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前編
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あと数年で、地球外生命体は見つかる。
広大な宇宙のどこかに、人類以外の生命が存在しているという願望にも似た想いは、科学の発展により、今や手の届くところまできていた。
――東京都、立川。
東京の名を借りた自然あふれる地。
この一角に、居住の決め手ともなる自然景観を損なわぬよう、地上部分は可能な限り地味で質素に、そしてその大部分を地下へと埋めた研究所がある。
七川新はこの研究所に籍を置く学者の一人だった。
「今日も孤独だ。この研究所は設備こそ凄いけど、大きな監獄みたいだよ」
研究室へと向かう途中、大学からの友人である仲瑞樹は、真っすぐと前を見ながら言った。
「瑞樹。お前それ、昔から言ってるよな。孤独って『ひとりぼっち』とかそんな意味だろ? それを言ったら俺はどうなる? 俺はお前と居るから孤独だとは感じたことないぞ」
「それは辞書通りの答えだろ。これは感情の話なんだよ……ほんと、新みたいに頭が良すぎるってのも考えようだよな」
瑞樹はやれやれといった様子で手のひらを天上に向け、首を振った。
「ところでさ、新はあとどれくらいで見つかると思う?」
新は「またその話か」と思いながら、ため息交じりに返す。
「惑星の方か?」
新の言葉に瑞樹は眉根を寄せ、呆れた様子で新を見た。
「知ってるだろ? 俺はそっちにはあんまり興味がないんだよ」
吐き捨てるような瑞樹の言葉が、静かな研究所内に響き渡る。
「そんな大声で言うなって。他の先生たちに怒られるぞ」
「気にすんな、この時間はまだ、ほとんど誰もいねーから」
瑞樹は軽く辺りを見渡すと、含みを持たせた笑顔を見せた。
二人のいるこの研究所では、大きく二つの研究を行っている。
一つは惑星の観測と新しい惑星の発見。
惑星の観察は主に「太陽系惑星」、即ち、地球を含めた太陽の周りを回る惑星観察のことを指している。
水星や金星など、地球以外に七の惑星が存在しており、学校の授業で「すいきんちかもくどてんかい」と覚えた人も少なくないだろう。
一方で新しい惑星の発見とは、この「太陽系惑星」に属さない惑星、いわゆる「太陽系外惑星」の発見を指している。
未だにその実態はおろか、正式な数ですらも人類の技術では把握することすら出来ていない、まさに神秘の領域とも呼べるモノだった。
そして、もう一つの研究内容は地球外生命体の探索。
これは「太陽系惑星」「太陽系外惑星」を問わず、地球を除くあらゆる惑星において生命がいるのかどうかを探索する研究だ。
世界中の天文学者たちが「あと数年だろう」と口を揃え、どれだけ小さくとも何か手掛かりになりそうなモノを見つけては、「この無限の宇宙には人類以外の知的生命体がいるんだ」と、彼らは夢と希望の歓喜の渦に溺れていくのだった。
新と瑞樹も日々この二つ目の研究を行い、彼らと同じ波の中を生きていた。
「そうだとしても、もう少し周りを気にしろって。いつか寝首を搔かれるぞ」
「ふん、だってそうだろ? 宇宙のことを知れば知る程、宇宙の広大さに気付かされる。時間を掛ければ幾らだって新しい惑星なんて見つかるって思えちまう。そう考えると、仮に新しい惑星が見つかったって、『やっぱりありましたね』って感想以外抱かない。そんなの達成感もくそもねーよ」
瑞樹の言うことも理解は出来るが、どうもこいつは口が悪い――と、新は鼻から大きく息を吐き出した。
瑞樹は悪びれる様子もなく、視線を前へと送っていた。
「もう少し言葉遣いをだな――」
「おい、お前らはもう勤務時間中だよな? くだらない私語は慎めよ」
新の注意を遮るように、睨みを利かせた多田信二が抑揚のない声で口を挟む。
その声に、新の背筋は無意識に伸びた。
多田の目つきがいつにも増して悪いのは、今が早朝だからというわけではなさそうだ。
「多田さん――すみません、気を付けます」
新は咄嗟に余所行きの表情を作り、軽く頭を下げる。
すると、隣で瑞樹が「仕事はちゃんとしてんだから良いじゃねぇか」と、多田にもぎりぎり届く程の小さな声で呟いた。
