【恐怖短編】守護天使の災難

織田 聖一(おだ しょういち)

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【恐怖短編】守護天使の災難

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時刻は17時を過ぎた。豪雨が止んだあとの空はウソのように高く、夏の日差しは夕陽へと傾きかけていた。どこからともなく地鳴りがし、地表は小刻みに揺れている。

 俺は救難者捜索のため、山の麓に建てられたN小学校の校舎へ入った。校舎の崩壊の危険性は毎秒増している。押し寄せた土砂が、校内の窓を完全に覆い隠し、日の光が届くことはない。さらに悪いことに周囲の世帯が停電したため、廊下は完全な暗闇だった。

 風もないのに寒々とした冷気が背筋に走った。ケラケラと無邪気に笑う子供の声が、廊下の奥から聴こえた。

 俺は、ヘルメットのヘッドライトを点け、廊下奥を照らす。ライトの光の先では、足元を指差しして立っている子供の黒い影をとらえた。

 ──まただ、うんざりする。

 それでもその “兆し” を見過ごすことはできない。子供の影へと近づいていこうと数歩踏み出す。すると、陽炎のように子供の影の輪郭が、朧気おぼろげになり、音もなく消えていった。

 黒い子供が指差した場所へ辿りつく。辺りを見渡すと、窓と外壁を破壊して校内になだれ込んだ土砂の中から、細い子供の腕が生えている。うつ伏せに倒れたまま背後から土砂が迫り、そのまま身体が埋まってしまったようだ。

 腕に手をやり脈をとる。やはり、生きている。

 埋まっている子供の格好を想像しながら、慎重に土砂をハンドシャベルでかき分ける。次第に背格好が明らかになる。年のころは十歳ほどだろうか、男の子だ。

 状況から推察するに、男の子がうつ伏せに倒れた拍子に、ランドセルのカバーが彼の頭部全体を背中から覆い、土砂がその上から覆い被さっていたのだろう。鼻や口を泥が塞ぐことなく、かろうじて呼吸が可能な状態で、彼は生存したのだった。さらに幸いなことに意識を失ってしまったため、慌てふためいて、自ら顔面を泥で覆うような事態も避けられていた。まさに奇跡だ。

 ブーツの底から、大地の唸るような鈍い地鳴りと共に、小刻みな振動が伝わる。まずい、この校舎が立っている地盤もすぐに地滑りを起こすだろう。長くはもたない。

〈おい! 天海あまみ、生存者はいるのか!?〉

 無線を通して、バディの北島の怒鳴り声がする。内容は、生存者の有無を問うているが、その口調から「早くしろ!」と、内心の焦りが感じられる。

「十歳ほどの男児。外傷なし、呼吸心肺ともに確認。意識不明のため検査が必要だが、搬出に問題なし。至急、回収地点へ向かう」端的に回答しながら来た道を戻る。

 振り返り、再び廊下の奥を見たが、黒い子供の姿はなかった。

 校舎を出て、中庭を抜けると駐車場が見えてくる。その真ん中で、北島がヘリから降ろされたワイヤーを片手に、腕を回して「急げ、急げ!」と脱出を急かしていた。地面の揺れをブーツの底から感じながら、なんとかヘリに到着する。

守護天使ガーディアン天海! お前、必ず誰か見つけてくるな!」

 北島は、土砂崩れが迫る危機感からか、救助者を救えたからか、あるいはその両方のせいか興奮していた。それでも慣れた手つきで手際よく男の子を自分の胸元のレスキューハーネスへ繋ぎ、男の子と共に救難ヘリAW169へ収容した。

 続いて俺の番だ。ヘリから吊るされたロープへハーネスを固定し、ヘリの浮力によって、ブーツから地面の感覚が無くなった刹那、駐車場のアスファルトが大きく裂け、地面はいくつものピースに分かれながら崩れはじめ、校舎は大地に飲み込まれた。

「マジか! ギリギリだな!」

 ヘリに無事収容され、救助と生還の歓喜を隠さない北島だったが、俺は彼のようには喜べない。

 西陽がヘリの窓から差し込んだ。沈みゆく太陽が、その日の最後の輝きを全力で放出するかのような赤い光線に目を細める。

 豪雨による土砂崩れで、本来なら木々で緑に染められた山々の表皮は、無残に剥がされ、こぼれ落ちた内臓のような土砂は山腹を滑り落ちていく。泥土でいどに呑まれた道路や家々、それらの瓦礫を前に立ちすくむ人らを、沈みゆく太陽の赤い光線が、平等に照らしている。

 F県北部にあるM市では、過去三十年の降水量を更新する豪雨が三日三晩降り続け、山間部では大規模な土砂災害が発生した。F県への災害救助の応援要請が隣県のY、S県へとあり、俺の所属するY県消防防災航空隊へと出動の命が下ったのだった。

「天海、お前が出ると必ず誰か救ってくるよな。しかも、いつも建物が崩落したり、瓦礫が落ちてきたり、ギリギリで災難を交わしてる。ヒヤヒヤさせられるが、本当にお前は強運の持ち主、守護天使だよ」北島は誇らしげに語る。

「やめろよ。偶然だし、俺は怖い思いをしてんだ」

 毎度、勘弁してくれって感じだ、そこまで出かかったところで、救助した男の子の意識が戻ったため言い止まった。

 守護天使ガーディアンなんて、迷惑な渾名つけやがって。最悪だ。

 俺は、ある日を境に要救助者の存在を察知する能力が備わってしまった。いや、能力というより生存者の “兆し” を示す相手が、俺の目の前に現れるようになった。

 それは、子供の黒い影として被災地にたびたび現れ、影の示す場所には必ず意識不明の者や重傷者がいるのだ。他の隊員には見えることはなく、俺にだけ救助者の存在を伝えてくる。通常の捜索ではまず見つからないような場所ばかりで、そうした特異な現象が重なるうち、隊内では俺の天海という苗字も相まって、守護天使などと呼び始めた。

 それだけなら救難員として幸福なことかもしれないが、黒い子供に示された者を救助する際、必ず何かしらの災難もセットで起こる。あるときはガス管の破損による一酸化炭素中毒、あるときは建物上部の崩落、今日に至っては土砂崩れに巻き込まれる寸前だった。

 こんな副作用・・・は望んでないし、できることなら金輪際、あの黒いガキにはもう現れないでほしい。それでも無視はできない。あの影が示す先には助かる命があり、それを無視することは救難員として許されないことだ。

 いや、違う。
 許されないのは、救難員としての立場ではなく、俺という人間そのものなのかもしれない。

 チッ……。舌打ちのような音が聴こえる。

 この音も俺にしか聴こえない音で、あの黒い子供に遭遇したあとに現れる現象だ。いや──これは事実、舌打ちなのだろう。あの黒い子供の舌打ちに違いない。

 彼は七年前、H県A市の豪雨災害の救助活動で、助けられなかった男の子なのだ。あの日も、豪雨の過ぎ去ったあとのよく晴れた日だった。

────

 つい数時間前までの土砂降りの雨と曇天が、嘘のように晴れ渡ったことで、ヘリによる上空からの孤立地域の救難捜索は、心なしか容易に感じられた。

 パイロットから、機体の下を見るように促される。山の中腹に建てられた保育園の屋上に、束ねたカーテンを使って書かれた「HELP」の文字があった。再接近して旋回をすると、こちらへ向かって手を振る複数の保育士と児童の姿が確認できた。

「かなりの数がいるな。しかも──」

 背後の山の斜面の一部は、木々が沈み込むように倒れ、大規模な土砂崩れの前兆を示していた。しかし、その光景は園からは確認できない標高であり、要救助者らは園に留まっていた。

 彼らの救助は土砂崩れとの時間勝負になることが明らかだったが、園への着陸は、運動場は周囲を囲むように植えられた樹木が障害となり、屋上も避雷針やアンテナが、ヘリのローターに干渉するため不可能であった。

 児童と保育士を安全な場所まで退避させ、救助を試みようと思案したが、ヘリが着陸できそうな場所が、大人数の児童を引き連れて、移動するには遠すぎる集合住宅の駐車場しか選択肢がなく、その間に土砂崩れが起きないとも限らない。

 土砂崩れの規模も不明だった。園はおろか、その周囲一帯を呑み込む規模だったら、いや、それ以上の規模になることも考えられた。結論として、園の上空でヘリを待機させ、ワイヤーを用いて吊り上げる方法で、要救助者をヘリへ収容することになった。

 至急、応援要請を指揮所へ送り、すぐさま俺は保育園の屋上へラぺリング降下し、状況確認へ向かう。

 園に入ると、生存者の数に絶句した。

 保育士六名、児童二十三名。俺たちの救難ヘリであるAW169の最大乗員数は大人で八名程度だった。子供を優先して多少無理をしても四、五度の往復が必要だ。時間がかかり過ぎる。表情には出さないが、生きた心地がしない。

 全員は救えないかもしれない。もしヘリの応援が来れなかったら、もし往復が間に合わなかったら、その間に大規模な土砂崩れが起きたら……。俺と残された保育士、そして児童は全員あの世行きだろう。

