死者たちは祭壇でおどる

福留幸

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第1章 捧げ者

第6話 藪から棒に[其の参]

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 急がないと。早くしないと。湊が死んでしまう。
「湊……湊ぉ……!」
 泣いて、ひたすら泣いた。泣いたらほんの少し冷静になれたが、それで状況が変わるなら苦労はしない。――そう思っていた。
 未知の力に導かれるかのようだった。秋乃の脳裏に、あの言葉が蘇った。
 「強く願えば、君の魂は応えてくれるだろう」。鉄の言葉だ。湊の地獄送りを命じたのが彼なのだとしたら、もう何を信じて良いか分からないが、今は賭ける・・・しかない。
 湊を助ける力をください。目を閉じて願った。願いはすぐに実を結んだ。瞼越しに光を感じて目を開けると、首から下げたペンダントが炎を纏っていた・・・・・・
 眩い真紅の炎。だが、この炎が秋乃を傷付けることはなかった。温かくて・・・・心地よい・・・・炎。炎の正体は間もなく知れた。
 炎が動き出し、湊の体に触れる。最初こそひやりとしたものの、危惧は杞憂だった。
 湊が受けた傷が緩やかに癒やされ、絶え絶えだった呼吸が安定と力強さを取り戻してゆく。
 秋乃はペンダントを湊にかざし、願い続けた。
 治療の完了と同時に、炎は音もなく消失した。
 湊の肉体も呼吸も顔色も、全てが元通りになっている。湊は助かったのだ。
 生まれて以来、ここまで安堵したことがあっただろうか。友達を救えた。その事実が、能力ちからの行使による疲労を打ち消していた。
 やがて、湊がゆっくりと瞼を開いた。まだ目の焦点が定まらず、何もない空間をぼーっと見詰めるに留まっているが、秋乃が感極まるには充分すぎる挙動だ。
「湊……! 良かった……!」
 秋乃の鼻声を聞いて、意識が覚醒したのだろう。湊は目を見開き、秋乃がぎょっとするほど勢いよく身を起こすと、何やら興奮気味に、到底信じられない言葉を声高に発した。
「あいつ、超つえー!」
「……は?」
 唖然とする秋乃。湊はなおも喋り続ける。
「どこに住んでんのかな! 弟子にしてくんねーかな!」
「え、ちょ、湊……」
「あ、その前に友達か! ちゃんと過程は踏まねーとな!」
「湊ってば!」
 湊に過程を踏むという概念があったことにも驚くが、あんな仕打ちを受けたにもかかわらず、弟子だの友達だのと言って距離を詰めようとする様は、正気を疑わざるを得ない。倒れる際に頭を打ったのかも知れない。
 再度あの力を使うべきか悩んでいたら、湊が不意にこちらを見た。
「秋乃! 助けてくれてサンキュな!」
「軽っ!」
 まるでついでのように礼を言われ、秋乃は酷く傷心した。
「湊」
「ん? どしたー?」
 純真無垢な笑顔を、ここまで憎たらしく思ったのは初めてだ。
「わたしがどれだけ心配したと思ってんの!」
 悲しみは反動し、時として怒りに変わる。
 ほぼ絶叫しながら、秋乃は湊の頬に渾身のビンタをお見舞いした。

 * *

 激痛に耐えながら歩く。いったん人気のない場所に移動しなければならない。これ以上時間は止められない。延長には許可が必要なのだ。
「怪我をしたようだね」
「問題ありません。それより……」
「君を撤退させた理由かい?」
「ええ」
 鉄と共に細い路地を進む傍ら、要は頷いた。
 鉄は要を見ないまま、静かに応じた。
「簡単なことさ」

