サマーミラージュ

持田ぐみ

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6.星明かりの河原で

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 鬼火、というやつだろうか。

 それなら、ただのリンの酸化……化学反応だ。

 河原へ降りる階段は、夏草を切り開いた土の道に滑り止めの細い丸太が埋まっているだけのもので、欄干から届く光でははっきりとは見えない。
 それでも足を踏み入れると高く茂った葉が、ざわっと波打った。

 足を進めながら、暗闇と自分の脳裏の映像が重なっていく。

 それはガムテープで巻かれた箱。
 擦れてつぶれた角、少しだけ隙間の開いているふたの部分。

 見たことはないはずなのに、色褪せない記憶の映像。 

 心臓の音に合わせて耳鳴りが始まる。
 怖い。

 恐怖が感情を攪拌し、壊れた震度計のように針が上下にぶれる。

 死にたい。死ねない。
 選びたい。選べない。

 
 選ばれたい。報いたい。
 でもその力がない。


 どうしたらいいかわからない。
 
 闇が濃くなっていくにつれ、夜空の星が見え始めた。目が闇に慣れたようだった。
 しかし、最初に白い煙が動いていた場所はまだ何か気配が残っている。

 階段を降り切ると河川敷の蘆原の中に出た。その先は石が転がっている河原で、白いもやが見えたのはそこから十メートルほど上流だ。石を踏んで行こうとしたが、深く繁る葦原にふさがれて石原は途切れている。

 草を分けて進もうとすると、ぴしゃりと冷たい水の感触があった。
 水たまりのようになっているらしい。

 それ以上は進めないかと思ったが、イチかバチか葦原の岬を回り込むように足を伸ばす。

 いくつかの人の頭ほどの石が連なっていてそこへ足を乗せ、転ばないようにバランスを取って進んだ。
 
 なぜ前に進むのか、自分でもわからなかった。

 戻るのだって一苦労だし、耳元にいろんな羽虫が飛んでくる。
 
 でも、逃げる恐怖よりも、私は進む怖さを取った。

  もう少しで、葦原の向こうが見える、と思ったとき、ぐらり、と足の下で石が傾いた。

 水に落ちる、と慌ててこらえる。

 葦を掴むと、固い葉が指先の皮膚を切り裂いた。顔をしかめて手を放す。

「いった……」

「誰?」

 囁く声がして、パッと顔を上げる。

 すぐそばの暗がりに誰かが立っていた。

 周囲の光は見えず、シルエットはぼんやりとしか見えない。
 輪郭と形から、ジャケットを着てネクタイを締めている……うちの学校の制服を着た男子生徒のようだった。

 顔は闇に沈んでいてみえない。
 私は、幽霊ではなかったことに、ほっとしていた。

「ごめんなさい……何でもありません」

 私はなんとか声を絞り出した。いつの間にか喉はカラカラに乾いていた。

 男子生徒は私の答えを聞くと、それきり黙った。

 知らない人だし、立ち去るのが一番だと思った。彼が何をしているのかは知らないが、ひとりでいたいのかもしれないし。

 一度、背を向けて戻ろうとすると、後ろで男子生徒が動き出す気配がした。 
 驚いて硬直した私の体の横へふうっと力の抜けた影が移動する。

 (あれ? 帽子……)

 さっきは被っていなかった鍔付きの帽子を被っている。いつ被ったのだろう、と私は首を傾げる。

 男子生徒は、そっと小鳥の雛をすくうような手つきで、私の肘のあたりに手を添えた。

 ばしゃり、と音がして、男子生徒の足が川に入ったのがわかった。 

 自分の靴を犠牲にして、私を元の道に戻そうとしてくれている。

 そっと添えられた手は燃えるように熱く、力強く、そのくせ、さらりとしていて肉感がない。乾いた猫の肉球のような固い皮膚の質感しか感じられなかった。 

 吐息がかかるほどの間近の距離に、体をこわばらせながらも、男子生徒に支えられてなんとか石の河原に辿り着く。

 私がひとりで歩けるところまでくると、彼は律儀に手を振った。

 私はありがとう、と言いたかったけれど、喉に声が詰まってうまくいえなかった。

 星明かりを吸い込むようなシルエットに目を細めると、彼の顔の、帽子からのぞいている部分がわずかに見えた。

 口元から整った歯がのぞいたので、笑顔であることはわかったが、目鼻の形はいまだにわからない。

 私はぺこりと頭を下げ、階段の方へ行きかけて振り返る。

「あの……何年生なんですか。私も橋川高で、一年一組です」

 すでに背を向けていた男子生徒は、足を止める。

 少し振り返り、短く答えた。

「…………一年」

 ひどくかすれた声で、喉の調子が心配になるくらいだった。

「なんだ……同じだ」

 ふふっと笑うと、相手はもう一度手を振り、それから葦原の向こうへ消えてしまった。

 

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