まだ名前を知らない

くおん

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人形の魔法

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「それで、なんたってお人形さんはこんなに怒ってたわけ?」

 床を修繕して私の正面に座り込み、シオン人形の髪の毛を弄りながら訊ねるシオンに、私はことのあらましを話した。
 静かに話を聞いていたシオンは、パンツのくだりでブッ!と思い切り息を吹き出した。

「パ、パン…なんだって!?」

「パンツ。私が散らかしたパンツをシオンが片付けてくれてるって…」

 見るとシオンの顔は真っ赤に染まっている。偉大な魔法使いとして名を轟かせ女性にはモテているはずなのに、意外と初心なのだ。

「何を今更照れてるの?シオンが片付けてくれてるんでしょ、知ってるよ」

「いやまぁ片付けてるけど。片付けてるんだけど!」

 シオンは真っ赤な顔で、「本人から言われると衝撃っていうか申し訳ないっていうか…」とボソボソ呟く。
 案外可愛いところもある、と私はニヤつきそうになる口元を必死で抑えた。
 なんでも知っているような顔や態度をしているシオンだけれど、女性関係に関しては全くと言っていいほど免疫がない。それもそうだ、シオンは魔法一辺倒だったし、私を引き取ってくれてからは私を育てるのに一生懸命だったんだから。
 それにシオンは、基本的に女性が苦手なのだ。


 シオンの女性嫌いには理由がある。
 シオンは有名な魔法使いだから、その力目当てに寄ってくる人は男女問わず数多くいる。あわよくば本当の名前を聞き出して、シオンを自分の手中に収めたいと欲を持つ人が以前は後を絶たなかった。
 シオンは読心術に長けていたから、どれだけ近寄ってくる人が趣向を凝らして心を隠そうとしても無駄だった。私が隣で聞いていて涙が出てくるような生い立ちを話す人を、「嘘だね」と一蹴して追い出すなんてことは日常茶飯事だ。
 だけど、ある一人の人物に対しては読心術が効かなかった。それがシオンの女嫌いの原因となっている女性…ナシャだ。
 ナシャは私のお母さんの妹で、五年前に亡くなった。花のような香りをいつも身に纏っていて儚い妖精のような風貌のナシャに、シオンはいつも振り回されていた。
 シオンはきっと、ナシャが好きだったのだ。だから、ナシャの心を読み取れなかったのだ。
 本当の名前をナシャに教えてしまったシオンは、ナシャが亡くなるまで彼女に好き勝手されていた。具体的に何があったのかは聞いてないけれど、シオンの女嫌いはナシャの影響だということだけは確かだ(とシオンの数少ない友達が言っていた)。

 という訳で、シオンはナシャが亡くなってからというものの、私以外の女性(私を女性とカウントしていいのかは疑問だけど)と仕事以外の関わりを一切持っていない。だから初心なのだ。ナシャに奪われていないなら、きっと童貞だ(とシオンの数少ない友達が言っていた)。

 パンツの話題なんて普通なら十五歳思春期真っ只中の私の方が恥ずかしくて爆発するところなんだろうけど、生憎私はそんな可愛らしい性格をしていない。私とシオンの二人暮らしで、私が片付けてない洗濯物が綺麗に畳まれて置いてあるなら、それを誰が片付けたかなんて考えなくても分かる。分かっていて片付けないのだから今更恥ずかしがることも特にない。
 シオンは赤くなった顔をどこからか取り出した小型扇風機で冷やしながら、シオン人形の髪の毛を梳いてやっている。さっきまで毛糸だったはずの髪の毛は、今や絹糸に変わっていた。

「その人形、どうやって髪の毛を植えてるの?」

「髪の毛?」

 狼狽える様子が可哀想なので話題を変えてあげようと話を振ると、シオンは嬉しそうに食いついた。

「さっきまで毛糸じゃなかった?」

「よくぞ聞いてくれました」

 得意気に鼻の穴を膨らましながら、「いい質問じゃないか」と私の頭を撫でようとして、慌てたように手を引っ込めた。一度照れ隠しで怒ってからというものの、シオンは私の頭を全く撫でなくなった。 

