9 / 14
*恋人編
⒎律視点*由希くんの一番でありたい
しおりを挟む
俺は淀んだ息を深く吐いた。
「夏になったらふたりでトマトを収穫して、一緒に食べるんだ!」と、はしゃぎながら言っていた由希くんの言葉、表情を鮮明に思い出す。
また傷つけてしまったのかもしれない。原因は、俺がトマト嫌いなのを隠していてバレたから。
由希くんがミニトマトを配りながら見せる笑顔を眺め、受け取るとミニトマトをじっと見つめた。
口の中に入れるのを想像するだけで、酸っぱくて、ぐにゃっとした食感を思い出した。「律くんの分もあるからね」と言いながら目を輝かせている由希くんの姿を見ていたら、ミニトマトが嫌いなんて言えなかった。
勢いに任せてトマトを口に入れた。
口に入れた瞬間に広がる酸味に顔が歪みそうになった。だけど由希くんの笑顔を思い浮かべてなんとか飲み込んだ。隠し通せたと思っていた矢先、袴田が何気なく俺のトマト嫌いの話を由希くんの前でしてしまった。
由希くんの曇った顔を見た瞬間、胸がズキッと痛んだ。もっと前に打ち明けていたら良かったと後悔した。由希くんは頑張って笑顔を作っていたけれど、今がもしも遠足中ではなくて、クラスメイトがいなかったのなら泣いていそうな表情だった。
――俺ってもしかして、由希くんと関わらない方がいいのか?
由希くんは鍋を持ち、近くのレジャーシートで弁当を食べているグループのところへ行った。鍋を芝生の上に置くと由希くんはその場にしゃがんだ。おたまでカレーをすくい、クラスメイトたちの弁当箱にあるご飯の上にカレーをかけていると他のクラスメイトも集まっていて、いつの間にか行列ができていた。
注目を浴びるのが苦手そうな由希くんの元へ今すぐに行きたい、そして助けたい。だけど、行けない――。
「美味しい、由希くんすごい」
「いや、ただルーの箱に書いてあるとおり野菜切って入れて、水入れて煮込んで。そして最後にルーを入れるだけだからね」
由希くんは謙虚な言葉を返しながら、泣きそうな笑顔をクラスメイトに見せていた。
まだ一口も食べていない由希くん。由希くんのお皿にはご飯とカレー、そして隅には袴田が焼いた肉も乗っていた。由希くんが戻ってきて食べ始めるのを確認すると、俺もタイミングを合わせて食べ始めた。
「由希くんが作ったカレー、美味しい……」
由希くんが作ったカレーは、自然と言葉がこぼれるくらいに美味しかった。大好きな由希くんが作ったから余計に美味しいのだと思う。
「美味しいって言ってくれて、ありがとう」と、目を合わせず、ニコリともせずに由希くんは言った。あきらかにいつもとは違う由希くん。やっぱりトマトが嫌いなことを隠していたこと、怒っているのだろう。
「カレー美味いな、まだあるの?」と、すでに食べ終えた袴田が由希くんに声をかけた。
「うん、あと一食分ぐらいあるよ」
「食べていい?」
「うん、いいよ」
最後の一食分のカレーが袴田のお皿に注がれようとしていた。
「お、俺も、欲しい」
「……じゃあ、半分こね」
この状況の中、勇気を振り絞りふたりの会話に横入りした。一瞬由希くんの動きは止まり答えてくれるまで間があったが、俺の皿にもカレーを注いでくれた。本当は独り占めしたかったけれど、半分もらえるだけでもありがたい。
この後、由希くんとふたりになるタイミングは訪れるだろうか。早く謝りたい――。
