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1.魔女オーウェン、衝動買いをする

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 その男、オーウェンはどうしてこんなことになったのかと自問自答していた。
 見下ろす視線の先では今までの彼の23年の人生で小便をする以外に使ったことのなかった陰茎を、小さく可憐な生き物の唇が柔らかく締め付けて刺激している。
 男女の交接においてどのようなやりとりが行われるかは、今は亡き彼の母、大いなる魔女エウェンの仕事の助手をしていたのでだいたい知っている。自慰だって何度もしたことはある。だが、こんなふうに陰茎を口で頬張るようなことをすることがあるとは知らなかった。

「……こんなこと、誰でも普通にやることなのかい……、どうしてこんなことを?」

 長く一人で暮らしていた彼は独り言を言う癖があった。目の前には新しく一緒に住むことになった者が一人いるが、彼女は今口いっぱいに彼の陰茎を頬ばっているので何も答えない。自然、今の彼の言葉も独り言になってしまう。

 じゅぽ♡ じゅぽ♡ じゅぽ♡ じゅぽ♡ じゅる、ぞぞぞ……♡♡

「あっ……ふ、ううっ……」

 彼女の前歯が、ごく軽く陰茎の表面を掠めていって、オーウェンはその刺激に思わず身をすくめる。頭の中で取り留めないことを考えて、尾てい骨に忍び寄る寂寞感に耐える。
 この行為が一般的に行われるのだとしたら、世の中の男たちはなんと勇気があるのだろう。固い肉や軟骨でも嚙み切るような器官がびっしりそろった場所に陰茎を入れるだなんて。信じられない。相手を信頼していないとこんなこと絶対にできない。それとも、相手が自分を害することをしない自信でもあるんだろうか。
 しかし、その理由は彼の感情よりも先に陰茎のほうが理解し始めていた。気持ちいい。女の口で陰茎を扱いてもらうのはとても気持ちいいのだ。誰も教えてくれなかったので、彼は今初めてそれを知った。

「はぁぁっ……出ちまう、出ちまうよ……。離して、口を離しておくれっ……」

 切なさとして覚えていた感覚は、次第にぎくぎくとした衝動になって体を支配しはじめる。こみ上げる射精感に警告するも、彼女はオーウェンの腰をがっちり抱え、喉奥に陰茎を捕えたまま離さない。

