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第三章  十三夜の月の下で

十三夜の月の下で(2)

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 夜空のはしがほの明るくなり、月がのぼり始めた。少しだけ欠けた月の呼び名は、十三夜じゅうさんやという。

 満月に近いまばゆい月光が、洒落しゃれた洋館を照らし出す。英国風の広い庭を持つ大正ロマン風の屋敷は、修験道しゅげんどう桃生ものう家の屋敷だ。
 
 
 二十畳ほどの広さの板の間に、直系一メーターほどもある巨大な銅鏡どうきょうえられている。
 
 その前に座る修験道・桃生家当主・桃生ものう沙綾さあやは、紫紺しこん法衣ほうえをまとい、合掌がっしょうの上、銅鏡どうきょうを見つめていた。
 
 アンティーク調の格子窓こうしまどから、昇り始めた月の光が差し込んでくる。ただ鈍く光を返すのみだった銅鏡に月の光がかかると、その部分だけどこかの景色が浮かび上がる。
 
 月の霊力が、銅鏡どうきょうがつなぐ空間を映し出していた。強い霊能力を持つ沙綾さあやには、銅鏡一面に現在の御乙神みこがみ宗家そうけ屋敷の様子がえている。
 
 
 御乙神一族の騒動は、霊能を生業なりわいとする者たちの世界に知れ渡っていた。
 
 御乙神一族の神刀しんとうの使い手は、魔物を討伐とうばつする術者としては霊能の世界において最高位の一角だ。
 
 その神刀の使い手が魔物にちたなどまさ前代未聞ぜんだいみもんのことで、どの霊能術家も御乙神一族を遠巻きにし傍観ぼうかんてっしていた。
 
 どうにか、身内みうちでカタを付けてもらわねばならない―――誰も関わりたくない事態に、桃生家ももちろん傍観ぼうかんの立場を取っている。沙綾としては、取らされて、いる。
 
 赤くいろどられた唇が、くやしさにゆがむ。沙綾が御乙神みこがみあきらへの助力に動いている事が重鎮じゅうちんたちに強くとがめられ、散々もめた挙句あげく側近そっきんが間に入りようやく和解したのだ。

(……うちの重鎮たちにチクったのは絶対に御乙神の次期宗主じきそうしゅね。王子様みたいな顔してやる事はオヤジ臭いのよねあの人)

 『御乙神家の問題には今後こんご首を突っ込まない事』と、側近にまるで幼児の様に約束をさせられた事を思い出し、悔しさのあまり物に八つ当たりしそうになる。
 
 背負う責務せきむと自分の希望を上手くすり合わせるのが頭の良い人間のやり方だ。でも沙綾はできなかった。

 もっと言えば判断をあやまりかけた。桃生家の事を思うなら、今の状況で明への助力はするべきではない。
 
 分かっている。分かっていた。でも、どうしても自分をおさえられなかった。
 
 明との出会いは偶然ぐうぜんだった。仕事を世話したのは下心したごころがあったからではない。明はまれに見る高い霊能力と技量ぎりょうを持つ術者で、沙綾にがあったたからだ。
 
 けれど、いつの間にか恋に落ちていた。断られてもあきらめられなかった。それなりの数の恋愛をしてきたはずなのに、経験が全く役に立たないほど自分をコントロールできなかった。でも。
 
 どうしても助力をするなら、正しい手順は、桃生ものう家と完全にえんを切ってからすべきだった。

 それは万が一、沙綾が魔物のうらみを買った場合に、つながる桃生家にも害がおよぶ可能性があるからだ。

 強い魔物ほど、しつこい。下手すると恨む相手の血筋ちすじ殲滅せんめつさせるまで、その家系の末裔まつえいまで追ってくる。

 確実に滅ぼせる魔物でなければ、手を出さないのが退魔行たいまぎょうの鉄則なのだ。
 
 
 側近にいさめられ腹立はらだたしいのは、言い分が間違いなく正解だったからだ。
 
 あきらのために、親からいだ、自分の存在意義といえる桃生家当主の座を放棄ほうきするまでの覚悟かくごは沙綾には無かった。

 覚悟がないのに安易あんいに手を貸し、自分が守るべき桃生家の人々を危険に巻き込もうとした。
 
 今の沙綾に出来る事は、御乙神一族の動向どうこうを見守り、情報を集める事までだった。それ以上の行動は、現状を維持いじするのであればしてはならない。

 明に、御乙神一族に加担かたんするなら、桃生家の当主の座を降りてから行うのが正しい手順なのだ。
 
 
 一家を背負う立場にありながら、周囲に苦言されなければ最適解さいてきかいに気付けなかった未熟みじゅくさが、何よりもくやしかった。




 一か月前、決死の反閇へんばいを舞った椿つばきの間に千早ちはやはいた。
 
 周囲には、千早と同じように呪術じゅじゅつが専門である術者じゅつしゃたちが数十名、静かに決戦の時を待っている。
 
 しかしただしている訳ではない。皆、霊能力の感度かんどを高くし魔物の到来とうらいを探っている。

 一般人から見ればただ整然せいぜんと正座しているように見える白装束しろしょうぞくの術者たちは、霊能の世界では全力で動いていた。
 
 
 一週間ぶりに霊能封れいのうふうじのかせを外された千早も、皆と同じく警戒けいかいに当たっていた。

 御乙神一族の正装せいそうをまとい、霊能力を高める紫水晶と翡翠ひすい髪留かみどめで長い髪をまとめ、千早の波動はどうに合わせチューニングされた専用呪具じゅぐである檜扇ひおうぎを脇に置いている。今夜の千早は、術師として正に完全武装ぶそう様相ようそうだった。
 
 
 夜がけてきた。遅い月がのぼりはじめ、冷えた景色を青白く照らす。
 
 屋敷からは、使用人などの戦えない者たちは退避たいひしている。宗家屋敷はまるで無人のやかたの様に静まりかえり、それがなお術師たちの緊張を高めていた。
 
 
 千早が、ひとつ大きくまばたきをした。目つきが変わり、きびしい術師の顔となる。
 
 ことなる次元から近づいてくるモノを、他の呪術者たちも次々と感知する。近づいてくるモノの正体を探り始める中、千早の表情が目に見えてこわばる。すぐに術で生み出した式神の白猫を宗主の元へと飛ばす。
 
 そして脇に置いていた檜扇ひおうぎを開く。紫を基調きちょうとした飾りひもに水晶のが美しい檜扇ひおうぎは、千早の霊能力を高めるブースターの役目を果たす。
 
 檜扇ひおうぎを両手で持ち、優雅ゆうがあお仕草しぐさをする。するとその場にいた呪術者たちの霊能の視野しやに、千早のとらえたモノの姿がうつし出される。
 
 椿の間にいる全員の霊能の視野しや同調どうちょうし、自分のとらえたモノを映し出したのだ。

 波長はちょうの違う数十人の霊能者に、同時に霊能の視野を共有きょうゆうするなどまずできることではない。
 
 千早の実力に舌を巻くのと同時に、視えたモノに身をふるわせる。異形いぎょうの魔物など見慣みなれているはずの熟練じゅくれんの呪術者たちが、愕然がくぜんとした。

「なんだ、これは」


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