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二:混沌から来し者

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「お兄ちゃん、はいパン! ちゃんと六枚切りだよ」
「…………サンキュー」
 手渡された食パンをカゴに入れ、祭の手を握ると、隣に立っていた宇治がカゴの中を覗き込んだ。
「もう他に買うものはあらへんの?」
「あるか?」
「ないよー」
 見下ろして訊くと、祭は首を振った。
「じゃあレジ行くか」
「はーいっ」
 手を引いてレジまで行く。暇そうに髪を弄る女性店員が立つカウンターにカゴを置く。
「袋いりません」
「ご協力ありがとうございまーす」
ケツポケットに入れていた黒の長財布から千円札を二枚取り出して、つり銭受けの上に置く。
「千八百円になります。二千円からお預かりしますー」
 バーコードを通し終った商品が俺の前に集まる。祭にお釣りを取ってくるように言っておいて、商品を持って空いている台に先に宇治と行く。
「二百円のお返しになります。お確かめくださーい」
「ありがとうございまーす」
 店員と同じ調子で返した祭が手を握りしめて俺の所まで駆け寄ってくる。手を出すと、レシートと小銭がのせられた。それを財布の入ってるポケットに突っ込む。そして、最後に牛乳を隙間に入れると、宇治が買い物バックを手に掴んだ。
「……なんだよ」
「僕持つで」
「いーよ、自分で持つし」
 と拒否ってみても、宇治はええねんと首を振る。
「タダ飯食わせてもらうお礼」
 こんな所で俺が持つ! いや僕が持つ! を大学生がやると目立って仕方がないので、諦めてやる。
「持ちてーなら勝手にしろ」
 と言うと、うんっと嬉しそうな声が返ってくる。何が嬉しいんだ、Mかお前は。と思ったが喜ばれたら怖いから言わない。
「帰るぞ」
「うん!」
 空いている手にじゃれついてくる祭の手をしっかり握って、スーパーを出る。ぴゅうっと通った風に、祭が小動物みたいに体を震わせた。薄暗くなってきた空が、帰宅を勧めている気がして、俺は足を進めた。
「お兄ちゃん、焼きそばは塩とソース、どっちがいい?」
「塩がいい」
「榊くん、塩焼きそば好きやなあ」
「ソース焼きそばは夏の食いもんだろ」
 塩は、なんとなく大人の食い物のような気がする。だから好きだ。だけど、これを言うと子どもっぽい気がするので、もう一つの理由を言っておいた。
「プールサイドや縁日で食べんのが一番美味いよなあ」
 宇治の意見に頷く。特にこだわりがあるわけじゃないんだけど、やっぱソースのあのこてっこての味はキーンと冷えたかき氷や喧噪が傍にあってこそ美味さが引き出される。そう俺は思っている。
「じゃあ、塩にするね」
 そんなことを話しながら歩いていると、あの公園がある道に繋がる所まで来た。そのことに気づき、思わず緊張した瞬間、背中を冷たい手で、撫で上げられた。ゾッとして振り向いたが、誰もいなかった。
息を吐きながら前を向こうとしたら、
「危ない!」
 祭が横からタックルしてきた。潰れた声を出しながらも、胸に抱え込む。祭が止まらずにそのままの勢いで突っ込んでくるから、左隣にいた宇治を壁との間に挟んでしまう。
「な、何だよ。どうした、祭」
 後ろの宇治に悪いと言ってから前を見ると、抉れた地面と、赤と青のけばけばしい色をした二つの巨体が目に入ってきた。
「え?」
 気合の入っていないパンチパーマ、その中から少しだけ見えている角、やたらと目つきの悪い三白眼、ボロボロのトランクスみたいな服を着た……オ、オヤジ?
