地蔵してんじゃねぇよ! ~性欲の中心には魔物が棲んでんねん~

ねこの散歩

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5章 翡翠色の玉かんざし

5-1 翡翠色の玉かんざし

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『次回のナンパ祭は、土曜日午後三時から新宿でやるで』
 ガリさんのLINEには、そう記されていた。現在、二時を少し回ったところ。時間をどのように潰そうか考えあぐねていたが、歩くのはやめなかった。
 新宿駅を降り、靖国通りの起点である大きな交差点を東に向かって歩いていくと、左手に石造りの鳥居が見えてきた。
 花園神社。
 その鳥居をくぐると、二体の唐獅子からじしが出迎えてくれた。唐獅子への挨拶を終えると、後方には朱色に塗られた二基の鳥居が見えてくる。視線を上に向けると、赤ちゃんのような初々しい緑を携えた長細い銀杏いちょう並木に覆われていることに気づく。長方形の石が敷き詰められている石畳が真っすぐ先まで延びているのを見通しながら、一基目の鳥居に向かう。
 二メートルほどの幅がある石畳の外側には、まばらに砂利がちりばめられている。縁日になると、この砂利の上に露店が並び賑わうのだが、今は人っ子一人いない。
 覆っている銀杏のすぐ側にある建物群に視線を移すと、空調設備の大きな室外機がいくつか動いている。神聖な場所であるにもかかわらず、都会のど真ん中なので十分な広さを確保できない現実を思い知らされる。
 二基目の鳥居を抜けると、右手の方角にある手水舎ちょうずやに向かう。気合いを入れすぎてしまったようだ。汗ばんだ手を水で洗い流す。濡れた手を新調したデニムでぬぐいながら振り返ると、そこには、朱色と白緑びゃくろく色で彩られた拝殿が姿を現した。
 拝殿に向かうために石段を登ると、目についたのは祈願絵馬きがんえまだった。絵馬を見ると、家族の幸福や商売繁盛や合格祈願の他に、
「ホストでナンバー1を取る」
「AVで単体デビューができますように」
 と書かれたものやハングル文字で全て埋め尽くされているものもあり、土地柄を感じさせる絵馬風景になっていた。
 中心に位置する賽銭箱さいせんばこに向かう。拝殿の正面に立ち、軽く会釈する。
 鈴紐すずひもを両手で握り、大きな鈴を鳴らす。鈴の中で大きなどんぐりが動くような音が聞こえた。猫に付けられているような可愛らしい音は響かなかった。
 デニムのポケットから財布を手に取る。女性と良縁を結べるように願いながら五円を放り投げる。すると、賽銭箱の木質にあたり、「コン」という音を鳴らす。その音色を聞き入る前に、他のお金と交わる音に変わった。
 二回お辞儀をする。胸の高さでてのひらを合わせ、右手を少し下にずらして二拍手をする。手を打ち鳴らした音を辺りに響かせながら、指先をきちんと合わせる。
 今日こそ、ナンパがうまくいきますように。
 祈りを込めながら、手を下ろす。最後にもう一度お辞儀をすることで神を送り返した。
 すると、今まで気づかなかったのが不思議なくらいおきょうの声が響き渡っていて、次の瞬間、なぜか風鈴の音色に変えながら耳の奥に吸い込まれていった。その音色は心の奥で波紋を広げるようにこだまし、周りに漂う音を全て支配していった。建物の中を覗くと、薄暗く、重厚な金色が放射線状に散らばり、その中心にはいくつもの椅子が横に並べられていた。中央の椅子には、着物を着た女性が前方を向いて一人で座っている。
 女性一人でおはらいなのだろうか。
 その様子を茫然と立ち尽くしながら眺めていた。
 お経が終わると、女性は二拝二拍手一拝をした。お坊さんにお辞儀をすると、こちらに向かってきた。一歩ずつ近づいてくるが、暗がりではっきり見えない。
「チョット、イイデスカ」
 突然、胸に氷嚢ひょうのうを押しつけられたかのように驚いてしまった。振り向くと、
