45 / 69
本編
第45話
しおりを挟む
江奈に言われるまま数日分の宿泊準備を済ませ、タクシーに乗り込んだ美奈穂が連れて行かれたのは、以前光志たちと一緒に内見に来たマンションだった。
エントランスに常駐しているコンシェルジュから受け取った部屋の鍵は、既に光志名義で契約だけしてある部屋のもの。
あとでちゃんと説明するから、と一点張りな江奈と一緒に、訳のわからないまま、部屋の中に入って一時間程リビングで寛ぐ。
すると突然、誰かの来訪を知らせるチャイムが聞こえた。
「美奈穂っ! やっと会えた……っ」
「……っ!」
予期しないチャイムの音に驚いてビクッと身体を震わせた美奈穂は、戸惑うまま江奈に促され玄関へ向かう。
そして鍵を外し、ドアを開けると、次の瞬間、この半月ずっと会いたいと望んでいた人が目の前にあらわれた。
一瞬、これは夢なんじゃないかと思った。
だけど、耳元で聞こえる今にも泣きそうな声と、背中に回された太い腕、そして力強く抱きしめられる少し懐かしい温もり、すべてが現実だと教えてくれる。
ずっと焦がれ続けた恋人が、すぐそばに居る。
その小さな事実に、何故か涙が溢れそうになった。
「…………」
ひさしぶりの抱擁を満喫しながら、ふと自分を抱きしめる腕の力が緩んだことに気づく。
不思議に思って顔を上げると、無意識に掴んで皺が寄った光志の上着がまず目についた。そのまま上げた視線がとらえるのは、間近で美奈穂を見下ろし、熱の籠った視線を向けてくる彼の顔。
鋭い視線に射貫かれ、ほんの少しさ迷った瞳が次に止まったのは、恋人の少しカサついた唇。
(……欲しい)
あの唇が欲しいと、キスをしたいと思ってしまう。
その気持ちを言葉にするのはやっぱり恥ずかしくて、ほんの少し勇気を出して数十センチしかない二人の距離を、ちょっとだけ近づける。
すると、美奈穂の想いが伝わったのか、向こうも同じことを考えてくれていたのか。
光志の顔が近づいてくるのがわかった。
熱を孕んだ光志の瞳に、いつの間にか顔を真っ赤に染めた自分が映っていると知って、美奈穂は思わず目を閉じる。
そして、二人の唇が重なろうとした瞬間。
「ンンッ、ンッ!」
「……っ!」
光志の背後から、かなりわざとらしい咳払いが聞こえた。
その音に、ビクッと激しく肩を揺らした美奈穂は、縋るように掴んでいた光志の上着を更に強く握りしめる。
その上、熱に浮かされかけた意識は一瞬で現実に引き戻され、今いる場所がどこなのか、自分たち以外に誰がいるのかを、嫌でも認識させられた。
「光志君、気持ちは大変わかりますが……もう少し周りを見てください。半月辛抱したんです、あと数十分の我慢なんて余裕でしょう?」
「……チッ」
(こ、光志さん! 舌打ちしちゃダメです!)
美奈穂は光志の腕の中で、彼の背後から第三者の声を聞く。
それが、ブロシャマネージャー倉本の声だとわかったせいで、羞恥心は増すばかりだった。
恋人とのイチャつきなんて、赤の他人に見られるのですら恥ずかしいのに、知り合いに見られるなんて顔から火が出そうになる。
しかも、普段からお世話になっている倉本の忠告に対して、光志がお構いなく舌打ちをしたのもバッチリ聞こえてしまった。
これは流石にマズいと思って、美奈穂は光志をたしなめようと口を開いた。
そのまま息を吸った次の瞬間、もう一つ忘れていたことを、彼女は思い出してしまった。
自分の後ろに、誰がいるのかを。
「…………」
ギギギっと、まるで壊れる寸前のゼンマイ式おもちゃのように、ぎこちない動作で後ろを向く。
すると、困り顔で微笑む江奈と目が合ってしまった。
「あと少しだけ、我慢してください。ちょこっとだけ説明したら、私たちは即撤収しますから」
そう言って眉を下げる江奈の言葉に、美奈穂は息を呑む。
そして、ボッと爆発音がしそうな程顔を熱く真っ赤にすると、すぐにしがみついたままの恋人の胸元へ顔を埋めた。
「――っ!」
声にならない悲鳴をあげ、絶対値段が高そうな上着に容赦なくファンデーションを落としていないおでこを擦りつける。
普段なら絶対しないことだけど、今の美奈穂にはそれらを気にする余裕は無くなっていた。
「……倉本さん、今すぐ帰ってくれ。もう俺限界、可愛すぎてヤバい」
「だから、あとちょっとだけ我慢を。そして、僕を睨んでも無意味ですから、可愛い彼女さんの姿を目に焼き付けてあげてください」
「……チッ」
頭上で交わされるマネージャーとバンドマンのやりとり。
それを頭の片隅でぼんやり聞きながら、美奈穂はダンダンとその場で地団駄を踏み、身体の内側から襲い掛かってくる羞恥心と一人闘い続けた。
エントランスに常駐しているコンシェルジュから受け取った部屋の鍵は、既に光志名義で契約だけしてある部屋のもの。
あとでちゃんと説明するから、と一点張りな江奈と一緒に、訳のわからないまま、部屋の中に入って一時間程リビングで寛ぐ。
すると突然、誰かの来訪を知らせるチャイムが聞こえた。
「美奈穂っ! やっと会えた……っ」
「……っ!」
予期しないチャイムの音に驚いてビクッと身体を震わせた美奈穂は、戸惑うまま江奈に促され玄関へ向かう。
そして鍵を外し、ドアを開けると、次の瞬間、この半月ずっと会いたいと望んでいた人が目の前にあらわれた。
一瞬、これは夢なんじゃないかと思った。
だけど、耳元で聞こえる今にも泣きそうな声と、背中に回された太い腕、そして力強く抱きしめられる少し懐かしい温もり、すべてが現実だと教えてくれる。
ずっと焦がれ続けた恋人が、すぐそばに居る。
その小さな事実に、何故か涙が溢れそうになった。
「…………」
ひさしぶりの抱擁を満喫しながら、ふと自分を抱きしめる腕の力が緩んだことに気づく。
不思議に思って顔を上げると、無意識に掴んで皺が寄った光志の上着がまず目についた。そのまま上げた視線がとらえるのは、間近で美奈穂を見下ろし、熱の籠った視線を向けてくる彼の顔。
鋭い視線に射貫かれ、ほんの少しさ迷った瞳が次に止まったのは、恋人の少しカサついた唇。
(……欲しい)
あの唇が欲しいと、キスをしたいと思ってしまう。
その気持ちを言葉にするのはやっぱり恥ずかしくて、ほんの少し勇気を出して数十センチしかない二人の距離を、ちょっとだけ近づける。
すると、美奈穂の想いが伝わったのか、向こうも同じことを考えてくれていたのか。
光志の顔が近づいてくるのがわかった。
熱を孕んだ光志の瞳に、いつの間にか顔を真っ赤に染めた自分が映っていると知って、美奈穂は思わず目を閉じる。
そして、二人の唇が重なろうとした瞬間。
「ンンッ、ンッ!」
「……っ!」
光志の背後から、かなりわざとらしい咳払いが聞こえた。
その音に、ビクッと激しく肩を揺らした美奈穂は、縋るように掴んでいた光志の上着を更に強く握りしめる。
その上、熱に浮かされかけた意識は一瞬で現実に引き戻され、今いる場所がどこなのか、自分たち以外に誰がいるのかを、嫌でも認識させられた。
「光志君、気持ちは大変わかりますが……もう少し周りを見てください。半月辛抱したんです、あと数十分の我慢なんて余裕でしょう?」
「……チッ」
(こ、光志さん! 舌打ちしちゃダメです!)
美奈穂は光志の腕の中で、彼の背後から第三者の声を聞く。
それが、ブロシャマネージャー倉本の声だとわかったせいで、羞恥心は増すばかりだった。
恋人とのイチャつきなんて、赤の他人に見られるのですら恥ずかしいのに、知り合いに見られるなんて顔から火が出そうになる。
しかも、普段からお世話になっている倉本の忠告に対して、光志がお構いなく舌打ちをしたのもバッチリ聞こえてしまった。
これは流石にマズいと思って、美奈穂は光志をたしなめようと口を開いた。
そのまま息を吸った次の瞬間、もう一つ忘れていたことを、彼女は思い出してしまった。
自分の後ろに、誰がいるのかを。
「…………」
ギギギっと、まるで壊れる寸前のゼンマイ式おもちゃのように、ぎこちない動作で後ろを向く。
すると、困り顔で微笑む江奈と目が合ってしまった。
「あと少しだけ、我慢してください。ちょこっとだけ説明したら、私たちは即撤収しますから」
そう言って眉を下げる江奈の言葉に、美奈穂は息を呑む。
そして、ボッと爆発音がしそうな程顔を熱く真っ赤にすると、すぐにしがみついたままの恋人の胸元へ顔を埋めた。
「――っ!」
声にならない悲鳴をあげ、絶対値段が高そうな上着に容赦なくファンデーションを落としていないおでこを擦りつける。
普段なら絶対しないことだけど、今の美奈穂にはそれらを気にする余裕は無くなっていた。
「……倉本さん、今すぐ帰ってくれ。もう俺限界、可愛すぎてヤバい」
「だから、あとちょっとだけ我慢を。そして、僕を睨んでも無意味ですから、可愛い彼女さんの姿を目に焼き付けてあげてください」
「……チッ」
頭上で交わされるマネージャーとバンドマンのやりとり。
それを頭の片隅でぼんやり聞きながら、美奈穂はダンダンとその場で地団駄を踏み、身体の内側から襲い掛かってくる羞恥心と一人闘い続けた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
204
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる