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第2章
『目が覚めたら叔父さんの妻になっていた!?』 第2章 医学生、美の聖域(サバト)でメスを振る
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早坂悠斗の葬儀から一週間。海外移住を早めていた両親は、後ろ髪を引かれる思いで日本を去った。
「蓮さん、仁を……弟をよろしくね」
母の言葉に、悠斗は「任せて!」と胸を叩きたい衝動を抑え、淑やかな妻の仮面でそれを見送った。
ついに、広大な鷹宮邸には鷹宮と悠斗、そして家政婦だけが残された。
(よっしゃあ! 叔父さんは仕事人間だ。朝早く出て深夜に帰る。つまり、この三階は俺だけのパラダイス! 誰にも邪魔されずに、この『蓮』っていう美青年の謎を解明してやるぜ)
悠斗は三階の自室、通称「お客さん部屋兼、妻の部屋」を見渡した。そこは、医学生のむさ苦しい部屋とは対極にある、香水の匂いが漂う聖域だった。
「……なんだこれ。実験室か?」
洗面台に並ぶのは、一本数万円はしそうな美容液の瓶。スチーマー、超音波美顔器、さらには「飲む日焼け止め」なる怪しげなサプリメント。悠斗は震える手で、一瓶のクリームを手に取った。
(成分表示:ヒアルロン酸、プラセンタ、セラミド……。おいおい、これ全部合わせたら俺の一ヶ月の食費より高いぞ。蓮さん、あんたどんだけ自分の肌に投資してたんだよ。……ええい、わからん! とりあえず乾燥してなきゃいいんだろ!)
悠斗は高級クリームを「ニベア」くらいの感覚で手に取り、適当に顔に塗りたくった。ふと部屋の隅にあるアトリエスペースが目に入る。
元の「蓮」は、新進気鋭の現代アーティストとして事務所に所属していた。部屋には描きかけのキャンバスや、複雑に絡み合った金属のオブジェが並んでいる。
「……美術系って聞いてたけど、これは……シュールレアリスムか? 精神医学の教科書に出てきそうな形してんな」
その時、サイドテーブルに置いてあったスタイリッシュなスマートフォンが震えた。
蓮のものだ。パスワードは分からないが、画面に顔を向けると「カチッ」と軽快な音を立ててロックが解除された。
(お、顔認証!さすが最新機種、こういう時は便利だな……って、うわっ!?)
通知画面には「事務所マネージャー」からの着信履歴と、怒涛のメッセージが並んでいた。
『蓮さん、体調はどうですか? 記憶喪失なんて冗談はやめて、明日の朝までに、あの「生命の循環」をテーマにした立体造形を完成させてください。でないと違約金が発生しますよ!』
「違約金!? 冗談じゃねえ、俺に描けるのは解剖学のスケッチだけだぞ!」
悠斗はパニックになりながらアトリエスペースを見渡した。描きかけのキャンバスや、複雑に絡み合った金属のパーツが並んでいる。
「生命の循環……循環器系か? よし、わかった」
悠斗は部屋を飛び出し、静まり返った階段を駆け下りた。向かうのは二階、かつて自分が住んでいた部屋だ。両親が去り、主を亡くしたはずのその部屋は、死後一週間とは思えないほど綺麗に掃除されていた。勉強机の引き出しを開けると、そこには使い慣れた「魂の相棒」が眠っていた。
(あった……! 俺のマイ・メスと持針器、それに練習用の縫合糸!)
医学部の実習や予習のためにこっそり揃えていた医療器具のセット。これさえあれば、切るのも繋ぐのも自由自在だ。悠斗はそれを大事に抱え、再び三階へと舞い戻った。
悠斗は、蓮が使いこなしていたであろう繊細な筆や彫刻刀を脇に避け、アトリエの机にオペ道具を並べた。
「この金属パーツを、ここに合わせて……。よし、こっちの血管っぽいチューブは、こう結紮(けっさと)すれば……。うん、いいぞ。房室結節を意識したこの配置、完璧な拍動を感じる!」
美術品の制作現場は、いつの間にか緊急手術の様相を呈していた。悠斗は全神経を集中させ、メスで素材を削り、鉗子でパーツを固定していく。
「……ラスト。大動脈弓、接続完了!」
(よし、この縫合の美しさ……これぞ生命の神秘だ。美術も医学も、結局は構造学なんだよ!)
集中しすぎて、背後に忍び寄る影に気づかなかった。
「……何をしている」
「ひゃいっ!?」
聞き慣れた低い声に、悠斗はメスを持ったまま飛び上がった。振り返ると、そこにはジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り上げた鷹宮が立っていた。時刻はまだ夜の八時だ。
「お、お、叔父さ……じゃなくて、鷹宮さん!なんで、今日こんなに早いんですか!?」
動揺した悠斗から出たのは、新婚の妻とは思えない、むしろ不法侵入者を見るような言葉だった。
鷹宮は眉を僅かに寄せ、悠斗が手にしているメスと、手術台のようになったアトリエの惨状に目を向けた。
「……私の家だ。いつ帰ろうと私の自由だろう。それより……その手にあるのは、彫刻刀ではないな。医療用のメスか?」
(やばい、不自然すぎる!現代アーティストがメスで作品作るなんて聞いたことねえ!)
「あ、これは……その、最先端の表現手法というか!鋭利な刃物で削ることで、生命の脆さを……!」
必死に誤魔化そうとする悠斗に、鷹宮はゆっくりと歩み寄った。鷹宮の体から漂う、煙草と洗練されたシトラスの香りが、悠斗の鼻腔をくすぐる。
「……随分と手慣れているようだが。お前の前任の主治医から聞いたよ。『奥様は、私がメスを置く場所を正確に指摘した』とな。お前、いつから解剖学に詳しくなった?」
(叔父さん、鋭すぎる!怖い、この人の目は嘘を見抜くレントゲンか!?)
鷹宮は悠斗の顎に指をかけ、至近距離で覗き込んだ。その瞳には、冗談か本気か判別できない、暗い熱が宿っている。
「『なんで今日早いの?』なんて……。新婚の妻が夫に言う台詞ではないな。普通は、もっと……『夜の時間が楽しみで待ちきれなかった』とでも言うものだろう?」
「っ……!? な、なに、何を……!」
悠斗の顔が爆発したように赤くなる。女の子と手を繋ぐだけで心拍数が上限に達する悠斗にとって、この大人すぎる腹黒ジョークは致死量だ。
「ふん……。冗談だ。お前にそんな殊勝な態度を期待してはいない」
鷹宮は鼻で笑うと、悠斗の腕を離した。だが、去り際に一言、刺すように残した。
「だが、以前の蓮なら、今の距離感なら私の顔を殴っていただろうな。お前……誰だ?」
背筋が凍った。鷹宮が部屋を出た後も、悠斗はしばらくメスを握ったまま立ち尽くしていた。
翌日。
悠斗は逃げるように屋敷を飛び出し、駅前のカフェへと向かった。向かいに座るのは、昨日正体を明かした親友・湊だ。
「おい……顔色が死んでるぞ、悠斗。いや、蓮さん」
「湊……助けてくれ。叔父さんが、いや、鷹宮さんが怖すぎる。あの人、絶対俺が中身違うって気づき始めてる」
悠斗はパンケーキをヤケ食いしながら、昨夜の出来事を湊にぶちまけた。湊は呆れ顔でコーヒーを啜る。
「そりゃ、あんな完璧超人の経営者が、自分の嫁の変化に気づかないわけないだろ。……で、どうするんだよ。元の蓮のフリ、続けるのか?」
「それしかないだろ。でも、蓮のことを調べようにも、この人、身寄りがいないんだってさ。家政婦の野村さんにさりげなく聞いたら、天涯孤独の身で、鷹宮さんに引き取られるようにして結婚したって……」
湊は真面目な顔になり、声を潜めた。
「天涯孤独ね。……じゃあ、もしお前がバレたら、守ってくれる家族も逃げ場もないってことか。しかも相手は、あの冷徹な鷹宮だぞ。お前を社会的に消すことなんて、彼にとってはお茶の子さいさいだ」
「脅かすなよ! 俺はただ、普通に医学部に戻って、普通に女の子と……」
「お前、まだそんなこと言ってんのか。その体、どこからどう見ても『男に抱かれる側』の美形だぞ。鏡見てから言え……それに、鷹宮さんがお前のことをどれだけ特別に思ってたか、お前気づいてなかったのか?」
湊の言葉に、悠斗はパンケーキを喉に詰まらせそうになった。
「特別って……そりゃ、家族としてだろ?ずっと面倒見てくれてたし」
「……お前のそういう天然なところ、医学の力で治せないのかよ」
その時、悠斗のスマホが震えた。鷹宮からのメッセージだ。
『今夜は外食だ。迎えをやる。遅れるな。』
拒絶を許さない、事務的な一文。
(家族もいない、帰る場所もない。……でも、叔父さんのあの冷たい目の奥にある熱は何なんだ?)
悠斗の「手繋ぎ3ヶ月」という鉄の掟が、音を立てて軋み始めていた。
「蓮さん、仁を……弟をよろしくね」
母の言葉に、悠斗は「任せて!」と胸を叩きたい衝動を抑え、淑やかな妻の仮面でそれを見送った。
ついに、広大な鷹宮邸には鷹宮と悠斗、そして家政婦だけが残された。
(よっしゃあ! 叔父さんは仕事人間だ。朝早く出て深夜に帰る。つまり、この三階は俺だけのパラダイス! 誰にも邪魔されずに、この『蓮』っていう美青年の謎を解明してやるぜ)
悠斗は三階の自室、通称「お客さん部屋兼、妻の部屋」を見渡した。そこは、医学生のむさ苦しい部屋とは対極にある、香水の匂いが漂う聖域だった。
「……なんだこれ。実験室か?」
洗面台に並ぶのは、一本数万円はしそうな美容液の瓶。スチーマー、超音波美顔器、さらには「飲む日焼け止め」なる怪しげなサプリメント。悠斗は震える手で、一瓶のクリームを手に取った。
(成分表示:ヒアルロン酸、プラセンタ、セラミド……。おいおい、これ全部合わせたら俺の一ヶ月の食費より高いぞ。蓮さん、あんたどんだけ自分の肌に投資してたんだよ。……ええい、わからん! とりあえず乾燥してなきゃいいんだろ!)
悠斗は高級クリームを「ニベア」くらいの感覚で手に取り、適当に顔に塗りたくった。ふと部屋の隅にあるアトリエスペースが目に入る。
元の「蓮」は、新進気鋭の現代アーティストとして事務所に所属していた。部屋には描きかけのキャンバスや、複雑に絡み合った金属のオブジェが並んでいる。
「……美術系って聞いてたけど、これは……シュールレアリスムか? 精神医学の教科書に出てきそうな形してんな」
その時、サイドテーブルに置いてあったスタイリッシュなスマートフォンが震えた。
蓮のものだ。パスワードは分からないが、画面に顔を向けると「カチッ」と軽快な音を立ててロックが解除された。
(お、顔認証!さすが最新機種、こういう時は便利だな……って、うわっ!?)
通知画面には「事務所マネージャー」からの着信履歴と、怒涛のメッセージが並んでいた。
『蓮さん、体調はどうですか? 記憶喪失なんて冗談はやめて、明日の朝までに、あの「生命の循環」をテーマにした立体造形を完成させてください。でないと違約金が発生しますよ!』
「違約金!? 冗談じゃねえ、俺に描けるのは解剖学のスケッチだけだぞ!」
悠斗はパニックになりながらアトリエスペースを見渡した。描きかけのキャンバスや、複雑に絡み合った金属のパーツが並んでいる。
「生命の循環……循環器系か? よし、わかった」
悠斗は部屋を飛び出し、静まり返った階段を駆け下りた。向かうのは二階、かつて自分が住んでいた部屋だ。両親が去り、主を亡くしたはずのその部屋は、死後一週間とは思えないほど綺麗に掃除されていた。勉強机の引き出しを開けると、そこには使い慣れた「魂の相棒」が眠っていた。
(あった……! 俺のマイ・メスと持針器、それに練習用の縫合糸!)
医学部の実習や予習のためにこっそり揃えていた医療器具のセット。これさえあれば、切るのも繋ぐのも自由自在だ。悠斗はそれを大事に抱え、再び三階へと舞い戻った。
悠斗は、蓮が使いこなしていたであろう繊細な筆や彫刻刀を脇に避け、アトリエの机にオペ道具を並べた。
「この金属パーツを、ここに合わせて……。よし、こっちの血管っぽいチューブは、こう結紮(けっさと)すれば……。うん、いいぞ。房室結節を意識したこの配置、完璧な拍動を感じる!」
美術品の制作現場は、いつの間にか緊急手術の様相を呈していた。悠斗は全神経を集中させ、メスで素材を削り、鉗子でパーツを固定していく。
「……ラスト。大動脈弓、接続完了!」
(よし、この縫合の美しさ……これぞ生命の神秘だ。美術も医学も、結局は構造学なんだよ!)
