王と騎士の輪舞曲(ロンド)

春風アオイ

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一章 紫碧のひととせ

発作

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「……どうだ?」
「何とかなったよ……とりあえず、怪我してたところは全部治せた」
「そうか……」

それからしばらくの後。
リビングにシルビオとユーガを運び込んだヴォルガとリーリエは、二人の治療を終えて小休止していた。
どちらも命に別状はないそうだが、まだ目覚めていない。
暖炉で部屋を温めつつ、ヴォルガが用意したミルクティーで一息ついたところだ。

ユーガの治療で血だらけになった寝間着から普段着に着替えたリーリエは、ぐったりとソファーに腰を下ろして溜め息をついた。

「もう……ユーガ、いつもこうなの。何も言わずに一人で全部やっちゃうから。自分だけ、傷だらけなの」

リーリエのトパーズの瞳は、憂いを帯びて静かに眠るユーガを見つめている。
全身には、リーリエ渾身の治癒魔法を受けても癒えない傷痕が無数にある。
何とも言えない顔のヴォルガは、服の袖から覗く包帯の巻かれた肌を隠しつつ、それとなく話題を変えた。

「シルビオの……ああいうこと、何回もあったのか?」
「……うん」

リーリエは目を伏せ、小さく頷いた。

「まだ、シルビオがここに来たばっかりの頃ね。あの頃は、シルビオはずっとユーガにくっついてて……常に一緒にいたの。寝る時もね。それで、一緒に寝てた時に、ユーガがシルビオの隣を離れたことがあって……そしたら、突然シルビオの様子がおかしくなった」

それまで、シルビオは不気味なくらい大人しい少年だったと言う。
ずっと従順で、素直で、無感情で。
人形のような彼が、初めてまともに意思を見せたのがその時だった。

「行かないで、ひとりにしないでって、一晩中ずっと泣き叫んで、魔法を暴走させて……結局、今日みたいにユーガが直接慰めてやっと収まったんだよね」

リーリエはカップを傾け、喉を潤してから続ける。

「夜にひとりになると、どうしても昔のことを思い出しちゃうんだって。だから、この『発作』が起きないように、いつも誰かと一緒に寝てるの」
「……そういうことだったのか」

ずっと疑問だった、シルビオとの契約の内容。
夜は眠れないから、共寝してほしいという謎の条件。
それは、比喩や暗喩の類でなく文字通りの意味だった。
彼は、そうでないと覚めない悪夢を見続けることになる。

「俺のせい、なんだろうな」
「「……!」」

ふと、聞き慣れた声がして二人は揃って振り向いた。
いつの間にか、ユーガが目を覚ましていた。
身体が怠いのか起き上がりはしていなかったが、ぼんやりと天井を見つめたまま、独り言のように呟いた。

「ずっと孤独だったシルビオに、中途半端に手を差し伸べたのが俺だった。人の温もりを知って、元の居場所が辛いものなんだって分かって……その反動で、ひとりになることができなくなった」

その言葉は、静かながら重かった。

「あいつが情緒不安定になるのは、魔法の才能のせいもある。幼い頃から、無意識的に人の闇を覗いていたらしくてな。元々性根が善人だから、その重みに耐えられなくて潰れそうなんだよ」

ヴォルガは思わず瞠目した。
…そういえば。
初めて会話を交わした時、彼はヴォルガの過去を見透かしたようなことを言っていた。

シルビオは、知らない間にヴォルガの傷を背負い。
知らないところで肩の荷を重くしていたのかもしれない。

ユーガの言葉を更に反芻しようとしたヴォルガだが、突然割り込んできたリーリエの怒号で感傷は吹き飛んだ。

「ユーガっ!!目覚めたんなら他に言うことあるでしょ?!ま~た一人で勝手に色々やっちゃって!!間に合わなかったらどうしてたのよぉ?!」
「あー、悪い悪い。まぁ死にゃしねえだろと思って」
「誰のおかげで死なないと思ってるの?!もぉっ、次やったら母様呼ぶからね!!」
「分かった、気をつける、二度とやらない」
「よし」

