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猫と魔女と、憩いのひととき。

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 白猫のサラは、森の魔女の眷属である。
 もとは水の精霊だったが、森の魔女と契約を交わして眷属となった。
 普段は(やや長毛の)白猫の姿をしているサラだが、魔女の力を借りれば人間の姿に変ずることもできる。猫と人間、どちらの姿でいるのも好きだが、猫の姿でいる方が多い。猫の姿の方が何かと気楽なのだ。昼寝の心地よさを、「猫って気持ちいいわよぉ」と主である森の魔女に自慢するほどだ。日がな一日寝てばかりいる時すらある。暢気なものである。

 主である森の魔女の魔力属性は「光」だ。水の精霊だったサラとは魔力の相性がよく、相互扶助しやすい。そう語ったのはやはり森の魔女の眷属であるリフレナスだ。新米眷属サラにとっては先輩といえる存在だ。リフレナスは金褐色の毛並みの鼠の姿をしている。体長は、栗鼠ほどはあるだろう。鼠としては大きいといえるかもしれない。
 リフレナスは先代の森の魔女と契約を結んだ眷属だ。元は風の精霊であった。先代から引き継がれた眷属だったため、リフレナスと森の魔女のつきあいは長い。もちろん、サラ同様に人間に変身できる。リフレナス自身はめんどくさがってあまり人間に変じたがらないのだが、内心では悪くないと思っているに違いない。と、新米眷属のサラは勝手に推量している。その姿を見たのはほんの二、三度しかないのだが。

 魔法を使う時に補助的な役割を果たすのが、魔女の眷属である。魔女にとっては援助的な存在であって、ただの愛玩動物ではない。
 リフレナスは、森の魔女がその身に有している強大すぎる光の魔力の制御に力を貸し、守っている。他、魔法の結晶石の研磨を任されたりもするし、魔法薬作りを手伝わされたり、手紙の配送をしたりもする。いいように使役されているとリフレナスはぼやくが、言うほど不満はないようだ。
 性分なのだろう。リフレナスは実際働き者で、気も利く。ぶつくさと文句を言いながらも、魔女の言いつけには必ず従うし、その仕上がりはいつも完璧だ。
 小さい体のリフレナスだが、森の魔女の眷属として、おおいに役に立っている。
 一方の新米眷属はといえば、留守番を先輩眷属のリフレナスに任せて、のんびりと寛ぎ、毛繕いなぞしている。亜麻色の髪と瞳を持つ美しい青年の膝の上で。
 すっかり愛玩動物の態である。


 白猫のサラにはお気に入りの場所がいくつかある。
 とりわけ気に入っているのは、森の魔女の恋人である青年の膝の上だ。間近に美麗な容貌を眺められ、しかもほどよい力具合で「なでなで」をしてくれる、絶好の憩い場だ。
 青年の名は、セレンという。
 森の魔女達が住む土地の領主であり、現国王の庶子という身上の青年だ。類い稀なる美貌の青年は、「ご領主様」と呼ばれるよりは、愛情を込めて「王子」と呼ばれることが多い。そう呼ぶのは若い娘たちがほとんどだ。
 しなやかな絹糸の亜麻色の髪、甘やかな色を湛える瞳、白磁にたとえられる肌理の美しい肌、声音は穏やかで、言葉づかいも丁寧で優しい。すらりとした長躯で、その体つきに似合った典雅な物腰はさすがに王族らしい品格がある。美艶なる青年セレンは、天上の美神の愛し児とすら称えられた。
 見た目の美しさもさることながら、セレンの気質の優美さ、穏やかさに領民たちは好感を抱いている。領主としての手腕もまずまずといったところだ。優れた補佐役がいることもあって、いまのところセレンの統治に不満の声はあがっていない。訳ありで領主の地位に就いたことは周知のことで、それらをあえて秘さないのがかえって領民たちを安堵させたようだ。セレンは居城であるトイン城に籠ったりせず、気軽に城下町へと出かけ、領民たちと親しく言葉を交わすことも多かった。先代の領主もそういう人だった。というよりは、先代領主からそのようにあれと促されたのだ。領民との間に溝をつくってはならぬと穏やかに諭された。
 セレンは幸いなことに領民たちから慕われている。
 それはセレンの恋人である「森の魔女」も同様だ。魔女だからと忌避されることはまったくない。見た目に「魔女」らしくないからかもしれないが、薬草調合の手並みは領民たちの知るところであり、怖れられるよりむしろ重宝がられている。
 そしてサラも、そんな二人が大好きなのだ。

「王子、依頼されたお薬の一覧、確認してもらえますか?」
 今日、森の魔女は所要でセレンの居城にやってきていた。眷属のサラも同行している。執務室で書類仕事に専念していたセレンの膝に、サラは一言もなく飛び乗った。こういった無礼を窘めないのが、セレンだ。ただちょっとだけ、困ったような表情はしているが。
「急の依頼で、悪かったね。城の備蓄をすべて使い切ってしまってね」
 数日前に、西方の国境付近の村からひどい下痢症が蔓延しているとの報告があった。河川と井戸水が原因らしいことはすぐに判った。長雨が続き、さらに季節の変わり目でもあり、体調を崩す村民が多かった。そのうえさらに水にあたってしまったようだ。症状は比較的軽いようで、いまのところ重病者や死者は出ていない。が、薬が足りない。
「とりあえず在庫すべて、持ってきましたけれど。まだ足りないですよね? 追加分は……あとどうしても二、三日はかかってしまうかも」
 セレンは分かったと応じてから改めて薬の服用方法について尋ねた。
「お薬は粉末にしてあるので、それを一度沸騰して覚まさせた白湯と一緒に飲ませてください。匙いっぱいを、一日一度だけで大丈夫です。できれば空腹時に。粉末が飲みにくいようなら白湯に溶かして飲むのでもいいです。それと、小さな子供……幼児には大人の半分くらいの量で。強い薬ではないし、副作用的なものもでにくいよう調整はしてありますけど、くれぐれも飲ませすぎないようにしてください。とくに子供には。子供は、魔力の影響を受けやすいですから」
 魔法はごくごく微量だが、「魔法薬」である以上、魔法の影響が皆無、とは言い切れない。快復を速める滋養の魔法だが、飲み過ぎれば「滋養」がいきわたり過ぎて、かえって体調不全に陥ることもある。
「わかった、その旨伝えよう」
 セレンは頷き、服用の注意を紙にしたため、それを薬に添えるよう、呼びつけた使用人に指示した。追加分の薬も出来次第現地に運ばせることも伝えた。領主としてのセレンは、優しげな面立ちは変わらないのに、声に威厳がある。命令も的確で淀みない。
 領主としてのセレンを見慣れている森の魔女ではあるが、毎度、さすががなぁと感心してしまう。頭の端でちらりと、セレンの父親である「国王陛下」も、こんな風な威厳の持ち主なんだろうかと考える。国王のご尊顔を拝したことなぞないし、今後もその機会はきっとないだろうが、セレンと恋仲である以上まったく無関係とはいいきれない。セレンを通して、どんな人柄なのかと想像するくらいは赦されるだろう。
 森の魔女が考えを巡らせている間にも、セレンは使用人に茶の用意もさせ、書類仕事もひとくぎりつけたようだ。茶を運んできた使用人は森の魔女に対して軽く会釈をする。見知った顔だったから、会釈もいたって気軽なものだ。
 セレンは森の魔女をソファーに座るよう促し、自身もソファーへと移動した。サラはそれも心得ている。森の魔女の隣に腰かけたセレンの膝の上に再び飛び乗った。もはやここが定位置だと言わんばかりである。
 用意された茶は、森の魔女が手土産に持ってきたハーブティーだった。
 セレンの膝の上でサラはぴくぴくと長いひげを動かした。カミツレの独特なにおいの混じる茶の香りがリラックスを誘う。
「サラ、そこでまったりしちゃったら、王子が動けないじゃない」
 ちゃっかりしてるんだから、という呆れたような森の魔女のまなざしなど、サラは気にしない。
「今日は、王子の疲れを癒すために来たんだもの。だったらそれをちゃんと全うしないとね。猫撫では最強の癒しでしょ?」
「それ、自分でいうかなぁ」
「あたしの毛並みはもふもふでふわふわで気持ちいいって主も言ってたじゃないの」
「それはまあ、そうだけど」
「猫の体にも馴染んできたし、喉だって鳴らせるわ」
「それはすごいね」
 笑って応じたのはセレンだった。頭を撫でられて、サラは自慢げに喉を鳴らした。
 これではどちらが癒されているのか分からない。セレンは「おおいに癒されているよ」と言ってくれたし、それは本当だろう。セレンの手つきはいつも優しいし、毛並みの柔らかさを堪能している触り方でもある。
「ほらね、王子、ちゃんと癒されてるって! あたしは癒し担当の眷属だもんね!」
 癒し担当の眷属なんて、今日初めて聞いたけれど。と、森の魔女はあきれ顔だ。けれど腹は立たないし、まあそうかも、という気にすらなってくるから、猫(の姿の眷属)は最強だ。
 この場に先輩眷属のリフレナスがいたら容赦なく「寝てるだけだろうが」とか「怠け担当の間違いじゃないのか」とつっこんだことだろう。そうしたリフレナスとサラのやりとりを眺めているのも、じつは森の魔女にとって気持ちが和らぐ「癒し時間」ではある。リフレナスには内緒だが。
 癒し担当を自負するサラは、セレンに撫でられるうちに自身も心地よくなったようで、いつの間にか琥珀色の瞳を閉じて、寝息を立てはじめていた。喉はごろごろ鳴らしたままでいる。
「サラも、すっかり環境に慣れたようだね」
 セレンは小さく笑ってサラの頭を軽く撫ぜてやる。サラはもぞもぞと身体を丸めて、もはや白い毛玉だ。
「順応が早いのはいいんですけど。……お邪魔なようなら、ちゃんと言ってやってくださいね、王子。サラは、どうもお調子者で」
 白い毛玉を撫でるセレンは穏やかに笑んでいる。執務中の時よりずっとやわらかな面持ちだ。
 一枚の美しい絵のようだと、森の魔女は思わずため息を吐く。他愛無い日常風景ではあるのだが、だからこそ美しくいとおしい。見慣れたはずのセレンの美貌だが、恋を自覚した故なのだろうか、見惚れて声も出なくなることがままある。しかも胸はどきどきしてくるし、ひどく落ち着かなくもなる。こうしてセレンの傍にいるのはとても居心地がいいのに、妙な気分なのだ。
 セレンは、森の魔女と比べると表情の幅が狭い。喜怒哀楽が顔にまったく出ないわけではないが、常に「静か」だ。セレン自身、己のそうした表情の乏しさを知っていて、だからこそ森の魔女の感情表現の豊かさが眩しく感じるのだと、本人を前にして語った。様々な感情を、森の魔女を通して見ることができるのが楽しいのだ。
「なるほど。それでわたしをからかって、面白がってるんですね」
 拗ねたふりをして森の魔女が言うと、セレンは困ったように眉を下げて小さく笑う。そんなことはないよとセレンはあえて否定しない。それだけではないのだけど、そういった面があるのも事実なのだ。そして森の魔女もまた、別段それを厭うことはない。そんなに嫌な気分じゃないのだ。「いつか、からかいかえしてやりたい」と思わないでもないが、たぶんできないだろう。
 それはともかく、寛いで猫撫でを堪能しているセレンを見やり、森の魔女は実はほんのちょっとだけ複雑な気分だった。
「……王子が、猫好きなのは意外でした」
 半ばぼんやりとした口調で森の魔女が言うと、セレンはそれこそ「意外」そうに小首を傾げた。そして亜麻色の瞳を森の魔女に向ける。
「金褐色のネズミも、好ましく思っているけれど?」
「王子ってば、それ、本人に直接言わないでくださいよ? なんだかさらにひねくれ度があがっちゃいそうですから」
 それにリプは、撫で撫ではさせてくれないと思いますよ、と森の魔女は呆れたように言う。何か、喉の奥に詰まらせているような不明瞭さが森の魔女の声に含まれている。そして、それに気付かぬセレンではなかった。肩や腕が触れそうで触れぬ、ごくわずかな隙間にもどかしさを感じているのは、セレンだけではないはずだ。
 本題に移る前にと、セレンは話題を転じた。
「実は森の魔女殿に会いたいという人がいてね。断れぬ案件だから、承諾してくれるとありがたい。そのうちの一人は、異母姉のシリンなのだけど」
「そのうちの、ってことは、複数人なんですね?」
「うん。日程の調整はハディスに任せているから、日取りが決まったら報せるよ」
「魔女に会いに来る、ということなんでしょうか?」
 それとも、セレンの恋人として? それは声に出して問いはしなかったが、ともあれそのどちらかなのは明白だろう。「森の魔女」の名声は広まっているが、それは大抵、先代の魔女を指している。
「まあ、そうともいえるけれど、仕事の依頼は、たぶんないと思うよ」
 曖昧なセレンの返答だった。場合によっては、魔女になにかしらの依頼をしてくるかもしれない、ということか。
「……惚れ薬の依頼は、受けてませんからね、王子?」
 ちらりと笑って森の魔女がそう言うと、セレンも微笑んで応じた。
「もちろん、それはきつく言い渡しておくよ、誤解が生じぬようにね」
 セレンと森の魔女はいたずらっぽく微笑みあった。セレンの言葉には、何かしら含むところがあるようにも感じたけれど、森の魔女は、いまはそれを見過ごすことにした。それはきっと「嬉しい」ことに分類できることなんだろうと、セレンの亜麻色の瞳に温かな甘みが見てとれるからだ。
「ところで、本題なのだけどね、森の魔女殿?」
「本題?」
 ほとんど反射的に、森の魔女は身構えてしまった。
 また何か仕掛けてくるのだろう、という経験からくる反射だ。別段、身構える必要などないと、森の魔女も頭では分かっているのだけど。
 サラの丸まった背を撫でていたセレンの手が、いつしか森の魔女の黒髪を一房掴んでいた。ゆるく指に巻きつけて細くしなやかな黒髪の感触を堪能している。セレンの、いつもの癖だ。……甘えたい時の。
「まだ、私を癒したいという気持ちは、あるかな?」
 私を慰労しにきてくれたのでは? と、セレンはあざとく小首をかしげて見せる。
 もはや遠まわしに言う必要もないだろう。セレンは森の魔女を見つめて言った。
「君からの癒しを、ぜひ貰いたいのだけど」
「……貰いたいって、それは……えぇっと」
 あまりにまっすぐに問いかけられて、森の魔女は口ごもってしまう。
 たしかに、お疲れの様子のセレンを癒せたらいいなと思っていた。用意してきたお茶だってそのためのものだ。だけどサラに先を越されてしまったものだから、それを口に出来ずにいたのだ。セレンはそういう森の魔女の気持ちを、すっかり見抜いているようだった。
 敵わないなぁと思うし、ずるいなぁとも思う。
 だって、そうやって「甘やかされて」いるのは、わたしの方だ……――
 森の魔女はそっと身体を傾けて、セレンにもたれかかった。
「王子」
「セレン、と」
「……セレン」
 呼気を整えてから、森の魔女はセレンを見つめる。上目遣いになって覗きこむその仕草が、セレンの胸をときめかせる要因になっているとは、考えもしないようだ。無意識的に、セレンの気を引いている。セレンは苦笑をこぼさずにはいられなかった。
「わたしに、何かできることありますか?」
 知っていて、そう尋ねる。
「キラ」とセレンに名を囁かれて、応じるようにしてゆっくりと瞬きをした。セレンから視線は逸らさずに。
「キラ、どうか君の口づけを」
 賜りたい、と。ほんの少しだけおどけた口調でいったのは、キラの緊張をほぐすためだ。
「…………」
 羽が触れたような軽い口づけが、セレンの頬に落とされる。拙く愛らしい接吻だ。
 セレンは返礼を忘れない。
 甘い口づけをキラの朱唇に落とす。甘やかにキラを誘うのが、セレンの愉しみでもある。
 そうしてキラの頬に、鮮やかな紅の花が咲くのだ。


* * *

 余談ながら、翌日のこと。
 セレンの屋敷から戻ったサラは、森の館で留守番をしていたリフレナスに、得意顔で自慢した。
「空気読んでちゃんと寝たふりしてたよ! 王子も癒せたし、雰囲気作ったし、あたし、偉いよね! 眷属として、ちゃんと役に立ってるって、そう思うでしょ、ね、リプ?」
 先輩眷属のリフレナスは大きなため息をついてから投げやりに応えた。
「そういうのは、主のいないところでこっそり報告しろ」
 それと、そういうのは眷属の仕事じゃない、と言い添えたが、サラと、サラを腕に抱いている主の耳には届かなかった。
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