2 / 11
その2 里心がついた日のお刺身ご飯
しおりを挟む
『今夜は魚がいい』
メッセアプリにそう書き込んだのが昼過ぎのこと。
『了解』
とスタンプ付きで返事があったのは夕方になる少し前。
秋くんはいつも、昼休み以外は学校からメッセしてこない。だから、既読無視されていた、なんて要らぬ心配はしない。唯々、今夜のご飯を楽しみにしてお仕事ラストスパートするのみだ。
「ただいま。秋くん、ただいま!」
「桜さん、おかえりなさい、桜さん」
「あ、五七五だ」
「あ、本当ですね」
「上手いね」
「狙ったわけじゃないんですけどね」
そんな他愛ない話をしながら、いつものように自室で着替えて戻ってくると、居間の食卓には夕飯がいま当に並べられていっているところだ。
「さー、今夜のご飯なんだろなー。お肉かな、お魚かなー?」
なんて鼻歌しながら着席したら、
「お肉ですよ」
「え――」
「あっ、嘘ですよ。だから、そんな顔しないでくださいって!」
「……秋くん、意地悪」
「ごめんなさい……でも、ちょっと可愛かったです」
「ぶー!」
唇をぶっと突き出して遺憾の威を示したら、もっとくすくす笑われた……まったくもう!
「ふふっ、やっぱり可愛いです」
「……そういうことを、相手の目を見つめて言ってはいけません」
「じゃあ、いま目を逸らしてる桜さんには言ってもいいってことですね。可愛いです」
「……ギブアップです。マジで」
さすがに恥ずかしすぎて、これ以上やられたら食事どころではなくなってしまう。
「はい。ちょっと調子に乗っちゃいました。ご飯、冷めないうちにいただきましょう――いただきます」
「いただきます」
二人でなんとなく頭を下げ合って、箸を取る。
今日の夕飯は……
「お刺身だぁ」
「はい。海鮮丼と悩みましたけど、お刺身定食、みたいにしてみました」
「あぁ……秋くん、食卓の真ん中に大皿があるの、好きだもんね」
それぞれの手前には、ご飯とお味噌汁に取り皿がいくつか。
食卓の中央には、大皿に載った刺身の盛り合わせ。その横には海草サラダ、お漬物の大皿もある。
じつに秋くん好みの食卓風景だ。
――というわけで、わたしとしては今更のことを言ったつもりだったのだけど、秋くんは箸を持ったまま、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「あ……言われてみると、そうですね。僕、こういう食事が好きみたいです」
「えっ、自分で気づいてなかったの!?」
「すごく無意識でやってました……っていうか、桜さんは前から気づいてたんですか?」
「まぁ……秋くんはなんでも大皿に盛るのが好きなんだなぁ、とは」
「えぇ!? なんか恥ずかしいです。そういうの、気づいたときに言ってくださいよ」
「えぇー……って、え? 恥ずかしいの、なんで?」
「なんでって……僕のことなのに、僕が知らなくて桜さんだけ知っているのって、なんか……よく見られているんだな、って――」
「ごめん、分かった。恥ずかしい理由、納得。うん」
「分かってもらえて良かったです……」
二人して少し赤面した。
そして二人とも味噌汁を啜ったり、お漬物をぽりぽり囓ったりして、なんとなく仕切り直し。
「……あ、山葵を溶かない派なんだ」
「あ、はい。桜さんは溶く派なんですね」
この溶く溶かないは、山葵を醤油に溶かすか、それとも溶かさないで刺身に山葵を載せるようにするか、のことだ。
「べつに拘りがあるわけじゃないけど、子供の頃から普通に溶かしていたから、もう習慣なんだよねぇ」
「僕もそうですね、習慣。子供の頃に祖父ちゃんがこうやって食べているのを見て、格好いいなぁと思って真似し始めたら、そのまま習慣になっちゃいました」
「あ、溶かさないのがカッコイイのは、なんか分かるかも!」
「ですよね。だから正直、味がどうとかじゃないんです」
「あははっ……でも、そう言ってもらえて安心したよ。山葵を醤油に溶かすなんて子供かっ、なんて怒られたら、年上として格好付かなかったもん」
この話は笑って終わりかな、と思ったら、秋くんがなぜか真剣な目つきでわたしを見ていた。
「……秋くん?」
「怒りません」
「うん?」
「そんなことで怒りませんけど、可愛いなぁ可愛いなぁ、と頭をいっぱい撫でて子供扱いすることはあるかもしれません」
「わたし、たった今から、山葵は溶かさない派に転向します」
「えっ、そんなに嫌ですか!? 僕に頭を撫でられるの、そんなに……?」
秋くんが眉を曇らせるから、わたしもちゃんと言わざるを得なくなる。
「撫でられるのはいいけど、か……可愛い連呼は、色々……きついの」
「きつい?」
本当に分からない、という顔で小首を傾げる秋くんが、いまはちょっと恨めしい。
「おっ、大人の女はカワイイが毒になるの!」
「じゃあ、少量なら薬になりますね」
「またそういう屁理屈を――」
「桜さん、可愛いです」
「はいはい。言えばいいってもんじゃないんですー」
「可愛いを連呼されるの想像して恥ずかしがる桜さん、可愛かったです。言えばいいってもんじゃない、なんて言いながら耳を赤くしている桜さん、可愛いです。ご飯を食べて美味しそうにしているときの桜さん、いつも可愛いです」
「あ、あ、あああぁ! ばかぁ!」
なんかもう顔が暑すぎて、刺身が煮魚になる!
