ああ、恋しい人よ、避けたかないのです

大原銀杏

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俺、通学、避けたかないのです。

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 製紙工場の鉄の森を潜る朱色の鉄道車両。小さな電車には当然蒸気機関車のような大層な設備はなく、代わりに工場の煙突から真っ白な煙が立ち昇る。富士山のお膝元、岳南電車がくなんでんしゃは今日も広大な裾野の極小さな区間を市民を乗せて走っている。

 朝、スーツ姿のサラリーマンがスマホで新聞を読んでいるかたわら、座席に座って外をぼうっと眺める1人の男子高校生。源太坂高校げんたざかこうこうに通う和田裕哉わだゆうやは車窓を流れる風景のフィルムを無心で見つめる。2年生になった裕哉にしてみれば、最早全てを絵に描けるほど見てきた景色だが、これがなかなか飽きない。日によって若干の違いがあって、それを見つけていくのが楽しいのだ。

 本吉原ほんよしわら駅を降りると、幾人の乗降客の中に1人の女子生徒を見つける。周りに他の学生がいないことを確認すると、裕哉はその女子生徒のもとへまっすぐ向かっていく。足音はあまり立てず、かといって忍足とも言えないような静かな歩行法で歩き、手が届きそうな距離まで近づいた。

「お……」

 出しかけた声は喉奥で止まり、彼女の肩に置こうと挙げた手は通学鞄の位置を直すのに再利用された。裕哉は何事もなかった風を装い、若干下を向きながら彼女の横を足早に素通りした。

 裕哉と彼女は1年生の時からのクラスメイトである。裕哉は委員会や学校行事を通して彼女との仲を深めてきた。いつしかそれはいじらしい恋愛感情へと変貌を遂げ、1日に使う脳の大半を彼女が占めるまでになった。

 だのに、恋愛感情を自覚してからというもの、裕哉は彼女に素直な自分を見せることができない。好きだとバレるのが怖い、周りに好きが認識されるのが恥ずかしい、そんな感情が裕也の行動を制限する。

 自分の感情とは反対の行動をとってしまう。避けたかないのに避けてしまう。ああ、恋しい人よ、せめておはようと言えたなら!

 裕哉は悔しさに手を握り締め、駐輪場まで駆け出した。



「おはよーっす」

 教室のドアを開け、友人たちと挨拶を交わしながら窓側の自席に座る。質の良い日差しを浴びながら、朝練をする野球部の元気の良い声を耳から摂取する。よし、今日も最高の朝ごはんが済んだ。

 リュックから筆箱を取り出して今日の支度をしていると、間も無くして前方のドアから1人の女子生徒が入室する。彼女は潤井羽月うるいはづき。1年の時からのクラスメイトで仲もそこそこ良い、そこそこ良いのだが……なんとなく距離があるし、俺も距離をとってしまう。変に意識してしまうのだ。理由は分かりきっている。俺は彼女のことが好きなのだ。好きだからこそ周りと彼女自身の目が気になって普通に接することができない。いわゆる「好き避け」というやつだ。でっかい問題あな厄介。

 ドアを閉めた彼女と目が合う。まずい、無意識に見てしまっていた。流れるように目線を黒板へ移し、黒板を見る際の目線の経由としてたまたま目が合った風を装う。これが俺の常套手段。あのまま目を合わせて微笑むような甲斐性があれば良かったのだろうが、悲しいことにそんなものは持ち合わせていない。

 しかしまあ、朝、駅で挨拶せずに素通りしてしまったのは流石に態度が悪かったと思う。挨拶なんてクラスメイトなら普通にするものなのだから意識するだけ変というものだ。さっきの失態を取り返してやろう。

 羽月は俺の斜め前の席だ。前方から向かってくる彼女の気配を、スマホをいじりながら視界の端で常に感じている。見てはいけない、それは露骨だから。

 羽月は席に着くと前後左右のクラスメイトに挨拶を交わす。この流れで俺も挨拶をしよう!目線が合い、彼女が会釈した瞬間、すかさず声を発した。

「……うっす」

 目を下に逸らしながら、ボソッとつぶやく。お前はどこぞのBボーイか。もはや挨拶しないよりもタチが悪い。なんでこうも素直になれないんだ。自分の女々しさが嫌になる。

 羽月はそんな俺を一瞥し、なんとも言えぬ無表情で席に着く。もう声すら発さなかった。これ嫌われてるのではなかろうか。居た堪れなくなった俺は机に項垂れた。

 羽月も羽月だ。羽月の方から挨拶してくれれば俺だってこんな態度はしなくて済むと思う。もはや男が率先してやるとかそういう時代ではないのだ。羽月がそういう態度を取るならこっちだって同じような態度を取らざるを得ない。傷つくのは怖いから、俺だけ素直な感情を出すなんて嫌だ。

 なんて、そんなこと思っているからダメなのだろうな。ああ、お天道様!俺の心の天邪鬼をどうか追放してください!

 あと、贅沢は言わないので相手の心を読む能力とかあったらください。
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