由希くんが作った貴重で最高なカレーを大切に食べた。最後の一口はもったいなくて口に入れるのを躊躇した。
うちの班は、肉もカレーも綺麗に完食し、片付けを始めた。
「結局、杉山は肉をあんまり好きじゃないって言ってた割にはたくさん食べてたじゃん」
「ここで食べる肉は……美味しかった」
「ここっていうか、俺が焼いたからだろ?」
「……」
袴田と杉山が話しながら肉を焼いていた辺りのゴミや網を片付けている。
由希くんは鍋と他にも洗うものを持ち、水場へ向かおうとしている。俺も手伝おうとした矢先、俺より先に安倍が由希くんに「一緒に洗うよ」と洗剤とスポンジを手に持ち、声を掛けた。
「綿谷くん、優れない顔してるけど、体調大丈夫?」
「うん、大丈夫。でも少し疲れたかも」
「ここで休んでる?」
「ううん、鍋洗いに行く」
「じゃあ、行こうか」
由希くんは安倍に背中を支えられながら歩いていった。その光景を見て、モヤモヤとイライラが合わさる。しかも姿を消してからふたりはなかなか戻ってこなかった。
「片付け終わったら、サッカーしない?」と、袴田が誘ってきた。
「いや、サッカー苦手だしやらない」と、杉山は断る。
「律はやるしょ?」
「俺は……」
由希くんと一緒に過ごしたいと、パンフレットをチェックした時からずっと思っていた。昼飯の後は自由時間になりそうだと知ると、由希くんの好きそうなところでのんびりしたいと、密かにスマホでも公園を調べて計画を立てていた。由希くんには何も伝えていなかったけど――。だけど、その計画も今となっては実現しなさそうだしな……。
誘いに乗ろうとした時、由希くんたちの姿が見えた。由希くんは目が赤くなっていて、泣いた後のようだった。安倍に頭をなでられていて、ふたりは親しそうな雰囲気。きっと由希くんが心のモヤモヤを安倍に伝えたのだろう。
ふたりから視線を外せなかった。
現実から目をそらせなかった。
由希くんの隣にいるのがなぜ自分ではないのか――。
由希くんがモヤモヤを打ち明ける相手はなぜ自分ではないのか――。
俺は今、完全に安倍に対して嫉妬心がむき出しだった。
俺がトマト嫌いだという話を知ってから由希くんの様子が違う。こうなった原因は自分だし、最近仲直りしたけれど距離がある期間は長かった。由希くんにとっての俺は、ただの友達でそれ以上でもそれ以下でもない。自分が由希くんにとって一番ではない現実。当然だろうと思いながらも悔しさが込み上げてきた。
「安倍たちはサッカーする? 律と俺はするよ」と、袴田は言った。勝手に決めるなよと思いながらも、それは今どうでもよく。それより今は由希くんが気になりすぎた。
「袴田くん、杉山くんと僕と三人でサッカーしようよ。綿谷くんは光田くんとふたりで湖にあるスワンボートに乗りたいんだってさ」と、安倍が言う。
由希くんと俺は同時に安倍を見た。
「えっ、安倍くん、僕そんなこと一切言ってないよ。僕、ひとりで散歩してくる」
由希くんはそう言うと、荷物を速攻で片付けて歩いて行ってしまった。
「今の話は嘘なんだけど……ふたりでゆっくり話をしておいで」と、安倍は俺に耳打ちした。由希くんは今、俺とのことを安倍に話したのかもしれない。そして安倍は気を使い――。
「安倍、嫉妬してごめん」
「えっ、僕、嫉妬されてたの?」
俺は由希くんのいそうな場所に向かった。
実はスワンボートも計画のひとつにあった。だけど由希くんが一番さまよいたいだろうなと予想していた場所。それは――。