心臓が耳に付いてるみたいにバクバク煩いし、なんだか目が潤んじゃっているし……ああもう、ああもう!
「ええと……ごめんなさい、調子に乗りました」
「……反省する?」
「してます」
「なら、許す」
「ありがとうございます」
意味があるんだかないんだか、な言葉を交わしているうちに、心臓が胸まで戻ってくれた。さり気なく目尻を拭って、深呼吸する。
「ふぅ……」
「でも、嘘は言ってないですからね」
「っ……」
全然、反省していないじゃん!
……でも、それを言ったら、秋くんは今度こそ本当に反省してしまいそうだから、代わりに言ったのは違う言葉だ。
「秋くん、お代わり」
「はい」
秋くんはわたしが差し出した空のご飯茶碗を受け取ると、嬉しそうにしながら、お代わりをよそってくれるのでした。
秋くん、薬は一日三回、朝夕食後と夜寝る前にお願いね。
――なんて言えるくらいの度胸と可愛げ、身体のどこかに残ってないかな。
● ● ●
■ お刺身ご飯
旬の魚を丸で買って、うちで刺身に切り分けました。
皮は湯引きにして、頭と骨は素焼きにして味噌汁の出汁を取るのに使いました。
――だそうです。
手作り感のある刺身だなと思ったら、本当に手作りだった!
刺身って、自分で切って作れるんだね。
皮の湯引きはかんずりが欲しくなりました。
あと、日本酒もっ( ・`ω・´)
メッセアプリにそう書き込んだのが昼過ぎのこと。
『了解』
とスタンプ付きで返事があったのは夕方になる少し前。
秋くんはいつも、昼休み以外は学校からメッセしてこない。だから、既読無視されていた、なんて要らぬ心配はしない。唯々、今夜のご飯を楽しみにしてお仕事ラストスパートするのみだ。
「ただいま。秋くん、ただいま!」
「桜さん、おかえりなさい、桜さん」
「あ、五七五だ」
「あ、本当ですね」
「上手いね」
「狙ったわけじゃないんですけどね」
そんな他愛ない話をしながら、いつものように自室で着替えて戻ってくると、居間の食卓には夕飯がいま当に並べられていっているところだ。
「さー、今夜のご飯なんだろなー。お肉かな、お魚かなー?」
なんて鼻歌しながら着席したら、
「お肉ですよ」
「え――」
「あっ、嘘ですよ。だから、そんな顔しないでくださいって!」
「……秋くん、意地悪」
「ごめんなさい……でも、ちょっと可愛かったです」
「ぶー!」
唇をぶっと突き出して遺憾の威を示したら、もっとくすくす笑われた……まったくもう!