「で、出ちまうって言ってるだろ!? 話を聞いてないのかいっ!! あっ、出る! あ、あ、あ、ああーッ!!!!♡♡♡!!!!!」

 びくびくびくっ♡♡ どく♡♡ どくどく♡♡♡ びゅる♡ びゅーっ♡♡♡

「んく♡ ごっくん……♡♡♡ ぷは……♡♡♡」

 糸を引きながら、オーウェンの陰茎は小さな唇から解放された。ねばねばと光る彼女の口の中に白濁の痕跡はまったく見られない。

「……あ、あんた、飲んだのかい? 全部?」

 ぜえぜえと肩で息をしながらオーウェンが問うと、彼女はにっこりと微笑んだ。

「お疲れさまでした。ザジの口淫は満足いただけましたか? オーウェン様?」

 彼女、ザジと名乗る娘とオーウェンは、たったの数時間前に初めて出会った。それが本当にどうしてこうなったのか。彼は今日の自分の行いが、自分の日常をがらりと変えそうな予感をひしひしと感じていた。
 魔女オーウェン。彼は大森林の片隅の庵に一人で暮らす『男の魔女』である。大いなる魔女と呼ばれる彼の母親エウェンは彼が16の時に土に還った。
 彼の住む国では、一つの街につき一人、魔女がいるものだった。街の人間は薬が欲しかったり困りごとがある時、魔女の庵の戸を叩く。
 エウェンとオーウェンの暮らした庵の最寄りの街はあまり治安のよくない街だった。奴隷売買が盛んで、春をひさぐ女が多くいる。そんな場所に住む住人たちは、エウェンをとても頼りにしていた。
 エウェンという魔女は、女の胎に関する困りごとへの対処に長けている魔女だった。孕み女の世話、助産。時には子堕ろしなどを請け負う仕事を主に頼まれており、街にいなくてはならない存在だった。
 特に、彼女が開発したと言われる避妊具、『スライムスキン』は別の街から買いに来る者がいるほどの画期的な品物だった。スライムを干して作った袋を、男の陰茎に被せると女が孕むことなく交接を行うことが出来る。
 エウェン亡きあと、彼女の息子であるオーウェンはその後を継いで、男でありながら『魔女』を名乗り、スライムスキンを始め彼女が開発した品物の注文を受け、制作、販売をして暮らしていた。
 その日の朝、いつものように彼は作ったばかりのスライムスキンを梱包し、箒にくくりつけて裸足で飛び乗った。魔女は箒で飛ぶものだが、彼は他の魔女のように箒に腰かけるのではなく、箒の上に立って低い所を滑るように飛ぶ。彼のその日の行き先は奴隷市場だった。
 この国では、獣人の地位が低い。犯罪を犯した人間が奴隷落ちすることもなくはないが、奴隷市場で商われている商品はほとんどが獣人である。
 獣人とはいえ、人が人を売り買いすることの是非について思うところが何もないわけではない。だが、オーウェンはその社会構造を是正したいと思うほど正義感の旺盛な男ではなかった。
 スライムスキンがあれば商品を孕ませることなく『仕込み』ができる。奴隷商人にとってそれは益のあることであり、オーウェンは彼らにそれを売る。ただそれだけである。
 だから、オーウェンは売られている奴隷たちに関心を払ったことはなかった。その日までは。

「海の向こうで捕まえたっていう珍しいのが入ってよ」

 取引相手の商人がそういって目で促した先にいた奴隷を一目見たとき、オーウェンの心にズガン、と何かが来た。
 あまり自分の感情を言語にするのに長けていない男である。そのズガンの正体がなんなのかその時は自覚できていなかったが、時間が立ってそのズガンを改めて言葉にすれば、それは『なんて可愛いんだろう』という感情だった。

(あ……れは、なんて、獣人なんだ……?)

 鼠獣人の類なのはなんとなくわかった。ふわふわとした青灰色の髪と鼠獣人よりは長く、兎獣人よりは短い同じ色の耳と、ふさふさの尻尾。子供のようにも見え、大人のようでもある小さな体躯。白い肌にそばかすのある顔。黒くてくりくりした目が、オーウェンを不思議そうに見つめていた。
 その瞳に見つめられた彼は、自分が何をしに来たのかを忘れ、思い出した時には奴隷商人から受け取ったスライムスキンの代金をそっくり返してしまっていた。
 すっからかんの懐を軽く感じながら、オーウェンは庵に帰る。箒の前には小さな体がちょこなんと座っていた。エウェンが生きていた時によく同じように、箒の前に乗せて一緒に飛んだものだ。母はとても小さな体の魔女だった。エウェンと死に別れて以来空席になっていた所に似た形のものが収まった風景は、彼の心を安心するような、そのくせ落ち着かないような気持ちにさせた。

(……生まれて初めて衝動買いってやつをしちまったね……)

 奴隷を買う奴の心なんて知ったことではないのだが、大体の者は何か目的があって奴隷を買うということは想像できる。人手として働かせたかったり、慰み者にしたかったり、なんかしらの理由で買われるのが奴隷なのだが……。オーウェンの今日のそれは言い逃れのできない純然たる衝動買いのため、彼の頭の中に去来する思いはただひとつだった。
 
(この娘、どうしよう……)

 眉根を寄せて険しい顔をしたオーウェンとすれ違う街の人がぎょっとして飛びのく。オーウェンの容姿はあまり親しみやすいものではない。眉骨が高く奥目で、やや鷲鼻。青白い頬はこけ、口はへの字に結んでいる。巨躯に纏った黒いローブと一つに結んだこれまた黒い髪をなびかせ、箒の前にフードを被った子供らしきものを乗せた裸足の男は一言で言って「人さらい」といった風情であり、治安のよくない街であっても異様だった。
 ひそひそと訝し気に噂する人々の視線にも気が付かずに、いやほんとにこの娘どうしようかな。なんで買っちゃったんだ? とぐるぐる考え事をしているオーウェンの下の方から柔らかく鼻にかかった声がかけられた。

「だんな様、お買い上げありがとうございました。あたしはケイト族のザジと申します。だんな様のお名前を頂戴してもよろしいですか?」
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