「仲、なにか言ったか? どうやらお前の声は、地球では幾分か聞き取りにくくなってるのかもしれん。お前の好きな、『地球外生命体』とやらに操られてるんじゃないのか」
多田の挑発とも取れる発言に、瑞樹の右足が多田に向かって一歩前へと進む。
それを見た新は慌てて瑞樹と多田の間に割って入った。
「ま、まぁ落ち着けよ、瑞樹。元はといえば俺らの声がでかかったってのもあるわけだし」
正確には瑞樹の声だけど――と思いながらも、この場を収めるには自分も加害者になる方が手っ取り早いと、新は二人に向かって渾身の笑顔を交互に通わせた。
瑞樹は明らかに大きく、多田に聞こえるような舌打ちをしたが、一先ずはそれ以上の言動をとることはなかった。
新が多田に向かって眉毛を上げて合図を送ると、「ふん」と言って多田は踵を返し、研究所の奥へと歩いて行く。
多田が研究室の一室に入り、姿が見えなくなると、瑞樹は再び大きな声で言った。
「なんで新はあいつの肩を持つんだよ」
「別にそんなんじゃないけどさ、ほら――」
研究分野が違うだけで、根っこはお前と似てるだろ――そう言いかけて、新は言葉を飲み込んだ。
鎮火しかけた火種に、再びガソリンを撒く必要はない。
「必死なんだよ。向こうも向こうでさ」
多田は二人と同じ大学で学年は一つ上、年齢は二歳上の先輩だ。
新とは違い、主に「新しい惑星の発見」を研究している。
そして瑞樹と多田のこの確執は、大学時代に生じたものだった。
きっかけは取るに足らない些細なことで、ちょっとした意見の食い違いの中で、瑞樹が浪人を経て入学した多田をバカにする発言をしたことから始まる。
後に聞いた話だが、その浪人理由というのは、多田は当時、高校時代から世話になっていた先輩の元で研究の手伝いをしていたようで、研究に没頭しすぎるあまり、勉強が疎かになったことが原因らしい。
好きなことで視野が狭くなるのは、本当に瑞樹とよく似ている。
だからこそ、互いに干渉し、反発しあってしまうのかもしれないと新は常々思っていた。
「そこら辺にあるはずの新しい惑星が見つからないからだろ? そんなの、ただの八つ当たりじゃねーか……、多田だけに」
季節外れの悪寒に襲われる程度の冗談が、新の耳をほのかに刺激した。
「お互い認めてるくせに、素直じゃないな」
瑞樹に聞こえない声で新は呟くと、瑞樹の肩を数回優しく叩き、研究室へと向かった。
「おぉ、おはよう。二人とも、今日も早いね」
「氷室室長、おはようございます」
研究室に入ると、二人の所属する「地球外生命体の探索」チームの長である、氷室がコーヒーを片手にモニターを眺めていた。
氷室はこの世界ではかなりの有名人で、宇宙に関する様々な発見をしてきた、研究所きっての切れ者である。
また温厚な性格の持ち主でもあり、研究所内での人望も厚い。
余談になるが、そんな温厚な性格は自分に向かってだけ牙を剝き、最近の健康診断で肥満度指数が八年連続で上昇となったらしく、目を背けたくなる程に砂糖やガムシロップを入れ糖質の塊と化したコーヒーも、今は奥様の強い要望で禁止にされているらしい。
お陰でコーヒーを飲むペースはガクンと落ちていた。
「室長、何かわかりました?」
入室するや否や、瑞樹は氷室に尋ねた。
氷室の元には度々、世界各国から様々なデータや研究結果などが送られてきており、新は昨日もそのデータ分析を行っていた。
「仲くん、君は本当に熱心だねぇ」
そう言って氷室は微笑んだ。
氷室は笑うと目が無くなるので、一層、仏のように優しく見える。
「瑞樹、昨日の今日だぞ。そんなに早く何かが出るわけ――」
「実はちょっと気になることがあってね」
「何か見つかったんですね⁉」
まるで新の言葉がなかったことにされたように、瑞樹は身を乗り出して氷室の元へと駆け寄る。
氷室は推移を続けるモニター数値の一部を指差し、地球の大気データと比較をしながら言った。
「この大気の分析結果だが……、少し不思議だと思わないかい?」
「あれ? これって確か――」
「そう。この物質は今まで地球でしか見られていなかったモノだ。それも、地球上の生物によって吐き出されるモノ。それが、こんなにも地球と近しい数値でこの惑星にも存在している。ここだけで一つの仮説を立てるとするならば――」
