのがいつものことだったらしい。その点で言えば、奈々さんの行動はルーチン化していた。あまりこれは良くない事だと思うね。君も、一定の行動パターンを作ってしまうのは止めておいた方が良いと思うよ、念のため。
 事件当日、奈々さんはいつも通り歩いて家路を辿った。奈々さんの自宅は、大通りからコの字型の道に入った一番奥側にあり、抜け道はなく、一度その道に入れば、ぐるっと回ってもう一方の道から同じ大通りに出るか、あるいは元来た道を戻ることでしか出られない。ちなみにこの道は、ぐるっと回っても五分くらいの距離らしいよ。その時、大通りに面した公園には地元中学生たちがたむろっていて、奈々さんが四時五十分過ぎにそのコの字の道へ入って行くのを目撃している。中学生たちが奈々さんを目撃して二、三十分後、奈々さんの姉が帰宅するのをこれも中学生が目撃している。全く、寒いのに何をやっているんだろうと思ったけど、それが事件の重要な証拠になるんだからねえ。中学生がそこにいたのは、五時前から五時半前まで。もともと人の通りは多くないため、その間その道を通ったのは奈々さんたち姉妹だけだと証言している。
 第一発見者は姉だった。道に入って行ったはずの高校生の姉が血相を変えてすぐに同じ道を引き返してきて、「助けて妹が」と叫んだそうだ。中学生たちや通行人たちは姉と一緒に自宅前へ行き、そこですでにこと切れた奈々さんを発見、警察へ連絡という流れだね。ちなみに奈々さんの家は共働きで、両親はまだ帰って来ていなかった。これが大体の事件の流れかな。
 犯人は、奈々さんを待ち伏せ、理由は何であれ絞殺した。奈々さんの家の鍵は鞄の中の指定位置に入ったまま、家に入られた形跡はなく、洋服も綺麗なまま、ただ首だけ縄のようなもので絞められていた。そこには明確な殺意のみが見えるけれど、ここでどうしようもない疑問が一つ」
 男はやっと口を閉じると、僕を見て微笑み息を吸った。
「犯人はどこへ消えたんだろう?」
 これが、世間がこの中学生殺害事件に大きく関心を集める理由であった。それだけを取り上げてしまえば、まるでミステリーのように聞こえてしまう。男はなぜか得意気で、僕に挑むような目つきでいた。
 しかし僕には疑問が残る。
「地元中学生がずっとその道を見ていたとは思えません。絶対に、姉妹以外に人は通らなかったんですか?」
「彼らは、辺りは暗かったが人が通れば分かる距離にいたと話しているし、確かに公園との距離を鑑みれば、そう言うのも分かる。彼らが通る人を見逃したとは思えない」
「コの字型の道なんですよね。奈々さん発見後、騒ぎに乗じて逆の方の道から悠々と出たのではないか、とテレビで言っている人がいました。姉と一緒にみんなで駆け付けた後、その道を通る人がいないか見ていた人はいないらしいじゃないですか」
「確かにそうだ。だけどよく考えてみよう。姉が帰って来る時間はまちまちだったそうだし、あんな道、誰がどのタイミングで通るかは分からないよ。あそこに家が一軒しかなかったわけじゃないんだ。人通りは少ないけれど、ないわけじゃなかった。姉が帰って来たのは、奈々さんが帰宅した二、三十分後のことだ。犯人は、偶然誰にも見つからなかったんだろうか? こんなのリスクが高すぎるよ。それとも、捕まっても良いと思っていたんだろうか?」
「……じゃあ、姉がやったとか?」
「姉が殺したのなら、それはそれで説明は付くかもしれないけど、首を絞めた縄のようなものは未だ見つからないし、一分、あるいは数秒で妹の首を絞めて殺せるとは思えない。姉はすぐに引き返してきたそうだから、有り得ないだろうねえ。犯人は、中学生たちが公園に来る前から玄関で奈々さんを待ち伏せし、絞殺後に何らかの方法で消えた、と考える方がよほど良いと思う」
「なら、道を出る必要がなかった人、というのが現実的でしょうか。その道中に家がある人。だったら、説明は簡単です。誰にも見られることもなかったと思います。首を絞めた縄が見つからないっていうのは、上手い具合に家の中で処理した、例えばトイレに流すとか、なのかもしれませんし。まだ見つかってないだけかもしれません」
「ああ、ご近所さんってことだねえ。確かに、それが一番考えやすい方法だ」
「公園から地元の中学生たちがその道を通る人を見ていたなんて、犯人は考えなかったはずですよ。それで自分の首を絞めることになったのなら、とんだ間抜けですよね」
「面白いことを言うね、いいよ、だんだん気分も上がって来た」
 男は言葉通り、興奮したように頬を上気させていた。両手を擦り合わせて、ぎらぎら光る瞳でにっこりと微笑む。僕はそんな男の様子に、どうしたって言い知れぬ怪しさを感じずにはいられなかったのである。
「面白くなってきたところで、じゃあ君にちょっとした情報を提供しよう」
 男はそして意気揚々と話し始めた。
「容疑者その一。被害者宅の二軒隣に住む大学生の男。四人家族らしいけど、彼は当時一人で家にいてアリバイがない。奈々さんとの接点はほとんどなし。本人曰く、ずっと一人でゲームをしていたそうだ。
容疑者その二。向かいに住む、三匹の犬を飼う六十代の夫婦。当時、二人とも家にいたと証言し合っているけど、二人で示し合わせている可能性はあるね。子はなく、周りから見ると奈々さんのことは可愛がっていた印象だったらしい。小さい頃から自分の子供のように見守っていた、だとか。
 容疑者その三。斜め向かいに住む四十代の女性。母親と二人暮らし、昔は引きこもりだったらしく、最近はずっと仕事を始めては辞めることを繰り返している。今は仕事をしていなくて、まだ母親が娘を養っているといった様子だね。その時母親は仕事に出ていたようだよ。奈々さんとの接点はなし、近所付き合いもなし。
 容疑者その四。四軒隣の九十代の男性。八十代の彼の妻は、毎月決まって第二と第四火曜日、三時頃から五時過ぎまで、近所に住む友人たちとお茶会を開いているそうで、家を留守にしていた。事件が起こったのは火曜日だからね。その間、九十代の夫は一人で家にいてアリバイはなし。ただ正直、ボケているというのか、忘れっぽいというのか、九十過ぎているからねえ、やっぱりちょっとはっきりとはしていないんだよ。一人で家に居させておくのはそろそろ危ないんじゃないかと、妻は危惧していたそうだよ。だけどそうすると、楽しみにしている友人たちとのお喋りの時間がなくなってしまうからねえ。その日、妻はちょうど騒ぎが起きていた五時半前に帰宅し、事件を知ったそうだ」
「容疑者その四を、容疑者と言うのはちょっと無理があるんじゃないですか? 九十歳が人を殺せるとは思えません」
「だけど、かなり忘れっぽいだけで普通に歩くし、食べるし、元気に話も出来るんだよ。そういう人の方が、案外力が強かったりもする」
「詳しいですね。そんなこと、ニュースで見てたんじゃ分からないと思いますけど」
「独自の調査の結果さ。さて、君はどう推理する?」
 怪しげな男の問いかけに、僕は素直に考察することにした。しかし、さっぱりなのである。シャーロック・ホームズでもなし、話だけ聞いて推理するなんてことが出来るわけもなかったのだ。
「お手上げなんて、つまらないことは言わないんだろう?」
 男は挑発するような声色である。僕は小さく息を吐いた。
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