由希くんを見つけた。
由希くんは色鮮やかなラベンダーの花畑の前でしゃがんでいた。
「由希くん!」
呼ぶと由希くんは振り向いた。顔を手でぱっと隠しながら立ち上がり、どこかに逃げようとしているようだ。俺は全力で走り追いつくと、由希くんの手首をぎゅっと握った。
「由希くん、トマト嫌いなことを隠していて本当にごめん……もう、逃げないで。由希くんと離れたくない――」
由希くんは振り向くと、目を合わせてくれた。眉間にシワをよせ口元も八の字になっている。そして目が赤い。
「由希くん、また泣かせちゃった……俺、由希くんと関わらない方がいいのかな」
由希くんは何も答えてくれない。
「俺は、由希くんの隣にいたいけど、もう……」
握っていた由希くんの手首を離し、一歩後ずさる。
「本当に、ごめん……。実は、トマトは小さい頃から苦手で。あの酸っぱさとか感触とか……だけど由希くんと一緒に育てているトマトは一緒に食べたいって、本当に思ってた――」
微動だにしない由希くん。
――あぁ、もう、完全に駄目だ。
俺は由希くんに背を向け、班のメンバーがいるところに戻ろうとした。その時、Tシャツの背中部分を由希くんにギュッと掴まれた。振り向くと上目遣いで困ったような表情をしている由希くんに見つめられていた。
「律くん、行かないで――」
その仕草、表情、声。俺の五感は全て由希くんに集中する。ドキッとして倒れてしまいそうなくらいに胸の鼓動が早くなる。由希くんに行かないでなんて言われたら、絶対にどこにも行けない。行けるわけがない。
「由希、くん?」
由希くんに魔法を掛けられたように、俺の足は地面に張り付き動けなくなった。しばらく俺たちだけが、時間が止まったように動かなかった。
「律くん、ついてきて?」
由希くんは少し強い声でそう言い、俺の手を掴んだ。
手から由希くんの温もりが伝わる。そしてその温もりは全身へ巡り、緊張と心地良さが同時に体全体を覆う。
そのまま由希くんにされるがまま、手を引っ張られていく。
着いたのは、スワンボートの受付だった。由希くんは俺の手をぱっと離すと、財布をハーフパンツのポケットから出した。そして由希くんは財布を覗くと「あっ……」と声を漏らした。お金が足りないのかな……。チラリと料金表を見ると、スワンボートは三十分で八百円だった。
されるがままの俺は、由希くんの次の言葉を待った。
「律くん、三百円ある?」
「さ、三百円! ある!」
俺は速攻で自分の財布から三百円を出すと、由希くんに渡した。由希くんはそれを受け取ると受付に「スワンボートお願いします」と言い、チケットを受け取る。
「もしかして俺と一緒に、乗ってくれるのか?」
「うん」
「俺とで、いいのか?」
「律くんとがいい……」
由希くんはさっきまで俺の手を引っ張るなんて積極的な行動をしていたとは思えないほどにモジモジしだした。俺もつられてモジモジしてくる。
スワンボート前に待機しているおじさんの指示にしたがう。俺が先に乗ると、由希くんのバランスが崩れないように手を差し出す。由希くんは俺の手を掴んでくれた。
「由希くん、お金多く出してもらったから俺が漕ぐ」
「あ、ありがとう……」
スワンボートは自転車のように、足元のペダルを漕いで進んでいく。予定では俺が全額出しても、俺がたくさん漕ぐつもりでいたけれど。しばらく無言なふたり。スワンボートは静かな水面を滑るように進む。水が小さくチャプチャプと音を立て、由希くんの茶色い髪がそよ風にふわっと揺れていた。