集中しすぎて、背後に忍び寄る影に気づかなかった。
「……何をしている」
「ひゃいっ!?」
聞き慣れた低い声に、悠斗はメスを持ったまま飛び上がった。振り返ると、そこにはジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り上げた鷹宮が立っていた。時刻はまだ夜の八時だ。
「お、お、叔父さ……じゃなくて、鷹宮さん!なんで、今日こんなに早いんですか!?」
動揺した悠斗から出たのは、新婚の妻とは思えない、むしろ不法侵入者を見るような言葉だった。
鷹宮は眉を僅かに寄せ、悠斗が手にしているメスと、手術台のようになったアトリエの惨状に目を向けた。
「……私の家だ。いつ帰ろうと私の自由だろう。それより……その手にあるのは、彫刻刀ではないな。医療用のメスか?」
(やばい、不自然すぎる!現代アーティストがメスで作品作るなんて聞いたことねえ!)
「あ、これは……その、最先端の表現手法というか!鋭利な刃物で削ることで、生命の脆さを……!」
必死に誤魔化そうとする悠斗に、鷹宮はゆっくりと歩み寄った。鷹宮の体から漂う、煙草と洗練されたシトラスの香りが、悠斗の鼻腔をくすぐる。
「……随分と手慣れているようだが。お前の前任の主治医から聞いたよ。『奥様は、私がメスを置く場所を正確に指摘した』とな。お前、いつから解剖学に詳しくなった?」
(叔父さん、鋭すぎる!怖い、この人の目は嘘を見抜くレントゲンか!?)
鷹宮は悠斗の顎に指をかけ、至近距離で覗き込んだ。その瞳には、冗談か本気か判別できない、暗い熱が宿っている。
「『なんで今日早いの?』なんて……。新婚の妻が夫に言う台詞ではないな。普通は、もっと……『夜の時間が楽しみで待ちきれなかった』とでも言うものだろう?」
「っ……!? な、なに、何を……!」
悠斗の顔が爆発したように赤くなる。女の子と手を繋ぐだけで心拍数が上限に達する悠斗にとって、この大人すぎる腹黒ジョークは致死量だ。
「ふん……。冗談だ。お前にそんな殊勝な態度を期待してはいない」
鷹宮は鼻で笑うと、悠斗の腕を離した。だが、去り際に一言、刺すように残した。
「だが、以前の蓮なら、今の距離感なら私の顔を殴っていただろうな。お前……誰だ?」
背筋が凍った。鷹宮が部屋を出た後も、悠斗はしばらくメスを握ったまま立ち尽くしていた。
翌日。
悠斗は逃げるように屋敷を飛び出し、駅前のカフェへと向かった。向かいに座るのは、昨日正体を明かした親友・湊だ。
「おい……顔色が死んでるぞ、悠斗。いや、蓮さん」
「湊……助けてくれ。叔父さんが、いや、鷹宮さんが怖すぎる。あの人、絶対俺が中身違うって気づき始めてる」
悠斗はパンケーキをヤケ食いしながら、昨夜の出来事を湊にぶちまけた。湊は呆れ顔でコーヒーを啜る。
「そりゃ、あんな完璧超人の経営者が、自分の嫁の変化に気づかないわけないだろ。……で、どうするんだよ。元の蓮のフリ、続けるのか?」
「それしかないだろ。でも、蓮のことを調べようにも、この人、身寄りがいないんだってさ。家政婦の野村さんにさりげなく聞いたら、天涯孤独の身で、鷹宮さんに引き取られるようにして結婚したって……」
湊は真面目な顔になり、声を潜めた。
「天涯孤独ね。……じゃあ、もしお前がバレたら、守ってくれる家族も逃げ場もないってことか。しかも相手は、あの冷徹な鷹宮だぞ。お前を社会的に消すことなんて、彼にとってはお茶の子さいさいだ」
「脅かすなよ! 俺はただ、普通に医学部に戻って、普通に女の子と……」
「お前、まだそんなこと言ってんのか。その体、どこからどう見ても『男に抱かれる側』の美形だぞ。鏡見てから言え……それに、鷹宮さんがお前のことをどれだけ特別に思ってたか、お前気づいてなかったのか?」
湊の言葉に、悠斗はパンケーキを喉に詰まらせそうになった。
「特別って……そりゃ、家族としてだろ?ずっと面倒見てくれてたし」
「……お前のそういう天然なところ、医学の力で治せないのかよ」
その時、悠斗のスマホが震えた。鷹宮からのメッセージだ。
『今夜は外食だ。迎えをやる。遅れるな。』
拒絶を許さない、事務的な一文。
(家族もいない、帰る場所もない。……でも、叔父さんのあの冷たい目の奥にある熱は何なんだ?)
悠斗の「手繋ぎ3ヶ月」という鉄の掟が、音を立てて軋み始めていた。
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