こういう場面でのリーリエは本当に強い。
どれだけ姉が嫌なのか、ユーガから誠心誠意の反省の言葉を引き出したところで、リーリエは表情を緩めてユーガの傍に寄った。

「体調どう?」
「まだ怠い。貧血だな」
「そればっかりはどうにもなぁ……とりあえず、しばらく安静にしててね」
「分かったよ」

受け答えもいつも通りだ。
リーリエが満足げに頷いたところで、ヴォルガは遠慮がちに口を挟んだ。

「……ユーガ。シルビオが暴走したのは、俺が傍を離れたからなのか」

ぱちくりとリーリエが瞬きしたのが見えた。
ユーガは横になったまま、穏やかな口調で返した。

「いや、お前のせいじゃない。シルビオ、何も話してなかったんだろ」
「……うん」
「なら、説明をちゃんとしてなかったシルビオの責任だ。気にしなくていい」

彼は自分が何を言いたいのかすぐに分かってくれる。
彼の言い分は至極真っ当だ。
とはいえ、心が晴れるわけじゃない。

「俺は……信用されていなかったのか」

思ったことが、そのまま口から零れていた。
彼は、どうして言ってくれなかったのだろう。
きちんと説明してくれていたら、こうなることは無かったかもしれないのに。

顔を曇らせるヴォルガ。
しかし、リーリエとユーガはあっけらかんと反論した。

「いやぁ、違うと思うよ?」
「むしろ逆なんじゃないかね」
「……?」

きょとんとするヴォルガに、ユーガが説明を付け加えてくれた。

「あいつの暴走……俺たちは『発作』って呼んでるんだが。当たり前だけど、誰よりもこれを嫌がってるのはシルビオなんだよ」

ヴォルガはちらりと眠るシルビオに目を遣った。
疲れきった顔で眠る彼の横顔が映る。

「シルビオは、お前のこと気に入ってる。だからこそ、話したくなかったんだろ。余計な心配をかけたくないとかでな」
「あと、かっこ悪いとこ言いたくなかったんじゃないかなぁ。自分がしんどい時に限って見栄張るからね、シルビオ」

付き合いの長い二人は、呆れ混じりにそんな評を下す。
ヴォルガは少し顔を歪め、ぎゅっと拳を握った。

「……そんなことで、軽蔑したり、見下したりしないのに……」
「言っただろ、ああ見えて繊細だって。後暗い感情に敏感な分、それを向けられるのが怖いんだよ」

ぽつりと零した呟きに、ユーガが冷静に返す。
彼は退屈そうに指を動かしながら、更に続けた。

「最近は、特に不安定だったしな。自分の感情に折り合いをつけることくらいは、出来るようになるといいんだが」
「……」

ユーガの表情は憂うように曇っていたが、口振りは相変わらず淡々としていた。
彼の立場は、父親のようでもあり、兄のようでもあり─そして、シルビオを客観的に観察する、研究者のようでもある。
せっかくなので、この機会に気になっていたことを聞いてみることにした。

「ユーガは……一緒に寝てやらないのか?」

ぴく、とリーリエが肩を揺らした。
ユーガは珍しく気まずそうな顔をして、明後日の方へ視線を遣った。

「昔はな、寝てたよ。でも、いつまでも俺にべったりだと良くないと思って、今は控えてる……ってのが一つ」
「……他に理由があるのか?」

どうもそんな言い回しだ。
ユーガは溜め息をつきつつ、若干投げやりな声で続けた。

「かなり前の話だが……一回、あいつに襲われかけたことがある」
「!!」

その話は流石に聞き捨てならない。
顔を強ばらせたヴォルガに、ユーガは冷静な返答を投げた。

「未遂だけどな。その時のシルビオは、友愛と性愛の区別すら分からなくて、愛情表現の一環だと思ってたらしい。勿論、俺が教えたら納得してやめてくれた。でも……それ以来、何となく一緒に寝る気になれなくてな」

ユーガは皮肉めいた笑みを浮かべる。

「俺は、そんなに強くない。次、シルビオに─家族だと思ってた奴にそういう目で見られたら、俺は多分心が折れる。だから、あいつに助けを求められても手が伸ばせないんだ。俺がシルビオを突き放すのは、自己愛の結果だよ」

…普段通りに見えたが、身体が弱っているせいか、いつもより自虐的な色が強い言葉選びだった。

「ユーガ……」

リーリエは悲しそうな顔でユーガを見ている。
そんなことはないと言いたいのだろう。
でも事実、シルビオは『発作』を起こしてしまった。
シルビオとしては、もしかしたら、ユーガに縋りたかったのかもしれない。

とはいえ、だ。

「自己愛しかない人間は、傷つくのを覚悟でシルビオを助けたりしないだろ」

ヴォルガはぽつりと呟いた。
ユーガが少し驚いたような顔でヴォルガの方へ視線を遣る。
言われるまで気がつかなかったとでも言いたげな表情だ。

…呆れた人だ。
彼がシルビオを大切に想っているのは、たった二月の付き合いであるヴォルガにだって分かるのに。

「シルビオを助けたのはユーガだろ。そんな言い方されたら、何もできなかった俺の立つ瀬がない」
「……」

少し怒気の混じったその言葉に、ユーガはしばらく言葉を詰まらせ…
…そして、笑った。

「……はははっ、それもそうか……ふふっ……」
「な、何で笑うんだよ……」

何かがツボに嵌ったのか、小さく肩を震わせて笑いを堪えるユーガに、ヴォルガはむっと眉根を寄せる。

けれど、目を覚ましてから、初めて彼の顔に浮かんでいた憂いが消えた。
それを見ると怒る気にもなれなくて、ヴォルガはちょっと不機嫌な顔のままティーカップを傾けるのだった。
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