「さっきは、髪の毛が毛糸に見えたと言ったね。今は何に見える?」

「絹糸だけど…」

「そう!」

 シオンは嬉しそうに人形の頭を撫でた。

「この髪の毛は、この人形が今持っている魔力がどれくらいのものかを示すようになってる。この人形の魔力が多いほど、髪の毛は上等な素材に見える」

「へぇ」

「さっき別に俺自身の魔力は減ってなかったのに、なんで人形の魔力は減っていたんだと思う?」

「?どういうこと」

 要領を得ない私に、シオンは焦れったそうに人形を突きつけた。

「この人形の魔力供給源はどこでしょう」
「シオンでしょう?」

「そう!この人形は充魔力式でしょうか、それとも常に俺と繋がっているんでしょうか?」

「充魔力式って…そりゃシオンと繋がっているんでしょ?」

「ブッブー!!」

 我が意を得たりと待ち構えたように不正解を知らせるシオンに、イラッと来なかったと言えば嘘になる。でも、それと同時に驚いたのも事実だ。だって私が知っている魔力を溜め込む事が出来る道具は、全部大掛かりで、ゴテゴテと魔石やら魔力を増幅指せるイモリの血やらがベッタリ付いているものばかりだったから。

「俺の新しい偉業だよ!魔道具を持ち運ぶ際に魔石の重さや血の臭さに耐え忍ぶような時代は終わったんだ!」

「凄い」

 これは素直に驚いた。シオンは確かに、魔道具を持ち運ぶ時はいつも「血なまぐさい」だとか「魔石が無駄に重い」だとか、文句タラタラだった。「いつか魔石も血もいらない魔道具を造ってやる」と言ってはいたけど、それを解消する為に新たな仕組みの魔道具を発明するなんて、発想力にも驚きだけど、その執念にはもっと驚きだ。

「そうだろう?もっと褒めてくれてもいいよ?」

「すごいすごーい」

「ありがとう」

 適当な褒め言葉にシオンは少し気分を害したようで、さっきまでの高いテンションは形を潜めた。

「というわけで、その髪の毛は残りの魔力残量を示してるんだよ。毛糸だったのは、多分もう残り少なくなってたからだな。魔力を放出して重くなればなるほど髪の毛がボロ切れに変わって行くから、見ててヒヤヒヤしたよ」

 人形の頭を撫でながら「ボロ切れが頭に付いてるなんて可哀想だもん」と言う二十五歳の男に、私は曖昧な笑を零した。

「その人形はなんでそんなに喋るの?」

 シオンは困ったように眉を下げ、腕の中の人形を見下ろした。

「最初はそんなに話してなかったんだけど…俺の魔力を供給するうちに、俺の中身に影響を受けたみたい」

「どういうこと?」

「元々言葉をインプットしてはいたんだよ、オハヨウとか、アリガトウとか、モット働ケとか…」

 聞き捨てならず「最後の言葉おかしいよ」と声を上げたけど、綺麗にスルーされた。

「最初は俺と別の人格っていう自覚があったんだけど、最近はかなり俺に同化してきてる。マルカの、あの…下着のことだって、俺は特に触れるつもりはなかったんだけど…」

 パンツを下着と恥ずかしそうに言い換える方が、なんだか変態臭いと余程言いたかったけど、どうにか我慢した。

「魔力提供者の考えが漏れ出るのはまずいな…改良しないと…」

 ブツブツ呟くシオンに、「別に今のままでいいのに」と小さく口にする。
 シオンが心を隠そうとすれば私なんかには絶対覗くことが出来ないんだから、一つくらいシオンの心を垣間見る場所があってもいいのに。
 シオンは聞こえてなかったみたいで、人形を持って部屋から出ていってしまった。
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