少し経つと「水の周りだからか、風が冷たくて気持ちいいね」と、由希くんはわずかに微笑んだ。
速かったらもっと涼しくなれるかな?と、俺は今よりもスピードを上げて漕いだ。速すぎると由希くんが怖がりそうだから、少しだけ。由希くんもあまり力を入れないでペダルに足を乗せて、気持ち漕いでいる感じだったけど、足をペダルから離して風を感じ始めた。目を閉じて、爽やかな表情――。
由希くんの頬に触れたくなった。
だけど今触れると、由希くんは動揺してしまうだろう。由希くんを気にしながらも前を見て漕ぐことに集中した。
由希くんは湖面を見つめ、静かに口を開いた。
「律くん、僕ね、トマトが嫌いな律くんも、好きだよ――」
『好き』
その言葉に胸の奥が熱くなり、締め付けられた。由希くんの『好き』は、きっと友達としての気持ちだ。でも、俺の心はそれだけで溢れそうだった。
何故か涙が出そうになってきた。漕ぐことと涙を我慢することにいっぱいいっぱいで、何も言えない。気持ちを落ち着かせながら言葉を探す。
「俺も、由希くんのことが、好きだよ――」
由希くんの好きと、俺の好きは意味が違うけれども。探して見つけた言葉はこれだった。
「ありがとう、嬉しい! 律くん、そっけなくしちゃって、ごめんね」
青色が広がる空と、輝く太陽。
光が反射し、揺らぎながら輝く水面。
背景に負けないぐらいにキラキラしている由希くんの笑顔――。
「俺の『好き』は、恋人になりたい、由希くんの一番でありたいって意味の、好きだから――」
伝える予定はなかったのに。
キラキラしている由希くんを見つめていたら、ずっと喉の奥に詰まっていた言葉が、抑えきれず溢れてきた。心臓が早鐘のように鳴り、声が少し震えた。言い切った瞬間、胸の奥が熱くなり、同時に由希くんがどんな反応をするのか予想ができなくて、怖さも込み上げてくる。
由希くんは大きく目を見開いた。水面と俺が映る由希くんの瞳は揺れているようだった。唇を小さく動かし、言葉を探しているように見えたけれど、すぐに俯いてしまった。ほんの少し、由希くんの頬が赤くなっている気がした。
「夏になったらふたりでトマトを収穫して、一緒に食べるんだ!」と、はしゃぎながら言っていた由希くんの言葉、表情を鮮明に思い出す。
また傷つけてしまったのかもしれない。原因は、俺がトマト嫌いなのを隠していてバレたから。
由希くんがミニトマトを配りながら見せる笑顔を眺め、受け取るとミニトマトをじっと見つめた。
口の中に入れるのを想像するだけで、酸っぱくて、ぐにゃっとした食感を思い出した。「律くんの分もあるからね」と言いながら目を輝かせている由希くんの姿を見ていたら、ミニトマトが嫌いなんて言えなかった。
勢いに任せてトマトを口に入れた。
口に入れた瞬間に広がる酸味に顔が歪みそうになった。だけど由希くんの笑顔を思い浮かべてなんとか飲み込んだ。隠し通せたと思っていた矢先、袴田が何気なく俺のトマト嫌いの話を由希くんの前でしてしまった。
由希くんの曇った顔を見た瞬間、胸がズキッと痛んだ。もっと前に打ち明けていたら良かったと後悔した。由希くんは頑張って笑顔を作っていたけれど、今がもしも遠足中ではなくて、クラスメイトがいなかったのなら泣いていそうな表情だった。
――俺ってもしかして、由希くんと関わらない方がいいのか?