「ふふっ、やっぱり可愛いです」
「……そういうことを、相手の目を見つめて言ってはいけません」
「じゃあ、いま目を逸らしてる桜さんには言ってもいいってことですね。可愛いです」
「……ギブアップです。マジで」
さすがに恥ずかしすぎて、これ以上やられたら食事どころではなくなってしまう。
「はい。ちょっと調子に乗っちゃいました。ご飯、冷めないうちにいただきましょう――いただきます」
「いただきます」
二人でなんとなく頭を下げ合って、箸を取る。
今日の夕飯は……
「お刺身だぁ」
「はい。海鮮丼と悩みましたけど、お刺身定食、みたいにしてみました」
「あぁ……秋くん、食卓の真ん中に大皿があるの、好きだもんね」
それぞれの手前には、ご飯とお味噌汁に取り皿がいくつか。
食卓の中央には、大皿に載った刺身の盛り合わせ。その横には海草サラダ、お漬物の大皿もある。
じつに秋くん好みの食卓風景だ。
――というわけで、わたしとしては今更のことを言ったつもりだったのだけど、秋くんは箸を持ったまま、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「あ……言われてみると、そうですね。僕、こういう食事が好きみたいです」
「えっ、自分で気づいてなかったの!?」
「すごく無意識でやってました……っていうか、桜さんは前から気づいてたんですか?」
「まぁ……秋くんはなんでも大皿に盛るのが好きなんだなぁ、とは」
「えぇ!? なんか恥ずかしいです。そういうの、気づいたときに言ってくださいよ」
「えぇー……って、え? 恥ずかしいの、なんで?」
「なんでって……僕のことなのに、僕が知らなくて桜さんだけ知っているのって、なんか……よく見られているんだな、って――」
「ごめん、分かった。恥ずかしい理由、納得。うん」
「分かってもらえて良かったです……」
二人して少し赤面した。
そして二人とも味噌汁を啜ったり、お漬物をぽりぽり囓ったりして、なんとなく仕切り直し。
「……あ、山葵を溶かない派なんだ」
「あ、はい。桜さんは溶く派なんですね」
この溶く溶かないは、山葵を醤油に溶かすか、それとも溶かさないで刺身に山葵を載せるようにするか、のことだ。
「べつに拘りがあるわけじゃないけど、子供の頃から普通に溶かしていたから、もう習慣なんだよねぇ」
「僕もそうですね、習慣。子供の頃に祖父ちゃんがこうやって食べているのを見て、格好いいなぁと思って真似し始めたら、そのまま習慣になっちゃいました」
「あ、溶かさないのがカッコイイのは、なんか分かるかも!」
「ですよね。だから正直、味がどうとかじゃないんです」
「あははっ……でも、そう言ってもらえて安心したよ。山葵を醤油に溶かすなんて子供かっ、なんて怒られたら、年上として格好付かなかったもん」
この話は笑って終わりかな、と思ったら、秋くんがなぜか真剣な目つきでわたしを見ていた。
「……秋くん?」
「怒りません」
「うん?」
「そんなことで怒りませんけど、可愛いなぁ可愛いなぁ、と頭をいっぱい撫でて子供扱いすることはあるかもしれません」
「わたし、たった今から、山葵は溶かさない派に転向します」
「えっ、そんなに嫌ですか!? 僕に頭を撫でられるの、そんなに……?」
秋くんが眉を曇らせるから、わたしもちゃんと言わざるを得なくなる。
「撫でられるのはいいけど、か……可愛い連呼は、色々……きついの」
「きつい?」
本当に分からない、という顔で小首を傾げる秋くんが、いまはちょっと恨めしい。
「おっ、大人の女はカワイイが毒になるの!」
「じゃあ、少量なら薬になりますね」
「またそういう屁理屈を――」
「桜さん、可愛いです」
「はいはい。言えばいいってもんじゃないんですー」
「可愛いを連呼されるの想像して恥ずかしがる桜さん、可愛かったです。言えばいいってもんじゃない、なんて言いながら耳を赤くしている桜さん、可愛いです。ご飯を食べて美味しそうにしているときの桜さん、いつも可愛いです」
「あ、あ、あああぁ! ばかぁ!」
なんかもう顔が暑すぎて、刺身が煮魚になる!
心臓が耳に付いてるみたいにバクバク煩いし、なんだか目が潤んじゃっているし……ああもう、ああもう!
「ええと……ごめんなさい、調子に乗りました」
「……反省する?」
「してます」
「なら、許す」
「ありがとうございます」
意味があるんだかないんだか、な言葉を交わしているうちに、心臓が胸まで戻ってくれた。さり気なく目尻を拭って、深呼吸する。
「ふぅ……」
「でも、嘘は言ってないですからね」
「っ……」
全然、反省していないじゃん!
……でも、それを言ったら、秋くんは今度こそ本当に反省してしまいそうだから、代わりに言ったのは違う言葉だ。
「秋くん、お代わり」
「はい」
秋くんはわたしが差し出した空のご飯茶碗を受け取ると、嬉しそうにしながら、お代わりをよそってくれるのでした。
秋くん、薬は一日三回、朝夕食後と夜寝る前にお願いね。
――なんて言えるくらいの度胸と可愛げ、身体のどこかに残ってないかな。
● ● ●
■ お刺身ご飯
旬の魚を丸で買って、うちで刺身に切り分けました。
皮は湯引きにして、頭と骨は素焼きにして味噌汁の出汁を取るのに使いました。
――だそうです。
手作り感のある刺身だなと思ったら、本当に手作りだった!
刺身って、自分で切って作れるんだね。
皮の湯引きはかんずりが欲しくなりました。
あと、日本酒もっ( ・`ω・´)
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
6
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる