紺碧のかなた

こだま

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第二章 第五節

役立たず

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 明空は、鳶飛と夕餉をとりながら内心そわそわしていた。
 (今日は、鳶飛が寝たら出よう。こいつは寝つきがいいし眠りも深いから、一旦寝てしまえば気づかないはず…。)
 彼は、一昨日にはじまり、昨日も早朝に物乞いたちの見回りを行っていた。主にした事といえば邪気を祓い場を清めただけだったのだが、彼の術で邪気が消えた途端、物乞いたちは皆見違えたように精気を取り戻した。死んだように動かなかった老人たちはゆっくりと目を開け、うずくまっていた子どもたちも急に体が軽くなったと驚いて立ち上がった。彼らは明空を取り囲むと、全身を震わせこぞって感謝の意を伝えてくる。それがまた、明空をさらなる使命感に駆り立てるのだった。彼は、もっと多くの人を自分の術で救いたいと思い、今回は早朝まで待たず、鳶飛が寝付いたらすぐに部屋を出ることにしたのだった。鳶飛に黙って勝手に行動することに罪悪感が無いといえば嘘になる。しかし、物乞いたちの震える笑顔や、自分の術がどれほどの人を救えるかを考えると、そんな心配事のためだけに行動しないのは義に反するように思われた。それで明空は、今日一日ずっとこの計画がばれはしないかと冷や冷やしながらも、鳶飛に悟られてはならないと必死に平然を装っていたのだ。
 「今日の魚もうまいな。」
 「ああ。もう慣れてきたか?魚や肉を食べるのは。」
 「もちろんだよ。もう何回も言ってるだろ?あんな寺はもう捨てたんだ。それに、こんなにうまいもの、十数年も食べ逃してたことの方が悔しいよ。」
鳶飛はその言葉にふっと笑った。
 「俺も寺を出て間もないころは同じことを思っていた。」

