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音の始まり
2話
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第二話『時の断裂点(フラクチャー)』
深い夜の静寂を引き裂くように、奏多(カナデ)は不穏な夢から目覚めた。
暗闇の中、空気が凍るように重く、胸の奥で何かがチクチクと疼く。夢の中のオルゴール――逆再生され、崩れ落ちる音色が耳に残っている。
「──時が壊れる前に、音を選べ」
その言葉が、まだ鼓膜の奥で震えている。
奏多は枕元の壁掛け時計を見た。午前3時17分、秒針は止まったまま。スマホの画面にも同じ時刻が表示され、まるで時間そのものが凍りついたかのようだった。
昨夜も、その前も、同じ現象が起きていた。時計が止まり、世界が一瞬静止する。最初は目の錯覚かと思ったが、部屋の空気が薄くなるような違和感を伴う。しかもその間、耳の奥に“破れた音”が響くのだ。
翌朝、奏多はいつものように登校した。教科書と楽譜を抱えながら、いつもの通学路を歩く。だが胸騒ぎは消えない。校門をくぐると、学内放送のアナウンスが小刻みに途切れ、時折、歪んだチャイムが流れていた。
放課後、音楽室に残った奏多は、自分の耳にだけ聞こえる異音を確かめるようにピアノの椅子に腰掛けた。
ゆっくりと楽譜を開き、右手の指先を鍵盤に置く。息を吐くと同時に、わずかなノイズが耳鳴りのように混ざる。
――コツ、コツ、コツ。
しばらく静寂を刻むように打鍵すると、背後に違和感を感じた。振り向くと、窓外の景色が波打ち、空の色が鈍い紫に変わっている。まるで世界が水底のように揺れ動く。
次の瞬間、教室の時計が狂ったように針を逆回転させた。時計のチクタク音はやがてハーモニクスを帯び、不協和音のノイズに変わっていく。ピアノの弦も勝手に震え、「G♯」と呼べそうな不安定な音程を響かせた。
「っ……!」
胸が締めつけられるような恐怖に襲われ、奏多は鍵盤から手を離した。しかし、その手をかすかに引き寄せる何者かの力を感じる。足元から教室の床板がひび割れ、黒い亀裂が広がっていく。
亀裂の中から、冷気とともに禍々しい影が漏れ出す。光を吸い込む漆黒の裂け目――それはただのひび割れではない。時空の裂け目、まさに「断裂点(フラクチャー)」だった。
「探せ。音の記憶を辿れ。さもなくば、世界は音を失う」
また、あの声だ。夢で聞いた声。誰のものでもない、不定形の響き。言葉が終わると同時に、教室全体が轟音に包まれた。鳴り響くノイズは、まるで大気の裂け目を突き破るように激しく、鼓膜を破りそうな勢いで迫る。
必死に耳を塞ごうとしたが、音は内側から響いてくる。身体が微かに浮遊し、視界が白く変わる。
――音の結晶。
その浮遊感の中、奏多の視界には無数の結晶体が浮かび、過去の記憶の断片や、楽譜に書き遺された旋律の一節、校庭の古びた時計台……それらが一挙に映し出された。結晶は瞬時に崩れ散り、白い光の粒子となって消えていく。
やがて、白い光が裂け目を閉じ、音も色も消えた。教室は再び静寂に包まれる。時計の針も正常に戻り、いつもの蛍光灯のざわめきが聞こえてきた。
奏多は膝をつき、額を冷や汗が滴る。何が起きたのか、自分で理解できない。だが、確かなことがあった。
──自分は、何かに“選ばれて”しまった。
胸の奥で、小さな鼓動が高鳴る。
それは恐怖だけではない。未知の力に触れた者だけが感じる、震えるような高揚感でもあった。
時計塔のシルエットが遠く校庭に浮かぶ。夕焼けに染まる空の向こう側に、異常はまだ胸騒ぎを残したまま佇んでいる。
「──世界は変わり始めている」
奏多はそう呟き、握りしめた拳をそっとほどいた。
次に何をすべきかはわからない。ただ一つ、自分の“音”がこの時空を動かしたことだけは、絶対に忘れられなかった。
そして、知らぬ間に胸に刻まれた言葉――黒のメイガス。
奏多はまだ、その存在を知らない。だが、確かなことが一つだけある。
この歪んだ世界を救う鍵は、彼自身の“時音”にある――。
深い夜の静寂を引き裂くように、奏多(カナデ)は不穏な夢から目覚めた。
暗闇の中、空気が凍るように重く、胸の奥で何かがチクチクと疼く。夢の中のオルゴール――逆再生され、崩れ落ちる音色が耳に残っている。
「──時が壊れる前に、音を選べ」
その言葉が、まだ鼓膜の奥で震えている。
奏多は枕元の壁掛け時計を見た。午前3時17分、秒針は止まったまま。スマホの画面にも同じ時刻が表示され、まるで時間そのものが凍りついたかのようだった。
昨夜も、その前も、同じ現象が起きていた。時計が止まり、世界が一瞬静止する。最初は目の錯覚かと思ったが、部屋の空気が薄くなるような違和感を伴う。しかもその間、耳の奥に“破れた音”が響くのだ。
翌朝、奏多はいつものように登校した。教科書と楽譜を抱えながら、いつもの通学路を歩く。だが胸騒ぎは消えない。校門をくぐると、学内放送のアナウンスが小刻みに途切れ、時折、歪んだチャイムが流れていた。
放課後、音楽室に残った奏多は、自分の耳にだけ聞こえる異音を確かめるようにピアノの椅子に腰掛けた。
ゆっくりと楽譜を開き、右手の指先を鍵盤に置く。息を吐くと同時に、わずかなノイズが耳鳴りのように混ざる。
――コツ、コツ、コツ。
しばらく静寂を刻むように打鍵すると、背後に違和感を感じた。振り向くと、窓外の景色が波打ち、空の色が鈍い紫に変わっている。まるで世界が水底のように揺れ動く。
次の瞬間、教室の時計が狂ったように針を逆回転させた。時計のチクタク音はやがてハーモニクスを帯び、不協和音のノイズに変わっていく。ピアノの弦も勝手に震え、「G♯」と呼べそうな不安定な音程を響かせた。
「っ……!」
胸が締めつけられるような恐怖に襲われ、奏多は鍵盤から手を離した。しかし、その手をかすかに引き寄せる何者かの力を感じる。足元から教室の床板がひび割れ、黒い亀裂が広がっていく。
亀裂の中から、冷気とともに禍々しい影が漏れ出す。光を吸い込む漆黒の裂け目――それはただのひび割れではない。時空の裂け目、まさに「断裂点(フラクチャー)」だった。
「探せ。音の記憶を辿れ。さもなくば、世界は音を失う」
また、あの声だ。夢で聞いた声。誰のものでもない、不定形の響き。言葉が終わると同時に、教室全体が轟音に包まれた。鳴り響くノイズは、まるで大気の裂け目を突き破るように激しく、鼓膜を破りそうな勢いで迫る。
必死に耳を塞ごうとしたが、音は内側から響いてくる。身体が微かに浮遊し、視界が白く変わる。
――音の結晶。
その浮遊感の中、奏多の視界には無数の結晶体が浮かび、過去の記憶の断片や、楽譜に書き遺された旋律の一節、校庭の古びた時計台……それらが一挙に映し出された。結晶は瞬時に崩れ散り、白い光の粒子となって消えていく。
やがて、白い光が裂け目を閉じ、音も色も消えた。教室は再び静寂に包まれる。時計の針も正常に戻り、いつもの蛍光灯のざわめきが聞こえてきた。
奏多は膝をつき、額を冷や汗が滴る。何が起きたのか、自分で理解できない。だが、確かなことがあった。
──自分は、何かに“選ばれて”しまった。
胸の奥で、小さな鼓動が高鳴る。
それは恐怖だけではない。未知の力に触れた者だけが感じる、震えるような高揚感でもあった。
時計塔のシルエットが遠く校庭に浮かぶ。夕焼けに染まる空の向こう側に、異常はまだ胸騒ぎを残したまま佇んでいる。
「──世界は変わり始めている」
奏多はそう呟き、握りしめた拳をそっとほどいた。
次に何をすべきかはわからない。ただ一つ、自分の“音”がこの時空を動かしたことだけは、絶対に忘れられなかった。
そして、知らぬ間に胸に刻まれた言葉――黒のメイガス。
奏多はまだ、その存在を知らない。だが、確かなことが一つだけある。
この歪んだ世界を救う鍵は、彼自身の“時音”にある――。
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