由希くんは鍋を持ち、近くのレジャーシートで弁当を食べているグループのところへ行った。鍋を芝生の上に置くと由希くんはその場にしゃがんだ。おたまでカレーをすくい、クラスメイトたちの弁当箱にあるご飯の上にカレーをかけていると他のクラスメイトも集まっていて、いつの間にか行列ができていた。
注目を浴びるのが苦手そうな由希くんの元へ今すぐに行きたい、そして助けたい。だけど、行けない――。
「美味しい、由希くんすごい」
「いや、ただルーの箱に書いてあるとおり野菜切って入れて、水入れて煮込んで。そして最後にルーを入れるだけだからね」
由希くんは謙虚な言葉を返しながら、泣きそうな笑顔をクラスメイトに見せていた。
まだ一口も食べていない由希くん。由希くんのお皿にはご飯とカレー、そして隅には袴田が焼いた肉も乗っていた。由希くんが戻ってきて食べ始めるのを確認すると、俺もタイミングを合わせて食べ始めた。
「由希くんが作ったカレー、美味しい……」
由希くんが作ったカレーは、自然と言葉がこぼれるくらいに美味しかった。大好きな由希くんが作ったから余計に美味しいのだと思う。
「美味しいって言ってくれて、ありがとう」と、目を合わせず、ニコリともせずに由希くんは言った。あきらかにいつもとは違う由希くん。やっぱりトマトが嫌いなことを隠していたこと、怒っているのだろう。
「カレー美味いな、まだあるの?」と、すでに食べ終えた袴田が由希くんに声をかけた。
「うん、あと一食分ぐらいあるよ」
「食べていい?」
「うん、いいよ」
最後の一食分のカレーが袴田のお皿に注がれようとしていた。
「お、俺も、欲しい」
「……じゃあ、半分こね」
この状況の中、勇気を振り絞りふたりの会話に横入りした。一瞬由希くんの動きは止まり答えてくれるまで間があったが、俺の皿にもカレーを注いでくれた。本当は独り占めしたかったけれど、半分もらえるだけでもありがたい。
この後、由希くんとふたりになるタイミングは訪れるだろうか。早く謝りたい――。
由希くんが作った貴重で最高なカレーを大切に食べた。最後の一口はもったいなくて口に入れるのを躊躇した。
うちの班は、肉もカレーも綺麗に完食し、片付けを始めた。
「結局、杉山は肉をあんまり好きじゃないって言ってた割にはたくさん食べてたじゃん」
「ここで食べる肉は……美味しかった」
「ここっていうか、俺が焼いたからだろ?」
「……」
袴田と杉山が話しながら肉を焼いていた辺りのゴミや網を片付けている。
由希くんは鍋と他にも洗うものを持ち、水場へ向かおうとしている。俺も手伝おうとした矢先、俺より先に安倍が由希くんに「一緒に洗うよ」と洗剤とスポンジを手に持ち、声を掛けた。
「綿谷くん、優れない顔してるけど、体調大丈夫?」
「うん、大丈夫。でも少し疲れたかも」
「ここで休んでる?」
「ううん、鍋洗いに行く」
「じゃあ、行こうか」
由希くんは安倍に背中を支えられながら歩いていった。その光景を見て、モヤモヤとイライラが合わさる。しかも姿を消してからふたりはなかなか戻ってこなかった。
「片付け終わったら、サッカーしない?」と、袴田が誘ってきた。
「いや、サッカー苦手だしやらない」と、杉山は断る。
「律はやるしょ?」
「俺は……」
由希くんと一緒に過ごしたいと、パンフレットをチェックした時からずっと思っていた。昼飯の後は自由時間になりそうだと知ると、由希くんの好きそうなところでのんびりしたいと、密かにスマホでも公園を調べて計画を立てていた。由希くんには何も伝えていなかったけど――。だけど、その計画も今となっては実現しなさそうだしな……。
誘いに乗ろうとした時、由希くんたちの姿が見えた。由希くんは目が赤くなっていて、泣いた後のようだった。安倍に頭をなでられていて、ふたりは親しそうな雰囲気。きっと由希くんが心のモヤモヤを安倍に伝えたのだろう。
ふたりから視線を外せなかった。
現実から目をそらせなかった。
由希くんの隣にいるのがなぜ自分ではないのか――。