「ココニ、オカネヲイレルンデスカ」
 と言いながら賽銭箱を指している外国人がいた。その男性は毎日ハンバーガーを二十個は食べていそうなだらしない体型をしている。
「いえす、いえす」
 と日本語のように返答した。
「アリガトウゴザイマス」
 最後まで聞き終える前に身体を戻し、着物の女性を探した。すると、すでに草履ぞうりを履いて歩き出していて、前からだけでなく横顔さえも見逃してしまった。しかし、その女性が通り過ぎた瞬間、残り香を乗せた風が鼻孔びこうを通り抜けていった。その風は心の中を撫で回し、掻き混ぜながらどこかに消えてしまった。
 この感覚はなんだ。どういうことなんだ。
 斜め後ろから見る。エラから顎にかけての美しい曲線と薄い桃色の口紅を覗かせ、瞬きを一度終えるころには心が洗われ、今まで生きてきた世界とは異なる世界に迷い込む幻に陥った。その状態に目眩めまいを感じると同時にふらついてしまい、後ろ姿を眺めることだけしかできなかった。
 呼ばれている。
 女性は赤い和傘を持ち直すと、天に向けて華々しく開いた。
 声をかけなきゃ。
 女性は、石段を一段一段降りていく。着物と足袋たびの間から肌がチラッと見え、襲うように目に飛び込んでくる。視線を上げていくと、口紅と合わせるような薄桃地の着物に目を奪われ、春を思わせる草花が描かれている。衿足えりあしに視線を移すと、白色の半えりがわずかに見え、その白さよりも一層際立つ白さと色気を併せ持ったうなじに見れてしまい、唾を飲み込みながらてっぺんを見つめると、そこには桜の花びらが映し出された翡翠色の玉かんざしが挿されていた。
 よくわからないけど呼ばれている。声をかけなきゃ。
 その女性が大鳥居に向けて歩き出す。
 すると、酸いも甘いも噛み分けてそうな深い年輪を携えた桜や楓や銀杏から誘うような鼓動が聞こえ、その先っぽに視線を移すと、誇らしげな黄緑の葉が全ての命の源を見つめ続けてきた太陽の光を取り入れながら、大事なお姫様を送り出すように一斉に揺れていた。
 バカ。何、地蔵してんだよ。声をかけなきゃ。
 しかし、足が動かない。
 揺れ続ける黄緑の葉の光景を眺めていると、頬に雫がゆっくりと流れていくのを感じた。それをぬぐうと、心が小刻みに震えてきた。どこにあるのかわからない心を胸だと決めつけ、手で鷲掴みにするが、心の震えは止まるどころか身体全体に伝わっていった。
 視線を大鳥居に戻すと、彼女は消えるようにいなくなっていた。
 枝に連なる葉っぱの黄緑は、先ほどとは違い、いつでもどこにでも吹いているような風に身を委ねながら揺れている。
 すると、重い足をやっと動かすことができた。
 俺は走り出した。
 大鳥居を抜けて、明治通りに出る。
「いない」
 赤い和傘をさした、いや、翡翠色の玉かんざしが挿されている着物の女性はどこにもいない。
 靖国通りまで走る。
 いない。違う、こっちじゃない。
 振り返り、大久保方面に向かって走る。
 足がもつれて転んでしまうと、 が脳内に表示されてしまった。
 いない。完全に見失ってしまった……。
 翡翠色の玉かんざし……。
「ああぁ」と漏らすように呟き、頭を抱えながら前屈みになる。
 地蔵するなよ。何のためにガリさんの元で修行したんだよ。何にも変わってないじゃないか……。
「バカ、アホ、グズ、ノロマ、トンマ、マヌケ、このひきこもり野郎。お前の母ちゃんでべそ。今すぐ首吊って死ねよ、マジで……」
 放心状態でガードレールに座っていると、LINEの書き込みを知らせる音声がデニムのポケットの中から聞こえた。
『何やっとんねん!(笑)ALTA前で待ってるぜぇ』
 ガリさんからのLINEだった。腕時計を確認すると、三時四十五分。いつの間にかこんな時間に。
『すいません。今から向かいます』
 書き込みをしてから待ち合わせ場所に向かった。
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