氷室は二重顎になっている首の肉をつまみ、下へと引っ張ると、少しの間モニターを睨んだ。
そして再びゆっくりと口を開く。
「この惑星には、地球上の生物とよく似た生物が存在するのかもしれない」
「室長。このデータの出処って確か……」
新は氷室の背中に向かって問いかける。
「アメリカの研究所だよ。ここの教授とは古くからの付き合いでね、かなり信頼できるデータだと、僕はみている」
「じゃあデータ自体に誤りがある可能性は低いってことですね?」
瑞樹は目を輝かせ、興奮を抑えきれない表情をしていた。
氷室は静かに頷き、言葉を重ねる。
「そうだね、少なくとも僕はそう考えている。とはいっても、これだけでそうだと決めつけるのは時期尚早だ。様々な状況が偶然、偶発的に生じた結果とも言い切れないからね。あくまでこのデータだけで仮説を立てるとしたら、の話だよ」
氷室は釘を刺すように語尾を強めたが、それでも瑞樹の表情が崩れることはなかった。
「ほらな、やっぱり地球以外にも生命体は存在しているんだ。新、これは凄い発見だぞ」
このデータを瑞樹に見せるのも時期尚早だったのでは――と新が氷室に視線を送ると、氷室も同じことを感じていたのか、呆れるように薄くなった頭を掻いていた。
「と、とにかく今室長が言ったように、このデータだけじゃなんとも言えん。もう少し分析、解析を進めていこう」
新は瑞樹の心に訴えるように声のボリュームを上げて言ったが、「あと少しだ……」と、うわのそらとなっている瑞樹の心に声は響かず、虚しい程に静かに、新の声は空気の淀みへと消えていった。
「新くんの言う通りだ。一先ずこの結果については『仮説』ということで今朝、先方に報告をしている。こういう未知のモノに関しては、何が起こるかわからないからね。慎重にいこう」
「はい!」
ようやく我を取り戻した瑞樹は、どこぞの国の軍隊のような返事を返すと、やる気に満ち溢れた表情をしながら自席に座った。
しかし、不敵な笑みを浮かべる瑞樹とは対照的に、与えられたデータは僅かにも微笑むことなく、この日はこれ以上何も見つかることはなかった。
広大な宇宙のどこかに、人類以外の生命が存在しているという願望にも似た想いは、科学の発展により、今や手の届くところまできていた。
――東京都、立川。
東京の名を借りた自然あふれる地。
この一角に、居住の決め手ともなる自然景観を損なわぬよう、地上部分は可能な限り地味で質素に、そしてその大部分を地下へと埋めた研究所がある。
七川新はこの研究所に籍を置く学者の一人だった。
「今日も孤独だ。この研究所は設備こそ凄いけど、大きな監獄みたいだよ」
研究室へと向かう途中、大学からの友人である仲瑞樹は、真っすぐと前を見ながら言った。
「瑞樹。お前それ、昔から言ってるよな。孤独って『ひとりぼっち』とかそんな意味だろ? それを言ったら俺はどうなる? 俺はお前と居るから孤独だとは感じたことないぞ」
「それは辞書通りの答えだろ。これは感情の話なんだよ……ほんと、新みたいに頭が良すぎるってのも考えようだよな」
瑞樹はやれやれといった様子で手のひらを天上に向け、首を振った。
「ところでさ、新はあとどれくらいで見つかると思う?」
新は「またその話か」と思いながら、ため息交じりに返す。
「惑星の方か?」
新の言葉に瑞樹は眉根を寄せ、呆れた様子で新を見た。
「知ってるだろ? 俺はそっちにはあんまり興味がないんだよ」
吐き捨てるような瑞樹の言葉が、静かな研究所内に響き渡る。
「そんな大声で言うなって。他の先生たちに怒られるぞ」
「気にすんな、この時間はまだ、ほとんど誰もいねーから」
瑞樹は軽く辺りを見渡すと、含みを持たせた笑顔を見せた。
二人のいるこの研究所では、大きく二つの研究を行っている。
一つは惑星の観測と新しい惑星の発見。
惑星の観察は主に「太陽系惑星」、即ち、地球を含めた太陽の周りを回る惑星観察のことを指している。
水星や金星など、地球以外に七の惑星が存在しており、学校の授業で「すいきんちかもくどてんかい」と覚えた人も少なくないだろう。
