紀ノ川さんの弟が何を考えているのか分からない

糸坂 有

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「そうそう、それで」
 弟は鞄をごそごそとやると、そこから何やら取り出した。
「泉井さん、オセロ好きですよね」
 純粋な中学生的な目が、オセロをやろうと俺を誘う。
「好き好き!」
 待ってましたとばかりに俺は頷いた。今の時代、対人でなくてもオセロや他のゲームは出来るけれど、こういう時間が、俺はけっこう好きなのだ。
 机の上を片付けて、さっそくオセロゲームを始めた。
「じゃあ、僕は黒で良いですか?」
「うん。俺は白で」
 オセロゲームとは、二人で行うゲームだ。黒と白の石を使い、相手の石を自分の石で挟むと挟んだ石が自分の石になるというルールで、最終的に自分の石が多い方が勝ちである。
 無言で始まったゲームだったが、進んでいくうちに、弟がやや劣勢になる。しかし、形勢逆転という言葉があるように、最後まで油断は許されない。自分の番がやって来て、考え込んでいると、「泉井さん」と声がかかった。顔を上げると、弟が真摯な目で俺を見つめている。
「泉井さんって、付き合ってる人いないんですよね? どうしてですか?」
 急である。俺は脳が混線するような感覚だった。数秒考えた後、「え?」というとぼけた声が出た。
「急に何?」
「いや、前から不思議だったんです。良い機会かと思って、尋ねてみたんですけど」
「不思議って、何が」
「泉井さんに恋人がいないこと」
 弟の目は、誰から見ても純真である。そこにあるのは、裏のない疑問だ。
 俺は背筋を伸ばすと、珍しく弟の視線を真正面から受け止めた。いつも思うが、こいつは俺という人間を誤解している。フィルターでもかけて俺を見ているのではないだろうか。
 あまり長時間は目線を合わせられない。俺は自然を装い、視線を外した。
「どうしてって、いないもんはいないよ。理由を訊いてくるのは酷だぞ。紀ノ川一家には縁のない悩みだろうけどな」
「そんな、僕なんてほどほどにモテますけど、泉井さんだってそうでしょう?」
「モテることは否定しないんだな。そういう奴だって知ってたけど」
 手を伸ばし、黒を二つ、白へとひっくり返す。
「僕以上に、泉井さんはモテますよ! 恋人、作らないんですか? あえて作ってないんですか?」
「弟が俺に夢を見ていることはよく分かった。ただ実際、俺はそんなにモテない」
「嘘ですよ!」
「嘘だったら良かったのになあ」
 弟の指が、パチ、と音を立てる。白が三つ、黒へと変わった。あ、しまったと思う。初歩的なミスだ。
「ちなみに、どういう人がタイプですか?」
「えー? 好きになった人がタイプかな」
「ほ、ほう……! 格好良いですね! じゃあ、元気系と清楚系だったら、どっちが良いですか?」
「どっちも甲乙つけがたい」
「聞き上手な人か、話し上手な人だったら?」
「聞き上手、かな。でも俺、人の話聞くの嫌いじゃないしなあ」
 肩肘を付いて、俺は盤の上を眺める。どうしようか。あれをああしたらこうなるし、でもあれがああなったら。
「僕、うるさいですか?」
 しばしの静寂を破るのは、そんな弟の声だった。うるさくないですよね、なんて圧は感じない。純粋に、俺に対してお伺いを立てている。その表情が何だか面白くて、笑ってしまわないよう口元を手で覆う。
「いや、別に? 俺、話聞くの嫌いじゃないんだって」
「本当ですか?」
「本当だって。弟、基本テンション静かだろ? あ、でもあれか。文章にするとやたら元気になるよな。あれって何? 実はあっちが本性?」
「いえ、文字にするとニュアンスが伝わらないので、元気な感じだったら大丈夫かなと思いまして」
「へえ、そうなんだ。そんな気遣ってもらわなくていいけど」
「でも、変な勘違いとかさせたら申し訳ないと言いますか。泉井さんは、ああいう文章を送って来る人間は嫌いですか?」
 会話をしながら、ゲームは着々と進んでいった。
「そんなに俺の好みが気になる?」
「気になりますよ!」
「何で」
「何でと言われましても」
「もし俺に恋人が出来たらどうする?」
「それは困ります!」
 弟は叫んだ。俺は少し驚いて、一つ、石をひっくり返すところで一瞬手が止まった。すぐに気を取り直して、「何でだよ」と黒を白へ変えた。弟は唇を噛み締めていて、その表情からは感情が読み取れない。いや、読み取ってはいけないような気がした。視線を下げて、盤を眺める。
「だって、こ、困り、困ら、あ、ちょ、ちょっと待って下さい」
 弟は、すぐさま石を置くと、白を黒へと変える。どうにも、ゲームは暗雲だ。どうしたものかと考えながら、俺は顔を上げられないでいた。
 こいつは、俺に恋人が出来たら困るなんてほざいている。変に緊張しながら、俺はゲームに集中だと自分に言い聞かせた。
「出来るとしても、事前に報告して下さい。あと、ちゃんとした人かどうかを見定めるので一度会わせて下さい」
「弟は俺の保護者か」
「僕の方が年下ですよ」
「そりゃそうだけどさあ」
「泉井さんはしっかりしてるから大丈夫だと思いますけど、泉井さんと付き合える人って、どういう人なのか気になりますし」
「どういう人って言われてもな」
「やっぱり、特権階級的な人でしょうか」
「何を言ってんだ」
「……きっと、会わせて下さいね」
 変な汗が出て来た。至近距離からじっと見つめられている気がする。言葉は聞こえて来るけれど、その意味を考えるのが恐ろしく、理解することを一旦放棄した。いったいこいつが何を考えているのか、さっぱり分からない。
 何に集中すれば良いのか分からないまま、ぱち、と音が鳴って、盤が全て埋まった。ゲーム終了だ。後は石の数を数えるだけだった。いったい、何のゲームをしていたのか、俺はよく分からない気分だった。
 黒と白、それぞれの数を数える。ぎりぎりで、俺の勝ちだった。
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