 児童をひとりずつ、上空でホバリングするヘリへ収容していく。ヘリのローターの轟音に驚き、泣き喚く子や「かっこいいー!」と興奮を隠せない子など、反応は様々である。そんな園児ら、ひとりひとりの姿に胸が熱くなる。今はとにかく「もしも」を考えず、目の前の助けるべき命に集中する。

 しばらくすると、AW169よりも野太い轟音を響かせ、自衛隊の救難団所属のUH-60が現れた。黒く禍々しい機体のUH-60が、この瞬間は天使のように感じられた。

 AW169は、児童の収容を終えると避難所として使われている市民体育館へ飛び去り、UH-60へとバトンタッチした。新たに降下した自衛隊の救難員と俺は園の屋上に留まり、要救助者の収容をサポートする。

 UH-60も飛び去り、園の周辺に静寂が訪れた。豪雨によって不安定になった大地が唸り、児童らの不安がざわめきとなって表れた。

 動揺する児童らを励ましながら待つ。時間がない、もうダメか。AW169とUH-60が、あと一度ずつ来さえすれば、全員収容できるのだが──。

 遠くから、ヘリのローター音が静かに鼓膜を震わす。か細い音が折り重なり、近づくにつれ力強くなる。AW169とUH-60が同時に帰ってきた。

 無線で二機のヘリが連携を取り合い、残った全員を二組に分け、屋上と運動場から同時に、ヘリへ収容しようという案が持ち上がり、それを採用した。幸い運動場の地面は、液状化せず安定している。

 大急ぎで二機のヘリが、ホイストからワイヤー下ろし、慎重かつ迅速に、児童と保育士をヘリへ収容していく。屋上を担当していた自衛隊員が、最後にUH-60に乗り込み、俺に敬礼をして去っていった。

 俺も敬礼を返し、最後の要救助者である女性の保育士をハーネスに固定する。大地の唸りが増す。

「あなたで最後で間違いないですね!?」
「そうです! 本当にありがとうございました!」女性の保育士を収容し、俺も機内に乗り込んだ。

 AW169は傾き、移動を始めた。最後に収容した女性保育士が小さくだが、強く息を吸い込み「ヒッ」という声を上げた。咄嗟に振りかえり、彼女の視線の先の保育園を眺めると、裏手にある山の斜面が崩落し、園を瞬く間に土砂に飲み込み、跡形もなく押し流した。

 園児たちが一斉に「わぁーっ!」と叫び、俺は彼らと崩れていく園を、ただ見つめていた。

 そして、俺には一瞬だが、見えた。

 園が土砂に呑まれる直前、二階の端の窓に両手を当てて、こちらを見つめていたひとりの園児の姿を。声を上げた保育士は、手で口元を覆ったまま呆然としている。彼女の先ほどの息を吸う声は、園児に気づいて発したものなのだろうか。

「やるだけのことはやった」その言葉を何度も何度も、俺は頭の中で繰り返していた。

────

 あの黒い子供はあの日、保育園に取り残された、あの子なのだ。
 事実その日を境に、災害救難出動で彼は現れる。

 黒い子供のせいで、俺は出動のたびに誰かの命を救ってきては、周りから “守護天使” などと呼ばれている。そう呼ばれるたびに、窓に両手をついたあの児童が、こちらを見つめている姿が脳裏に浮かぶ。

 あの黒い子供は俺に、救助者の存在を教えてくれているわけじゃない。命を助ける使命を持つ俺を、救うべき命を目の前にさせた上で、共々殺したいのだ。

 だから彼の思惑に反し、俺も救助者も生き残ると、舌打ちをするのだろう。最初は気味が悪かったが、徐々に慣れた。あいつの挑戦とも思える死の予告を受けてやろう、って躍起になっていたのも事実だ。

 だが、もう疲れた。

 命を救うことに誇りを抱き、その使命を尽くしたいと思っているが、救難の現場で、あの黒い影から殺意が混じることに、心が疲弊してしまった。

 俺は、いつになれば彼の殺意の呪いから解放されるのだろう。出動命令が下るたびに、あの黒い子供の影が、ケラケラと笑っている声がする。

 そう。それは、いまだって──なんで? なんでいま、あの笑い声がする?

 ふと顔を上げると、あの黒い子供が目の前に立っていた。彼は背後を指さし、その先には操縦席のパイロット。

 となりの副操縦士が、異変に気づき声をかけるが、彼は反応を示さない。上半身をぐったりと前に倒してうなだれると、腰が宙に浮き、機体は急降下を始めた。副操縦士が機体のコントロールを取り戻そうとするが、手こずっている。高度もそう高くない。

 墜落の危険を示すアラート音が、ケラケラ笑う声に混ざって聴こえてくる。それに釣られて俺も笑った。
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