恋愛蜜度のはかり方

るうあ

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甘えて。 ◇◇美鈴視点 (各お題利用)

逃げるな危険 3

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「やあ、木崎さん! 来てるのは知ってたけど、今日、顔合わせるのは初だね」
 田辺さんはニカッと歯を見せて朗らかに笑い、足取りも軽く、こちらに歩み寄ってきた。
「こんばんは」と我ながら物堅い挨拶をすると、田辺さんは眉を下げて、ちょっともどかしげな顔をした。けれど笑顔は崩れない。営業スマイルが板についている、というより癖になっているんだろうか。
「これだけ人数がいるとどこに誰がいるやらさっぱりだよね」
 近づいてきた田辺さんからはお酒と煙草の臭いがした。……少し、きつい。
「そうですね」
 わたしは詰められた距離に戸惑いながらも、無難に相槌を打った。
 田辺さんが言うように、今夜の忘年会の参加者の総数は多い。
 正社員は半ば強制参加だからほぼ参加してるだろうし、派遣社員やパートは自由参加とはいえ、存外出席率は高いらしく、参加総数は百はゆうに越えている。
 わたしは浅田さんや桃井さんみたいに顔は広くないし、交友関係も狭い範囲で限られてるから、たとえば同じ派遣元から来た人達でも、課が違えば普段顔を合わせることもほとんどなくて、積極的な交流も持たないでいる。
 それは社員でも同じことで、顔だけしか知らなかったり、名前だけは聞き知ってても顔までは知らなかったり、顔も名前も見知っているけど、一言も喋ったことがなかったり挨拶しかしたことがないって人が多い。
 田辺さんも、ちょっと前までは関わりのない人だった。偶然、浅田さんを介して話すようになったけれど、ただそれだけで、親しい間柄になったわけじゃない。
 田辺さんは忘年会以外の飲み会で、数度、わたしと顔を合わせたことがあるよと言ってた。その時に少し話もしたらしい。……でも、たぶん挨拶をかわした程度だったのだと思う。
 飲み会の席だけじゃなく、会社内でも田辺さんとは顔を合わせることってなかったように思う。田辺さんは外回りに出ていることが多いようだし。営業二課の田辺さんとはもともと接点なんてなかった。
 もちろん社内で見かけることはあった。田辺さんという人を個人認識していたわけではなく、営業課の人だっていう程度。
 高倉主任と一緒にいたから、目に留まっていた。「あの人は高倉主任と親しいんだ」と、わたしが一方的に見ていただけで、話しかけたりなんてしなかった。
 それなのに田辺さんはわたしの顔と名前を、きちんと一致させて憶えていてくれた。
 どうしてなんだろうって不思議だったけれど、考えてみれば、それほど不思議でもないのかもしれない。
 田辺さんは、浅田さんとも桃井さんとも親しい。二人からわたしの名を聞いたって可能性は高いし、浅田さんと一緒にいることの多いわたしだから、自然と視界に入っていたんだろう。
 田辺さんは誰にでも気安く接せられる、人懐っこくてマメなタイプの人みたいだから、見知った顔程度のわたしにも、見かけた以上は声をかけなくちゃって思ったのかもしれない。
「そういえば田辺さん、もう浅田さんのところには行かれました?」
「うん、ついさっき顔出してきた。で、駆付け三杯は軽くいってもらおうか、とかって麦焼酎三杯飲まされたよ。周りにいた子達にも囃されてさぁ! さらに強いの飲まされそうだったから、なんとかテキトーに理由つけて逃げだして、現在に至るってワケ」
 田辺さんのおどけた口調にわたしもつられて笑い、それから冗談めかして、
「それは大変でしたね。おつとめ、ご苦労様でした」
 と、畏まってぺこりと頭を軽く下げ、田辺さんの苦労を労ってあげた。
 田辺さんは「痛み入ります」と、わたしにお辞儀を返してから、パッと明るく相好を崩した。
 田辺さんは泥酔とまではいかなくとも、ずいぶんと酔いが回っているみたいだった。顔と言わず耳も首も赤くなってて、たれ目がさらにたれて、とろんとしている。
 アルコールという潤滑油が大量に入ったおかげか、それとも元からか、田辺さんの舌はとめどもなく良く回る。
「しっかし、ほんと参るよなぁ」
 田辺さんはすでに緩めていたネクタイを解き、襟元をくつろげてため息をついた。
「さっきもさぁ、ちょっとの間、高倉さんと一緒に飲んでたんだけど、同じくらいの量飲んでたはずなのに、あの人全然平気そうで、顔色一つ変えないんだもんなぁ。浅田さんもだけど、あの人達って、酒強すぎると思わない?」
「たしかに二人ともかなり強い……みたいですよね」
 高倉主任も浅田さんもかなりの酒豪だということは重々承知しているけれど、分け知り顔もできずに、曖昧に答えた。ヘンに怪しまれないといいけれど……
 田辺さんは腕を組み、「うんうん」と頷いている。わたしの焦思に気づいていないようだった。
「とくに高倉さんは要注意なんだよね。無理やりとかじゃなく、なんか知らない間に飲まされちゃってるっていうかさ。で、本人は涼しい顔して飲んでて。あげくにさぁ、まだ空けてないのかとかさらっと言うんだから、性質悪いよ、あの人は!」
 本気で憤ってるわけじゃないから、田辺さんの顔は笑ってる。少々苦味の強い笑顔だけど、楽しげにも見えた。
 田辺さんと高倉主任は、同期入社ではないようだけど、けっこう付き合いが長いみたい。友達関係というよりは先輩後輩といった間柄のようで、浅田さんからまた聞きしたのだけど、高倉主任は入社当時営業の方にいて、それで田辺さんと親しくなったらしい。
 会社内での高倉主任の交友関係について、詳しくは知らない。興味がないわけじゃないけれど、あえて聞きだそうとは思わなかった。だから今まで、たとえば浅田さんと一緒に飲みに行っていた時なんかでも、話題に上がった社員さん達の名を特に気に留めることなく聞き流していた。たぶん、田辺さんの名も出ていた。だけど顔と名前が一致したのはごく最近。さすがにそれは田辺さん本人には言わなかったけれど、なんだかちょっと申し訳ない気分になったりもした。
 このところ、そう頻々とではないにしろ、田辺さんから挨拶の声がかかったりすることが増えたからかもしれない。
 それでもまだ田辺さんとの距離感を掴めなくて、返す言葉も笑顔も、ついぎこちないものになってしまう。
「そういえば、高倉主任も、入社当時はけっこう潰されてたみたいですよ」
「えぇっ、マジで?」
「浅田さんから聞いたんですけど、本人もそんなようなこと言ってましたし……」
「ええっ、そうなんだ!? 酔い潰れた高倉さんって……うわぁ、想像もつかないな!」
「ほんとですね」
 わたしは小さく笑って賛同した。
 田辺さんもわたしと同じようなこと考えてたんだ。そう思うとなんだか可笑しくて、親近感もわいた。
 維月さんの酔態は艶っぽさが増して、わたし的にはかなりキケンなんだってことは、田辺さんには言えなかったけれど。
 それでも、「高倉主任ってズルイよ」って気持ちが田辺さんと同調したせいか、つい口が軽くなってしまう。
「酔い潰れるっていってもきっと、寝入っちゃって起きないとか、そんな感じなんじゃないかな。それとも絡み酒? そのくらいしか想像つかないですよね」
「へべれけな高倉主任って見てみたいけど、それってアレだよね、怖いもの見たさ的な」
「そうかも! ちょっと怖いかも、ですよね!」
「やぁ、なんかさぁ、木崎さんに同感してもらえて、すっごく嬉しいよ」
 田辺さんはうんうんと首肯し、それからわたしを見やり、破顔一笑した。

