お伽話 

六笠 嵩也

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第二章

2-18 ★

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繰り広げられる狂宴に背を向けて、ただ只管に経文を唱えながら心を鎮めていたと言うのに、その静寂があっさりと破られてしまった。そのほころびは、指先に乗る程に少量であるのにも関わらず、慈照を高潔な精神の世界から熱を帯びた肉欲の世界へと誘い込む。

「うっ!こっ、これをどうしろと!?」

「美味に御座います…さぁ、お召し上がりください。わかりませぬか…こう、舌を出して舐め取ればよいのです。」

お妙が文机の前に座ったまま下を向いてクスクスと笑う。普通の男とは少々勝手の違う鈴虫の体液を、此奴は主に舐めさせようとでもいうのか。ただ同じ場所にいるだけで、遅かれ早かれ誰もが観世音菩薩の現身が放つ芳香に呑まれて我を忘れると言うのに、わざわざ一番濃い物を目の前まで持ってくるとは、なんと面倒見の良い家臣であろうか。どうせ、どんなに頑なに拒もうと、まともな男ならば抗うことは出来ない。この強情な男も後少しで思うが儘に操ることが出来る。散々、鈴虫を辱めた男の主には何を要求してやろうかと、考えれば考える程に笑いが込み上げてきた。

突き出された弦次郎の指先に意識を寄せるほどに、慈照の鼓動が速くなってゆく。今まで感じたことの無いこの感覚は、何かおかしな流行病にでも罹ったかのように全身を支配し、風野やお妙、その他周囲にいる男共、そればかりか突き出した指の主である弦次郎の存在さえも掻き消して、ただ指先の甘い誘惑だけに意識が研ぎ澄まされてゆく。
慈照がいくら平然を装っていても、纏った野良着の一枚下では臍の下の物が存在感を増していた。そして、その切っ先からはヌラッと透明の粘液が滴らんがばかりに溢れ、下帯の前にすでに恥ずかしい染みを広げている。

「御幼少の頃より僧門で過ごされたと言っても、三十路近くまで清い御体であろう筈も無い。さすがに貴方様も稚児くらいは抱いた事があるでしょう。…まさか、馬鹿正直に貞操を守って来たとでも来たとでもおっしゃりますか。それとも…あっ、まさか…抱かれる方がお好きだったとか…?」

「何を馬鹿げた事をぬかすか!余はご病弱であられた兄上の健康と、民の安寧を心より祈って…日夜…修行に…しゅ、修行に…専念し…辛い修行に…耐えて…」

弦次郎の襟元を掴んで怒鳴りつけた慈照の額からは汗が伝う。弦次郎の肩越しに目に飛び込んで来た光景に体が固まった。
つい今さっき、やっとのことで解放された鈴虫の体を、男達がすでに取り囲んでいるではないか。お妙に対して鈴虫を譲る事を求めていた男は余程鈴虫が気に入ったようで、弦次郎が体を離すや否や鈴虫の脚の間に陣取って、その力の無い性器を口に含んで夢中でしゃぶっていた。

「じゅるぅ…じゅるぅ…あぁ、可哀相に…おちんちん、気持ち良くしてもらえなかったんだねぇ…チュッチュッ…おじちゃんが今すぐに気持ちよくしてあげるからね…おじちゃんのお口に…じゅるるぅぅ…美味しいお汁を…頂戴ねぇ…あぁ、なぁんて可愛いんだろうか!」

「おい、お妙殿、水でも飲ませてやったらどうだ?やはりこの現身様はもうちょっと食わせなくちゃいかんなぁ。もう起き上がれないんじゃないか?」

「そうですねぇ…この観音様は幼い頃からあまり良い物を食べさせてあげられませんでしたので、一度にたくさんは食べる事が出来ません。さすれど、甘い物でしたら好んで食べてくれますよ。例えば水菓子、蜂蜜、干し柿、真桑瓜…それらを一年を通してお届け頂ければ誠に有難い。きっと体力もついて皆様をお悦ばせ出来ましょう。」

「まぁ、確かに。この村は長いこと観世音菩薩様の御降臨が無かったから仕方あるまい。とりあえず蜂蜜が採れたら届けてやろう。その通りに書き加えよ。それで…だ、二周目に入っても良いかね。今度は前から責めても構わんだろう?」

「えぇ、えぇ、ご存分に。死なせない程度にお楽しみ下さい。」

「もちろんだ。観世音菩薩の現身様を殺めるだなんて縁起の悪い事を言うな。大事に、大事に可愛がるだけだ。現身様に嫌われたら御利益が無くなってしまうだろう。なぁ、皆の衆?」

「あぁ、そうだとも!この現身様の体は丈夫ではないから無理はさせない。乱暴な事は御法度、そう言う条件だ。そうだ、現身様はクルミは好きかね?あれは体に良いから届けてしんぜよう。蜂蜜に漬け込んで食べさせると美味な上に滋養にも良いだろう。」

「まぁ!それは有難うございます。どうか皆様に観世音菩薩様の御加護がありますように。」

お妙は上機嫌である。この甘い香りに酔わされている間、男達は大概の要求を不思議と聞き入れてしまう。上手いこと操れる人形のようだ。早速、一同に深く頭を下げて礼を言い、季節の甘味を月毎に届ける事と書き込んだ。
そして、その文面を書き終えると慈照と弦次郎、二人の成り行きに再び目を遣った。弦次郎は頭巾の下部をまくり上げ、突き出した指の先に付いていた体液を自分の舌先で舐め取っている。結局は散々見せびらかした御馳走を独り占めしてしまったのだ。

「さぁ、さぁ、貴方様は…そのぉ…抱かれる方がお好みであっても、今は跡継ぎを遺さねばならない御身分。丁度良い機会ですから、この少年の穴を使って腰を振る練習でもされたら如何かと。女子相手おなごあいてに赤恥かくのも忍びないのでご忠言致します。なんでしたら私が御指南いたしましょうか。」

「げ、げん…お前、淫魔の毒牙に掛かったか!?されとて、主を辱めて赦されるとでも!?たとえ主が赦しても、私が赦しませんよ!」

耐えかねた風野が食って掛かった。しかし、弦次郎の様子は暖簾に腕押しで反省の色は無い。甘い香りの春風に乗る様に飄々として浮ついているだけなのである。

「あぁ、あの甘露の海は極上に御座いました。貴方様にその気が無いのでしたら、遠慮無く二度目を頂戴しに行こうと存じます。そして、その最奥にたっぷりと我が精を注ぎ込み、あの現身様を我が色に染めとう存じます。」

弦次郎の言葉に、その限界まで張詰めていた精神の糸が切れた。

「……我が色に…染める…!お前の虜にでもしようと言うのか!赦さん!皆の者、やめいっ!やめだ、やめぃ!その手を止めよ!」

慈照は大声を発して立ち上がると、鈴虫を囲む男達を払いのけ、鈴虫の脚の間で花芯の蜜を啜る男の隣に座した。慈照は男の顔を覗き込むようにして怒りを押し殺した笑顔を向ける。その暴走する怒りの感情は、全容を晒したわけでなくとも眼力だけで十分威嚇に足りた。それと同時に慈照の体からは得も言えぬ不思議な香りが沸き上がる。それは弦次郎のものと少々似てはいるものの、若い柑子の弾けるような清々しさのある香りであった。

「やめよ…この者は…余のものだ。お主のものではない…分らぬか?余のものなのだッ!」

「はぁ?何を言っているんだ。観世音菩薩様がたった一人の人間ごときの所有物になるわけがないだろう。お前様も現身様と交わりたいならば、皆と同じ条件を飲み、順番を守れよ。」

「そうだ、そうだ、俺だってこの現身様を我が物にしたい!しかしながら現身様はこの村の大切な秘仏。それくらいの分別は持たねばならんのだ!」

「…ち、違うのだ!何故わからぬのだ。この者はお主等のものでは無い!」

「何を証拠にそんなことを言うんだ。我慢し過ぎて気でも狂ったのか?」

「何故だか…そんなことは分からぬ。自分でも理由が分らんのじゃ。だが、この者は…この者は…お前たちのものではない!」

何故だか慈照の目からは涙が溢れ出した。いい年をした男がこんな醜態を晒してしまうなんて信じられないこと。しかし、止めようのない感情が胸を締め付け、紡ぎ出す言葉を涙に変える。

「お妙殿…書こう。筆を…何でもくれてやる…さて、何を望む?」

自分の両膝頭に爪を立て、ギリギリと力を込めながら敗北を認める。そんな慈照の背中を風野は悲しみを湛えた瞳で見つめていた。
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