 * *

「ありがとね。付き合ってくれて」
 翌日の夕刻。生活用品を揃えるため、『青の鳥居』内の各店舗を回っていた秋乃は、道案内も兼ねて付いて来てくれた湊に、心からの感謝の気持ちを言葉に乗せた。
「気にすんな! 助けて貰った礼だ!」
 未だ手探り状態の秋乃を、嫌な顔一つせずサポートしてくれる湊には頭が上がらない。
「よし! 次は服屋だな!」
「え?」
 心底感謝していた矢先、何やら悪い予感がした。
「オレが秋乃に似合うやつ探してやるよ! えーっと、まずはトップスだろ? で、ズボンとスカートとソックス。あとタイツと下――」
「それ以上言ったら殴るから」
 予感が当たり、秋乃の気持ちは緩やかに萎えていった。黙っていれば感謝されて終わっていたのに、何故余計な発言をするのだろう。
 気分の切り替えがてら、何気なく向かいの通路を見遣った秋乃は、そこにとある光景を目撃した。
 黒いジャージ姿の少年がベンチに腰掛け、ペットとおぼしき秋田犬に、スティック状のおやつを与えている光景。普段なら気にも留めないが、秋乃は今に限って足を止めてしまった。
 どこかで見た少年だ。高校生ほどの外見。黒服。吊り目。昨日。無人駅。手錠。
 気付いた瞬間、秋乃はそっと後ずさった。そのまま湊の手を引き、速やかに立ち去ろうと試みる。しかし、叶わなかった。
「おーい! 要ー!」
「ちょっ、馬鹿!」
 あろうことか、湊が少年に話し掛けてしまった。ずんずんベンチへ向かって行く彼の背を、秋乃は慌てて追い掛けた。二の舞になる可能性がある以上、一人では行かせられない。
 湊と秋乃は程なくしてベンチ脇に到着したが、今の所、少年の視界には犬しかいない。
「済まないが、後にしてくれ。バステトがまだ食べている」
 起伏のない声でそんな言葉を返された。が、湊には関係ないようだ。
「こんなとこで会うなんて、奇遇だな!」
「バステトがまだ食べているんだ。少し待ってくれないか」
「かーなーめー!」
「……」
 湊の妙な粘り強さにより、要がようやくこちらを向いた。無表情、というより真顔でじっと見詰めてくる姿は、昨日とは全く違う空気を纏っていた。
 洗練された冷徹な眼差しも、異常なまでの苛烈さもない。まるで憑き物が落ちたように静かだった。こうして見ると、目付きが悪いだけの普通の高校生だ。
「……ああ、お前たちか」
 秋乃たちを認識してもなお、要は静かな真顔のまま応じた。昨日の苛烈な彼はどこへ行ったのか。
「おう! オレたちだぞ!」
「湊は黙ってて」
「分かった!」
 秋乃は要が大人しいのをよしとし、今の内に怒りをぶつけておくことにした。
「あんた! 昨日はよくも……!」
「いきなり喧嘩越しか。穏やかでないな」
「あんたが言うな! いきなり湊を殺そうとした癖に!」
 感情任せに怒鳴ったら、バステトとやらに威嚇されたが、現状の秋乃にそれを気にするだけの余裕はない。
 要はバステトを宥めつつ、一時的に沈黙した後、おもむろに口を開いた。
「その件なんだが。あれは俺の人違いによるものだ」
 背筋に恐ろしく冷たいものが走って、秋乃はおののいた。
「人、違い……?」
「ああ。地獄へ送る相手を見誤まった。俺のミスだ。そこの少年は無関係だった」
 眉一つ動かさない要。声のトーンも一定をたもっている。
 秋乃の震えは止まらない。
「つまり……勘違いで殺人未遂を?」
「そんなところだ」
「そんなところだじゃないでしょ! 何してくれてんの!」
 理不尽の域を超えた真実により、震えに別の震えが上書きされた。
 要一人の勘違いで、湊は殺されかけた。秋乃が力を引き出せていなければ、湊は死んでいたのだ。こんなことが許されて良い訳がない。
「ほらな! だから教えてやっただろ? 送る相手間違えてるって!」
 のだが、そう思ったのは秋乃だけだったらしい。
 当の湊は被害者でありながら、加害者である要に如何なる負の感情も示さない。むしろ馴れ馴れしいほど友好的だ。
「そうだな。お前の言った通りだった」
 要も相変わらずだ。どう考えても、加害した人間の態度ではない。
 絶句する秋乃を余所に、要はバステトが食べ終えたのを確認してから、ベンチの隣に設置された白い自販機の前に立った。
 ひとときの逡巡の後、要は飲み物を一本購入し、すっと湊に差し出した。
「これで許してくれ」
「安っ!」
 突っ込んだのは秋乃である。
 あれだけやらかして、僅か百四十円の慰謝料で済ませる気か。こんな暴挙がまかり通る訳がない。
「アップルネクター! これ、めちゃくちゃ好きなんだよ!」
 のだが、そう思ったのも秋乃だけだったらしい。
 当の湊は疑うことを知らない眼をキラキラさせながら、一片の躊躇もなく缶を受け取り、すっかりご満悦の体だ。
 湊は即座にプルタブを引いて中身を飲み干すと、溢れんばかりの笑みを要に向けた。
「お前、良い奴だな!」
「湊ぉ!?」
 驚倒する秋乃。けれども、声はきっと届いていない。
 静かな真顔で、要がベンチに座り直す。
「それから」
「……まだあるの?」
 正直もう聞きたくはなかったが、秋乃は既に拒否すら億劫になっていた。
「明日から、俺もお前たちのチームで活動することになった」
 何を言われたのか、理解が追い付かなかった。
「そういう訳で、よろしく頼む」
 要が真顔で会釈をすると、湊が水を得た魚の如く大仰に反応した。
「マジか! すげー嬉しいぞ! ついでに弟子にし――じゃなかった。友達になってくれよ!」
「前向きに検討する」
 もう勝手にしてくれ。


【第1章 End】
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