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3 取り敢えず、現状把握しよう

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平安時代っぽい世界観だが、どうやらタイムスリップしてきた訳ではないらしい。
藤原ふじわらのみやび』としての人生が始まってから、二週間ほど。私はようやくそのことに気がついた。
確かに、初日から違和感はあった。
髪が足元までなくて胸元くらいだったりとか、一介の警備の者であるケイが簡単に部屋に入ってこれたりとか、私の知る『平安時代』とは違うところがちょこちょこある。
流石にシャワーには入れなくて少しつらいけど、詩歌しいかが丁寧に洗ってくれるから、プラマイゼロくらいな感じで、特に洗髪が心地好い。美容師さんより上手いと思う、流石うちの子。そのおかげで髪を洗うのは楽しみになったけれど、乾かすのはとても面倒くさい。ドライヤーという文明の利器がこれほどありがたいものだとは思っていなかった。ただ、髪が通常より短い分乾かしやすいのは、すごいメリットだ。
それから、人が気軽に部屋に入ってこられるのは、推しカプを見つけるチャンスが増えるのと同義だから、とても嬉しい。私に害悪をもたらすかは詩歌が判断してくれるから、私はのんびり過ごせるし。
あぁ、そういえば。詩歌の価値観も私の思う平安人のそれと違う。腐っているのは……まぁ、個人差だとしても、美的センスは絶対に違う。平安時代においては、色白で目が細くて鼻が低くて、という凹凸の少ない扁平な顔が好まれていたはずだ。けれど、詩歌の賞賛するケイやシンは、目鼻立ちのはっきりとした現代風のイケメンだ。ケイの瞳は涼やかに切れているが、しっかり二重だ。平安風イケメンは一重瞼が絶対条件だったと記憶している。
単純に詩歌がズレているだけかもと思ったけれど、雅姫の記憶ではそれがここの常識らしい。
ここが平安時代ではないなら何なのか、気にならなくもないが、私にとってはとても過ごしやすい違いだから、取りあえずほっとこうと思う。
他に気になっているのは、雅姫の記憶について。
ここで生活する上で必要な知識やらは何となく既に頭に入っているし、彼女の記憶を覗き見しようと思えばできなくはない。
けれど、全貌を把握することは未だできていない。この状況に関連する記憶を知りたい、と思えば頭の中にそれがピンポイントで浮かび上がってくるだけで、走馬灯のごとく記憶が溢れ出ることはないから。
いくらこの身体の持ち主とはいえ、他人ひとの記憶を必要以上に盗み見ることは罪悪感がある。
私がこの身体に入り込むことになった経緯が知りたいのだが、それだけはヴェールがかかっているかのような靄に覆われて上手く見えない。
そんなところだろうか。
ちなみに、前世の自分の記憶は、腐に関することしか残っていない。
何て虚しい人生だったんだろうと思わないでもないが、Blに全てを捧げるのも悪くない。きっと、それなりに幸せだったんだろう。
そうであってほしいと願うことしか、私にはできない。


「姫様?」
ぼーっと考えていた私は、案じるように眉をひそめる詩歌しいかに慌てて微笑みかけた。

記憶もないし、前世については割り切れてると思ってたけど、流石にすっぱりとはいかなかったみたい。
「どうしたの、詩歌?」
「私はどうもしません。姫様こそ、どうされたんですか?心ここにあらず、と言った感じですけれど。そろそろ旦那様が姫様と会いたいとおっしゃっているそうですが、そのご様子だともう少しお待ちいただく必要があるようですね。」
旦那様、つまり、この屋敷の主人は雅姫の父親だ。
左大臣、藤原ふじわらの房麿ふさまろ。字面こそ厳しいが言葉の響きはどことなくほわほわしていて、そのギャップが面白い。 
人物像は、不明だ。楽しい人だったらいいんだけど。
詩歌はよくできた侍女だから、腐関連の話題以外で感情を全面に押し出すことはしない。そうなると、詩歌以外とほとんど関わることのない私には分からない。
みやび姫の記憶からは、何故か父親の姿はほとんど読み取れないし。
「そうね。その方が私にとって都合がいいわ。」
今の段階では流石に情報が少なすぎる。
もっと慎重に記憶を探って、詩歌にも質問して、ってしてからじゃないと。
頷いて詩歌の発言を支持するが、詩歌は自分で言ったくせに驚いたような顔をして、それから額に手をあててがっくりと俯いた。詩歌にしては珍しいその仕草に、私はおずおずと声をかける。
「詩歌?」
「そうでした。『雅様』ではなく、『姫様』でした。……雅さまは旦那様に会えることを何よりも嬉しく思われていたので、面会を持ち出せば大抵言うことを聞いてくれたんです。その癖が出ました、すみません。」
ひとりごちるような調子で話始めた詩歌だが、最終的にはしっかり目を見つめて私に語りかけてきた。
そのどこか虚ろな瞳に吸い込まれそうになって、私は慌てて口を開いた。
「そうだったの。けれど……」
詩歌の語る雅姫と、私の知っている彼女の記憶がかけ離れていることを話すと、詩歌は細い顎に指を這わせて考え始めた。
目にはいつもの凛とした光が宿っていたのでほっとして、私も一緒に考える。
大体の予想がついた頃合いで、詩歌が口を開いた。
「完全なる私の憶測ですが、お伝えしてよろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ。」
「それでは、遠慮なく。」
美しく礼をした詩歌が口にした予想は、私のそれと大体同じだった。
……性癖似てると感性まで似てくるのかな?
「雅様の意識は、まだ姫様の脳のどこかに眠っているんだと思います。それで、誰にも見せたくない本当に大切な記憶だけ、上手くしまいこんでるから、姫様には覗けないのかなと。」
非科学的な話ですみません、と詩歌は言うけれど私としては苦笑するより他なかった。
「私が今ここにいる時点で科学とかもう関係なくなってるわ。」
「……なるほど。」
真面目な顔で詩歌が頷くのが面白かった。
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