由希くんがモヤモヤを打ち明ける相手はなぜ自分ではないのか――。
俺は今、完全に安倍に対して嫉妬心がむき出しだった。
俺がトマト嫌いだという話を知ってから由希くんの様子が違う。こうなった原因は自分だし、最近仲直りしたけれど距離がある期間は長かった。由希くんにとっての俺は、ただの友達でそれ以上でもそれ以下でもない。自分が由希くんにとって一番ではない現実。当然だろうと思いながらも悔しさが込み上げてきた。
「安倍たちはサッカーする? 律と俺はするよ」と、袴田は言った。勝手に決めるなよと思いながらも、それは今どうでもよく。それより今は由希くんが気になりすぎた。
「袴田くん、杉山くんと僕と三人でサッカーしようよ。綿谷くんは光田くんとふたりで湖にあるスワンボートに乗りたいんだってさ」と、安倍が言う。
由希くんと俺は同時に安倍を見た。
「えっ、安倍くん、僕そんなこと一切言ってないよ。僕、ひとりで散歩してくる」
由希くんはそう言うと、荷物を速攻で片付けて歩いて行ってしまった。
「今の話は嘘なんだけど……ふたりでゆっくり話をしておいで」と、安倍は俺に耳打ちした。由希くんは今、俺とのことを安倍に話したのかもしれない。そして安倍は気を使い――。
「安倍、嫉妬してごめん」
「えっ、僕、嫉妬されてたの?」
俺は由希くんのいそうな場所に向かった。
実はスワンボートも計画のひとつにあった。だけど由希くんが一番さまよいたいだろうなと予想していた場所。それは――。
由希くんを見つけた。
由希くんは色鮮やかなラベンダーの花畑の前でしゃがんでいた。
「由希くん!」
呼ぶと由希くんは振り向いた。顔を手でぱっと隠しながら立ち上がり、どこかに逃げようとしているようだ。俺は全力で走り追いつくと、由希くんの手首をぎゅっと握った。
「由希くん、トマト嫌いなことを隠していて本当にごめん……もう、逃げないで。由希くんと離れたくない――」
由希くんは振り向くと、目を合わせてくれた。眉間にシワをよせ口元も八の字になっている。そして目が赤い。
「由希くん、また泣かせちゃった……俺、由希くんと関わらない方がいいのかな」
由希くんは何も答えてくれない。
「俺は、由希くんの隣にいたいけど、もう……」
握っていた由希くんの手首を離し、一歩後ずさる。
「本当に、ごめん……。実は、トマトは小さい頃から苦手で。あの酸っぱさとか感触とか……だけど由希くんと一緒に育てているトマトは一緒に食べたいって、本当に思ってた――」
微動だにしない由希くん。
――あぁ、もう、完全に駄目だ。
俺は由希くんに背を向け、班のメンバーがいるところに戻ろうとした。その時、Tシャツの背中部分を由希くんにギュッと掴まれた。振り向くと上目遣いで困ったような表情をしている由希くんに見つめられていた。
「律くん、行かないで――」
その仕草、表情、声。俺の五感は全て由希くんに集中する。ドキッとして倒れてしまいそうなくらいに胸の鼓動が早くなる。由希くんに行かないでなんて言われたら、絶対にどこにも行けない。行けるわけがない。
「由希、くん?」
由希くんに魔法を掛けられたように、俺の足は地面に張り付き動けなくなった。しばらく俺たちだけが、時間が止まったように動かなかった。
「律くん、ついてきて?」
由希くんは少し強い声でそう言い、俺の手を掴んだ。
手から由希くんの温もりが伝わる。そしてその温もりは全身へ巡り、緊張と心地良さが同時に体全体を覆う。
そのまま由希くんにされるがまま、手を引っ張られていく。
着いたのは、スワンボートの受付だった。由希くんは俺の手をぱっと離すと、財布をハーフパンツのポケットから出した。そして由希くんは財布を覗くと「あっ……」と声を漏らした。お金が足りないのかな……。チラリと料金表を見ると、スワンボートは三十分で八百円だった。
されるがままの俺は、由希くんの次の言葉を待った。
「律くん、三百円ある?」
「さ、三百円! ある!」
