【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音

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本編

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『わたしを探して、わたしを見つけ出して、待っているわ___』

昔から、時々見る夢がある。
不思議な夢で、そこに《わたし》は存在しない。

わたしの知らない場所で、出て来るのは、長い髪の女性、そして、黒髪の男性。
二人の顔や姿はぼんやりとしていた。
いや、夢から覚めると、その多くを忘れてしまうのだ。

確かな事は、《女性が男性を想っている》という事位だ。
ぼんやりとした、もどかしい片恋の夢物語に、
わたしの胸はキュンとさせられ、時に切なく胸を締め付けられた。


「でも、もう、夢も終わり…」

わたしは左手の薬指に嵌った、指輪の宝石、ダイヤモンドを陽に翳す。
それはキラリと強い光を見せた。

十八歳のわたし、アリシア=ルメールは、
以前より憧れていた、素敵な男性と婚約をした。

彼の名は、エリック。
彼は貴族でコレー男爵子息だ。
わたしの兄フィリップの学友で、三年前から時々家に遊びに来ていた。

エリックの、ほっそりとしたスマートな体つき、金髪、明るい青色の目…
白い肌と繊細な顔立ちは、貴族の象徴とも言える。
それに、気品があって、洗練されていて、町の男の子たちとは全然違う彼に、
町の娘たちは皆憧れていた。例に漏れず、わたしもその内の一人だ。

そんなエリックから、ある日突然、想いを伝えられ、結婚を申し込まれた時、
わたしは驚き過ぎて、とても現実とは思えなかった。
以前から、家に来ると声を掛けてくれて、時々、花を渡されたり、
誕生日に贈り物を貰う事もあったが、
《友人の妹》という立場が、エリックにそうさせているのだと思っていた。
だけど、そうでは無かったのだ!

『アリシア、僕はずっと以前から、君に惹かれていたんだ。
どうか、僕と結婚して欲しい___』

エリックの明るい青色の目が煌めく。
わたしは喜びに舞い上がった。

『はい、エリック、わたし、あなたと結婚します!』

『ありがとう!アリシア!』

エリックはわたしの手を取ると、その甲に口付けた。
ああ、なんてロマンチックなのかしら!


「ロマンチックかな?あたしなら、そんな時は思い切り抱きしめられたいよ!」

そんな事を言い、自分の腕で自分を抱きしめて見せたのは、
幼馴染でパン屋の娘のマリエットだ。

「マリエット、エリック様は男爵子息、貴族なのよぉ?
貴族はそんな事はしないわぁ、礼儀正しいもの、そうでしょう?アリシア」

おっとりと夢見がちに言うのは、もう一人の幼馴染、仕立て屋の娘のクララ。

「貴族の事は分からないけど、エリックが礼儀正しく紳士だという事は確かよ」

生まれも育ちの平民、商家の娘のわたしは澄まして答えたが、二人には通じない。
マリエットとクララはにやにやと笑うと、わたしの腕に自分の腕を絡めて来た。

「そんな事言って~、エリック様はアリシアの理想の王子様!そうでしょぉ?」
「エリック王子!ああ、何故、あなたはそれ程聖人でいらっしゃるのか!」
「もう、止めてよ、二人共!直ぐからかうんだから!」
「あーあ、アリシアが羨ましいよ!あたしもあんな素敵な婚約者が欲しい!!」
「私も欲しいわぁ、アリシア、結婚式にはエリック様のご友人を沢山呼んでねぇ」
「結婚式は半年先よ?」
「いいの!それまでに、私たち女を磨いておくからぁ」

三人で笑い合う。
幼馴染と過ごす時間は、わたしには掛け替えのないものだ。

「でも、その前に、《春のカーニバル》だ!」

マリエットが拳を握り、力強く言った。
彼女のパン作りで鍛えた腕は太く逞しい。

《春のカーニバル》
毎年三月に行われる、春を祝うお祭りで、町を挙げて行われる。
大通りには沢山の店が並び、広場はダンス会場に変わる。
ここまでは、他の町とそう違いは無いだろう。
違っているのは、このカーニバルでは、誰もが《仮面を着ける》という事だ。

仮面を着け、日頃の蟠りから解き放たれ、誰もが皆等しくなる日。
身分などもこの日は関係ない、主人も使用人もメイド長も靴磨きも…
垣根を越えて触れ合える日だ。

これだけでも素晴らしいが、もう一つ、若者の心を惹き付けるものがある。

それは、この夜、仮面を着けた者同士、ダンスをし、キスする事が出来たら、
《愛の女神から祝福される》というジンクスだ。

恋人同士であれば、間違えずに相手をみつけ、キスが出来たら、
その恋人たちは《運命で結ばれた恋人たち》となり、結婚し、末永く幸せな夫婦となる。
片恋であっても、意中の者とキスが出来たら、その想いは叶う。
相手がいない者同士であれば、新たな恋人たちの誕生である。