一方で新しい惑星の発見とは、この「太陽系惑星」に属さない惑星、いわゆる「太陽系外惑星」の発見を指している。
未だにその実態はおろか、正式な数ですらも人類の技術では把握することすら出来ていない、まさに神秘の領域とも呼べるモノだった。
そして、もう一つの研究内容は地球外生命体の探索。
これは「太陽系惑星」「太陽系外惑星」を問わず、地球を除くあらゆる惑星において生命がいるのかどうかを探索する研究だ。
世界中の天文学者たちが「あと数年だろう」と口を揃え、どれだけ小さくとも何か手掛かりになりそうなモノを見つけては、「この無限の宇宙には人類以外の知的生命体がいるんだ」と、彼らは夢と希望の歓喜の渦に溺れていくのだった。
新と瑞樹も日々この二つ目の研究を行い、彼らと同じ波の中を生きていた。
「そうだとしても、もう少し周りを気にしろって。いつか寝首を搔かれるぞ」
「ふん、だってそうだろ? 宇宙のことを知れば知る程、宇宙の広大さに気付かされる。時間を掛ければ幾らだって新しい惑星なんて見つかるって思えちまう。そう考えると、仮に新しい惑星が見つかったって、『やっぱりありましたね』って感想以外抱かない。そんなの達成感もくそもねーよ」
瑞樹の言うことも理解は出来るが、どうもこいつは口が悪い――と、新は鼻から大きく息を吐き出した。
瑞樹は悪びれる様子もなく、視線を前へと送っていた。
「もう少し言葉遣いをだな――」
「おい、お前らはもう勤務時間中だよな? くだらない私語は慎めよ」
新の注意を遮るように、睨みを利かせた多田信二が抑揚のない声で口を挟む。
その声に、新の背筋は無意識に伸びた。
多田の目つきがいつにも増して悪いのは、今が早朝だからというわけではなさそうだ。
「多田さん――すみません、気を付けます」
新は咄嗟に余所行きの表情を作り、軽く頭を下げる。
すると、隣で瑞樹が「仕事はちゃんとしてんだから良いじゃねぇか」と、多田にもぎりぎり届く程の小さな声で呟いた。
「仲、なにか言ったか? どうやらお前の声は、地球では幾分か聞き取りにくくなってるのかもしれん。お前の好きな、『地球外生命体』とやらに操られてるんじゃないのか」
多田の挑発とも取れる発言に、瑞樹の右足が多田に向かって一歩前へと進む。
それを見た新は慌てて瑞樹と多田の間に割って入った。
「ま、まぁ落ち着けよ、瑞樹。元はといえば俺らの声がでかかったってのもあるわけだし」
正確には瑞樹の声だけど――と思いながらも、この場を収めるには自分も加害者になる方が手っ取り早いと、新は二人に向かって渾身の笑顔を交互に通わせた。
瑞樹は明らかに大きく、多田に聞こえるような舌打ちをしたが、一先ずはそれ以上の言動をとることはなかった。
新が多田に向かって眉毛を上げて合図を送ると、「ふん」と言って多田は踵を返し、研究所の奥へと歩いて行く。
多田が研究室の一室に入り、姿が見えなくなると、瑞樹は再び大きな声で言った。
「なんで新はあいつの肩を持つんだよ」
「別にそんなんじゃないけどさ、ほら――」
研究分野が違うだけで、根っこはお前と似てるだろ――そう言いかけて、新は言葉を飲み込んだ。
鎮火しかけた火種に、再びガソリンを撒く必要はない。
「必死なんだよ。向こうも向こうでさ」
多田は二人と同じ大学で学年は一つ上、年齢は二歳上の先輩だ。
新とは違い、主に「新しい惑星の発見」を研究している。
そして瑞樹と多田のこの確執は、大学時代に生じたものだった。
きっかけは取るに足らない些細なことで、ちょっとした意見の食い違いの中で、瑞樹が浪人を経て入学した多田をバカにする発言をしたことから始まる。
後に聞いた話だが、その浪人理由というのは、多田は当時、高校時代から世話になっていた先輩の元で研究の手伝いをしていたようで、研究に没頭しすぎるあまり、勉強が疎かになったことが原因らしい。
好きなことで視野が狭くなるのは、本当に瑞樹とよく似ている。
だからこそ、互いに干渉し、反発しあってしまうのかもしれないと新は常々思っていた。
「そこら辺にあるはずの新しい惑星が見つからないからだろ? そんなの、ただの八つ当たりじゃねーか……、多田だけに」
季節外れの悪寒に襲われる程度の冗談が、新の耳をほのかに刺激した。
「お互い認めてるくせに、素直じゃないな」
瑞樹に聞こえない声で新は呟くと、瑞樹の肩を数回優しく叩き、研究室へと向かった。
「おぉ、おはよう。二人とも、今日も早いね」
「氷室室長、おはようございます」
研究室に入ると、二人の所属する「地球外生命体の探索」チームの長である、氷室がコーヒーを片手にモニターを眺めていた。
氷室はこの世界ではかなりの有名人で、宇宙に関する様々な発見をしてきた、研究所きっての切れ者である。
また温厚な性格の持ち主でもあり、研究所内での人望も厚い。
余談になるが、そんな温厚な性格は自分に向かってだけ牙を剝き、最近の健康診断で肥満度指数が八年連続で上昇となったらしく、目を背けたくなる程に砂糖やガムシロップを入れ糖質の塊と化したコーヒーも、今は奥様の強い要望で禁止にされているらしい。
お陰でコーヒーを飲むペースはガクンと落ちていた。
「室長、何かわかりました?」
入室するや否や、瑞樹は氷室に尋ねた。
氷室の元には度々、世界各国から様々なデータや研究結果などが送られてきており、新は昨日もそのデータ分析を行っていた。
「仲くん、君は本当に熱心だねぇ」
そう言って氷室は微笑んだ。
氷室は笑うと目が無くなるので、一層、仏のように優しく見える。
「瑞樹、昨日の今日だぞ。そんなに早く何かが出るわけ――」
「実はちょっと気になることがあってね」
「何か見つかったんですね⁉」
まるで新の言葉がなかったことにされたように、瑞樹は身を乗り出して氷室の元へと駆け寄る。
氷室は推移を続けるモニター数値の一部を指差し、地球の大気データと比較をしながら言った。
「この大気の分析結果だが……、少し不思議だと思わないかい?」
「あれ? これって確か――」
「そう。この物質は今まで地球でしか見られていなかったモノだ。それも、地球上の生物によって吐き出されるモノ。それが、こんなにも地球と近しい数値でこの惑星にも存在している。ここだけで一つの仮説を立てるとするならば――」
氷室は二重顎になっている首の肉をつまみ、下へと引っ張ると、少しの間モニターを睨んだ。
そして再びゆっくりと口を開く。
「この惑星には、地球上の生物とよく似た生物が存在するのかもしれない」
「室長。このデータの出処って確か……」
新は氷室の背中に向かって問いかける。
「アメリカの研究所だよ。ここの教授とは古くからの付き合いでね、かなり信頼できるデータだと、僕はみている」
「じゃあデータ自体に誤りがある可能性は低いってことですね?」
瑞樹は目を輝かせ、興奮を抑えきれない表情をしていた。
氷室は静かに頷き、言葉を重ねる。
「そうだね、少なくとも僕はそう考えている。とはいっても、これだけでそうだと決めつけるのは時期尚早だ。様々な状況が偶然、偶発的に生じた結果とも言い切れないからね。あくまでこのデータだけで仮説を立てるとしたら、の話だよ」
氷室は釘を刺すように語尾を強めたが、それでも瑞樹の表情が崩れることはなかった。
「ほらな、やっぱり地球以外にも生命体は存在しているんだ。新、これは凄い発見だぞ」
このデータを瑞樹に見せるのも時期尚早だったのでは――と新が氷室に視線を送ると、氷室も同じことを感じていたのか、呆れるように薄くなった頭を掻いていた。
「と、とにかく今室長が言ったように、このデータだけじゃなんとも言えん。もう少し分析、解析を進めていこう」
新は瑞樹の心に訴えるように声のボリュームを上げて言ったが、「あと少しだ……」と、うわのそらとなっている瑞樹の心に声は響かず、虚しい程に静かに、新の声は空気の淀みへと消えていった。
「新くんの言う通りだ。一先ずこの結果については『仮説』ということで今朝、先方に報告をしている。こういう未知のモノに関しては、何が起こるかわからないからね。慎重にいこう」
「はい!」
ようやく我を取り戻した瑞樹は、どこぞの国の軍隊のような返事を返すと、やる気に満ち溢れた表情をしながら自席に座った。
しかし、不敵な笑みを浮かべる瑞樹とは対照的に、与えられたデータは僅かにも微笑むことなく、この日はこれ以上何も見つかることはなかった。
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