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一:此れはこの世のことならず

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「蓮珠さまぁ」
「あいたかったー」
 舌っ足らずな口調で口々に発言しながら、子どもが俺の周りに集まってきた。しょんぼりとした様子で、着物の裾をその小さな小さな手でつかむ。その、愛しい様子。
「蓮珠さま、またぜんぶ、こわれちゃ……った」
 数人の子どもがぺたんとその場に座り込む。
 その前には、ただ集められただけの石がごろごろと転がっていた。
 ひ……っと一人の子どもがしゃくりあげた。ぽろりぽろりと大粒の涙が丸い頬を伝って、砂の上に落ちて染み込む。鼻をすする音や喉を引きつらせる音が辺りに広がっていく。それは、次第に泣き声に変わって、やがて、大きな漣へと変わっていってしまう。  時々、思うんだ。目の前で流れる三途の川は、この子たちの涙でできたものなんじゃないか、ってさ。
「蓮珠」
 たかむーの手が俺の肩の上に置かれた。うん、と小さく声に出してから動く。子どもの横を通って、無残に散らばった石に手をのばして両手にとってから、立ち上がって、子どもの方を向く。
「蓮珠さま」
 ぐしゃぐしゃの顔をした子どもが、涙を拭き続けていた手をやっと離した。
「蓮珠さま、わからないの」
「蓮珠さま、おしえて」
「蓮珠さま、どうして」
 涙を零す代わりかのように、子どもはぽろぽろと言葉を零し始めた。
 地獄をさ迷う、ここじゃあ他の誰にも聞かれることのない、聞く人が一人たりともいない、その悲しい言葉は、俺だけに語りかけ始めていた。
「どうして、こんななの」
「これ、いつまでつづくの」
「もうやだよ、たすけて」
「たすけてよ、蓮珠さま」
 涙ながらに子どもたちは俺に訊く。
「たすけてよぅ、蓮珠さま」
「もうくるしいよ、もういやだ」
 口々に子どもたちが苦を口に出す。口に出して当たり前なんだ、俺の前にいるのは、俺の前で泣くのは子どもなんだから。
 地獄の中じゃあ大人が自分のやったことの重さを考えないで、見ないで、ひいひい言いながらがむしゃらに逃げようとしたり、鬼に自分だけは、自分だけはって言っている。それと比べたら、この子たちは十分すぎるほどに立派だ。こんなに頑張っている。
 大人が大人で、子どもが子どもだなんて嘘が通じんのなんて、上くらいなもんだ。ここじゃあ大人は醜いもんで、子どもは清らかなもんだって決まっているようなもんだ。
 一重に苦っていってもたくさん種類がある。こんな些細なことで地獄行きになるの? って思うようなのなんて、人間が考えられないほど、ある。だから、何かお前が少しでも邪の色に染まると、お前が死した後、地獄の裁判官はそれを見抜く。そして、お前の背に張り付いている業が導く処にお前を連れて行く。
 お前が作った罪に対して責任を取れるのはお前だけなんだから、誰が悪いとか、自分は悪くないとか、見苦しいことだけは言ってくれるなよ。地獄じゃあ、その見苦しさが、見ていて一番汚くてどうしようもないものなんだからさ。忘れないでくれ、俺たち地獄の奴らがいつでも人という生きる物を見張っているんだってことを。
「皆」
 一重組んでは父のため、二重組んでは母のため、三重組んでは故里のと子どもたちが自分の手を痛めて積み上げた塔。それが崩れて、鬼によって崩された。
「俺には、どうしてかも、なぜかも言えない」
 そういうと、子どもたちは涙をとめた。ぴたっと、全員一緒に、揃えて。子どもは感情に敏感だから、俺の言ったことに何かを感じたのだろう。なにしろ、俺を大きな眼を精一杯すぼめて、睨みつけてきているからな。
「もう答えは皆が持っているからさ」
 悪いのは、いつでも何でも子どもじゃなくて大人なんだ。人間は上に生まれてきた時は清らかな、美しいものなんだけど、年をとるごとに、だんだん汚らわしい、醜いものになっていくもんなんだよな。
「そうなの?」
「もってないよ」
「でも蓮珠さまが……」
 子どもたちがざわざわと騒ぎだす。一人が一つ言うと、他の子も黙っていられなくなるんだ。
「そんなことないって」
「じゃあ蓮珠さまがうそついたっていうのかよ」
「蓮珠さまはそんなことしないよ」
 まるく円になって、子どもたちは額を合わせる。少しもしないで、それを見守っていた俺の着物を誰かが引っ張った。
「蓮珠さま。蓮珠さま」
「何だ?」
 見ると、子どもたちが俺を見上げていた。
「あのね、蓮珠さま」
「こんなことがつづくのって」
「おれたちがわるいこだからなの?」
 これなら即答で答えられる。
「違う」
 子どもたちは余計に困惑した顔になったけど、それでいいんだ。
「お前たちが、悪い子だなんてこと、絶対にない。そして、そんなありえないことが理由でこんな酷いことになっているわけじゃあないんだ」
