アルジュナクラ

Merle

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1章 永遠の別れと運命の始まり

1-7.

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「これは……棺か? 祭壇か?」
 を見た瞬間に思い浮かんだ言葉を、アルジュは疑問の形でリシュナの背中に投げかけた。

 階段からおそらく真っ直ぐ進んだ先にあったのは、巨大な大理石から切り出したかのような直方体の固まりだった。
 直方体の高さはアルジュの腰ほどで、上面の広さは大人が一人、大の字になって寝そべることができそうなくらいだ。そこだけを見ると、石造りの寝台、という発想もあったけれど、直方体の全面に刻み込まれた呪文のような文字とも模様とも取れるものの醸し出す雰囲気が、寝台よりももっと儀式めいたものを想像させたのだった。

「……え」
 その石造物が棺なのか祭壇なのか――と首を捻っていたアルジュは、もっと不思議なことに遅ればせながら気がついた。
 足下の溝には埃が詰まっているのに、その石造物は表面に刻まれた文様がはっきり読み取れるほど、きれいだった。石造物の周りはそこだけが、まるで見えない天蓋に覆われているかのように、少しの埃も積もっていないのだ。

「まさか、おまえが掃除したわけではないよな?」
 アルジュは妹にそう尋ねずたが、答えは分かりきっていた。
 昨日今日に少し掃除した程度で、ここまで埃が掃き清められるとは到底、思えない。どう見ても、始めから埃が積もっていないのだ。
 いや、埃だけの話ではない。改めて観察すれば、この石造物には少しの欠けや、風化の跡もない。いくら地下深くとはいえ、あまりにも真新しすぎだった。まるでここだけ、時間が止まっているようだった。

 この石造物は超常的な力に護られている――アルジュにそう確信させるだけの異様さが、そこには厳然として漂っていた。

「だが、しかし……これは……!?」
 アルジュの喉が、ぐびりと引き攣った音を鳴らす。

 眼前に鎮座している石造物から醸し出される異様さは、けして神々しいものでは――清浄さや神聖さと呼べるものではなかった。その正反対、邪悪で禍々しいものだった。
 その石造物を見つめているうちに、アルジュは胸が締め上げられるように苦しくなる。突如として立ちくらみに襲われたかのように、目眩がして平衡感覚が失われる。
 アルジュは立っていられなくなって、その場で片膝をついた。

「これは……一体、何だ? この場所は一体、何なのだ!?」
 アルジュは妹を見上げて、噛みつくように問い質した。

 兄と同じものを見ているはずのリシュナは、嫋やかな微笑みさえ浮かべて、平然と佇んでいた。

「大丈夫よ、お兄様」
 リシュナは兄をちらりと横目で見下ろして、

「だって、まだ封印されたままだもの」
 いっそう深く微笑んだ。

 一方のアルジュは困惑に顔を引き攣らせる。

「封印? リシュナ、それは何の話だ?」
「あら、お兄様だって知っているでしょうに」
「だから何の話だ?」
「魔物を退治た聖者の話、よ」
「……私たちの祖先にまつわる伝承のことか。それなら当然、知っているが……え、まさか!?」
「ええ、そのまさかよ」

 目を見開かせる兄に、リシュナは笑顔でこくりと首肯した。そして、視線を石造物へと戻しながら言葉を続ける。

「わたし、本を読んで隠し階段を見つけたと言ったでしょう? その本に、この祭壇のことも記されていたの」
「祭壇? やはり、あれは祭壇なのか?」
「そうよ。あれは祭壇……というか、ううん……寝台とも言えるのかしら」

 リシュナは眉間にほんのり皺を寄せて小首を傾げる。ランタンの明かりに照らされたその仕草は蠱惑的とも言えるものだったが、アルジュの顔には照れも苦笑も浮かばない。そこに浮かんでいるのは焦燥と――不審の表情だった。

「リシュナ、ご託はいいから、あれが何なのか話せ。何のために私をここに連れてきたのかも、だ」
「あら、お兄様ったら怖い顔だわ」
「いいから言うんだ」

 いつになく強い兄の語調に、リシュナはほんの少しだけ鼻白んだが、すぐに笑みを戻して話し始めた。

「……だから、言い伝えの通りよ。この祭壇には、わたしたちのご先祖様が退治した魔物が封じられているの」
「封じた? 退治した……というのは、倒したという意味ではなかったのか?」
「わたしの見つけた本によると、いくつかの魔物についてはお兄様の言う意味で倒すことができたけれど、とくに強かった魔物についてはとても倒せなくて、封印するのがやっとだったみたい」

 リシュナは記憶を手繰るように、ええと、と小首を傾げる。

「ええ……霊力だったかしら、地脈だったかしら……とにかく、土地に宿っているそういう神秘的な力を利用して、倒せなかった魔物を封印したらしいの。そのなかでも、この土地に封じた魔物が一番凶悪だったから、万が一のときに備えて、ご先祖様はここに住むようにしたのだそうよ」
「……すると、伝承はほとんど真実だった、と。ここには魔物が封じられていて、私たちはその封印の真上で暮らしていた、と」
「ええ、その通り。この地下室と祭壇がその証拠ね」

 リシュナはまるで自分の手柄みたいに胸を張る。アルジュにはそれが妹なりの冗談なのか、それとも自分の発見を本気で自慢しているのか、考える気力も起きなかった。ただもうひたすらに、打ちのめされていた。

「まさか……は、はは……地下に魔物が……先祖が本物の聖者で……」
 アルジュには、いきなり知らされた荒唐無稽な話を、妹の作り話だと笑い飛ばすことはできなかった。
 彼自身がいま跪いているこの場所と、目の前で異様な存在感を発し続けている石造物の――祭壇の存在が、リシュナの話が真実であると雄弁に語っていた。

 祭壇の存在を意識すればするほど、脚から力が抜けていく。淀んだ空気が肩を圧してきて、跪いた体勢から起き上がれなくなっていく。
 なのに、アルジュよりもずっと細い身体のリシュナは、微風ほどの圧力も感じていないように佇んでいる。
 最初は、リシュナはすでに一度来ているから心構えができていたのだろうと思っていたアルジュにも、これが単なる気の持ちようから来る差などではないと分かり始めていた。

 兄の問い質したげな視線に気づいたのか、リシュナは口角をくすりと持ち上げる。

「これも本に書いてあったことだけど、この場所には封印してもなお滲み出す魔物の邪気が溜まっているから、立っていられないのが普通みたいよ」
「だったら、おまえはどうして――」
「わたしは例外なの」

 兄の疑問を艶めいた微笑で遮ると、リシュナは気負いのない足取りで祭壇へと近づいていく。

「例外だって……?」
 アルジュは跪いたまま顔だけを上げて、妹の後ろ姿に問いかける。リシュナは歩みを止めずに、背中で答えた。

「この封印を解くために必要な鍵……それが何か、お兄様はお分かりになって?」
「いまはそんなことを聞いていない!」
「あら、この流れでこの質問なら、意図を察してくれると思ったのだけど」

 リシュナは足を止めて肩越しに兄を振り返り、からかうような流し目で兄を見下ろす。揺らめくランタンの明かりに照らされた横顔が、アルジュには、知らない女の顔に見えた。
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