俺は速攻で自分の財布から三百円を出すと、由希くんに渡した。由希くんはそれを受け取ると受付に「スワンボートお願いします」と言い、チケットを受け取る。
「もしかして俺と一緒に、乗ってくれるのか?」
「うん」
「俺とで、いいのか?」
「律くんとがいい……」
由希くんはさっきまで俺の手を引っ張るなんて積極的な行動をしていたとは思えないほどにモジモジしだした。俺もつられてモジモジしてくる。
スワンボート前に待機しているおじさんの指示にしたがう。俺が先に乗ると、由希くんのバランスが崩れないように手を差し出す。由希くんは俺の手を掴んでくれた。
「由希くん、お金多く出してもらったから俺が漕ぐ」
「あ、ありがとう……」
スワンボートは自転車のように、足元のペダルを漕いで進んでいく。予定では俺が全額出しても、俺がたくさん漕ぐつもりでいたけれど。しばらく無言なふたり。スワンボートは静かな水面を滑るように進む。水が小さくチャプチャプと音を立て、由希くんの茶色い髪がそよ風にふわっと揺れていた。
少し経つと「水の周りだからか、風が冷たくて気持ちいいね」と、由希くんはわずかに微笑んだ。
速かったらもっと涼しくなれるかな?と、俺は今よりもスピードを上げて漕いだ。速すぎると由希くんが怖がりそうだから、少しだけ。由希くんもあまり力を入れないでペダルに足を乗せて、気持ち漕いでいる感じだったけど、足をペダルから離して風を感じ始めた。目を閉じて、爽やかな表情――。
由希くんの頬に触れたくなった。
だけど今触れると、由希くんは動揺してしまうだろう。由希くんを気にしながらも前を見て漕ぐことに集中した。
由希くんは湖面を見つめ、静かに口を開いた。
「律くん、僕ね、トマトが嫌いな律くんも、好きだよ――」
『好き』
その言葉に胸の奥が熱くなり、締め付けられた。由希くんの『好き』は、きっと友達としての気持ちだ。でも、俺の心はそれだけで溢れそうだった。
何故か涙が出そうになってきた。漕ぐことと涙を我慢することにいっぱいいっぱいで、何も言えない。気持ちを落ち着かせながら言葉を探す。
「俺も、由希くんのことが、好きだよ――」
由希くんの好きと、俺の好きは意味が違うけれども。探して見つけた言葉はこれだった。
「ありがとう、嬉しい! 律くん、そっけなくしちゃって、ごめんね」
青色が広がる空と、輝く太陽。
光が反射し、揺らぎながら輝く水面。
背景に負けないぐらいにキラキラしている由希くんの笑顔――。
「俺の『好き』は、恋人になりたい、由希くんの一番でありたいって意味の、好きだから――」
伝える予定はなかったのに。
キラキラしている由希くんを見つめていたら、ずっと喉の奥に詰まっていた言葉が、抑えきれず溢れてきた。心臓が早鐘のように鳴り、声が少し震えた。言い切った瞬間、胸の奥が熱くなり、同時に由希くんがどんな反応をするのか予想ができなくて、怖さも込み上げてくる。
由希くんは大きく目を見開いた。水面と俺が映る由希くんの瞳は揺れているようだった。唇を小さく動かし、言葉を探しているように見えたけれど、すぐに俯いてしまった。ほんの少し、由希くんの頬が赤くなっている気がした。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】アイドルは親友への片思いを卒業し、イケメン俳優に溺愛され本当の笑顔になる <TOMARIGIシリーズ>
はなたろう
BL
TOMARIGIシリーズ②
人気アイドル、片倉理久は、同じグループの伊勢に片思いしている。高校生の頃に事務所に入所してからずっと、2人で切磋琢磨し念願のデビュー。苦楽を共にしたが、いつしか友情以上になっていった。
そんな伊勢は、マネージャーの湊とラブラブで、幸せを喜んであげたいが複雑で苦しい毎日。
そんなとき、俳優の桐生が現れる。飄々とした桐生の存在に戸惑いながらも、片倉は次第に彼の魅力に引き寄せられていく。
友情と恋心の狭間で揺れる心――片倉は新しい関係に踏み出せるのか。
人気アイドル<TOMARIGI>シリーズ新章、開幕!