 丸い、潤んだ目が縋るようにこっちを見つめている。頼る人が、俺だけしかいないのなら、この目に答えたいと、思っていた。
「ただ、時が悪かっただけなんだよ」
「と、き?」
「ときって?」
 俺が言った一言に子どもたちは過剰に反応した。嬉しいような、苦しいような、そんな気分になる。
「それって、どういうこと?」
「親よりも先に死んだ子は、親を嘆かせる」
 そう、例えその親がその子を殺害したとしてもだ。
「その罪によって、子は地獄に縛られる」
 まるで、呪いのように。人が人を想う気持ちは強くて、人を滅ぼす原因の一つになることがある。
「おかあさんが?」
「おとうさんが?」
 子どもたちはさわさわと木の立てる音のような声を出した。
「ねえ、蓮珠さま」
「それって、おこってるの?」
「おかあさんとおとうさん、わたしがおかあさんよりさきにここにきちゃったからおこってるの?」
 子どもが、さっきよりも強く見つめてくる。綺麗な、綺麗で純粋な目だ。
「違うよ」
 手の中にある石を数秒見つめてから、それに唇をつける。すると、ぽうっと、石が少しだけ光を帯びる。
「違う」
 それを子どもの手に握らせて、俺は微笑んで子どもたちを抱きしめた。
「寂しくて、皆に会いたくて泣いているんだ」
「ないてる?」
「ないてるの?」
「おかあさんとおとうさんが?」
 子どもたちは驚いた顔をする。無理もない、自分の親の泣き顔なんて感動的な映画を見た時くらいしかないだろうからな。
「お母さんだって、お父さんだって泣く時があるんだよ。大人って、凄く弱いものなんだ」
 子どもは柔軟性があるけれど、大人にはそれがない。弱くて、もろい硝子のようなものだ。支えが無くなれば、すぐに崩れてしまう。
「だから、皆が強くなって、支えてあげてくれよ」
 子どもがぴくっと顔を上げる。
「ぼくらがつよくなって?」
「おとうさんとおかあさんを?」
 潤んでいた目はもう涙をためていない。ただ、強い光を込めているだけだ。
「そうだよ」
「そっかぁ……」
 すぅっと、子どもの体が透ける。
「じゃあ、つぎに」
「うまれかわったら」
 ふわあっと、生きている人ではできない笑顔を子どもが見せてくれる。
「また、おかあさん」
「おとうさんのこどもに」
「つよくなって、あえたら」
「いいな」
 背後の岩や細い木が見えるほどに透けた子どもの手を握って、囁くと、子どもはさらに嬉しそうに笑ってくれた。
「蓮珠さま」
「蓮珠さま、だいすきだよ」
「うまれかわっても、あいたいなぁ……」
 必ず会いに行くよ、なんて言えなかったけど、子どもはくすくすと笑った。
「やさしい蓮珠さま。またね」
 ばいばい、と子どもが最後に手を振った。
 砂利に新しいしみができたけれど、今度は子どもの流した涙じゃない。
「あれで、良かったのか?」
 少し距離を置いた所に立ったたかむーが腕を組んだ様子で俺に訊く。
「さあ、どうだろう」
 答えを出してしまって、楽にしてあげることはできないんだ。俺は手伝うことしかできない。答えを出すのは、あくまでもこの子たち自身だから。俺がそう零したらたかむーは眉をしかめさせた。
「……何だ、貴様は思ったよりもさらに、さらに……ずーっと役に立たん奴だな」
「そんなこと、言うなよ」
 神様にだってやれないことがあるんだから、神様以下の超役立たずの俺になんかやれないことがいっぱいあっても仕方ないことじゃね?
「それとも、まだ……怖いのか?」
 たかむーが俺の目の奥を覗き込んでこようとする。俺は、そうすることは駄目だと分かっているってのに、その目から避けてしまった。そうすることで、答えを自分からたかむーに教えてしまうことになると分かっていても、そうせずにはいられなかった。
「ごめん」
 情けなかった。同僚の顔もまともに見られない今の自分が情けなくて仕方がない。
「気にするな」
 それでも仏頂面を崩さない同僚が、有難かった。
「私はお前の味方だ」
 たかむーが俺の頭に手をのばしてきたけど、俺に見られているのに気づいて、手を引っ込ませた。
「だから、もっとしっかりしろ、馬鹿者が!」
 顔を近づけると、たかむーはかっとした顔をして、俺の背中を平手で力任せに叩いた。その後でごにょごにょと口の中で呟く。
「だが、この私が貴様と共にいてやっているのだ。少しくらいは頼らせてやらないこともない」
 ふっと、笑みが出てくる。
「はいはい、ありがとうな」
「いいからついてこい。貴様のより道のおかげで大分いらん時間を食ったわ!」
「はいはい、心配しなくってもついていきますよ」
「はいは一回!」
 またたかむーは俺の前を無言で歩き出す。だけど、もう怖くもなんともなくなっていた。
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