最後の風林火山

本広 昌

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野望編

2、御館様に会いました

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 あれから十年七ヶ月が経ち、つつの紅い花が甲府の山尾根に咲き誇る頃、兵蔵にようやく、元服が許された。

 名は菅助かんすけ。父道鬼が、道鬼と名乗る前の名が勘介で、同じ読みだ。

 菅助は、小柄で猪のように不細工な風貌をしている。これはまさに、道鬼の生き写しである。
 しかし、戦国乱世の暗部で鍛え上げられた道鬼と、温室育ちの菅助の差は明確に出ている。

  菅助の肌は、つやつやと照った色白である。隻眼でもない。両足健脚で、いくさ傷は当然ひとつも無く、手の指も全部綺麗に揃っていた。



 山本菅助は長坂釣閑斎の案内で、武田家の居館、躑躅ヶ崎館に参上した。

 今日、その主殿の一室にて、武田信玄と始めて面会する。
 信玄が入室し、菅助は平伏した。
 信玄は中肉中背で坊主頭だが、その威厳は、見ずとも強く感じとれる。

「そなたが山本道鬼の子か? 表を上げよ」

 信玄の、低音ながらも透りの良い声に、菅助は恐る恐る顔を上げる。
 緊張する。名乗るにも、

「か、か、かんすくぇ・・です」と噛んだ。

 信玄は、固まった菅助の初見から、

「面影が無いような、あるような?」

 と、道鬼と比べ、苦笑いする。
 菅助は恥じて赤面し、目線を下げ、

「いくさ傷の耐えぬ父上でした故……」

 と、小声で返した。

 信玄はそんな菅助をよそに、道鬼と士官面接した頃を思い出していた。
 もう、二十八年も前の話になる。

 

 山本道鬼の醜かった外見は、合戦いくさびとの人生訓のように映った。

 そんな道鬼が全身を傷だらけにして得たのが、類い稀なる独自の城取り(築城術)と、それを応用した必勝の戦術理論である。

 そんな道鬼の夢こそ、持論の実施、証明、改善と、更なる発展だった。

 道鬼は武田家に来る前は、駿する国にいたという。

 当時の国主今川義元いまがわよしもとは、学識深い大将だったが、現場感覚に疎く、貴族文化に憧れ、潔癖なほど綺麗好きだった。

 故に道鬼は今川家に仕官したくても、才能ではなく、その風体の悪さを理由に断られた苦い過去がある。

 だが信玄は、醜いからこそ採用した。

 現実、道鬼が仕官してから川中島で戦死するまでの十八年間、武田家のしな国侵攻は、二度の敗戦はあったが、領地は一概に拡大した。

 道鬼の活躍と武田領の増大は、見事に連動した。
 そう、才能は開花したのだ。
 お互い気も合い、信玄は道鬼のことを「我が知恵袋」と贔屓したほどだ。



――さて、この若者のわざ(特技)とは、何であろうか?

