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6章 マガーダの収穫祭
6-3.
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「ひ――ッ!?」
悲鳴はひとつではない。
この男の他にも何人か、ジャオが首無し騎士の首を引っこ抜く光景を目撃してしまった者がいたようだ。
何カ所かで上がった悲鳴から波紋が広がるように、群衆のざわめきが消えていく。
カンヴァと騎士たちも、足を止めて唖然としていた。
アルジュは額に手を当てて嘆息していて、レリクスはいつも通りの静かな表情だ。
周りの者がそうした表情で見つめている中、小柄な魔物――ジャオは、首無し騎士の首を抱えたはずみで体勢を崩して、ごろんごろんと鎧の背中を転がり落ちた。
どさっと音がするなか、がらんごろん、と鈍い音も続く。ジャオが地面に落ちたときの衝撃で、首が被っていた兜が外れて転がったのだ。
兜の下には麻袋のような覆面、というか麻袋に目鼻的な絵を描いたものを被っていたが、ジャオはそれも剥ぎ取った。結構な高さから落ちたはずだが、怪我も痛みもないらしい。
覆面代わりの麻袋から出てきたのは、ただのボールだった。空気を入れて膨らませた豚の膀胱に鞣した革を貼り付けた、それなりに高価だけど、どこにでもあるボールだった。
せっかく用意していた飾りを落とされた首無し騎士は、どこか所在なげに突っ立っていた。
● ● ●
「おい、なんでそんなことをした!?」
アルジュは、手にしたボールをしげしげと眺めて小首を傾げているジャオを小声で叱った。
ジャオは叱られても、泣いたり拗ねたりしない。というより、叱られたことを理解しているのかも怪しい。
そもそも、ジャオは一応、子供の形を取ってはいるが、その本性は土塊なのだ。念話で話すときも単語を並べただけの思念ばかりで、文章や文法といった概念が理解できていない節もある。
魔物の形と有り様は、人間のようなものから動物や器物のようなものまで多岐に渡っているが、その中でもジャオは輪を掛けて非生物的だ。魔物とはまた別の、未知の生命体なのかもしれない――。
そんなジャオが首無し騎士の首に興味を示した。
これはもっと詳細な聞き取りと思考を要すべきことだったと思うが、このときのアルジュに、そのような余裕はなかった。
誰もが言葉なく突っ立っている。
侯都の住人たちが事前に噂話で首無し騎士のことを知っていたからこそ生まれた、恐慌と得心の間隙だ。叫ぶべきか頷くべきか分からなくなった頭が、一時的に考えることを止めているのだ。だが、この空白も数秒後には終わり、人々は叫び出すことだろう。分からないときは叫ぶか怒鳴るかするのが人間なのだから。
「――素晴しい!」
カンヴァが歓声を上げて、拍手の音を響かせた。
恐慌に陥る寸前だった群衆は、叫ぶのを忘れて自分たちの主君を見つめた。
カンヴァは全員の注目と期待を集めるための絶妙な間を置いたところで、大きな身振り手振りを交えながらアルジュを絶賛した。
「いやはや、これはお見事。私めはすっかり騙されましたぞ。まさかアルジュ殿がこのような余興を用意されていたとは、夢にも思いませんでしたとも。いや、アルジュ殿もお人が悪い、はははっ!」
朗々と響く大きな笑い声と、再びの拍手。
アルジュは呆気に取られた顔でカンヴァの弁舌に聞き入っていたものの、カンヴァが破顔して大笑いすると、はっと気がついて不敵に見えなくもない笑みを浮かべて、鷹揚に頷いてみせた。
「ま、まあな。かりにも魔王と呼ばれるからには、収穫祭に招かれた礼として、魔物を使った余興のひとつでもしてみせねば沽券に関わろうと思ってな」
「ははっ、じつに諧謔の効いた趣向でしたぞ。……しかし、かくも恐ろしげな魔物たちですら、魔王殿の手に掛かっては道化役者も同然ですか」
「……そうだな。この者たちは私の命令に絶対服従だ。その点は魔王の名において保証しよう」
アルジュはカンヴァの意図を読み取って、そのように請け負った。
「おお! なんと頼もしいお言葉か! ――聞いたか、皆の者。この魔物たちは我らを守ってくれる尽忠滅私の守護者たちだ。今はまだ恐ろしさが勝つかも知れんが、信じてみようではないか!」
カンヴァが皆に呼びかける。
群衆から直後に返ってきたのは沈黙だけだったが、少しすると、ぱらぱらと小雨のような拍手が聞こえてくる。その拍手が仕込みだったのかは不明だが、最終的には万雷の拍手がパレードを包み込んだ。
けして完全に受け入れられたわけではないが、マガーダの民衆が魔物に肯定的な態度を示した最初の瞬間だった。
「ああ……」
アルジュは自分たちに向けられた拍手と歓呼に、惚けた顔を返していた。
そして、誰に向けたわけでもない言葉をぽつりと呟く。
「……一生、後ろ指を指される覚悟だったのだがな」
アルジュはこの光景に夢を見た。
いつか、魔物が、魔王が、人の世に受け入れられる日が来るという夢を。
「……」
アルジュの目尻には小さな涙が滲んでいる。口角が妙な具合に震えているのは、泣き出しそうなのを堪えているからだろう。マガーダではずっと被ってきた"魔物を統べる強き魔王”の仮面が、いまにも剥がれそうだった。
気持ちを切り替えるためか、アルジュはジャオをさり気なく口元に手をやって表情を隠しつつ、ジャオに先ほど聞きそびれたことを改めて尋ねた。
「なあ、ジャオ。どうして、あいつの首を取ったりしたんだ?」
「……」
ジャオは革張りのボールを両手に抱えたまま、虚ろな瞳でアルジュを見上げる。
光彩のない真っ黒な瞳。
その瞳から少しでも感情を読み取ろうとして、アルジュも見つめ返す。
ジャオは口を動かさなかった。
けれども、念話がアルジュの耳に声なき声を届けた。
――丸かったから?
「いや、私に聞き返されてもだな……」
答えを聞いたはずなのに、謎はますます深まるのだった。
悲鳴はひとつではない。
この男の他にも何人か、ジャオが首無し騎士の首を引っこ抜く光景を目撃してしまった者がいたようだ。
何カ所かで上がった悲鳴から波紋が広がるように、群衆のざわめきが消えていく。
カンヴァと騎士たちも、足を止めて唖然としていた。
アルジュは額に手を当てて嘆息していて、レリクスはいつも通りの静かな表情だ。
周りの者がそうした表情で見つめている中、小柄な魔物――ジャオは、首無し騎士の首を抱えたはずみで体勢を崩して、ごろんごろんと鎧の背中を転がり落ちた。
どさっと音がするなか、がらんごろん、と鈍い音も続く。ジャオが地面に落ちたときの衝撃で、首が被っていた兜が外れて転がったのだ。
兜の下には麻袋のような覆面、というか麻袋に目鼻的な絵を描いたものを被っていたが、ジャオはそれも剥ぎ取った。結構な高さから落ちたはずだが、怪我も痛みもないらしい。
覆面代わりの麻袋から出てきたのは、ただのボールだった。空気を入れて膨らませた豚の膀胱に鞣した革を貼り付けた、それなりに高価だけど、どこにでもあるボールだった。
せっかく用意していた飾りを落とされた首無し騎士は、どこか所在なげに突っ立っていた。
● ● ●
「おい、なんでそんなことをした!?」
アルジュは、手にしたボールをしげしげと眺めて小首を傾げているジャオを小声で叱った。
ジャオは叱られても、泣いたり拗ねたりしない。というより、叱られたことを理解しているのかも怪しい。
そもそも、ジャオは一応、子供の形を取ってはいるが、その本性は土塊なのだ。念話で話すときも単語を並べただけの思念ばかりで、文章や文法といった概念が理解できていない節もある。
魔物の形と有り様は、人間のようなものから動物や器物のようなものまで多岐に渡っているが、その中でもジャオは輪を掛けて非生物的だ。魔物とはまた別の、未知の生命体なのかもしれない――。
そんなジャオが首無し騎士の首に興味を示した。
これはもっと詳細な聞き取りと思考を要すべきことだったと思うが、このときのアルジュに、そのような余裕はなかった。
誰もが言葉なく突っ立っている。
侯都の住人たちが事前に噂話で首無し騎士のことを知っていたからこそ生まれた、恐慌と得心の間隙だ。叫ぶべきか頷くべきか分からなくなった頭が、一時的に考えることを止めているのだ。だが、この空白も数秒後には終わり、人々は叫び出すことだろう。分からないときは叫ぶか怒鳴るかするのが人間なのだから。
「――素晴しい!」
カンヴァが歓声を上げて、拍手の音を響かせた。
恐慌に陥る寸前だった群衆は、叫ぶのを忘れて自分たちの主君を見つめた。
カンヴァは全員の注目と期待を集めるための絶妙な間を置いたところで、大きな身振り手振りを交えながらアルジュを絶賛した。
「いやはや、これはお見事。私めはすっかり騙されましたぞ。まさかアルジュ殿がこのような余興を用意されていたとは、夢にも思いませんでしたとも。いや、アルジュ殿もお人が悪い、はははっ!」
朗々と響く大きな笑い声と、再びの拍手。
アルジュは呆気に取られた顔でカンヴァの弁舌に聞き入っていたものの、カンヴァが破顔して大笑いすると、はっと気がついて不敵に見えなくもない笑みを浮かべて、鷹揚に頷いてみせた。
「ま、まあな。かりにも魔王と呼ばれるからには、収穫祭に招かれた礼として、魔物を使った余興のひとつでもしてみせねば沽券に関わろうと思ってな」
「ははっ、じつに諧謔の効いた趣向でしたぞ。……しかし、かくも恐ろしげな魔物たちですら、魔王殿の手に掛かっては道化役者も同然ですか」
「……そうだな。この者たちは私の命令に絶対服従だ。その点は魔王の名において保証しよう」
アルジュはカンヴァの意図を読み取って、そのように請け負った。
「おお! なんと頼もしいお言葉か! ――聞いたか、皆の者。この魔物たちは我らを守ってくれる尽忠滅私の守護者たちだ。今はまだ恐ろしさが勝つかも知れんが、信じてみようではないか!」
カンヴァが皆に呼びかける。
群衆から直後に返ってきたのは沈黙だけだったが、少しすると、ぱらぱらと小雨のような拍手が聞こえてくる。その拍手が仕込みだったのかは不明だが、最終的には万雷の拍手がパレードを包み込んだ。
けして完全に受け入れられたわけではないが、マガーダの民衆が魔物に肯定的な態度を示した最初の瞬間だった。
「ああ……」
アルジュは自分たちに向けられた拍手と歓呼に、惚けた顔を返していた。
そして、誰に向けたわけでもない言葉をぽつりと呟く。
「……一生、後ろ指を指される覚悟だったのだがな」
アルジュはこの光景に夢を見た。
いつか、魔物が、魔王が、人の世に受け入れられる日が来るという夢を。
「……」
アルジュの目尻には小さな涙が滲んでいる。口角が妙な具合に震えているのは、泣き出しそうなのを堪えているからだろう。マガーダではずっと被ってきた"魔物を統べる強き魔王”の仮面が、いまにも剥がれそうだった。
気持ちを切り替えるためか、アルジュはジャオをさり気なく口元に手をやって表情を隠しつつ、ジャオに先ほど聞きそびれたことを改めて尋ねた。
「なあ、ジャオ。どうして、あいつの首を取ったりしたんだ?」
「……」
ジャオは革張りのボールを両手に抱えたまま、虚ろな瞳でアルジュを見上げる。
光彩のない真っ黒な瞳。
その瞳から少しでも感情を読み取ろうとして、アルジュも見つめ返す。
ジャオは口を動かさなかった。
けれども、念話がアルジュの耳に声なき声を届けた。
――丸かったから?
「いや、私に聞き返されてもだな……」
答えを聞いたはずなのに、謎はますます深まるのだった。
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