だが、キスを終えるまでは、互いに正体を明かしてはいけないという条件がある。
もし、破った場合、祝福は訪れない。
きっと、愛の女神は悪戯好きなのだろうと言われている。

「もしかしたらぁ、運命の出会いがあるかもぉ♪」

マリエットとクララが「きゃー♡」と盛り上がる。
二人は一緒に行く約束をしていた。

「アリシアはエリックと約束をしているんだろう?」
「ええ、そうなの、絶対に見つけるわ!」
「アリシア、頑張ってね~、それじゃ、二人共、仮面を選んでぇ!」

クララが店の仮面をズラリと並べ見せてくれた。
カーニバルに使うのは、一般的にハーフマスク、目元を隠すものだ。
今日はこの為にクララの店に来ていた。
わたしとマリエットは仮面を覗き込んだ。

「沢山あるな!あたしはどれにしよう…」

マリエットも真剣な顔で選んでいる。
わたしは目に入った仮面を手に取った。

「わたしはこれにするわ!」

黒色の仮面で、淵にはレース、そして右上に黒い蝶の飾りが付いている。
わたしはそれを着けて見せた。

「どうかしら?」
「豪華だな!」
「それに、怪しい雰囲気があっていいわ~!」

二人が褒めてくれ、わたしは「ふふっ」と笑い、仮面を外した。
マリエットは更に豪華に、赤い羽根付きの仮面を選んでいた。
彼女は身長も高いので、良く目立つだろう。
可愛い物好きなクララは、白い猫の顔の型の金色の仮面を選んだ。

「カーニバルの夜が楽しみね!」


◇◇


カーニバルの夜、わたしとエリックはダンス会場で会う事にしていた。
仮面と言っても、ハーフマスクだ。
恋人ならまず間違えたりはしないだろうと自信があったが、
いざ来てみると、ダンス会場には大勢の人が集まっていて、
その中から一人を探し出す事は、簡単とは言えない気がした。

「せめて、場所を言っておくべきだったかしら?」

でも、それではきっと、《愛の女神》は祝福をくれないわね…

わたしは昔から何処か規則や約束事に弱かった。
小さな約束事でも、守らないといけないという意識が働くのだ。
きっと、性分だわ…

そんな自分に呆れつつ、周囲を見回していた。

わたしがエリックを見つけるよりも、エリックからわたしを見つけて欲しい。
その方がロマンチックだ。

今夜のわたしのドレスは、いつもは選ばない、深い緑色のドレスだ。
夜である事、それに黒色の仮面に合わせたのだが、エリックには難しいだろうか?

「いいわ、エリックが見つけられなかったら、わたしが見つければいいもの…」

わたしの頭に、ふっと夢の事が浮かんだ。
昔から良く見る夢で、その中で、女性が男性に言うのだ。

《わたしを探して、わたしを見つけ出して、待っているわ___》

ぼんやりとした夢だが、その言葉だけは何度も聞いていて、覚えてしまっている。
それは、今のわたしの心境に近い気がした。
彼女は見つけ出して貰えたかしら?
夢の続きを見た事は無いので分からない。

わたしがエリックを探して周囲を見ていると、突然、目の前に深紅の薔薇を差し出された。

「!?」
「どうか、僕と踊って下さい」

エリックかと期待したが、茶髪に黒い目、それに真っ赤な仮面…
それに、声も違うわ。
エリックでは無いと一目で分かり、わたしは肩を落とした。

「ごめんなさい、《あなたはわたしの運命の相手では無い》わ」

これは、このカーニバルでの断り文句だった。
これを言われた者は、立ち去らなくてはいけない。

「そんな事言うなよー、僕と踊ってよー」

たまに、こういう、礼儀知らずな者もいる。
わたしは「むっ」と口を曲げた。

「カーニバルの決まり事よ、他にも女性はいるでしょう?」
「だってさー、もう、十人に声を掛けてるんだぜー、ねぇ、一曲でいいからさー」
「ごめんなさい、本当に駄目なの、恋人がいるのよ、婚約しているの」
「けど、そいつ、君を見つけられないんだろ?なら、いいじゃん」

手首を掴まれ、わたしは「きゃ!」と声を上げていた。

「離して下さい!」
「一曲踊ったら離してやるってー」

引き摺られて行きそうになり、腕を振り切ろうとした時だ。
固い腕がわたしの腰に回り、引き止められた。

「その手を離せ!」

低い声と迫力に、わたしの手首を掴んでいた男は、慌ててその手を離した。

「じょ、冗談ですって!ごめんよー!」

男は見事な逃げ足で、立ち去った。
わたしは「ほっ」と安堵した。
だが、回された腕がそのままでいる事に気付き、焦った。

「助けて下さって、ありがとうございます、もう、離して下さって、大丈夫ですので…」

気を悪くさせない様に…と、言葉を選びつつ言ったのだが、
男には届いていないのか、わたしは腰を掴まれ、連れて行かれた。
気付くと、男と向かい合い、踊っていた。
助けて貰った事もあり、断り難い状況に、つい、流されていたが…

このままではいけないわ…!


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