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城の痕跡
目が醒めた瞬間に、頭も覚醒する。物心ついたころからずっと、与埜の寝起きはいい。野島と夜を過ごすようになって、誰も彼もがそんなふうに気持ちよく目覚められるのではないのだと知ったのだ。
それでも、目の前に広がる見慣れない景色に、覚醒したての脳はフリーズした。レースカーテンが掛けられた窓からは、夜明け前の、ようやく眠りについた都会の街並みの、淡い白の光が差し込んできている。
隣には、久しく馴染みのない体温。目の前には、布団ではなく、人の顔。それこそ、めったに見ない夢の続きかと思った。懐かしい友人が、あの頃のまま、眉間にしわを寄せてしかめっ面で丸くなっている。
――懐かしい、友人?
静かに寝息を立て、時折苦しそうに呻る渋面の男の前髪に触れる。その顔は、変わらなくもあり、年を取ってもいた。
十年の時を経て、世界の荒波を航海した果てにたどり着く場所としては、ロマンチックが足りないかもしれない。残酷なまでに心地よい体温。
ベッドの上で身体を起こすと、知らないTシャツと短パンを履かされていた。不自然なほどさっぱりとしている。野島が、寝落ちした相手に対しても甲斐甲斐しく世話を焼いた痕跡に、どこか可笑しさと、安堵がこみあげてくる。
熱でぼやけた記憶を頼りに寝室を出た。
スライド式のパーテーションを抜けた先にあるリビングキッチンでは、五、六人が座れそうなダイニングテーブルと、壁際の黒い本棚が幅を利かせていた。テーブルの隣のラックには無造作に新聞が置かれ、本棚には六法全書のほかに、いかにも官公庁が出している素っ気なく分厚い冊子がちらほら並んでいる。弁護士兼代議士様の自宅にふさわしい本棚だ。
キッチンで水を飲みながら、何ともなしに戸棚の中を検分する。保存容器は多いが、食器は少ない。最低限に毛が生えた程度だ。コップだけは数が多く、紙コップもお徳用が置いてあった。この部屋にインターン生や秘書なんかも呼んでいるのかもしれない。議員事務所はどうしているんだろう。
部屋の中は、掃除がいきわたっていた。野島が散らかし魔だという記憶はないが、ここまで几帳面だったろうか、と違和感も覚える。誰かが世話をしていると考えれば合点がいく。だが、食器のラインナップを見る限り、通い妻をしている恋人ではなさそうだと、願望に近い予想を立てることにした。
せいぜい四十平米の、野島昴の城。
そこで彼の生活の痕跡をなぞり、与埜が知らない野島の数年を覗き見る。少しの後ろめたさはあったが、それ以上に、腹の奥に生まれた焦燥がそうさせていた。
与埜は、ほんの数時間前に野島がこんなに近くにいることを知ったのだ。
まるで、自分がとんでもない薄情な人間のように思える。あるいは、調子のいい人間に。実際、薄情で調子がいいのは、否定できない。
野島のことを忘れていたとは言わない。苦い別れをした相手だ。無意識のうちに考えないようにしていたし、――これは自覚があるが、自分から遠いところにいってしまったのだと、思い込みたかった。
彼が今何をしているのか、現実を直視するのが嫌で、彼の情報を積極的に探すことなどしなかったのだ。
そうやって記憶に蓋をしていれば、その状態が当然になる。当然になった矢先の、出来事だった。
……人生、ままならないな。
ベッドがある部屋に戻ると、こっちはとてもプライベートな香りがした――というか、与埜が知っている野島のテリトリーだった。
かつて与埜が通い詰めた府中の、野島の生家。その子ども部屋に詰め込まれた野島の気配は、今やベッドとその隣にぎゅっと濃縮されている。
さっきは気づかなかったが、ヘッドボードにはぬいぐるみが置かれていた。三十年以上現役の国民的キャラクターと、何年か前の万博のイメージキャラクター――与埜と一緒に買ったものだ。さらに、小さな三段構えのカラーボックスが、ベッドの隣に置いてあった。ベッドに腰を下ろして中をのぞくと、野島が昔から好きだったギャング小説のシリーズと、母親とのツーショットの写真が並んでいた。