きみに会いたい、午前二時。
なつか
BL
「――もう一緒の電車に乗れないじゃん」
高校卒業を控えた智也は、これまでと同じように部活の後輩・晃成と毎朝同じ電車で登校する日々を過ごしていた。
しかし、卒業が近づくにつれ、“当たり前”だった晃成との時間に終わりが来ることを意識して眠れなくなってしまう。
この気持ちに気づいたら、今までの関係が壊れてしまうかもしれない――。
逃げるように学校に行かなくなった智也に、ある日の深夜、智也から電話がかかってくる。
眠れない冬の夜。会いたい気持ちがあふれ出す――。
まっすぐな後輩×臆病な先輩の青春ピュアBL。
☆8話完結の短編になります。
【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話
日向汐
BL
「好きです」
「…手離せよ」
「いやだ、」
じっと見つめてくる眼力に気圧される。
ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26)
閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、
一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨
短期でサクッと読める完結作です♡
ぜひぜひ
ゆるりとお楽しみください☻*
・───────────・
🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧
❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21
・───────────・
応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪)
なにとぞ、よしなに♡
・───────────・
先輩アイドルは僕の制服を脱がせ、次のステージへと誘う〈TOMARIGIシリーズ ツバサ×蒼真 #2〉
はなたろう
BL
TOMARIGIシリーズ★ツバサ×蒼真
ツバサは大学進学とデビュー準備のため、実家を出て東京で一人暮らしを始めることに。
高校の卒業式が終わると、トップアイドルの蒼真が、満開の桜の下に颯爽と現れた。
蒼真はツバサの母に「俺が必ずアイドルとして輝かせます」と力強く宣言すると、ツバサを連れて都内へと車を走らせた。
新居は蒼真と同じマンションだった。ワンルームの部屋に到着すると、蒼真はツバサを強く抱きしめた。「最後の制服は、俺の手で脱がせたい」と熱く語る。
高校卒業と大学進学。「次のステージ」に立つための新生活。これは、二人の恋の続きであり、ツバサの夢の始まり……
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
白馬のプリンスくんには、どうやら好きな人がいるらしい
兎束作哉
BL
――これは幼馴染ニコイチが、幼馴染から一歩進んで恋人になるまでの物語。
白雪凛は188cmの高身長の高校2年生。しかし、授業の終わりには眠ってしまう生粋の居眠り魔であり、名前も相まって“白雪姫くん”や“凛ちゃん”と弄られる。
そんな凛を起こしてくれるのは、白馬燈司という155㎝の低身長の幼馴染男子。燈司は、低身長ながらも紳士的で名前を弄って”おうじくん“と呼ばれる文武両道の優等生。
いつも通りの光景、かわいい幼馴染の声によって起こされる凛は、当たり前の日常に満足していた。
二人はクラス内で、“白雪姫カップル“と呼ばれるニコイチな関係。
また、凛は、燈司を一番知っているのは自分だと自負していた。
だが、ある日、いつものように授業終わりに起こされた凛は、燈司の言葉に耳を疑うことになる。
「俺、恋人ができたんだ」
そう告白した燈司に凛は唖然。
いつもの光景、秘密もないニコイチの関係、よく知っているはずの幼馴染に恋人が!?
動揺する凛に追い打ちをかけるよう、燈司は「恋人とのデートを成功させたいから、デート練習の相手になってほしい」と頼み込んできて……?
【攻め】白雪凛×白馬燈司【受け】
鈍感高身長攻め(平凡)×王子さま系低身長受け(美形)
※毎日12:00更新です
※現代青春BLです
※視点は攻めです
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる