怖いもののなり損ない

雲晴夏木

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五人目 悪意なき侵略者

嫌な話ですんません、と頭を下げて

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 話し終え、青年はテーブルの上で強く拳を握った。青年が黙り込んでも、あなたは何も言えなかった。青年にかけてやるべき言葉が蜜語らなかった。いったい誰が青年が求める言葉を理解し、正しく投げかけてやれるだろう。
 ちょうど、店員が青年の注文を持ってきたのが救いだった。でなければあなたも青年も、日の暮れるまで黙り込んでいただろうから。
 青年は我に返り、嫌な話ですんません、と頭を下げた。そのまま「嘘です」「全部嘘ですから」と誤魔化し始めた。声は今にも泣きそうで、伏せられた顔では涙が光っていた。

「作り話です。ああいう奴らが責められたらいいのにって思って、陰キャが考えた話です。すんません、忘れてください」

 彼の心情を思うと、あなたは自分も泣きそうになった。かけてやるべき言葉は相変わらず見つからない。あなたはただうんうんとうなずいて、青年に飲み物を勧めてやるのが精一杯だった。
 青年はあなたの言葉通り、カップに手を伸ばした。一口喉を潤して、二口体を温めて、青年はどうにか落ち着いたようだった。はにかみながら、青年は弱々しい笑みを浮かべる。

「聞いてくれて、ありがとうございます。ほら話……ってことに、しといてください」

 あなたがうなずくと同時に、歓声ではなく弾けるような笑い声が上がった。
 青年の顔から、すぅと笑みが引いた。青年は頼んだばかりの飲み物をぐいと飲み干し、氷のような目でグループ客を見た。彼らは青年の視線に気づかず、携帯端末のカメラ機能で互いを撮り合っている。
 青年の口から、地の底から響くような低いため息が漏れた。

「やっぱもう一回――しないと、わかんねえのかなぁ」

 ぼそりと呟かれた台詞は不明瞭で、あなたは彼が何と言ったか聞き取れなかった。
 とうとう、マスターにも我慢の限界が訪れたようだ。カウンターを出たマスターが、静かながらも芯のある声で彼らに退店を促す。「お代は結構ですので」と彼らの一切を否定する声が、あなたの席にもひっそりと届いた。
 彼らが立ち上がるのにやや遅れて、青年も立ち上がった。

「俺、先に出ます。すんません、のんびりしてるとこ邪魔しちゃって」

 邪魔なんかじゃないとあなたは否定したが、青年は「本当に、すいません」と詫びてキャップを深く被った。小さなショルダーバッグを斜めにかけて、青年はぺこりと頭を下げて去って行った。立ち去る青年を、あなたは見送った。見送ることしかできなかった。
 グループ客はマスターの言葉を額面通り受け取り、本当に会計もせずに出て行った。会計を済ませた青年は、後から席を立った彼らよりも遅く店を出た。
 彼らが出て行って、青年も店を出て、数分とたたない頃だ。店の外から女性の悲鳴が聞こえたのは。救急車、と叫ぶ声も窓を抜けて飛び込んでくる。窓から外を覗いた客が、男がハンマーで人を殴ってる、と叫んだ。
 あなたは、青年が斜めがけにしていたショルダーバッグを思い出した。

 ――ハンマーくらい、入りそうだったな。

 騒然とする外の様子を、あなたは覗きに行けなかった。席を立つことすらできなかった。
 外が静かになるまで、あなたはいつもの席に着いたまま、本を読むでもなく震えているしかできなかった。
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