 向けられた田辺さんの全開笑顔に、わたしはハッとして、慌てて顔を逸らした。
 ――なぜかは分からない。
 高倉主任の顔が脳裏をよぎった。上司としてではない、維月さんの顔。
 そして、思い浮かんだ維月さんの顔は、なぜかしら、少し険しい顔をしていた。

 高倉主任って、捉えどころがないと思わせるような振る舞いをする人だと思う。
 会社内における高倉維月さんは、自身に関することはあまり語らず、良くも悪くも真意を他人に悟らせない。けれど秘密主義を前面に出している風でもなく、場の空気を読んで、無難な対応をとれる、要領のいい器用人だ。
 真意をはからせない狡さも持ち合わせながら、他者を拒みきる冷たさがなく、ゆったりとした安定感のある寛裕な男性だと思うのは、あるいはわたしの贔屓目かもしれないけれど。
 でも……、そう思ってるのは、きっとわたしだけじゃない。
 たとえば、高倉主任の知られざる一面を見てみたいもんだと悪戯っぽく笑う田辺さんだって、その興味は好意からくるものなんだろうって、容易に想像がつくもの。
 もちろん、その好意の種類や重さなんかは、わたしとは違う。
 わたしが維月さんに向ける感情は、甘くて苦くて重たくて、明るくなったり暗くなったりもする、複雑なものだ。
 だからわたしは、……――

「木崎さん」
 名を呼ばれて我に返り、顔を上げた。真正面に、田辺さんの顔があり、視線がぶつかった。
 話題に上がっていたのが高倉主任だったものだから、つい、思案に沈みきってしまってた。
 いけない。うっかり気を緩めすぎてた。
 高倉主任…維月さんのことを想うと、どうしても心は平常ではいられず、気持ちが抑えきれずあらわれてしまう。会社にいる時や会社の人といる時は気を引き締めなくちゃって縛めているのに。
 田辺さんに、気持ちを悟られてしまった感はないけれど、どうだろう…?
「え、と、すみません、ぼうっとして」
 とりあえずは作り笑顔で取り繕った。
「あのさ、木崎さん」
 田辺さんは人懐っこい笑顔をしまい、真剣なまなざしでわたしを見据えてくる。
「俺さ、その……木崎さんに訊きたいことがあるんだ」
「は、はい…?」
 どきりと、胸が鳴った。
 もしかして感づかれてしまったのかな、……維月さんとのこと?
 田辺さんは眉をしかめてわたしから視線をはずし、落ち着かなげに額や顎や鼻先をぽりぽりとかいている。けれどもすぐに遠慮がちに探ってくるような視線をわたしに戻してきた。
「木崎さんってさ、今、つきあってる人、いるの?」
 田辺さんの唐突な質問に、わたしは息を詰まらせた。
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