旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾

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43 最終話 

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バーナードが亡くなって半年以上が過ぎていた。
季節は冬を通り過ぎて春を迎え、もうすぐ夏がやって来る。

ソフィアはコンタンと新しく作った用水路沿いを歩いていた。

「用水路を整備したおかげで、畑の水やりもずいぶん楽になったようです。だけど水路の両端にもう少し盛土をするべきだと思う。小さな子供が落ちてしまうと危険だし、大雨の時の増水を考えると、ある程度の深さが必要になる」

彼は水路を覗き込んで、高さを確認している。

ソフィアは「そうね」と相槌を打つ。

仕事がひと段落して時間が空いたので、散歩がてらコンタンと共に農地まで来ていた。

農道の先に荷車が停まっている。
農夫が大きな声で私たちに挨拶し、荷車を押して市場の方へ向かって行った。


誰もいなくなった畑で聞こえる音は、虫の声、風の音。

畑では大麦が穂を出し始めた。だいたい四十日程度で収穫になるだろう。

何もない場所で、コンタンの声はソフィアの耳に低く心地よく届く。



「バーナード様が亡くなったとき、ソフィア様が何を考えていたのか、あらゆる可能性を自分なりに考えた」

「……え?」

コンタンは立ち止まって横を向くと、少しかがんでソフィアに視線を向けた。

「気づけなくて……すみません」

彼が謝る理由が分からなかった。今頃何を言っているのだろう。
もうバーナードが亡くなって半年は経っている。
私は仕事に勤しんで、領地経営に精を出し、領民たちの生活の安定を図り、彼らの幸せの為、今は必死に頑張っているところだ。

気づけなかった……



気づけなかったのは彼ではない。自分だった。

ソフィアの目から涙が落ちる。

バーナードが死んだとき、私は領地を離れていた。彼の死に目に会えなかった。
そして彼の埋葬には立ち会えず、その足で王宮へ向かった。
亡くなったと同時にしなければならないことがあった。

領主が亡くなった時、その第一子男子が領地を継ぐ。しかし男子が未成年である場合、後見人を置く決まりがあった。それは摂政のような役割で、国王が高位貴族の中から選任する場合がある。
それは親戚に成人男性がいない場合や、親族が老齢の場合だ。
妻は女性であるから領主の役割を担うのは荷が重いと思われていた。

母親である私がその役目を引き受けることになる旨を、バーナードの書簡と共に国王へ届けなければならなかった。
時を争うことだった。

なぜなら私がその書簡を持っていたからだった。我が領地を欲しがっている貴族がいることは噂で聞いていた。
バーナードの訃報が王宮へ知らされ、後見人が立てられる前に、国王へ書簡を届けなければならなかった。

他の方法もあった。使者を王都に向かわせればよかった。
けれど私はそれをしなかった。

私は夫が亡くなっても毅然とした態度を崩さなかった。

私がしっかりしなければならないと思った。悲しみを表には出せない。

涙は流さなかった。




バーナードは私の夫であったが、私の彼に対する愛情はとっくの昔に冷めていた。
領地に戻る決意をしたとき、病に倒れた彼と過ごす時間は限られたものだと思っていた。




しかし……思いのほか彼は生きた。


私は彼に感情移入することを恐れた。

気持ちを持っていかれてはならないと、いつも気を張っていた。
彼との関係には一線を引いているつもりだった。

あんなに無気力で怠惰な主人だったのに、領地のことをすべて人任せにするような領主だったのに、邸の者達は悲嘆に暮れて喪に服した。

私はバーナードを喪った悲しみを露わにできなかった。





彼の前で、こんな畑の真ん中で、恥ずかしげもなく、次から次へと涙が溢れ出てしまう。
そして最後には子供のように泣きじゃくってしまった。


コンタンはずっと私の背を撫でながら。


「ソフィア様は、ちゃんと悲しまなければならなかった」


そう呟いた。


春の暖かな日射しを受けて、用水路の水面にうつる真っ白い雲が、ゆらゆらと流れに身を任せていた。









「同じ学校にアーロンってやつがいてさ。俺より一つ年上なんだけどクラスは同じなんだ」

レオは王都の学園に通っている。
長期休みの為、今は領地へ戻って来ていた。

アーロンという名に思わず反応してしまう。

「そうなのね。友人になったの?」

「ああ。親友って言ってもいい」

まさか、あのアーロンじゃないわよね。
私は嫌な予感がした。

彼の母、マリリンはデクスター殺害の犯人として捕まり処刑された。

アーロンは実の父親の妻に育てられたと聞く。


「アーロンの母さんはさ、継母なんだって。血が繋がってない母親だけど、厳しく愛情をもって育ててくれたって言うんだ。道から外れず、正しく生きてこられたのは彼女のおかげなんだって」

「そうなのね」

継母……アーロンは、あのアーロンなのかしら。

「俺、思うんだよ。血は繋がってなくても、母親になれるって。愛情もって育ててもらえたら、血が繋がってなくったって父親になれると思うんだ」


父親?何を言っているのかしら?

「……そう」



「母さん。もう父さんが亡くなって三年が経った。母さんもそろそろ自分の周りを見てみなよ」




レオの言葉の意味をソフィアが知るのは、まだ少し先の話だった。




━━━━完━━━━       



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