さらにその横には、大学時代の、ゼミ合宿の同期の集合写真。
そこに写っているのは、与埜も含めて、今では野島とはまったく別の人生を歩いている人間ばかりだ。サラリーマンをして一般人をしている人間も、実家を継いだ経営者も、地方議員も、議員秘書も、現役の国会議員だっている。けれども写真の中の青年たちは、普通の、ただただイベントごとに浮かれた若者だ。
こんなの、支持者に見られちゃいけないだろうな。
だから、隠しているのかもしれない。直感的に、そう思う。
その写真の横に、リングファイルがあった。何気なく手を伸ばして、中身を見て、後悔した。
それは、スクラップ記事だった。新聞はもちろんだが、多くはネット記事の印刷だ。選挙速報や、有名ブロガーの記事、週刊誌のゴシップ、動画サイトのキャプチャまであった。几帳面に印刷を張り付けたスクラップブックに張り付けられた媒体に統一感はない。
そう、媒体には。
「……何見てんだよ」
背後から、彼が近づいてくるのに気づかなかった。後ろから伸びてきた手が、与埜の手からファイルを取り上げる。パタン、と勢いよく閉じて、元の場所に戻してしまう。
「おまえ、さ」
「何だよ」
「それ、僕の記事ばっかりだ」
指摘すると、不機嫌な視線が寄越される。子どもみたいな、拗ねた表情だ。与埜が何も言えないでいると、野島はふいと目線をそらし、またベッドの中に戻っていった。
与埜は、それを追いかけて、彼の隣にもぐりこむ。
「どういうことなんだよ」
丸くなって枕で顔を隠そうとした野島の頭の下から、枕を奪う。不服げな目線が与埜を見た。
「……言っただろう、ずっと見てた、って」
「だからって、わざわざ印刷してまで?」
「いいんだよ、おまえのこと、スクラップにとっているのなんて、日本全国俺だけじゃないからな」
……自分で認めるのもなんだが、そりゃそうだ、と思う。なぜなら、与埜自身、そういうファンがつくようにふるまっているのだから。
古くは幕藩時代にもさかのぼれる血筋をもつ元首相と全国区をにぎわせた元芸能人を両親に持つ若手議員は、選挙情報や答弁の様子だけでなく、ファッションからゴシップまで幅広く世間をにぎわす。社交的、の範囲で済まされることなら、芸能人や著名人との軽いデートをすっぱ抜かれても痛くはない。
明るく活発で、冒険心がありながらも知性を感じさせるニューフェイス。そういうブランドで、与埜は議員人生を歩んでいる。
でも、それを野島に見られているのは、訳が違った。
「早く、会いに来てくれればよかったのに」
「……行けるわけ、ないだろ」
呻くように、恨めし気といってもいいような目で、野島は与埜を見る。
「俺は、おまえと対等でいたいんだ」
「わかっているよ」
「いいや、一久、おまえは全然わかっていない。俺たちの間に、――学生でなくなった俺たちの間に、どれだけの溝があるのか」
「でも、どれだけ溝があっても、おまえはいつか、乗り越えてくれるんだろう?」
理性と知性の鎧で武装した、その下にある執念をエンジンにして、きっとおまえはどこにでも行ってしまえる。
――与埜が、たどり着けないところまでも。
野島は、わかっていない。おまえがどれだけ、強く、逞しく、誰にも比肩できない力と熱を湛えているのか。家柄と後ろ盾程度ではどうにもできない――そんなものがなくても、世界がおまえを放っておかないだろうと、確信してしまうほど、光を放っているのだと。
案の定、野島は呆れたような笑いをあげて、与埜の耳に触れた。「困ったやつだな」とでも言いたさげな、恋人に対するような仕草が、今はもどかしい。
「……とんだプレッシャーじゃないか」
「そのくらいの緊張感があったほうがやりがいがあるだろう」
「まったく、いつまでたっても王様なのは変わらないんだな」
幸福そうに細められた瞳に近づきたくて、額を寄せる。朝がたのベッドの中、与埜だけの、宝石を堪能してやるのだ。
「ああそうさ。だから、早く、こっちにこいよ、昴」
――そして、すべてをぶち壊してくれよ。
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