「趣味悪ィ」
 と呟いた瞬間、赤い肌の方が手に持っていた金棒を振り上げた。祭の肩をしっかり掴み、右に逃げる。トゲトゲのついた金棒は、コンクリートの塀を削った。祭の肩を抱いた手に力が入る。
「あっぶねー……」
「榊くん、後ろ!」
 赤い奴の方だけ見て後退していたら、逆方向に逃げた宇治が叫んだ。後ろを見る間もなく、青い奴に背を蹴りつけられる。よろめいて前に一、二歩進むと、今度は金棒で殴られた。
 思わず膝をついてしまう。祭が腕から抜け出し、オヤジの足を蹴る。すると、オヤジは唾を吐きながら奇声を出してぶるぶると震えて、小さい祭を蹴りあげた。
「祭ちゃん!」
後ろから走ってきた宇治が祭を抱きとめる。祭を地面に置いてから、金棒で青いオヤジの顔面を殴りつける。その痛々しいありえない光景に顔を背けていると、宇治が祭を抱き上げて戻ってきた。
「榊くん、立てるか?」
 オヤジが持っていた金棒を、野球少年みたいに持っている宇治の姿に、背後を見る。何をどうやったのか、昏倒している赤いオヤジに、顔が引き攣ってしまう。
「大丈夫、立てる」
 俺が宇治の手を借りて立ち上がると、オヤジも金棒を支えにして立ち上がった。
「う、宇治……アイツ立ち上がったぞ」
 指を差して言うと、宇治は俺に祭を渡して、オヤジに向き直る。百八十以上ある宇治は体もデカく、喧嘩ももしかしたら慣れてるのかもしれない。劣ってはいないけれど、勝ってもいない。頭から生えた角といい、服装といい、肌色といい、オヤジはおかしかった。普通、ありえる格好じゃない。それに、狭い通路とはいえ、いつもなら結構人が通るところだ。誰も通らないはずがない。
「逃げるぞ」
祭を片手に抱え直し、宇治がオヤジを相手にするために地面に置いた買物袋の所まで走って行き、持ち上げる。どこで切ったのか、手から血が流れていて、袋に血がついた。
「逃げるぞ、宇治!」
パンチを受け止め、反撃のチャンスを窺っている宇治に声をかけながらその横を通り過ぎる。宇治はえっ!? と叫んだけど、すぐにオヤジを蹴り倒して俺の後を追いかけてくる。
「逃げるて……どこにや、榊くん」
「どっかだ、どっか!」
 勿論追っかけてきているオヤジの姿を確認しながら、追いついてきた宇治に叫ぶ。
「このままじゃ誰か巻き込んじまうかもしれねーし、壁とか家とか、壊させられねーだろ!」
 もし六十近い大家さんがいたとしたら、巻き込んで怪我をしてしまうかもしれないから、家に帰るわけにはいかない。かといって大通りに出て誰か知らない人を巻き込んでしまうわけにもいかない。
「こ、公園」
「公園?」
「あそこ!」
顎を前に動して、場所を宇治に知らせる。
「あそこぉ!? 何でや!」
いいから! と叫んで、宇治の腕を掴む。そのまま公園の中に駆けこむ。一週間前、俺には理解が出来ないことと出会った場所だ。そして、アイツが助けてくれた、アイツと出会った場所だ。
「榊くん、避けぇ!」
宇治に背を押され、腕の中の祭が怪我しないように力強く抱き締める。
「宇治!」
 叫びながら見ると、皮膚を青黒くさせたオヤジを宇治が抑え込んでいた。
「アイツ、何て言ってたっけな……」
 頭に、アイツの声が浮かんでくる。
もし、君が理解のできない出来事に遭遇したとしたら、必ず俺を呼んで。どんな所にいても、どんな時間だろうと、俺は君の傍に行く。そして、君を普通の日常に戻してみせる。だから、覚えていて――――。
「榊くん!?」
「オン、カカカ、ビサンマーエイ、ソワカ」
 小さい声で呟く。宇治が蹴り飛ばされ、ベンチに体をぶつける。
「オン、カカカ、ビサンマーエイ、ソワカ!」
 真っ青なオヤジを見ながら、もう一度強く言うと、目の前に赤が広がった。坊さんが持っている錫杖を足元の土に突き刺した。
「お前たち、何をしている」
 前を見えないように塞いでいる赤色が喋った。腰までの黒い髪に、真っ赤な着物。
「アンタ……」
 長い黒髪を揺らして、ソイツは振り返った。そして、へらりと笑って、片手を上げる。
「やあ、榊くん」
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