 武田信玄は、二代目山本菅助を興味深く観察した。

 菅助は、信玄の目つきの真剣さにビクッと震えて、肩肘が上がってしまう。

 信玄はそんな菅助に気付き、場を和らげさせようと話を進めた。

「道鬼の、最も優れた手柄は何か、分かるか?」

 菅助は思わず父親自慢がしたくて、緊張感が抜けたことも気づかず、喜んで答えた。

「はい。高遠たかとおふかもろかい。信濃の要所に城を築き、武田家を磐石にしたことです!」

 信玄は、菅助の声色が軽快になったことを確認して、頷く。

「そなたは、城取りを習ったのか?」

「はい。父上からは、さすがに某が幼すぎたから教わった事がありませんが、釣閑斎様に父上の教えの全てを習いました」

「それは良い。道鬼は武断派なのに、釣閑斎のような奉行派とも仲がよかったからな」

「城の取りよう、縄張りに奥義があります」

「ほう、奥義か。もしや、極めたか?」

「はいっ!」

 菅助は鼻高々になった。

 しかし信玄は一瞬、蒼ざめたが、気付かれないよう平静を戻す。

 武田信玄は山本道鬼にも、「極めたか?」と質問をしたことがあった。

 道鬼も「はい」と肯定したが、重厚に答えている。

 まるで多勢の敵に対し、無勢でも勝利へ導ける不敵な大将の如く映った。

 信玄の手探りは続く。

「そなたは、道鬼の歩んだ道を受け継ぎたいと、軍学もよく学んだと聞くが、何か書物は読んだか?」

 これも道鬼に投げたことがある質問だ。

「はい! そん六韜三略りくとうさんりゃくから三国さんごくまで数多くの書物から、よく学びました」

 菅助は得意げに返事し、孫子の一説を一言一句間違えず語り、全てが理論的だと褒めた。

 信玄は終始頷くも、知り尽くしてる。
 そんな平面的なものは、もはや心に響かない。

 道鬼は菅助とは逆に「一切読まない」と答えた。
 が、実際は熟読していた。

 中華古来の軍略を褒めることは大いに構わないが、大陸と列島では地理風土から文化や歴史まで、なにもかもが違う。

 道鬼は、ただ覚えるだけでは進歩が無いから、時代と現場に順応させるため、発展応用させる必然を主張していた。
 そうなれば読んだ書物とは全くの別物へと進化し、結果、読んでも読んでないと言えるものに生まれ変われる。

 知識が豊かなだけでは、たとえ過去の偉人の教訓でさえ、国を滅ぼす毒物になる危険がある。特に保身と既得権益が絡めば、毒素が一層強まる。
 これこそ、道鬼の卓見だ。

 信玄は、この立体感に感動している。

 信玄は菅助の、机上の学問の見事さは理解したので、菅助をこれから試す意味で言った。

「年内に出陣する。そなたも加わるが良い」

 菅助は直感する。

――奥信濃だ! 川中島だ!!

 と。ならば城取りすべきは、父道鬼を殺した仇敵が守る飯山いいやま城だと信じた。

 だが信玄は、詳細の一切を語らない。
 ただ、こう思う。

――次のいくさでわざを確かめても、遅くはないか……。

 いくさも城取りも、良し悪しはともかく創意工夫の宝庫である。道鬼のそれは、土木事業・組織編成・法律規律など、様々な形に化けて、武田家に還元されてきた。
 その血を受け継ぐこの若者に、これが理解できるのか、見ものだった。



 面会は終わった。
 沈む夕日が目にしみる。
 山本菅助は躑躅ヶ崎館を出ると、妄想する。

 常勝無敗の武田軍本陣には、それを象徴する紺地の大旗が掲げられている。

 旗の中にある文字が、あまりにもカッコいい。
 それは孫子の「軍争編」から、

 疾如風(早き事、風の如く)
 徐如林(静かなる事、林の如く)
 侵掠如火(侵略する事、火の如く)
 不動如山(動かざる事、山の如し)

 の十四文字が、大きな金字で二行に渡って雄雄しく記されているのだ。

「ワシは孫子の旗の下で、いろんな策と手柄を立てて、親方様に褒められたい!」

 と、爽快な気持ちになる。

「四年前に今川家を滅ぼし、昨年北条ほうじょう家と盟約を組み直した今、次のいくさは誰の目から見ても、間違いなく川中島だ! 信濃国の完全なる統一だ!! ワシが敵を蹴散らし、父上の仇を討ち、信濃最後の敵地、飯山城の縄張りも行う。よし、励むぞーっ!!!」

 菅助は拳と大声をあげ、鼻息荒く意気込んだ。

 菅助は、父のように特別な存在になりたかった。

 一番褒められるには、出陣前に飯山城の縄張りを描いておくことだと思い、妄想する。
 頭の中に縄張りの図面が映ると、ブサイクな顔をニヤニヤしながら町を闊歩した。

 周りの男女町人連中が、そんな菅助を見ては驚き、気持ち悪くて遠ざかる。

 それでも菅助は上の空で、家路に向かった。
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