 二人は夕餉を終え風呂に入ると、寝る支度をはじめた。
 「もうそっちも布団引いたし、蝋燭消していい?」
 「ああ。おやすみ。」
 「おやすみ。」
明空は、ふっと蝋燭を吹き消すと、胸を高鳴らせながら鳶飛が寝付くのを待った。しばらくすると、鳶飛のほうから微かな寝息が聞こえてきた。
 (もういい…かな?)
息を殺してそっと起き上がり、ゆっくりと布団から出る。忍び足で部屋を後にすると、そろりそろりと階段を下りた。宿を出る前にちらりと後ろを振り返ったが、誰の姿も見えない。
 (ふぅ…。取りあえずは大丈夫そうだな。)
外に出てみると、通りの灯りは数件の店をのぞいてほとんどが消えていた。人通りも全くないわけではないがまばらだ。明空はもう一度振り返って鳶飛の姿が見えないことを確認すると、手印を作って邪気の濃い場所を探しはじめた。
 (この宿よりもう少し西の方が多いな。今日はあいつが起きるまでたっぷり時間があるし、いつもよりちょっとだけでも遠くへ行けたらいいんだけど。)
そう思いながら、明空はまずは察知した中で一番近い場所から行ってみることにした。
 邪気を辿って進んでいくと、二つの酒亭の間にある暗い路地に着いた。そこには、男が一人うつ伏せで倒れている。ところどころ薄くなった垢まみれの髪。あちこち破けた灰色の着物。そこから覗く四肢は、木の枝のように細く皺だらけだ。この男の全身から、むせ返るような邪気が漂ってくる。
 (これだけの邪気をため込むなんて、どんな風に暮らしてきたんだ。いや、ため込んだだけじゃこんなにならないはず…。まて、何かいる…!)
明空は男の背の真ん中あたりに、何か黒い渦のようなものがあることに気がついた。
 (悪霊だ!)
その正体が分かるやいなや、明空は素早く両手で三角形の手印を作ると、全身の霊力をそこへ集中させ、ふっと息を吹きかけた。すると、青白い三角形の光が明空の手から放たれ、男の全身を包み込んだ。辺りの邪気がその光にどんどん吸いこまれていく。光はその輝きを強めながら次第に黒い渦に向かって収縮していき、やがて目も開けていられないほど眩しく輝いたとき、完全に悪霊を取り込み、ぱっと消えた。一瞬前まで昼間のように明るく照らされていた路地は、再びあっけなく暗闇に包まれた。
 (ふぅ。小物の悪霊だったけど、やっぱり疲れるな。)
悪霊を無事祓い終えた明空は手の甲で額の汗を拭った。と、足元の男がもそもそと動き出した。
 「大丈夫ですか。」
明空は彼の脇へ屈み込んだ。
 「んん…。ん?誰だ、兄ちゃん…。」
とんきょうな答えに、明空は苦笑した。
 「気分はどうですか。あなた、悪霊に憑かれていたので祓っておきましたよ。大したものではなかったですが。」
 「へ、悪霊?どうりでずっと体がぁ重かったわけだぁ…。でもぉ、お陰でよぉ、何だか頭がすっきりしてきたし、体も動かせらぁ。これで今日も何とか生きていられるってなぁ…。ありがとよ、兄ちゃん。」
男は明空の助けを借りて半身を起こすと、垢だらけの顔をにっと歪めて明空に笑いかけた。
 「いえ。俺にできることはこれくらいですから。あ、あと、この護符をどうぞ。これがあればもう邪気も悪霊も何も寄ってきません。」
明空は男に護符を手渡した。
 「お?お、おお。」
男は護符を受け取ると、ぺらぺらとひっくり返して不思議そうにそれを見つめた。明空は彼に一礼すると、すっと立ち上がった。次はどこに行こうかと考えながら路地を出た瞬間、どんと誰かにぶつかった。
 「す、すみません。」
顔を上げると、そこに立っていたのは、今まで見たことのないほど冷たい目をした鳶飛だった。
 「えっ、鳶飛?!」
 「おい明空。これはどういうことだ。」
口調まで氷のように冷たい。
 「いや、これは、その…」
 「このところ何かお前がこそこそしてると思っていたが、こういう事か。」
 「き、気づいてたのか?」
明空ははじかれたように顔を上げた。
 「当たり前だ。お前の気配に慣れたとは言ったが、お前の気配の動きを察知しなくなったとは言っていない。最初は厠にでも行っているのだと思っていたが、やけに長いし、返ってきたお前から微かに街の匂いがするし、どうも怪しいと思っていたら今日は夜中から一人で出て行くだろ。さすがに何かあると思ってずっとつけてきた。」
 「なっ、分かってたなら普通にきけばよかったじゃないか!」
 「きいてお前は正直に答えてたのか。」
 「そ、それは…」
 「なあ明空。自分で自分の身も守れないお前が、俺に何も言わずに一人で出歩くことがどれだけ危険か分かっているのか。ましてや俺たちは目立ってはいけない身なんだぞ。何回も言っただろ。」
 「わ、分かってるよ、そんなこと…。でも、それでも行かなくちゃって思ったんだ。だってここにはこんなに俺の力で救える人たちがいる。確かに俺はお前みたいな法術は使えないけど、邪気祓いや魔除けはできる。それで俺、気づいたんだ。物乞いのいるところは邪気が溜まりやすくて、それがあの人たちを余計に苦しめてるんだって。それを清めるだけでも、かなりの助けになるんだ。実際、ずっと倒れてたのに動けるようになった人もたくさんいるし、悪霊に憑かれそうになってた人も何人か守ったし、この前助けた子どもだって…」
必至でまくし立てる明空を、鳶飛は突き刺すような鋭い視線で黙らせた。
 「あいつらはお前にそれを頼んだのか。」
 「い、いや、頼まれてはないけど…お金とかあげられない分、俺に出来ることはこれくら…」
 「お前はそれで、あいつらを救えたと思っているのか。」
思いがけない問いに、明空は困惑の色を浮かべて鳶飛を見上げた。
 「お前が邪気を祓って、あいつらが少しの間だけ楽になって、それでどうなる。また邪気が溜まってくるまでの短い間に、あいつらが物乞いから脱せられるとでも思ったか。」
 「それは…でも少しでも…」
 「また邪気が溜まってくるころにはどうなる。お前はとっくにあいつらのもとを去った後で、一度助けられた者たちは結局もとの苦しみに突き落とされるんだ。本当の意味であいつらを救い出すことはできないのに、お前はあいつらに仮初の光を見せて『助けた』と思っているだけだ。そんなことは、世の中を知らない良家の子息が、慰みにわずかばかりの施しをしているのと何ら変わりない。」
自分の行いのすべてを否定された気がして、明空は全身がかっと熱くなった。
 「そんな風に言わなくたって…!」 
 「そもそも、お前はどうしてこんなことをしようと思った?あいつらを憐れんでか?落ちた肉を拾い泥水をすすって、嘲り蔑まれながら醜く生きるあいつらが可哀そうだと?そんな惨めなあいつらを俺なら救える、いや救わなきゃならない、ってか?いい加減にしろ。あいつらはお前が役立たずじゃないことを証明するための道具じゃないんだ。」
その言葉は、明空の胸に矢のようにぐさりと突き刺さった。彼は鳶飛をきっと睨みつけると、両の拳を握りしめてわなわなと震え出した。
 「…っなら、どうすりゃいいんだよ!俺はお前がいないと子どもにも太刀打ちできないような世間知らずで、いつもお前の足を引っ張っては助けられて守られてばかりで!少しでもお前に近づこうと思ってお前の法術を学ぼうとしても、お前は全然教えてくれないし、俺はお前といるといかに自分が何もできない役立たずが思い知らされるんだよ!いつも、いっつも!でもそんな俺でも、やっと出来ること見つけて、少しでも誰かの役に立とうって思ってたんだよ!」
明空はそう言い放つとくるりと鳶飛に背を向け、だっと駆け出した。目から熱いものがこみ上げてきて、鼻の奥がつんと痛い。
 「あ、おいっ!待てっ!」
後ろから鳶飛の叫ぶ声が聞こえてきたが、明空は振り向かずに走り続け、かすむ視界の中、懐からふだを取り出して後ろに投げた。
 「うわっ!おいっ!ちょっ!」
それは敵から身を守るための護符で、投げた相手の動きを一時的に封じることができるものだった。これで鳶飛はしばらく追ってこれない。
 (分かってる、分かってるよ、そんなの、俺が一番――!!)
明空の心の弱く柔らかい部分は、鳶飛の放った一言ひと言で容赦なく切り裂かれ、血を流していた。「善行」の背後に隠していた己の醜悪さを無理やり明るみに出され、恥と悔しさで胸が張り裂けそうだ。明空は、溢れ出てくる言いようのないやる瀬なさに任せて、ただ無茶苦茶に走った。
 「おいっ、明空、待て!そっちは…!」
鳶飛は胸に貼り付いた護符に舌打ちしながら、西方の闇の中へ消えていく明空の細い後ろ姿をただ見送るしかなかった。

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